人の目を気にしすぎる大学生の悩みとは?

このQ&Aのポイント
  • 22歳の大学生(男)が人の目を気にしすぎている悩みを抱えています。過去のいじめ経験が原因で、他人の態度や言動に敏感になってしまい、自分の休日まで嫌なことを考えてしまいます。しかし、自分に非がない場合は、相手の性格次第であっても気にする必要はないと感じています。また、当時のいじめの加害者を意識して街へ行くことも不必要だと考えています。皆さんはこのような行動に必要性を感じますか?
  • 22歳の大学生(男)が人の目を気にしすぎている悩みを抱えています。過去のいじめ経験が原因で、他人の態度や言動に敏感になり、心が休まる時間でも嫌な人のことを考えてしまいます。しかしこのような行動は時間の無駄であり、自分を大切にすることが大切だと感じています。また、街へ行く際には当時のいじめの加害者を意識する必要はないとも思います。皆さんはどう思いますか?
  • 22歳の大学生(男)が人の目を気にしすぎている悩みについて考えます。過去のいじめ経験が原因で、他人の言動に過敏に反応し、自分の休日まで悩んでしまいます。しかし、自分に非がない場合は相手の性格次第であり、無駄な心配ではないでしょうか?また、当時のいじめの加害者を意識して街へ行く必要もないと思います。みなさんはどう思いますか?
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この様な必要性ってありますか?

22歳の大学生(男)です。 自分は人の目を異常に気にしてしまう傾向にあります。 例えば誰かが私の悪口を言っているのを聞いたりしたら、それ以降ずっとその事を気にしてしまったり、その人の周りにいる人の顔色を伺ってビクビクしてしまう事があります。 もう辞めたのですが、以前行っていたバイトである1人の中年の上司にもの凄い嫌がらせをされていた時もそうでした。 そのバイトをしていた時は、家にいる時でもその上司の事が頭に浮かんで来てしまい「ああ・・・またあいつに何かされないだろうか・・・」みたいな事を考えてしまっていました。           こんな行動を取ってしまうようになった原因は、中学時代の陰湿ないじめにあると思います。 当時はいじめをして来た加害者達の顔色を伺って過ごさざるを得なくなっていて、それが長期間に及んだ為人の目を気にするという事が当たり前になったのかもしれません。 当時は「また悪口を言ってるんじゃないか・・・」「またいじめを企んでいるのではないか・・・」みたいな事を加害者の前ではずっと考えていましたから。 しかし、自分は本当にこのままでいいのかと最近強く思うようになって来ました。 もし誰かが私の悪口をいっていたり、嫌っていたとしても、こっちに非が無いのであればそれはもう相手の性格次第だから一切気にする必要などないのではないかと思うのです。 仮にその人の行為がエスカレートして集団でのいじめに発展しそうになったら(可能性はかなり低いと思いますが)、その時はその状況から逃れる方法を考えますが、それ以外の場合は もう人の目を気にして過ごす必要等ないのではないかと感じます。 そして普段例えば家にいて何のストレスもない状態の時に、この前のバイトの上司の事を考えてしまうみたいに、嫌な人の事を考える必要も全くないと思います。 自分の貴重なリラックス出来る時間に、考えると気分悪くなるような人の事を考えて自分の大切な時間を無駄にするのは本当に馬鹿げています。 これらの事に加えて、自分はまだ地元から出ていないのですが街へ行くと「当時の奴らに遭わないだろうか・・・、遭って馬鹿にされたらどうしよう」みたいな事をずっと考えていました。 「馬鹿にされた時のシュミレーション」みたいな事をずっとしていたのですが、これも正直言ってする必要があるのかと感じます。もしそいつらが当時の様に馬鹿にしてきても相手にしなければいいだけ。それよりもそいつらの事を意識して楽しい事も楽しめていない状況の方が馬鹿げてるのではないかと思い始めてきました。 そこで皆様に質問ですが、上記に挙げた「人の目を気にして自分の休日にまで嫌な事を考える事」「当時のいじめの加害者等をわざわざ意識しながら街へ行ったりする事」の必要性ってあるでしょうか? 自分でなかなか結論を出す事が出来ないので、皆様の意見をお聞きしたいと思います。

