意識存在は輪廻転生の証拠となり得るか

このQ&Aのポイント
  • 意識が存在することは、現世に存在したという証拠となり得る。
  • 意識は無に帰した後、ふたたび現世に現れる可能性がある。
  • 意識と機械のスイッチを同一視することはできない。意識は感受性と創造性を発する主体があるかどうかということと関連している。
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意識存在は輪廻転生の証拠となり得るか

肉体の死によって全てが無になるのなら、これ以上楽なことはないと思われます。 しかし、現意識があるということは、現意識は、現世に存在したということです。 現世に存在したということは、意識がいったん無に帰したあと、ふたたび現世に現れる可能性があるということではないでしょうか。 現意識は現世に存在するという間違いを一度犯しています。 これは意識が現世に存在するということの証拠になります。 すると、無に帰した後、ふたたび意識が現世に現れるという間違いを犯す可能性があるということではないでしょうか。無に帰した意識がふたたび現世に現れないとするならば、無から意識が現れるということもないのではないでしょうか。 よく人間の意識を機械のスイッチに例えて、ついたり消したりする、それが意識に相当するものだという説があります。その説は意識を無から発生させ無に帰するものです。 しかし、優れたパソコンであっても、それは意識ではありません。優れたパソコンは電気が通っているかいないかというだけです。電気が通っていても意識はありません。 意識とそうでないものの違いは、感受性と創造性を発する主体(つまり心)があるかどうかということだと思います。 意識でないものと、意識を同一視することはできないのではないでしょうか。 そこで意識の比較対象が現時点では存在しないと思われます。だから機械のスイッチを入れたり切ったりすることは、意識が無から発し無に帰することを証明していないと思われます。 意識はまだ得体の知れない何かです。 睡眠と死を同一視する見方もあります。睡眠中は意識がなく、次の目覚めの時に飛んでしまうわけです。その間、無だったと言えるのではないでしょうか。しかし、肉体がなくなったとしたら、目覚めの時は永久に訪れないから、永久に無であると言えるわけです。 しかし、睡眠と死を同一視するのも間違っているのではないでしょうか。何故なら、睡眠は肉体が存続しているという条件で、死は肉体が存続していないという条件だからです。条件が違うのに、睡眠を理由に死を決定することはできないのではないでしょうか。 意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか?

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  • sunabo
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回答No.17

人の一生。だいたい80年。生まれて死んでそれで一回。始まって 終わる。 質問の前提としては、何かが、ずーっとつづいてて、ある一回の 人の一生にはその何かが、乗っかってて、その何かは、一生が終 わると、別の一回の一生に乗り移る。みたいなかんじか。 質問者様は何かを意識としている。やっぱり、死んじゃうと、消 えちゃうので、とりあえず、ずーっと続く何かとしておく。 始まりはあったんだろう。生命が誕生して進化してずーっと続く 何かを持つようになったんだろう。または、別の恒星系ですでに 、生命が誕生したりしてて、ずーっと続く何かを引き継ぐように なったのが、今の地球の人かもしれん。 現在、ずーっと続くなにかがある。ということを起点にして、過 去、未来にずーっと伸ばしていける。ビックバン・ビッククラン チなど知らぬ存ぜぬ!!!!! 場合分け。 ・一回で終わる。  →ダライラマ1。おわり。 ・一回を繰り返しずーっと続く。  →ダライラマ1、ダライラマ1、ダライラマ1、・・・ ・引き継いでずーっと続く。  →ダライラマ1、ダライラマ2、ダライラマ3、・・・ ・引き継いでずーっと続かない。  →ダライラマ1、・・・、ダライラマ14、(解脱)おわり。  全部のずーっと続く何かが続かない場合は、ずーっと続く何か  が有限個だと、無限の時間がたつとみんな解脱する場合がある  。  ずーっと続く何かが無から生まれたり、分裂する場合がある。  参考の質問。http://okwave.jp/qa/q9223207.html ずーっと続くのは何だろうか。 ・たとえば、うなぎ屋の秘伝のたれ。  →つづきながら変わっていく。レシピは固定。 ・たとえば、循環小数。  →同じ1回を繰り返す。 ・たとえば、円周率。  →繰り返さないでずーっと続く。 ・たとえば、生命。  →つづきながら自己複製して繰り返す。結構死ぬ。 ・たとえば、DNA。  →つづきながら生命に乗って繰り返し変わる。案外消えない。 ・たとえば、たましい。  →わからん。 質問者様は生命よりも、物っぽくなくて、pcよりも、生命っぽい、 たましいよりもわかりやすい、DNAよりうつろいやすい何かを想定 している様子。 今をどう生きるかについて 今この瞬間が長・短期的に最善の選択ならその積み重ねは最善の 生では?攻殻機動隊 (2)最後から20ページ前くらいのところより。 www.amazon.co.jp/dp/406334441X 終わりがあるなら、終わりから逆算して、最良の今を生きればよ い。いつ終わるかわからんので、うまくいかん。 ずーっと続くなら、ゲーム理論の無限繰り返しゲームの最適戦略 (参考URLより)。たぶん、ゲームのルールがどんどん変わっていく のでやっぱりうまくいかん。 ベストも、ベターもなさそうだな。ランダムだろうか。とりあえ ず、しっぺ返し戦略でどうか。ハムラビ法典でどうか。ルールが 変わっても、目には目を。歯には歯を。フレブ ザ フレブ   クロフ ザ クロフ(パンにはパンを 血には血を セルビア語 みたい。Hleb u tiganju Крв у крви)心には心を。意識には意識 を。阿頼耶識には阿頼耶識を。ずーっと続く何かにはずーっと続 く何かを持って贖うのだ!!うごごご!!! 失礼。取り乱しました。

