考える必要が無いと論理的に説明して欲しい

このQ&Aのポイント
  • 「考える必要が無い」とは、過去の嫌な経験や人間関係にとらわれず、自分の人生を生きるためには必要ないという意味です。
  • 過去の嫌な経験や人間関係は、自分にとってマイナスの影響を与える可能性がありますが、それを考えることで何か解決するわけではありません。
  • 自分が幸せになるためには、過去のネガティブな要素にとらわれずに前を向き、自分自身の成長や目標に向かって努力することが大切です。
回答を見る
  • ベストアンサー

「考える必要が無い」と、論理的に説明して欲しい。

20代の男です。 何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。 そういった事をやろうとしている時に、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを考える必要がないのに、考えてしまうことがあります。 僕は中学生の頃イジメに遭ったことがあるのですが、もう何年もたった今でも時折当時のいじめの加害者達のことを考えてしまいます。 当時の加害者達と関わり合いを持つことは将来死ぬまでないです。 にもかかわらず、未だに頭に浮かべてしまう。。。 恐らくそれは、 「考えないと大変なことになるかもしれない」 という脅迫観念が未だに頭から抜けていないから、 無理やり考えてしまっている、と言った方がいいかもしれません。 他にも、当時のいじめの加害者以外にも過去に出会った嫌な人間のことを また思い出して考えてしまうことがあります。 そんなイジメの加害者や嫌な人間みたいな、考えるとストレスを感じ気分が悪くなる嫌な人達を考えると、 時間も無駄になりますし、思考のエネルギーも無駄、そして作業にも集中できません。 こういった人達のことをわざわざ考えて、 嫌な気持ちになるのはもう二度と嫌だ。 そこで皆さんに質問です。 冒頭で述べた、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを、しかももう自分にとって「過去の」人間である人達のことを やりたいことをやろうとしている時、 やらなければいけないことをしようとしている時、 趣味を楽しもうとしている時に、 というか生きている間 考える必要が無い、と論理的に説明して納得させて頂けませんか? もっと言えば、仮に今もそういう類いの人物と日常的に顔を合わせなければならないとしても、 わざわざ考える必要はないということも論理的に説明して納得させて欲しいんです。 つまり、 過去に関わった人物/現在も関わりのある、そういう類いの人物のことを、 自分の人生を生きようとしている時に考える必要が無いということを、 徹底的に説明して頂きたいんです。 僕は、過去の人物であればもう一生考えなくてよくて、今仮にそういう人物が周りにいたとしても、 その人物と接する時以外は1秒も考えなくていいと思っています。 でも、やっぱり「考えないといけないんじゃ・・・」という不安に駆られるのです。 そこで皆さんのお力をお借りして、もうこんな不安を感じないようにしたいと思います。 では回答の方よろしくお願いいたします。

noname#196119
noname#196119

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

どんな論理的な説明がなされても、あなたがそれで過去を忘れることは 出来ないでしょう。 理性で抑えこめるなら何年も繰り返し思い出しはし ないでしょう。 忘れなきゃいけないと思うから余計に思い出してしまうのです。 失恋した相手の事を思うのとまったく同じです。 >何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。 やれば良いじゃないですか。何故やらないのでしょう。 考えてストレスを感じて嫌な気分になれば一歩も前に踏み出せないなんて 言い訳に過ぎません。 あなたは今まで全力で限界まで何かをしたことも、一歩間違えれば死ぬかも 知れないような過酷な状況に身を置いたことは一度もないのでしょう。 スポーツでも学業でも仕事でも例え一年でも良いから全力を費やしてみれば わかります。 限界は一度ぶっ倒れてみないとわかりません。 そんな過去の事なんか考えている暇はないはずです。 つまり現在のあなたは暇なのです。 暇だからつまらん過去を思い出す。 そして現在は危機も無い平和な状況なのです。だから思い出す。 何故、人間は危険だと知った上でも山に登ったり海の底深く潜ったり空を飛ぼうと するのでしょう。 何故、車やバイクで危険なレースや格闘技に心躍らせるのでしょう。 それは危険であればあるほど人の知覚や感性は研ぎ澄まされ集中力が高まるから です。 つまらぬ考えが全て無になり今この瞬間に全神経を注がなければ最悪の 事態を招きかねないからこそ無になれるのです。 別にそこまで危険なことをしなくても限界ギリギリのフルマラソンや体力を出し尽くす スポーツでも考えている暇なんてないでしょう。 仕事も同じです。私は二十代の頃は昼間は会社勤務、夜はバイトと平均睡眠時間は 3、4時間でした。 独立するためには資金が必要だったのです。 熱があることさえ気づかず、40度を越えていてぶっ倒れた時に始めて自分の限界を 知りました。 良い方法をお教えしましょう。私が昔やった方法です。 自分の命が後一年しかないと仮定して後365日、その間に何が出来るか。 眠る時間も惜しいと思いました。 目的を立て、そうすればそれを達成できるか、それ のみに集中しました。 その間、他の事は何も考えられませんでしたよ。 その反動でその後に女遊び熱中しちゃいましたが…。 不安を感じない人間なんていませんよ。期待があれば同時に失敗したときの 不安も生まれるのですから。  その不安を抑えることが出来るのは積み重ねた知識や経験や技術といった 一朝一夕では得られないものばかりです。 考えてから動くか、考える前に動くか? 動きながら考えましょうよ。 それも過去じゃなく未来を。 一年でもいいですから何かに全力でぶつかってみて ください。 一年ですよ、二、三ヶ月で答えを期待しちゃいけません。 まずはやってみてください。 過去の話はその後でいいじゃないですか。

その他の回答 (7)