noname#188709
noname#188709

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回答No.1

必要性まったくないです。 嫌な事に自分で縛ってどうするのですか? 自分を解放してあげてください。 想念てご存知でしょうか?考え方、気持ちのことを言うのですが その想念次第で変われます。 性格は変えられません、ましてや人のことなど変えられないのです。 変わるべきは自分、自分の想念です。 気持ちって言葉に出さなくても何故か伝わる事が多々あります、それは自分でも気がついていない態度で、視線などで伝わります。 オドオドしたり、下ばかり見ていると周りは不信に思います。 悪い事をしているわけではなくても、「おかしい人」と思われてしまうのです。 それって損してるとおもいませんか? ただ、貴方の考え方は良い事ではありません、ただただ、自分で自分の首を絞めているようにしか思いません。 まず、視線が気になるなら、別の気に仕方をしてください。 見られている、と思うなら、身なり清潔にして背筋をぴんとして 挨拶する時は笑顔ではっきりと伝える。これは人の為でなく貴方自身が気持ちよく 過ごすための行為です。 清潔感があって、姿勢がよく笑顔で挨拶してくれる人をいじめたりしません。 そのような人を悪く言うのはそれはその人間がおかしいだけのこと おかしい人間を気にする必要は全くありません。 多分、貴方は自分の頭の中だけで答えを出そうとして こんがらがっているだけなのでは? PC等でなく、自分で紙に思っている事を書いてみたり 人に話してみてください。答えは自分で決めます、ただ、話たり書く事で整理ができる。 頭の中だけで考えているとだんだん、狭くなっていきますから 色々な目線、見方をしたほうがいいと思いますよ。

noname#188709
質問者

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  • majesta67
  • ベストアンサー率18% (36/196)
回答No.2

それは誰にでもあると思います。 私は女ですが愛想が悪いし声も低いので仕事の社内研修が嫌で嫌で嫌で、休みの日ももし皆の前で何かしなければいけないとしたら絶対声が小さいとか笑顔がないと怒られるのではないかetc…考えるだけで憂鬱でした。 なんでわざわざ嫌なこと考えてストレス溜めやなあかんのや!と開き直って考えるのめんどくせー。って思いながら過ごしてました。今でも嫌なことに頭使うのめんどくせー。 高校の時、クラスの女同士でいじめのターゲットが回っていて、ついに私にも回ってきました。 まぁいじめって今思えばもそこまでひどいもんではないですが当時はきつかったです。 どっちかってと、私は恨みは晴らすべき、とプチ復讐してやろうと考えるタイプだったんで、卒業してから遭遇したらビクビクするのではなくどうやって嫌味言ってやろうかなとお気楽に考えていました(笑) まぁ人それぞれですし、復讐を促しているわけではないんですが、この糞チンケな陰湿女より自分のが性格マシだと完全プラス思考だったので、びびることもないのですが(笑) 仕事だとそうはいかないですが、俺のこと嫌いな奴は俺も嫌いだからお互い様だと。 自分を相手以下だと自分自身で下げたらいいようになりませんよ。 無理矢理でもめちゃくちゃな理由でも開き直った方が気が楽になると思います。

noname#188709
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 参考にさせて頂きます。

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  • この様な事をする必要性ってあるでしょうか?