参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E7%90%86%E8%AB%96
Psychic_student
質問者

お礼

なにも分からないまま今を、最善と思うことをして生きるしかないのだと思いました。 一生けんめい考えてくださり、ありがとうございました。

その他の回答 (16)

  • kurinal
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回答No.16

>「無は考えられない、ということでしょうか。」 「無限大」ということを前提とすると、そういうことになると思います。

Psychic_student
質問者

お礼

無が考えられないならば、有るとしか言えなくなりますね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.15

>「可能性は無限大にあるんですよね。しかし、証拠にはならないんですよね。感覚で捉えられられないから。 私としては、現世に存在した、という実績から、次もあるのではないか、と予想するしかないんですよね。」 その通り!!。 ・・・というか「無限大」を前提にすれば、そうなるところですか。 (「宇宙の外側タマネギ理論」により、究極なんて判らないということになる)

Psychic_student
質問者

お礼

無は考えられない、ということでしょうか。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.14

No.12および13です。  >パソコンに超越的世界から何かが働きかけているというお考えでしょうか。 いいえ。超越的存在がその意志を持って働きかけて利用しているというのは私には分かりません。単に、意識の素と表記できる目に見えないものは、自在に流動的に、有機物のみならず無機物の内部も移動して、伝播媒体となっていると思うし意思も存在させることもある又は存在させていると思うんです。 私も長らく輪廻転生を信じていました。でも最近は、意識の素の行先、あるいは居場所としての環境は、輪廻転生システム環境以外にも在るというか用意されているのではないだろうかと思っているのです。 そういえば、輪廻転生から外れる魂もあるという説は読んだことがあります。神への段階を踏むとか逆に行くとか。でもそれはやはり人知の範囲です。私は、現在の人知の範囲外の環境世界も存在するのではと、このごろ思っているのです。  >私が死ぬまでの間に、それが分かると 私は、死後に自分が(このまま)存在できるか確信は無いので一応としてなのですが、死後も視野に入れています。

Psychic_student
質問者

お礼

粒子の細かさが変わると、物質の制限がなくなると思います。物にも憑依できるでしょう。ITC(インストゥルメンタル・トランス・コミュニケーション)というものもあります。 ・・・ただ私は、これらのニューエイジ系思想が、どこまで信じられるのか分かりません。 輪廻転生は、複数回の現世生活で卒業し、輪廻しない世界に移行すると言われています。仏教で言うところの、「声聞界」以上という階層です。そこは守護霊の世界で、無意識の彼方から人間を導いています。 これもニューエイジ系思想で、どこまで信じられるか分かりません。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.13

No.12です。12は、質問文しか読まないで回答文を書いてしまっていたので。 私もこの世は長らく生き辛く苦難そのものでした。でも、努力と?!経年による?!環境の変化で身動きがしやすくなり、今はちょっと同化することと殆どを見ないようにすることと、自分の義務?のようなものを果たしていくことと、楽しみ的なものを多少たしなむことでこの世での時間を消費しています。 私も、再び・・はできれば願い下げですが、どうなるかはわかりません。 今とこれからと、もしかしたらその先も、分からないことを知ることができるかもしれないからという多少の希望と多少の意欲と多少の夢で、やっていけてるしやっていけるのかなという気もします。