  • sunsowl
  • ベストアンサー率22% (1025/4492)
回答No.8

別の方も仰っていますが、結局過去のトラウマを理由にして、嫌なことやつらいことから逃げているだけって気がします。 トラウマが病的なレベルなら、生活全般に支障が出るはずなので、カウンセリングにでも行ったほうがいいでしょう。 ここでのアドバイスでは解決が難しいです。

  • 783KAITOU
  • ベストアンサー率43% (1758/4022)
回答No.6

●「考える必要が無い」と、論理的に説明して欲しい。 ↑ご質問の趣旨は、過去の不都合な体験を考えてしまい、それが今やるべき何事かを邪魔する。その仕組みについて「論理的」に説明して欲しい。と、いうことだと判断して、以下に申し上げます。 1,過去の考えなくても良いことを思いだして考え出す。と、いうことは、特に嫌な思い出を思い出してしまう。と、いうことは、その事を当時キチンと自分が納得できるように「処理」してこなかった。と、いうことがいえます。 2,次に、現在から明日将来に向かって何かをやろうとした時、過去の事を思い出すのは、何かをやろうとするそのものの計画が未熟なのか或いは成功のイメージが描けないときに、過去と同じような気持ちになるのではないだろうか。と、いう失敗の気持ちの方に引っ張られます。要するにこれからやることに自信が無いときに、自信が無いことの言い訳として過去の失敗を引っ張り出して、これからやるべき行動にブレーキを掛けているのです。(言い訳です。) 3,過去の事は良いことも悪いことも考えてはいけない。と、いう心の仕組みがあります。但し、考えて良い場合があります。それは、これから何かをやるために、過去と同じ失敗を繰り返さないために過去を「反省」する「内省する」とか「教訓を生かす」などの前向きに過去を捉える場合です。こういう場合は大いに過去の事を考えて良いのです。それ以外は絶対にダメなのです。過去の良いことも原則考えてはダメなのです。これから先の事をミジメに考えてしまうきっかけになるからです。 過去の事を考えると、後ろ向きの考えになります。人間の身体は食事を摂って睡眠を取って身体は明日に向かって生きるために働いています。人間は精神と身体の統一体です。身体は明日に向かって生きる準備をしているのに精神とか心は、過去の過ぎ去ったことを考えていたのでは、心(精神)と身体のバランスが崩れます。バランスが崩れると現実の何かと衝突をします。この衝突は上手くいかなさとして自身に感知されます。 比喩的に言いますと、車の運転は車の進む前を向いて運転します。車の運転中に首から上の頭の部分(考えたり判断するところです。)だけが車が通り過ぎた後ろを向いていた場合どうでしょう。たちまち何かに衝突します。命を落とす場合もあるかも知れません。思考と身体の動きのバランスが反対になった場合も車の運転と同じで、世の中の何かに衝突するのです。そこで、こんなハズではなかったのに・・・。とか、上手く行かないのは周りのせいだとかなんとかかんとか言って自分を守ろうとします。 4,過去の事を理由も無く考えるというのは、命を落とすくらいに危険なことである。と、言う事が分かって頂けたと思います。この事はここで説明するまでもなく、日本で年間の自殺者が3万人を昨年まで越えていたことがなによりの証明です。人間は誰でも過去に生きていません。なのに過去の事を考え続け、思考が過去に引きずられるのは、思考はもちろんですが身体がいつも受け身な状態に置いている。と、言うことです。 5,人間は身体が何もしていない受け身の時に、過去の不都合なことを頭に浮かべて何だかんだと考えます。決してからだが動いている時には過去の事は考えません。家の中で独りぼっちで身体をごろんとさせているときとか、寝た状態に身体を置き、音楽を聴いているときとか、身体が受け身の状態の時に色々と考えてしまいます。そして、その考えがいかにも正当なのではないだろうか、と思ってしまうのもなのです。くる日もくる日も同じ事を考え続けるとそうなります。 6,誰だって過去に向かって生きていませんので、理由もなく過去の事を考えるとロクな事は無いのだ。と、言うことを自分に言い聞かせて下さい。鏡の前に立って鏡に映った自分の顔に向かって、過去の事は考えてはダメ。そういうことを考えるとロクな事は無い。と、言うように加々美の前の自分の姿に向かって、強く言い聞かせることです。一回鏡の前に立ったなら5回位先のように自分の顔に向かって鏡の中の自分に向かって声を出して言い続けましょう。声を出していえないときは、腹の中で言いましょう。今のあなたの迷いは2週間続けられたなら最低半分は解消します。半分解消できたと言うことは、全部解消するのも間近、ということです。(論理的にはです。) 以上単純な事は単純なままに捉えましょう。難しく捉えると出口が分からなくなります。やがて心の病に陥る可能性が高くなります。人間の心は難しく出来ていません。単純な組み合わせで出来ています。もっともっと自信を持ちましょう。以上です。

  • hi-sekai
  • ベストアンサー率41% (274/667)
回答No.5

質問の本質は、 イジメという嫌な思い出を思い出したくない、 思い出して嫌な気分を味わいたくない、 という事でしょう。 そのために 考える必要はない、考えることは無駄である、 と、論理的に納得したい、という事ですね。 質問の趣旨とは反しますが、 人の感情を論理的に考え、納得する事は出来るのでしょうか。 感情と理屈は別物だと思います。 例えば恋愛に関して、人を好きになる気持ちを考えれば明白だと思います。 その質問の本質を解決するには、 感情を論理によって力ずくで納得するのではなく、 自分が強くなる事が一番の解決方法だと思います。 強くなると言ってもケンカに強くなる、という意味ではありません。 体を鍛えて逞しくなる、という意味ももちろん含みますが、 精神的に強くなる、という意味です。 頭で納得させて「考える必要はない」と結論づけるのは 本当の解決ではなく、表面的な取り繕いだと思います。 一時的に改善されても何かのキッカケで元に戻ってしまう可能性もあるでしょう。 そのような中途半端な解決ですと、これからの仕事をする上で、人間関係において、 弱気な面が出て上手く行かない事もあるかもしれません。 本当の解決には正面からぶつかって元から裁つしかありません。 それはイジメの加害者と対決しろという意味ではなく、 嫌な過去に振り回されている弱い自分に勝つ、という意味です。 ぜひ精神的に強くなる方法を考えて実践してみてください。 いじめた奴らのような卑怯者とは自分は違うと言えるような 強い心を持つ事が本当の解決だと思います。