    22歳の大学生(男)です。 自分は人の目を異常に気にしてしまう傾向にあります。 例えば誰かが私の悪口を言っているのを聞いたりしたら、それ以降ずっとその事を気にしてしまったり、その人の周りにいる人の顔色を伺ってビクビクしてしまう事があります。 もう辞めたのですが、以前行っていたバイトである1人の中年の上司にもの凄い嫌がらせをされていた時もそうでした。 そのバイトをしていた時は、家にいる時でもその上司の事が頭に浮かんで来てしまい「ああ・・・またあいつに何かされないだろうか・・・」みたいな事を考えてしまっていました。           こんな行動を取ってしまうようになった原因は、中学時代の陰湿ないじめにあると思います。 当時はいじめをして来た加害者達の顔色を伺って過ごさざるを得なくなっていて、それが長期間に及んだ為人の目を気にするという事が当たり前になったのかもしれません。 当時は「また悪口を言ってるんじゃないか・・・」「またいじめを企んでいるのではないか・・・」みたいな事を加害者の前ではずっと考えていましたから。 しかし、自分は本当にこのままでいいのかと最近強く思うようになって来ました。 もし誰かが私の悪口をいっていたり、嫌っていたとしても、こっちに非が無いのであればそれはもう相手の性格次第だから一切気にする必要などないのではないかと思うのです。 仮にその人の行為がエスカレートして集団でのいじめに発展しそうになったら(可能性はかなり低いと思いますが)、その時はその状況から逃れる方法を考えますが、それ以外の場合は もう人の目を気にして過ごす必要等ないのではないかと感じます。 そして普段例えば家にいて何のストレスもない状態の時に、この前のバイトの上司の事を考えてしまうみたいに、嫌な人の事を考える必要も全くないと思います。 自分の貴重なリラックス出来る時間に、考えると気分悪くなるような人の事を考えて自分の大切な時間を無駄にするのは本当に馬鹿げています。 これらの事に加えて、自分はまだ地元から出ていないのですが街へ行くと「当時の奴らに遭わないだろうか・・・、遭って馬鹿にされたらどうしよう」みたいな事をずっと考えていました。 「馬鹿にされた時のシュミレーション」みたいな事をずっとしていたのですが、これも正直言ってする必要があるのかと感じます。もしそいつらが当時の様に馬鹿にしてきても相手にしなければいいだけ。それよりもそいつらの事を意識して楽しい事も楽しめていない状況の方が馬鹿げてるのではないかと思い始めてきました。 そこで皆様に質問ですが、上記に挙げた「人の目を気にして自分の休日にまで嫌な事を考える事」「当時のいじめの加害者等をわざわざ意識しながら街へ行ったりする事」の必要性って あるでしょうか? 自分でなかなか結論を出す事が出来ないので、皆様の意見をお聞きしたいと思います。

  • 精神を病む位人の目を気にするのを辞める為に。。。

    22歳の大学生(男)です。 自分は人の目を異常に気にしてしまう傾向にあります。 例えば誰かが私の悪口を言っているのを聞いたりしたら、それ以降ずっとその事を気にしてしまったり、その人の周りにいる人の顔色を伺ってビクビクしてしまう事があります。 もう辞めたのですが、以前行っていたバイトである1人の中年の上司にもの凄い嫌がらせをされていた時もそうでした。 そのバイトをしていた時は、家にいる時でもその上司の事が頭に浮かんで来てしまい「ああ・・・またあいつに何かされないだろうか・・・」みたいな事を考えてしまっていました。           こんな行動を取ってしまうようになった原因は、中学時代の陰湿ないじめにあると思います。 当時はいじめをして来た加害者達の顔色を伺って過ごさざるを得なくなっていて、それが長期間に及んだ為人の目を気にするという事が当たり前になったのかもしれません。 当時は「また悪口を言ってるんじゃないか・・・」「またいじめを企んでいるのではないか・・・」みたいな事を加害者の前ではずっと考えていましたから。 しかし、自分は本当にこのままでいいのかと最近強く思うようになって来ました。 もし誰かが私の悪口をいっていたり、嫌っていたとしても、こっちに非が無いのであればそれはもう相手の性格次第だから一切気にする必要などないのではないかと思うのです。 仮にその人の行為がエスカレートして集団でのいじめに発展しそうになったら(可能性はかなり低いと思いますが)、その時はその状況から逃れる方法を考えますが、それ以外の場合は もう人の目を気にして過ごす必要等ないのではないかと感じます。 そして普段例えば家にいて何のストレスもない状態の時に、この前のバイトの上司の事を考えてしまうみたいに、嫌な人の事を考える必要も全くないと思います。 自分の貴重なリラックス出来る時間に、考えると気分悪くなるような人の事を考えて自分の大切な時間を無駄にするのは本当に馬鹿げています。 これらの事に加えて、自分はまだ地元から出ていないのですが街へ行くと「当時の奴らに遭わないだろうか・・・、遭って馬鹿にされたらどうしよう」みたいな事をずっと考えていました。 「馬鹿にされた時のシュミレーション」みたいな事をずっとしていたのですが、これも正直言ってする必要があるのかと感じます。もしそいつらが当時の様に馬鹿にしてきても相手にしなければいいだけ。それよりもそいつらの事を意識して楽しい事も楽しめていない状況の方が馬鹿げてるのではないかと思い始めてきました。 そこで皆様に質問ですが、上記に挙げた「人の目を気にして自分の休日にまで嫌な事を考える事」「当時のいじめの加害者等をわざわざ意識しながら街へ行ったりする事」の必要性ってあるでしょうか? 自分でなかなか結論を出す事が出来ないので、皆様の意見をお聞きしたいと思います。

  • こんな事を考えて生活する必要なんてないですよね?