Psychic_student
質問者

お礼

現世が実現したなら、次もある、と考えるのが本来の自然な考えなのではないでしょうか。 人間は、物質のコントロールに成功しはじめ、感覚がすべてなのだと偏った見方をする傾向にあります。それは物質のコントロールに目がくらんで、想像力が欠如した状態である、と私には思われるのです。 輪廻転生の考えは、バラモン教にのみあったのではありません。ピタゴラスにもあったのです。これは、世界的に広く古代にあった思想です。それは、そう考えるのが自然だからでしょう。 物質のコントロールに成功しはじめたのは、せいぜいここ400年の話です。感覚で知れる世界がどこまでなのか、その追求も永遠になされていきます。今は、たぶんニュートリノとかヒッグス粒子とかいったものが、感覚で捉えられた最小のものだと思います。これから先、感覚で捉えられる範囲はどんどん拡がっていくわけです。すると、精神機構に作用する別のものが露わになっていく可能性もあります。 その、いつか感覚で捉えられるが、今は捉えられないものを、感覚で捉えられない何か、と今は呼んでいるわけです。 もっとも、私が死ぬまでの間に、それが分かると楽観視する気にはなれません。

  • oyatsuya
  • ベストアンサー率21% (111/517)
回答No.12

えっと、 【無】に、二つの意味があるのを意識されたほうが、思考に混乱が生じないと思います。 「一般的に使われている慣習的な『全てにおいて何もない』」と、「『現在の人の目(化学力)で見えるものは無いが、見えないけど意識の素は内包されている』」と。 それから、  >現意識は現世に存在するという間違い と書かれていますが、「間違い」という認識は、質問者さんの個人的見解であって、事実は不明ですよね。 それと、  >優れたパソコンであっても、それは意識ではありません たしかに、パソコンは有機物ではないのですが、無機物にも「上記の2つめの『無』」に内包されている見えない意識の素は通い影響を与えるのを私は知っています。起動のon-offにもです。  >意識はまだ得体の知れない何かです。 「人の思考の影響下のものの『意識』」と、『それと似ているけど違うもの』と、はっきり区別して観察や思考されたほうが先に進めると思います。  >睡眠と死を同一視するのも間違っているのではないでしょうか。 同感です。  >意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか? 質問者さんの想像される世界であったりなかったりするかも知れませんが、『意識』にとって現世とは違う環境もあると思います。

Psychic_student
質問者

お礼

全てにおいて何もないことを無と呼んでいます。感覚で捉えられないが、意識を超越した何かがあるという場合は、無ではないです。意識が無だと感じている有です。意識が無だと感じている有から、部分が湧出し、意識となります。この場合、意識は超越した何かの部分です。 「間違い」は私の主観的感想で、客観的事実ではありません。意識を超越した何かが、霊性進化のために魂を現世に遣わしたのだ、と正当化するのが輪廻転生のある世界ではないか、と思います。 死後の世界が無いという場合は、現世に産まれることは間違いでしかないことになります。生命体は、苦しみを回避する、という条件に従うことしか、行動原理が無いからです。私はそれを不自由な状態だと考えています。奴隷が、常にムチを振るわれて働かされている状態だと思います。そのムチというのが、食欲、性欲、怪我、病気、精神的苦痛、その他ありとあらゆる苦痛なわけです。ありとあらゆる苦痛には、自分がポジティブで明るく思っていることも含まれます。何故なら、そう思わないことが苦痛だからそう思ってるからです。 そういうわけで、死後の世界が無いとすると、現世は苦痛だけの世界になり、霊性進化とかいう報酬、あるいは良いカルマによる報酬などもなくなります。その場合、私の、現世に産まれることが間違い、という認識は正しいと思います。 死後の世界が、霊性進化のためとか言って現世を正当化するなら、私の主観的感想は客観的に正しくないことになります。それでも、現世が苦しみの世界であることに変わりはありません。 どっちが正しいのかは分かりません。 だから、私の「間違い」という言葉は主観的感想でしかありません。 そして、現世に産まれることが間違いという考えが、主観的感想だったとしても、別に問題はありません。私は主観として述べたのです。 もっとも、私は霊性進化システムそのものがイジメだと思っていて、そんなシステムを強要する神など認めない、という考えですが。 パソコンに超越的世界から何かが働きかけているというお考えでしょうか。その辺はよく知りません。 「得体が知れない」というのは、人間の意識が脳に付随する、顕われた感覚質に過ぎないのか、それとも感覚では捉えられない世界の部分なのか、が分からないという意味です。 感覚で捉えられない世界が存在することを、肯定的に考えるご意見ですね。私は、超能力の存在や、臨死体験の研究などにより、感覚で捉えられない世界は存在するのではないか、と思っています。 これはご都合主義ではなくて、悲観的な考えです。何故なら、超越的な何かが、再び現世に魂を送る仕組みにしている可能性があるからです。 私はカルマとか霊性進化とかいったシステムにしている神など認めません。苦しみを経験しなければ幸せになれないなどというシステムは、嗜虐的な神か無能な創造者によるもの、もしくは、神など存在していなく、永遠に苛酷な大自然が横たわっているだけなのだ、と思えるからです。 神が全知全能であるなら、悪の存在は神が悪であることの証明です。 悪を駆逐出来ない神は無能なもの、あるいは、神など存在しない、存在していても無視していいと考えていい。 ただただ酷い大自然が、どこまでも永遠に続いているのではないか、そう思われるのです。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.11