  • ange45
  • ベストアンサー率26% (118/443)
回答No.4

女性です。学生の頃は私もひどいいじめにありました。まぁ過去の事ですけど。 さて、私もNO2さん貴殿は>と少し同じです。 質問者さんがご自分でなしていることでもあります。でもどうにか克服したい。前に進みたい。支配されなくないわけですよね 。。。。質問者さんの今はどうですか?今の周り友人などのつながり、恋人など 今が充実していれば過去と決着できると思うのです。今の自分を認める。好きになる。です それに文面より、多少もの事理屈ぽく考えるように思いましたがいかがですか。 例えば、昔でぶっちょでも今は痩せてスリム となんら変わりがない大したことではない と過去のいじめに対して決めてくださ い。過去にいじめられていましたが、それが何か?ってなもんですよ。その時は、いじめられていた自分は辛かったのですが あの頃の自分が受けてくれた作業で、今(大人)の自分はもう別人。大人という生き物なので、過去は終わり いじめられていた事が、悪い過去 のように思うからだと思いますが、質問者さんが悪くていじめにあったわけでもないだろうし 考えたが合わなかった このくらいの事 と思う事です。 だからもう僕は、頭に思い浮かべない 

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (124/460)
回答No.3

 『気にすまい』と念じることは、気にしているのと同じことです。神経症(≒ノイローゼ)の森田療法には<思想の矛盾>という言葉があります。「思想の矛盾」とは、例えば「人前で緊張してはいけない」、「試験の前の日は十分に眠らなければならない」といった“かくあるべし”という思想と、「人前で緊張してしまう」、「なかなか寝付けない」という“かくある”事実との矛盾を意味し、禅の「悪智」と同様の意味です。 「かくあるべき」であろうと努力すれば、その結果はますます逆の結果となります。(=緊張しないように努力することが、むしろより緊張することにつながります。)人の感情はそもそも非論理的・非合理的なものなので、論理的・合理的な考え(知性)で解決できるものではありません。“かくある”事実を「あるがまま」に受け入れていくしかありません。  また、<自然に服従し、境遇に柔順なれ>という言葉もあります。「冬は寒い」、「人前で緊張する」、「なかなか寝付けなくて苦しい」などという気持ちは心に浮かぶ自然の現象ですので、仕方なく我慢するしかありません。(=自然に服従する) 仕方がないから我慢して、与えられた境遇に応じて、なすべきことを実行することを「境遇に柔順」と言います。(緊張しながらも、話すべきことを話す。寝付けなくても体を休めて眠りをゆっくりと待つなど。)つまり、この言葉は「あるがまま」と同様の意味となります。  尚、仏教で「南無阿弥陀仏」と唱えますが、「南無」とは「帰依する」、「お任せする」の意味で、「阿弥陀仏」は「自然」を意味しますので、「南無阿弥陀仏」=「自然にお任せする」=「自然に服従」とつながっていること、森田療法は仏教そのものであると故馬杉保先生は教えています。 「一生感動 一生青春」   で、‘相田みつを’が父として、子どもに あるがままを受け入れ、自分の意志と判断で問題に対応できる知恵と力をつけてやることが大切として、予防接種のことを話しています。   注射は痛い・・痛いけれどやらなければ大きな病気になる・・   避けては通れない・・我慢して耐えること・・   その我慢は他からの強制や、‘痛くない’とだまされてするものでは   ない・・子ども自身の判断と意志で本心から納得して我慢をする・・   積極的な我慢こそ長続きする・・   5~6才の娘へのことばです。   「わんわんと大声出して泣いてもいいし、    泣かないでじっとガマンしてもいい。    どっちでも自分の好きでいいよ。    それからね、    大声出して泣いてもね、じっとガマンしてもね、    注射の痛さには変わりないんだからね。    そこをよく考えるんだね。」            「一生感動 一生青春」より

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.2

貴殿の疑問に正解を与えることはできません。なぜなら、貴殿はパラドックスを弄しているからです。有名なパラドックスで「アキレス(俊足で有名な人)は亀に追い付けない」というものがあります。 足の速いアキレスが亀に追い付こうとすると、アキレスが亀にいた場所に追い付いたとき、亀は少し先に進んでいます。その場所にアキレスが着いたとき、亀はそれよりほんの先前に進んでいます。それを延々と繰り返せば、アキレスは亀に追い付けないことになります。これがパラドックスです。でも、実際はアキレスはあっという間に亀を追い抜きます。 貴殿はパラドックスをもってきて、「解を我に与えよ」といいますが、最初からそれはパラドックスなので解を与えようがないのです。「7÷3=?」と問うようなもの。「2.33333・・・その先には何があるのだ?7÷3の答えは何だ?」と聞いているようなものなのです。 さて貴殿は「どうしても奴らのことが思い浮かぶ。ゆえに先に進めない」といいますが、実はそれはわざと思い浮かべているのです。先に進みたくない、先に進むのが面倒だから、その理由として「あいつらのこと」を理由としてあげるのです。 だから、同じ質問をひたすらくり返すってわけ。「納得する理由がないから」ではないのです。「どんな理由であれ納得するつもりがないから」解が見つからないのです。そして貴殿はディスプレイの向こうで「やはり納得する理由が見つからない。僕が前に進めないのもやむをえない」と<納得>するのです。つまり最初から結論ありきなわけ。不安なことがあるから、不安になるのではなく、不安になりたいから、不安の理由を探しているのです。 ひとつはっきりといってあげます。貴殿が前に進めなくても、私たちが困ることはなにひとつない。貴殿が前に進めなくて困るのは、あくまで貴殿個人の問題です。だから、誰も助けてはくれません。自分を助けられるのは、自分だけです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.1