    22歳です。 昔学生時代にいじめられたことがあります。 当時はいじめがエスカレートするのが嫌だったので いじめの加害者達が嫌う行動を取らないようにしていました。 何か考えたり行動する時にはわざわざ 「これをするとあいつらが見てたら嫌うかな・・・」 「これをするとあいつらは嫌がらせをしてくるかな・・・」 みたいなことを考えていたのです。 要は自分の判断で行動を起こしたいのに、 わざわざ加害者の考えを想像して行動しなければいけなかったのです。 これをしないと「いじめられるかもしれない」という 一種の強迫観念を抱いていたのでしょう。 今は当時から5年以上も時が経ち、今後死ぬまで いじめの加害者と関わることはありません。 しかし残念ながら、実はまだそのようなことを考えてしまっています。 当時の加害者本人でなくとも、そんな輩みたいな奴が 今自分がしている行動を見てたら、 「嫌うだろうか...悪口を言うだろうか...いじめをしてくるだろうか...」 こんな事を今でも考えてしまうのです。 何か覚えようとする時もこんな事を考えてしまうため、 覚えるのがもの凄く遅かったり、時折何一つ覚えられない時があります。 そりゃそうですよね。 だって、何か覚えようとしている時に 「大丈夫だろうか...今の自分を見たら...悪口とか言わないだろうか...いじめないだろうか...」 とずっと考えてるんですから、覚えられないのも当然です。 皆さんも何か覚えようとしている時に他の事を考えていたら、 その覚えたい内容は頭になかなか入って来ないですよね。 もうこんな事はしたくありません。 というより、そもそもそんな事をする必要なんてなかった。 当時はいじめの行為をされてたから予防線を貼るために そんな事を考えてましたが、そもそもそんな輩の考えなどを 予想する必要は無かった。 ですので、僕はこれから 「他人が見て嫌ったり悪口を言ってくるかな?とかを考えずに、自分の思うように行動したらいい」 という考えの下生活していけばいいと思っているのですが、 皆さんはどう思いますか? もちろん人様に好き放題迷惑をかけて生きるとか、 法に触れたりモラル等に反したりしながら生活するわけではありません。 周りには最低限の気は使うし人には思いやりを持って接します。 僕が言いたいのは少なくとも 「当時のいじめの加害者みたいな人間が見たら嫌うだろうか?悪口を言うだろうか?」 などは一切考えずに生きるという事です。 もしどうしても気を遣わないといけない人がいれば、 その人と接する時は割り切って気を遣ってやり過ごしますが、 それでも 「嫌うだろうか?悪口を言うだろうか?いじめてくるだろか?」 は考える必要は無いと思うのです。 これまでそんな事をもう生活が破滅してしまう位まで、 満足な生活ができなくなる位まで考えてきましたが、 もう十分です。 ですので、繰り返しになりますが 「他人の思考に邪魔されず、振り回されず、自分は自分の思うように行動すればいい」 という考えの下これから生活していくべきと考えているのですが、 皆さんはどう思いますか? 皆さんの意見をお待ちしております。