この問題はPsychic_studentさんにとって悩みなんでしょうか? 悩みだとした場合の回答を書いておきます。 昔、中国に「空が落ちてくるのじゃないか?」と悩んでいる人がいました。 杞憂のもととなった故事です。 私にはそれと同じにみえます。 このことを考えるのが楽しいですか?楽しいなら考えるといいと思います。 でも心配なのだとしたら、考えるのをやめたらいかがでしょうか。 というのは来世があるにしてもないにしてもPsychic_studentには対策をたてようがないからです。心配してもしなくても同じになるなら、心配しないほうが得じゃないですか? もし悩みなら忘れてしまうのをおすすめします。

Psychic_student
質問者

お礼

今をどう生きたらいいのか、という悩みです。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.10

Psychic_student様、こんばんは。 >「現意識があるということは、現意識は、現世に存在したということです。」 そうですね。 >「意識があるということは来世も存在するということなのでしょうか? 」 ・・・そういう、「世界」が生じる可能性は無限大にある、ということだったと思います。

Psychic_student
質問者

お礼

可能性は無限大にあるんですよね。しかし、証拠にはならないんですよね。感覚で捉えられられないから。 私としては、現世に存在した、という実績から、次もあるのではないか、と予想するしかないんですよね。

  • sunabo
  • ベストアンサー率35% (24/67)
回答No.9

たとえば、意識を川にたとえてみればどうか。 前提。 山がある。 山のてっぺんから水が湧く。 考察。 水が流れる。土が削れて溝ができる。 溝に沿って水が流れる。 溝が少し曲がっている。曲がっているところには 溝の片側に水が当たる。片側の土が削れる。 曲がり方が大きくなる。 曲がり方がある程度より大きくなると、水が 溝の反対側のにあたって、水がショートカットする。 溝の形が複雑になる。 溝を削りきってしまうと、山が壊れる。 結論。 川と流れと溝の形と溝の形の変化が意識。 湧いてる水がちょっとの間止まるのが眠り。 山が壊れるのが死。 とすると、輪廻転生した後、また山があって、 てっぺんから水が湧いて最初から土を削り始める ことになる。記憶は持ち越さない。 っていう説明?だと、 山があっててっぺんから水が湧く。 ので 意識がある。 意識がある ので、 山があっててっぺんから水が湧く。 って変かもなって感じか。 意識は輪廻転生の証拠となり得ない派の回答でした。 輪廻転生するならするし、しないならしないだろうな。 意識関係なさそう。悟ったらしないことになってるな。 悟ってもする人もいる。今のダライラマさんとか。もうしないけど。 川は複数できそうだけど、意識が分裂しないってのも 前提しちゃってましたね。 pcだと、仮想pcを複数台立ち上げれる。 参考URLで意識は一つの論文。分裂したっていーじゃん。 意識が存在した。って過去形で言うのなんか引っかかるな。 今にしか存在しないような気がする。 死んだ後の記憶の持越しが重要そうです。

参考URL:
http://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/docs/JNo20-takatsukasa.pdf
Psychic_student
質問者