人間の脳というのは、感情や本能を司る大脳旧皮質という 部分と、理性などを司る大脳新皮質、という部分から 構成されています。 強烈な体験などがあると、それは大脳旧皮質に記憶され ます。 ここに記憶されると、ちょっとやそっとでは消えません。 語学などを長時間勉強したひとは、勉強したことが この旧皮質に記憶されるため、考えなくてもぺらぺら と外国語がしゃべれるのです。 そして一度マスターした外国語は、長く使わなくても 忘れません。 いじめなどの体験も、それが強烈であれば旧皮質に 記憶されます。 これに対して、理論というのは新皮質にとどまっている ものです。 だから、いくら理論を振り回しても消えません。 他の方法を考えましょう。 例えは違いますが、私は幼い頃から臆病で、お化けとか 幽霊とか、犯罪者とかが怖くてしかたがありませんでした。 それで、格闘技をやり始めました。 何年もやって有段者になり、世界大会にも出場するように なりました。 それでも臆病という性格は治りませんでした。 しかし、お化けとか幽霊、犯罪者などは怖くなくなりました。 参考までに。

関連するQ&A

  • 考えると気分が悪くなる人を考える必要はありますか?

    20代の男です。 何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。 そういった事をやろうとしている時に、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを考える必要ってありますか? こういった人達のことをわざわざ考えて、 嫌な気持ちになる必要ってありますか? 僕は中学生の頃イジメに遭ったことがあるのですが、 もう何年もたった今でも時折当時のいじめの加害者達を考えてしまいます。 もちろん、当時の加害者達と関わり合いを持つことは 将来死ぬまでないでしょう。 にもかかわらず、未だに頭に浮かべてしまう。。。 恐らくそれは、 「考えないと大変なことになるかもしれない」 という謎の考えが未だに頭から抜けていないから、 無理やり考えてしまっている、と言った方がいいかもしれません。 そんな自分にとって嫌な人物、考えるとストレスを感じ気分が悪くなる人達を考えると、 時間も無駄になりますし、思考のエネルギーも無駄、そして作業にも集中できません。 そこで皆さんに質問です。 冒頭で述べた、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを、しかももう自分にとって 「過去の」人間である人達のことを やりたいことをやろうとしている時、 やらなければいけないことをしようとしている時、 趣味を楽しもうとしている時に、 というか生きている間 考えなければいけないでしょうか? もっと言えば、仮に今もそういう類いの人物と日常的に顔を合わせなければならないとしても、 わざわざ考える必要ってありますか? つまり、 過去に関わった人物、または現在も関わりのあるそういう類いの人物のことを、 自分の人生を生きようとしている時に考える必要ってありますか? 僕は、過去の人物であればもう一生考えなくてよくて、 今仮にそういう人物が周りにいたとしても、 その人物と接する時以外は1秒も考えなくていいと思っています。 僕はこう思っていますが、皆さんの意見もお聞きしたいと思い、 今回質問させて頂きました。 理由も添えて回答して頂けるとありがたいです。 では、失礼します。

  • この様な必要性ってありますか?

    22歳の大学生(男)です。 自分は人の目を異常に気にしてしまう傾向にあります。 例えば誰かが私の悪口を言っているのを聞いたりしたら、それ以降ずっとその事を気にしてしまったり、その人の周りにいる人の顔色を伺ってビクビクしてしまう事があります。 もう辞めたのですが、以前行っていたバイトである1人の中年の上司にもの凄い嫌がらせをされていた時もそうでした。 そのバイトをしていた時は、家にいる時でもその上司の事が頭に浮かんで来てしまい「ああ・・・またあいつに何かされないだろうか・・・」みたいな事を考えてしまっていました。           こんな行動を取ってしまうようになった原因は、中学時代の陰湿ないじめにあると思います。 当時はいじめをして来た加害者達の顔色を伺って過ごさざるを得なくなっていて、それが長期間に及んだ為人の目を気にするという事が当たり前になったのかもしれません。 当時は「また悪口を言ってるんじゃないか・・・」「またいじめを企んでいるのではないか・・・」みたいな事を加害者の前ではずっと考えていましたから。 しかし、自分は本当にこのままでいいのかと最近強く思うようになって来ました。 もし誰かが私の悪口をいっていたり、嫌っていたとしても、こっちに非が無いのであればそれはもう相手の性格次第だから一切気にする必要などないのではないかと思うのです。 仮にその人の行為がエスカレートして集団でのいじめに発展しそうになったら(可能性はかなり低いと思いますが)、その時はその状況から逃れる方法を考えますが、それ以外の場合は もう人の目を気にして過ごす必要等ないのではないかと感じます。 そして普段例えば家にいて何のストレスもない状態の時に、この前のバイトの上司の事を考えてしまうみたいに、嫌な人の事を考える必要も全くないと思います。 自分の貴重なリラックス出来る時間に、考えると気分悪くなるような人の事を考えて自分の大切な時間を無駄にするのは本当に馬鹿げています。 これらの事に加えて、自分はまだ地元から出ていないのですが街へ行くと「当時の奴らに遭わないだろうか・・・、遭って馬鹿にされたらどうしよう」みたいな事をずっと考えていました。 「馬鹿にされた時のシュミレーション」みたいな事をずっとしていたのですが、これも正直言ってする必要があるのかと感じます。もしそいつらが当時の様に馬鹿にしてきても相手にしなければいいだけ。それよりもそいつらの事を意識して楽しい事も楽しめていない状況の方が馬鹿げてるのではないかと思い始めてきました。 そこで皆様に質問ですが、上記に挙げた「人の目を気にして自分の休日にまで嫌な事を考える事」「当時のいじめの加害者等をわざわざ意識しながら街へ行ったりする事」の必要性ってあるでしょうか? 自分でなかなか結論を出す事が出来ないので、皆様の意見をお聞きしたいと思います。

  • この様な事をする必要性ってあるでしょうか?

    22歳の大学生(男)です。 自分は人の目を異常に気にしてしまう傾向にあります。 例えば誰かが私の悪口を言っているのを聞いたりしたら、それ以降ずっとその事を気にしてしまったり、その人の周りにいる人の顔色を伺ってビクビクしてしまう事があります。 もう辞めたのですが、以前行っていたバイトである1人の中年の上司にもの凄い嫌がらせをされていた時もそうでした。 そのバイトをしていた時は、家にいる時でもその上司の事が頭に浮かんで来てしまい「ああ・・・またあいつに何かされないだろうか・・・」みたいな事を考えてしまっていました。           こんな行動を取ってしまうようになった原因は、中学時代の陰湿ないじめにあると思います。 当時はいじめをして来た加害者達の顔色を伺って過ごさざるを得なくなっていて、それが長期間に及んだ為人の目を気にするという事が当たり前になったのかもしれません。 当時は「また悪口を言ってるんじゃないか・・・」「またいじめを企んでいるのではないか・・・」みたいな事を加害者の前ではずっと考えていましたから。 しかし、自分は本当にこのままでいいのかと最近強く思うようになって来ました。 もし誰かが私の悪口をいっていたり、嫌っていたとしても、こっちに非が無いのであればそれはもう相手の性格次第だから一切気にする必要などないのではないかと思うのです。 仮にその人の行為がエスカレートして集団でのいじめに発展しそうになったら(可能性はかなり低いと思いますが)、その時はその状況から逃れる方法を考えますが、それ以外の場合は もう人の目を気にして過ごす必要等ないのではないかと感じます。 そして普段例えば家にいて何のストレスもない状態の時に、この前のバイトの上司の事を考えてしまうみたいに、嫌な人の事を考える必要も全くないと思います。 自分の貴重なリラックス出来る時間に、考えると気分悪くなるような人の事を考えて自分の大切な時間を無駄にするのは本当に馬鹿げています。 これらの事に加えて、自分はまだ地元から出ていないのですが街へ行くと「当時の奴らに遭わないだろうか・・・、遭って馬鹿にされたらどうしよう」みたいな事をずっと考えていました。 「馬鹿にされた時のシュミレーション」みたいな事をずっとしていたのですが、これも正直言ってする必要があるのかと感じます。もしそいつらが当時の様に馬鹿にしてきても相手にしなければいいだけ。それよりもそいつらの事を意識して楽しい事も楽しめていない状況の方が馬鹿げてるのではないかと思い始めてきました。 そこで皆様に質問ですが、上記に挙げた「人の目を気にして自分の休日にまで嫌な事を考える事」「当時のいじめの加害者等をわざわざ意識しながら街へ行ったりする事」の必要性って あるでしょうか? 自分でなかなか結論を出す事が出来ないので、皆様の意見をお聞きしたいと思います。

  • 過去にいじめてきた人間を考える必要ありますか?

    中学時代に陰湿ないじめをして来た人間が数人います。 当時は彼らは事ある毎に私の事を潰そうと、排除しようとしてきました。 そんな人間達の存在を22歳の今でも考える必要あるでしょうか? 「奴らにブログを見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らにFacebook等のSNSで見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らに街であって、例えば恋人を連れている所を見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 この様な事って考える必要ありますか? 当時は虐められていたという不利な状況の為に、どうしてもそのいじめをしてきた加害者達の事を異常に気にかけて考えてしまっていました。 これ以上いじめられないようにとやたら彼らにビクビクしていたと思います。 それが今でも記憶に残っているのか、もう全く関係の無い今でも上述した「」内の様に無理に「繋がろう」として苦しんでしまいます。 もう当時の輩達は関係ない。 だからそんな人間達の事等一切考える事無く生活したいです。 そこで皆さんにお聞きしたいのが、 「もういじめは過去の事。その加害者も過去の人間。だからそいつらの事は一切考えなくても大丈夫。そいつらによって何か私の身に辛い事が起こる事等もうあり得ないから、考えなくたって問題は起こらない。そいつらの事を考えないとそいつらにいじめられてしまうという事等ない。」 と思えるようなアドバイスを頂けませんか? 切実に回答希望しております。 22歳 男

  • こんな事を考えて生活する必要なんてないですよね?