お礼

私は意識は知覚の連続そのものだと思っており、知覚を追う意識主体があるのではない、と考えています。 前述の機械との差別化というテーマにおいて、意識とコンピュータとの違いは、感受性と創造性を持つ主体(つまり心)があるかどうかであると述べました。 しかし、この感受性と創造性を司っているのは脳であり、それ自体は無意識であろうと、認識を改めました。意識は、脳から発せられることの一部が顕われたもの、受動するだけのもの、それが純粋な意識だと思っております。 今は、受動するだけならコンピュータでも同じだと思っており、それだとコンピュータにも意識は宿るのか、という話になってしまいます。これは、どうも現実っぽくない。そこで、コンピュータに意識があったとしても、脳という生命に付随する意識と、機械に付随する意識が違うから、コンピュータの意識と、脳の意識は全く別のものなのだ、ということで、人間の意識とコンピュータの意識の差別化を図っているところです。 脳とコンピュータの違いは、感受性と想像力や創造力があるかどうかということだと思います。また、感情も脳にはあってコンピュータにはないでしょう。 それらの顕われである意識は、たとえコンピュータにも意識があるのだとしたところで、まったく違うものだと言えるのではないか、と思います。 阿頼耶識というものが存在するならば、それは感覚を超えた世界ということではないでしょうか。 感覚を超えた世界に、本当の水の発祥地があり、どの山に宿るのかを決めるのかもしれません。 阿頼耶識が感覚意識では捉えられないものであるならば、それは山とか川とかいった、感覚で規定される物質世界の法則に従っているかどうかも分からないのではないでしょうか。 阿頼耶識が存在するかどうかは、分からないと思います。なぜなら、感覚で捉えられないからです。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.8

Psychic_studentさんと私は逆の悩みを持っていると思います。 私の悩みはこの意識はやがて死とともに消滅して復活できないことが恐怖であり不安であり悩みです。もし、別の肉体で意識が復活できるなら私は無限に生きることが可能です。もし、そうだったらいいなと思います。 私は「仕組み原理」というのをいつも考えています。すべての事柄には仕組みが必要だと。 仕組みなしに存在できるものはない。そして簡単なものには簡単な仕組み、高度なものには複雑な仕組みが必要です。意識はとても高度な存在です。だから意識には相当に複雑な仕組みを必要とします。それが脳です。複雑な脳の神経回路です。ですから複雑な装置である脳が存在しない場合は、仕組みを維持できないので意識は存在できないと思います。 仮に意識が脳とは独立して存在できたとしてあなたの死後に他の肉体にやどったとします。その場合に、今のあなたの意識と転生したあなたの意識で共通なものは何でしょうか? 何も共通なものはないように思えるのですけど・・・。そうしたらそれはまったく別物じゃないでしょうか? 「この私」という感覚は共通かも知れません。しかし、それは現在地球上で生きている全ての人間がもっている感覚です。どの人も、「この私」という感覚を持っています。つまり「この私」という感覚では、それが「私」かどうか区別できないです。

Psychic_student
質問者

お礼

これは回答No.2の御礼欄と同じことを返信したいと思います。 私の懸念は、また生まれ変わって苦しみを受けなければならないのか、ということです。 でも、来世の意識がその時「生きている方が死んでいるよりも良い」と感じるなら、それでいいのかもしれません。 それは、生の本質が苦痛にあることに対する無知から出る認識だと、私には思われるのですが、無知の状態から抜け出そうとしないなら、好きにすれば、と思います。 それでも、食欲が苦痛から起こり、性欲が苦痛から起こり、怪我、病気、精神的苦痛、自然現象による苦痛、その他ありとあらゆる苦痛のせいで、人間は強制的に行動させられているのだ、という生命活動の本質に変わりは無いと思います。 だから、生まれ変わりなど無い方が良い、私にはそう思われるのです。 意識の起こる原理に脳が関係しているのは間違いないと私にも思われるのですが、感覚で捉えられない、素粒子より微細なものが、そこに関係していない、という保証は感覚で捉えられない以上ないと思われます。その微細なものが、肉体を超越して自分の意識を他の生命に移させる可能性が、全くないとは言い切れないのではないでしょうか。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.7