    22歳です。 昔学生時代にいじめられたことがあります。 当時はいじめがエスカレートするのが嫌だったので いじめの加害者達が嫌う行動を取らないようにしていました。 何か考えたり行動する時にはわざわざ 「これをするとあいつらが見てたら嫌うかな・・・」 「これをするとあいつらは嫌がらせをしてくるかな・・・」 みたいなことを考えていたのです。 要は自分の判断で行動を起こしたいのに、 わざわざ加害者の考えを想像して行動しなければいけなかったのです。 これをしないと「いじめられるかもしれない」という 一種の強迫観念を抱いていたのでしょう。 今は当時から5年以上も時が経ち、今後死ぬまで いじめの加害者と関わることはありません。 しかし残念ながら、実はまだそのようなことを考えてしまっています。 当時の加害者本人でなくとも、そんな輩みたいな奴が 今自分がしている行動を見てたら、 「嫌うだろうか...悪口を言うだろうか...いじめをしてくるだろうか...」 こんな事を今でも考えてしまうのです。 何か覚えようとする時もこんな事を考えてしまうため、 覚えるのがもの凄く遅かったり、時折何一つ覚えられない時があります。 そりゃそうですよね。 だって、何か覚えようとしている時に 「大丈夫だろうか...今の自分を見たら...悪口とか言わないだろうか...いじめないだろうか...」 とずっと考えてるんですから、覚えられないのも当然です。 皆さんも何か覚えようとしている時に他の事を考えていたら、 その覚えたい内容は頭になかなか入って来ないですよね。 もうこんな事はしたくありません。 というより、そもそもそんな事をする必要なんてなかった。 当時はいじめの行為をされてたから予防線を貼るために そんな事を考えてましたが、そもそもそんな輩の考えなどを 予想する必要は無かった。 ですので、僕はこれから 「他人が見て嫌ったり悪口を言ってくるかな?とかを考えずに、自分の思うように行動したらいい」 という考えの下生活していけばいいと思っているのですが、 皆さんはどう思いますか? もちろん人様に好き放題迷惑をかけて生きるとか、 法に触れたりモラル等に反したりしながら生活するわけではありません。 周りには最低限の気は使うし人には思いやりを持って接します。 僕が言いたいのは少なくとも 「当時のいじめの加害者みたいな人間が見たら嫌うだろうか?悪口を言うだろうか?」 などは一切考えずに生きるという事です。 もしどうしても気を遣わないといけない人がいれば、 その人と接する時は割り切って気を遣ってやり過ごしますが、 それでも 「嫌うだろうか?悪口を言うだろうか?いじめてくるだろか?」 は考える必要は無いと思うのです。 これまでそんな事をもう生活が破滅してしまう位まで、 満足な生活ができなくなる位まで考えてきましたが、 もう十分です。 ですので、繰り返しになりますが 「他人の思考に邪魔されず、振り回されず、自分は自分の思うように行動すればいい」 という考えの下これから生活していくべきと考えているのですが、 皆さんはどう思いますか? 皆さんの意見をお待ちしております。

  • 自殺する以外でこれからを生きていく方法はありますか

    22歳の者です。 自分は中学時代に受けた陰湿ないじめを引きずったおかげで、高校・大学と殆ど楽しめる事無く、成長する事無く今の今まで生きてしまい、莫大な時間を、そして莫大な思考を無駄にしながらここ7年程は生きて来ました。 過去を振り返るともう地獄のような時を過ごしてしまった自分が、自殺という手段をとらずに生きて行く方法というのは果たしてあるのでしょうか? 以下に少し詳しくどんな生き方をしてきてしまったのかを述べたいと思います(長いので飛ばしたい方は下の「要は」以下からお読み下さい)。 中学時代に陰湿ないじめを受け、さらに運が悪い事にその陰湿ないじめをして来た人間達のほとんどが行く高校に行く事になってしまいました。 その当時の加害者が同じ高校に行くと分かってから、ずっとそいつらの事を朝から晩まで考えるようになり、普通は楽しいはずの中学3年や卒業式もずっと延々に考えてしまっていました。 その高校ではその加害者達と絶対に関わらないようにしていたものの、同じ高校にいるというのが原因でやはり高校3年間ずっとそいつらの事を考え、さらに当時同級生以外の、暴力を振るって来た上級生や横柄な態度を取って来た後輩達の事も考え憎み苦しんでいました。 中学は楽しかったみたいな話を聞く度に「ああ。。。俺はいじめてきた奴らに苦しめられ、そしてそれを引きずっただけだったなぁ。。。」と考えまたいじめの事や上述のいじめの加害者達を考え憎み、さらに憎悪と後悔が自分の中でふくれ上がって、結果高校の時代の記憶がほとんどありません。 皆さんも例えば誰かに「この紙に書かれている事を1時間以内に覚えろ」と言われた時に、好きな食べ物や好きな人の事等を考えていると全く覚えられないですよね? それと同じで、自分は憎くて憎くて、考えると尋常無く気分が悪くなる人間達の事を延々と考えて頭を痛め、殆ど上の空の為ほぼ集中できず、毎日悪夢を見るというような事をしていたのです。 高校卒業して大学へ入学したのですが、友達と話していて高校とかの話題になる度にもう二度と考えないでおこうと思っていたそのいじめの記憶を呼び戻してしまい、(高校を思い出す→高校は中学のいじめをずっと引きずり毎日苦しみ友達等を作る事も出来ず何もなかった記憶を思い出す→結果また中学のいじめを思い出す)そんな事をつづけて今に至ります。 正直ここ7年間の記憶はかなり薄いです。 なぜなら延々と脳内で朝から晩まで、夢の中でも悪夢として考えてしまっていたからです。 特にここ2・3年は、普通の人が1ヶ月で出来る事を1年位かけてやってきたと思います。 せっかく時間を取って「今日は絶対これをするんだ!」と思っても、すぐ脳はずっと長い間全くの無駄に刷り込んでしまった中学のいじめの内容、いじめてきた人物達の事を考え、そして彼らの事を考えて無駄にしてしまった高校や大学の貴重な時間を悔やんでしまい、結局目の前の事に集中出来なくなってしまっているのです。 要は、 ・高校では中学の加害者の同級生からのいじめ・横柄な下級生・暴力を振るって来た上級生を憎んで時間を、思考を無駄にした ・大学でも同じ様に高校の事を思い出し、高校は中学の事で苦しんでいたという事実を思い出しまた中学の上述の人物を憎む ・常に頭の中には加害者達がいる為、結果何かを学ぼうとしても人の何十分の1の事しか頭にはいらず、ここ数年は全く自分の成長を感じられていない という負のスパイラルに落ちっているのです。 本当はもう高校の時点でカウンセリング等に行くべきでしたが当時はそのような知識等無く、今現在は既に何度も通いましたが効果は一向に見られませんでした。 精神科も行ったのですが、気休めの薬だけ。 今までに何度も何度も「もう過去を振り返るのを止めて、また新たな気持ちで今から生きよう」と思いましたが、「私の高校時代は◯◯をしていて・・・」「大学ではこんな事をして楽しんだ・・・」「こんな青春時代を過ごした」みたいな事をテレビや人と話していて聞く度にまた「ああ、俺は高校や大学はただただいじめて来た加害者達を憎んで過ごして終わってしまった。。。」と考えてしまい、またその加害者達を憎みいじめを憎んでしまうのです。 ただ何もなかっただけなら全然いい。 自分は当時の輩を憎んで時を過ごしてしまったから辛いのです。 いつまでたっても明日を生きれない。 いつまでたっても今を・前を生きれない。 常に脳内では、もうとっくに関係など無いそのいじめられていた当時の同級生・下級生・上級生を登場人物に入れてしまっているのです。 毎日当時の事を考える為に生きているようなものです。 もちろん、ここまで自分の脳に刷り込んでしまったのは自分が馬鹿だったからですが。。 そこで皆様にお聞きしたいのが、「過去を悔やむのは止めようと決めてこれからを生きて行こうと決めた時に、どうすればこれからテレビや人等から中学や高校、大学の楽しい話等を聞いた時に「俺はいじめの加害者や出来事を考えて過ごしてしまった。。。」とまた後悔や憎む事をせずに済むでしょうか? 過去の苦痛を過ごしてしまった時に戻るきっかけが無数にあるこの世の中で、どうすればそんな時の事を悔やまず生きて行けるでしょうか? 正直、今自分は自殺願望が80%、生きたいという気持ちが20%の状況です。 何故20%しかないかは、無数のきっかけによってまた当時の事や後悔して憎んだ高校大学の時間を思い出し、また当時の輩達を頭に刷り込ませて生きるのが本当に辛いからです。 この悩みが解決出来なければ、もう生きて行く事は不可能なので自殺しようと考えております。 大変長くなりましたが、回答おまちしております。

  • もう私って生きる必要ない?

    今まで21年間生きて来ましたが、本当に辛い事だらけでした。 そもそもの原因は中学でのイジメ。 同級生、さらに後輩にまでもとことん馬鹿にされ、舐められたりしました。 同級生にされたいじめで私の明るかった性格は一転し、暗い何事にもネガティブにしか考えれないようになってしまいました。 当時は私が何か挑戦しようとするだけで陰湿ないじめをされ、その行為をされればされるほど苛められることを恐れ挑戦すらしなくなりました。 そこで私は何かに挑戦するという事が出来なくなりました。 ほとんど皆んなが楽しい青春を過ごしていたり思い出があるのに私は作れなかった。 皆が普通にしている事を私は出来なかった。 出来ないばかりか、当時の人達を恨むばかり。 さらにその後、運悪く当時苛めて来た人達がいた高校に入学してしまった私は、ずっとその人達を避けていたのでなにもされる事は無かったのですが、肩身の狭い高校生活を送り、尚且つ当時の事を引きずった結果、本当に今でも3年間高校にいってたのかと思うぐらい何もない高校生活を送り、そればかりでなく当時の事をまだずっと後悔していました。 呼吸をするぐらいに当時の事を考えてしまっていた私はもう目の前の事等何も見る事が出来ない、失った過去しか見る事が出来ない人間なり、人と深い人間関係を築く事も出来ない人間になってしまっていました。 奨学金を使って大学へ入学したものの、友達も一人も出来ず、サークルにも入る事が出来ずに今の今まで過ごしてきました。 私は人生の華といわれる時間を、中学のイジメでされた事を引きずったのが原因で無駄にしてしまいました。 将来絶対中学、高校、大学の話をする場面に遭遇するでしょうが、私はそのたび辛い過去を思い出さなくてはなりません。 やはり私は人よりも哀れで残念な青春時代を過ごしたのだなと思うしか無いでしょう。 つまり、結局は昔の事を後悔する以外に道は無いのです。そうせざるを得ないのです。 今こうやって質問している事も本来する必要は無かったことですし、ここで質問する事によってもまた過去を後悔するのです。時間を無駄にするのです。今を生きる事が出来ないのです。 津波の被害を受けた方々はもちろん辛いと思いますが、それは天災で直接人に心を傷つけられたわけでもない(後に地震が原因で人に傷つけられた人がいるかもしれませんが、根本的な原因は「地震」なので)。 直接集団で人に傷つけられる事がどれだけ辛い事かほとんどの人は絶対に分かり得ない。 今21歳(男)ですが、もうこれから生きていける希望が全く無いのです。 というよりも、生きる必要がどこにも無いのです。 両親以外、携帯のメモリには誰もいないですし、両親以外感謝する人も友達も一人もいないので、死んでも誰も悲しまない。 以前にカウンセリングを受けていた時、私は両親に「いつか自殺するかも知れない」というと、(何年も通っていたので)「正直その覚悟は出来ている」と言いました。 今こうやってまだ生きていますが、もうそろそろ限界です。 そこで皆様に質問です。 上記で述べた理由から、「これだったら死にたいと思うのも納得だな」と思えましたか? それとも「確かに私の青春時代は残念で、これから生きていく上で当時の思い出話をする事も出来ないけど、どんなに哀れで人と比べて残念な人生であろうとも死ぬのはよくない」と思いましたか? 回答お待ちしております。

  • 過去を考える事を繰り返すのをやめるには?