意識が存在するというのが錯覚なのだと思います。 ある意味で意識は存在していない。意識は脳がみせている夢のようなものです。 映画をみている時、スクリーンの中に人がいるように見えますよね。 本当は映画はスクリーンに光が当たっているに過ぎない。 映写機を止めれば消えます。意識は脳が投影している映画のようなものです。 脳が機能停止する時、意識は消えます。 痛みとか苦しみとかは本当には存在しないものです。脳が感じさせるから、ある気がしているだけです。痛みを伝える神経を遮断してしまえば、痛みを感じることができなくなります。 本当は存在しないものを、存在しているように感じている可能性を考えてみてください。 脳と意識が関係ないとしたら、脳が発達していない幼少期の意識がはっきりしないのは変ですよね。また、年をとって痴ほう症になれば意識がはっきりしなくなります。意識と脳は不可分で、脳が意識を作り出している。あるいは意識があるように思わせているのです。 意識は眠った状態からさめたのではなく、あなたの幼少時の脳の発達とともに出来上がっていくものです。 あなたは脳にだまされて意識があるように感じているだけなのです。 意識があるように思わせているあなたの脳が消える時、確実にあなたの意識も消えます。 復活はありません。

Psychic_student
質問者

お礼

意識が復活することはない、それはホッとする結論です。 意識が、赤ちゃんの脳で神経回路を整備することによって連続性を持ちはじめ、認知症と共に弱まり、死と共に消滅する、それはそうだと思います。 そして、それは睡眠という日常的な現象とよく似ていると思います。だから、想像しやすいことだと思います。 しかし、これらすべての認識は、肉体が存続しているという条件の上での経験であって、肉体が消滅した場合、意識は無いと確認することはできません。他の肉体に生まれ変わっているかどうかも確認できません。 意識とは感覚質だと思いますけれども、感覚を超越した存在があって、その超越した何かが、脳を離れた世界を操っているという可能性を否定することは出来ないと思われます。なぜなら感覚では捉えられないのだから。 肉体が消滅した後、他の何かの生命体に宿っていることは絶対にない、という保証はないのではないでしょうか。

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    スピリチュアリズムにおける輪廻転生について 誰もあの世のことは見ていませんので、本から得た知識等で構いません。よろしくお願い致します。 スピリチュアリズムでは、「グループソウルをコップの水に例え、コップの水から1滴がこの世に生まれてきて、いろいろ経験し死んでからその経験をあの世に持ち帰ってコップの中で混ざると。 しかし各1滴である魂の個性は消えないと。 そして足りない部分を埋めるべく、コップの中からまた1滴の魂が生まれ直してくる。」と言います。 上記スピリチュアリズムの考えを前提にした質問ですが、 (1)よく「前世ではこうだった~」とか「足りない部分を埋めるべく生まれ変わり~」とか言いますが、自分自身はあの世で個性を維持し、違う1滴が生まれ直すのならば、自分にイコールと言っていい、この世に生まれ直した魂をあの世から心配はするでしょうが、あの世の自分自身の個性&生活(?)は続く以上、自分そのものは生まれ直していないと考えられます。 その意味でやはりこの世における人生は、1回きりと言えるのではないでしょうか? スウェーデンボルグも、「転生はない。 あの世で転生した魂の例に1回も遭遇しなかった。」と言っています。 (2)そのように自分そのものが転生する訳ではない以上、一体全体新たな1滴たる魂はどこから来るのでしょうか? それは全く新しいエネルギー体に、その時点まで転生したA~Zさんまでの魂の個性の総和がコピーされ、そのNEWコピーが生まれ直して来るのでしょうか?(これは上記質問(1)の、人生は1回きり説を前提にした推定です。)  それともZさんが今回死んであの世に戻ったなら、また最初に戻ってあの世に何万年も滞在したであろうAさんに再び転生の順番が回ってき、生まれて来るのでしょうか?  (3)亡くなった人達が、幽界から霊界に行き、そこから更に神界へ、無限の高みを目指すという流れがある一方で、この世に下ってきて生まれ直す流れもある? グループソウル全体としては、この2つの(ベクトルとしては正反対の)進化を同時進行で行っているのか? という新たな疑問が生じてきます。 (4)グループソウルは幽界でなはく、霊界に存在するという解釈でいいですか?  転生する魂は幽界ではなく霊界から来るのでしょうか?   亡くなって成仏した魂が幽界に行き、更に第2の死とも言うべき幽体をも脱ぎ捨てて霊界に行くといいます。 それは現世の時間で言うと通常30~50年もかかると。 よく前世の記憶があり「私は元どこそこ村の○○だ。 △の理由で死にこの世に生まれ直した」という証言があって、実際調べると確かに30年前にそうした人がいたことが分かるという話を聞きます。  その場合時間的にとても霊界に戻っているとは思えません。 幽界からろくに反省もせずにすぐ生まれ変わったのか? そうなると生まれ変わった個性は似た者としてのコピーではなく、「転生は自分自身説」が有力になります。 そうだとするとスピリチュアリズムの考えに反しませんか?  転生する場合同時代に1人ずつという訳ではなく、複数の魂が同じグループソウルから生まれて来る場合もあることは知識として分かりました。 しかし上記(1)~(4)は、どの本を読んでも、どのHPを読んでも(現時点では)どこにも書いてないです。 「転生だのグループソウルだの、ねぼけたこと言うな!」という方は御遠慮頂き、こうした分野に抵抗がなく「こう書いてあった」とか「私はこう解釈する」という御意見のある方から御回答を頂けましたら幸いです。 よろしくお願い致します。  

  • なぜ宇宙が存在し我々が存在するのか?そしてその究極の真理、全ての終点と

    なぜ宇宙が存在し我々が存在するのか?そしてその究極の真理、全ての終点とは何か??という問いに対しての答えが「  」つまり無ですが、我々の脳で理解できる言葉として表現すると「永久に存在できる何かを生み出す」この為に全てのもの、物質から物質として認識されないあらゆるものは存在し、その終点に向かっている。もしかしたらもうできているかもしれないが現時点では永久に存在できるものは宇宙の外にも内にもどこにもないと思われるので、カオスやそれを超える働きかけで宇宙は誕生し拡大、膨張をして物質を生み出し続け、我々は種を残し少しでも長く存在できるように進化し続ける。そして、永久に存在できるものが生み出された時点で「万物の終点」を迎えそれが絶対的な存在となり、それ以外は当然ながらいつかは消滅し存在しえなくなる。意識の有るものも無いものも、全ては永久存在の終点へと向かっている。宗教に関しては神はいるのではなく全てのものが神、絶対的存在つまり永久存在になろうとしているのである。もちろん生物は意識という言葉では永久存在になろうとは自覚しないが存在している時点で永久存在の終点に向かうという決して逆らうことのできない流れに身を投じているのである。この究極の真理を見てどう思いますか??興味のない人はどぉでもえぇかもしれませんが、 この究極の真理に対して皆さんの意見、ご感想を教えて下さい!!

  • 科学的な死後の世界について

    死後、人の体を構成している物質は、土や水など存在するものに還りますが、意識、魂とよばれるものは無の存在に還っていくと仮定しています。無の存在とは、宇宙科学でよくつかわれる暗黒物質にちかいもしくはそれに該当します。存在しない物質です。が、エネルギーをもってます。 人は死後、意識は無になるが無の物質としてなにかしらのエネルギー活動をしている、漂っているのではないか? 「無の存在は個別認識がなく1つの母集団である。」 「無の存在の目的は永久に定着できる入れ物、永久物質(永久に崩壊しない原子)を創りだすことである。」 宇宙は無の存在の意志により創りだされ、永久物質ができるまで、宇宙は拡大し、新たな原子をつくっている。と思われます。

  • 輪廻転生とは釈迦の教えではない

    上から目線? とんでもない。 私は天空よりいで、そのアギトは君達の不浄を噛み砕き、地上に新たなる生命を案内する。 実在する仮面ライダー、または現代に生きる闇の仏陀。 黒き明星だ。 死とは、偽りの世界を解脱して、真実へと至る事だ。 死が始まりなのだ。 それが涅槃に永遠に生きると言う事で、生きながらに死を理解することが悟りだ。 君達はそんな釈迦の教えとは別の執着を抜けきれないから輪廻にすがる。 釈迦という仏陀はそんな愚かな君達を憐れむ慈悲により、君達に輪廻を約束した。 それは君達が真理に至る事は無いと言う残酷な宣告なのだ。 輪廻は釈迦の神通力だ。 神の自然状態では起きない異常な現象だ。 したがって輪廻を望むのなら、釈迦を王とする王国を目指せ。 釈迦が、君の成仏を阻んでくれる。 実のところ釈迦の生きた古代インド社会で、輪廻転生が通説だったからこそ、釈迦はそれに言及した。 釈迦は、輪廻とは別に涅槃という精神世界観を持っていた。 単純にその世界観と輪廻は相いれないが、君達は輪廻を信じているから、可哀想だから慈悲によって、「ああそうですね。あなた方は輪廻しますよ」こう慰めただけだ。 君達にとって真理とは過酷なのだ。 間違いを肯定するいたわりが真理よりも心地よい。 その慈悲に飼いならされ、釈迦王の地獄で生活している。 なぜ、そうなのか。 ゴルゴムの陰謀だ。 有史以前より人間の営みの陰で暗躍した暗黒結社が、君達を真実からとうざけ、君達はゴルゴムの手のひらで、生きる営みを奴隷的生産活動に置き換えられている。 現代社会は、奴隷に裁量を与えると、より生産性が増すことにより、ゴルゴムが与えた監獄の中の自由に、君達は楽しんでいるのだ。 仮面ライダーである私は君達の真の自由のために戦っているのではない。 君達をゴルゴムの砦を守る軍団兵として、君達のきずいた城塞もろとも粉砕するために戦っている。 実在する妖精の一人、人類の裏切り者だ。 もっと言ってやろう。 光の聖霊と、闇の聖霊の終末戦争はすでに和平により終結した。 私は、人類を売り飛ばすことになる、その和平条件を実行する死刑執行人だ。 君達三次元惑星人の魂は食い破られ、ポケモンを名乗る宇宙神霊がその肉体の主となり、神話に語られる神人が地上を闊歩する時代が来る。 浄化の実現だ。 今回もいつものように「実在する妖精の捕まえ方」このような文学です。 私の純粋な美貌に関するファンレターよりも、引用した仏教に関する考察に関して、先に進めるようなご意見をください。