    22歳の大学生です。 昔中学の時に陰湿ないじめにあった事があるのですが、自分は諸事情によりそれを高校そして今の今まで引きずって、毎日毎日何度もその当時の出来事やいじめの加害者達を考えて来てしまいました。 正直何度も「もうこんな事は止めよう。絶対止めよう」と思って明日からまた気持ち新たに生きて行こうとするのですが、例えばテレビや友達と話していて「高校では◯◯をした」「大学では◯◯して楽しんだ」みたいな話を聞く度に、「ああ。。。俺はそんな貴重な時間を当時のいじめを引きずったり、当時の人間を憎んで全く無駄に過ごしてたなぁ。。。」と考えてしまい、また当時の出来事やいじめの加害者を憎み、過去を後悔するという負のスパイラルに陥ってしまいます。 こんな事を今の今まで何度もしてきましたが、本当に止めたいのです。 どうすれば、過去のいじめやその加害者達を憎んで本当に無駄に過ごしてしまった高校や大学の時間を連想させるような言葉を、テレビや知人の話から見たり聞いたりした時に、負のスパイラルに陥らず、過去を振り返らず、どんな状況でも前向きに生きて行ける様になるでしょうか? 本当に本当に知りたいです。 でないと、私はこれからも常に中学のいじめや加害者達の事を考えてしまうでしょう。 もうこんな思考から離れたい。 どうか皆さん、何かこんな私にアドバイス等はありませんでしょうか?

  • こんな人に馬鹿にされようが気にする必要ないですよね

    21歳、男です。 以前中学時代陰湿ないじめを部活でされた事があり、同級生のいじめに便乗して後輩にも屈辱的な事をされた事があります。 何も言い返さない自分をからかいやすいと思ったのかは分かりませんが、当時は本当に辛かったです。 それから6・7年経つのですが、いまだに街へ行くと 「当時の奴らにあったらどうしよう。。。馬鹿にされないかな。。。」 と思うことがあり、せっかく楽しい気持ちで街を歩きたいのに気分を悪くしてしまっていました。 さらには、例えばスポーツをしていたり自分の好きな事をしていたり、何でもいいのですがそんな時 「もしこの状況を当時の奴らが見たらまた自分を馬鹿にしてくるのだろうか。。。」 と本当に余計な事まで考えてしまう事も今ではあります。 自分は将来人の前に立つ仕事に立ちたいと思っているのですが、もし夢が叶い皆に自分の存在が知れた時、当時の奴らが私を見たら馬鹿にしてこないかな。。。と思ってしまう事もあります。 こんな事を繰り返していて最近ようやく気付いたんです。 こんな馬鹿な事をして時間を無駄にしては絶対にいけないと。 もし仮に街で会って馬鹿にしてきたとしても、そもそもそいつらはそんな低レベルな事をする人間なのだから気にする事はない。しかももう相手も大人になってるし、それにも関わらず馬鹿にしてきたら、中身が全く成長していないという事だからもうそれは哀れむに値する。 馬鹿な後輩もそう。もし仮にどこかで会って私に気付いたとして近づいて来た時、もし当時と同じ態度ならそいつは当時から何も成長していないと言う事。 そんな低レベルな人間が言う事なんて何一つ気にする事は無い。相手にしなければいい。毅然とした態度で堂々としていればいい。何も恐れなくていい。 将来夢を追いかけている時、当時の奴らと運悪く遭い自分がしている事を馬鹿にされても何も怯える必要なんてない。 当時は学校という無法地帯にいたためいじめのエスカレートが怖くて何も言えなかったけど、今はどうとでも言える。相手にしていない様な言動をいくらでもとれる。当時の奴らは今はもう全く関係ない。 いくら馬鹿にしようが何一つ怯える必要が無い。 もし手でも出そうものなら今は法的手段を取る事が出来る。  もう過去と今は違うんだ。 そんな人間の事は今後一切考える必要が無い。 以上は当時の奴らに対してですが、これから出会うかもしれない嫌な人に対してもそうです。 将来自分を馬鹿にしてくる人に出会ったとしても動揺する必要な無く、気にしなければいい。 そんな人間の事は考える必要が無い。 昔みたいなイジメが将来起こるとは到底思えないし、あまりにも酷い環境なら変える事だって出来る。 だからもう将来を恐れる事無く、人を恐れる事無くこれからを生きて行こう。 この様な結論が出ました。 皆様は馬鹿にしてくる人をどう思いますか? いちいち気に留めて腹を立てますか? 自分はもう馬鹿にされる事を怯える事を止めたいと思います。 皆様の回答お待ちしております。

  • この行動を直すにはどうすればいいでしょうか。

    大学生です。 昔中学の時に、同級生に酷く陰湿ないじめをされ、そしてそれに便乗した数名の後輩にはかなり屈辱的な事(タメ口、先輩を先輩と見ずかなり失礼な態度を取る等)をされた事があります。 もう以来何年も経つのですが、しばしばその人間達の存在が脳裏に浮かび、浮かぶとものすごく腹が立ってきて無駄にストレスを抱えて時間を無駄にします。 そして負のスパイラルに入ると、次は「ああ。。。あいつらと街で遭わないだろうか。。。将来何処かで遭った時当時と同じ様な態度で来ないだろうか。。。」「同級生の奴らが当時みたいに近くにいたらまた私がする行動を邪魔しようとするのだろうか。。。」みたいな余計な被害妄想までしてしまいます。 つまり、沢山の時間を無駄にして「そいつらと運悪く将来遭遇した時の事」とか「当時の死ぬ程腹立った事」等を考えてしまう事があるのです。 沢山の時間を、そいつらの為に使っているのです。 自分は今色々とやりたい事があるのに、この様な事をしてしまっているせいでそれがなかなか出来ないことが多くあります。 どうすればこのような事をしないようになりますか? そんな過去の奴らの事を考える必要性など全くありませんよね? (カウンセリングには過去に行きましたので、それ以外の回答をお待ちしております) 本当に悩んでいます。  では、回答お待ちしております。