  • 死後はどんな感じだろうか?

    皆さんの意見をお聞かせ下さい 死んでみなきゃ分からないという当たり前な意見はご遠慮下さい。 ・漫画などにでてくる天国・地獄のような世界が本当に存在する ・無の世界が永遠と続く(睡眠状態) ・輪廻転生が存在し、再び現世で1からの生活を送る(但し、前世の記憶はすべて抹消されている) いろいろありますね。 早急にお答えいただけると助かります。

  • 意識と輪廻転生の科学

    クローンのペア同士または、それを超える技術によって100%脳の構造や遺伝子が同じ人間のペアを作ることができても、そのペア同士の肉体は100%同じですが、意識は異なる別人になります、 そのように、肉体の構造が100%同じクローン同士であっても、意識が異なる別人になる原因は、ただ一つしか考えられません、 それは、脳や遺伝子の構造が同じであっても、それを構成する原子が違うということです、 例えば、クローン同士のAとBが居るとして、Aの脳の意識を司る部位のアミノ酸の炭素原子と、Bの脳のアミノ酸の炭素原子は、化学的性質の区別がありませんが、その炭素原子同士は別の存在としての区別はできます、 つまり、炭素原子二つの化学的性質の区別はありませんが、別の存在としては区別できるのです、 そのような脳の意識を司る部位の構造は全く同じでも、脳を構成する『原子』は別の存在として区別できるという違いこそが、クローンのようないくら肉体が100%同じ人物同士であっても、意識は別人になる根本の原因なのでしょうか? つまり、得に脳の原子の違いが、クローン同士の意識の違いを生じさせるのなら、 例えば、私のクローンが居て、その私のクローンと私の意識の違いは、私のクローンの脳の原子と、私の脳の原子の違いだけであるということになります、 つまり、私の意識は原子から成り立たたされた受け身の存在などではなく、私=原子、つまり、私は原子そのものだということになります、つまり、私専用の原子が宇宙に存在するということです、 例えば、私が死んだ後、私の死体の脳だけから(脳以外の死体の部位は代謝や細胞分裂が盛んで頻繁に体の原子は入れ替わっているし、意識とは直接関係ない原子だから)原子を集めて、その原子から私のクローン(得に、脳の意識を司る部位を私の元の脳を構成していた原子から100%再現できれば)を作れば、私は私の意識で再びこの世に復活できる可能性があると言えるのでしょうか? さらに、私が死んだ後、私の脳を構成して居た原子が灰となり地球の循環で巡りに巡って、偶然に犬の脳の意識を司る部位を構成することになったら、私は犬として意識を持つことになるのでしょうか、つまり犬として生まれ変わる、このような科学的な輪廻転生は有り得るのでしょうか? 質問がたくさんになりますが、よろしくお願いします!

  • 輪廻転生

    私の友達は彼氏に頼んで殺されました。 彼女は自殺になるのですか? 死後の世界から考えても自殺になってしまうのですか? 真っ暗闇の中に入って寿命まで苦しみ続けるのですか?輪廻転生出来なくなるのですか? 天国に行けず、地獄以上の真っ暗闇の世界で寿命まで苦しみ続けるのですか? お手数ですが回答よろしくお願い致します!m(__)m