  • この悩みを解決する為の具体的な方法を教えて下さい。

    大学生です。 その悩みとは、人の目・顔色を異常に気にしてしまう事です。 そうなった原因は中学のいじめでした。 私の事を嫌った2・3人に陰湿ないじめをされた結果、そいつらが色々な人に根回しし、ある日急に今まで普通に喋ってた友達までが無視してきたりいじめに加担してきた事がありました。 その様な事をその数名にされて以来、私はその数名の顔色を異常に気にして生活するようになったのです。 現在、中学を卒業して6年以上も経ちますが、やはり未だに人の目、顔色、発言を気にしてしまいます。 それが学校で少し私の事について悪く言った人や、バイト先の怒ってきた上司等誰に対してもその気にする対象は及びます。 普通は仮に誰かが人に私の悪口等を言ったら「別にほっとけばいい」となるでしょう。 バイトで上司が怒ってきても「今度から注意すればいいや」となるでしょう。 私もそうしたいです。 しかし、その中学のトラウマがある私は、仮に誰かが人に私の悪口等を言ったら、 「そいつが色々な人に私の悪口を言って、結果大勢の人が私を嫌ったり、集団で無視する等のいじめをしてこないかな」、 バイトで上司が怒ってきたら、 「その上司がバイトメンバーの色々な人に私の悪評を流し、結果みんなが私を嫌ってきたり、馬鹿にするような目で見てくる様にならないかな」みたいな事を考えてしまうのです。 そしてそんな事を家でもずっと考えてしまう事があるのです。 おそらく、当時の様な辛い思いはもう二度としたくないからとりあえず考えてしまうのでしょう。 しかし、正直こんな事を考えるのは本当に辛い。 傷つけられる事ばかりを想定して生きるのは辛過ぎます。 こんな私の悩みを解決する方法はないでしょうか? 具体的に回答頂ければと思います。

  • 「考える必要が無い」と、論理的に説明して欲しい。

    20代の男です。 何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。 そういった事をやろうとしている時に、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを考える必要がないのに、考えてしまうことがあります。 僕は中学生の頃イジメに遭ったことがあるのですが、もう何年もたった今でも時折当時のいじめの加害者達のことを考えてしまいます。 当時の加害者達と関わり合いを持つことは将来死ぬまでないです。 にもかかわらず、未だに頭に浮かべてしまう。。。 恐らくそれは、 「考えないと大変なことになるかもしれない」 という脅迫観念が未だに頭から抜けていないから、 無理やり考えてしまっている、と言った方がいいかもしれません。 他にも、当時のいじめの加害者以外にも過去に出会った嫌な人間のことを また思い出して考えてしまうことがあります。 そんなイジメの加害者や嫌な人間みたいな、考えるとストレスを感じ気分が悪くなる嫌な人達を考えると、 時間も無駄になりますし、思考のエネルギーも無駄、そして作業にも集中できません。 こういった人達のことをわざわざ考えて、 嫌な気持ちになるのはもう二度と嫌だ。 そこで皆さんに質問です。 冒頭で述べた、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを、しかももう自分にとって「過去の」人間である人達のことを やりたいことをやろうとしている時、 やらなければいけないことをしようとしている時、 趣味を楽しもうとしている時に、 というか生きている間 考える必要が無い、と論理的に説明して納得させて頂けませんか? もっと言えば、仮に今もそういう類いの人物と日常的に顔を合わせなければならないとしても、 わざわざ考える必要はないということも論理的に説明して納得させて欲しいんです。 つまり、 過去に関わった人物/現在も関わりのある、そういう類いの人物のことを、 自分の人生を生きようとしている時に考える必要が無いということを、 徹底的に説明して頂きたいんです。 僕は、過去の人物であればもう一生考えなくてよくて、今仮にそういう人物が周りにいたとしても、 その人物と接する時以外は1秒も考えなくていいと思っています。 でも、やっぱり「考えないといけないんじゃ・・・」という不安に駆られるのです。 そこで皆さんのお力をお借りして、もうこんな不安を感じないようにしたいと思います。 では回答の方よろしくお願いいたします。

  • こんな人に馬鹿にされようが気にする必要ないですよね

    21歳、男です。 以前中学時代陰湿ないじめを部活でされた事があり、同級生のいじめに便乗して後輩にも屈辱的な事をされた事があります。 何も言い返さない自分をからかいやすいと思ったのかは分かりませんが、当時は本当に辛かったです。 それから6・7年経つのですが、いまだに街へ行くと 「当時の奴らにあったらどうしよう。。。馬鹿にされないかな。。。」 と思うことがあり、せっかく楽しい気持ちで街を歩きたいのに気分を悪くしてしまっていました。 さらには、例えばスポーツをしていたり自分の好きな事をしていたり、何でもいいのですがそんな時 「もしこの状況を当時の奴らが見たらまた自分を馬鹿にしてくるのだろうか。。。」 と本当に余計な事まで考えてしまう事も今ではあります。 自分は将来人の前に立つ仕事に立ちたいと思っているのですが、もし夢が叶い皆に自分の存在が知れた時、当時の奴らが私を見たら馬鹿にしてこないかな。。。と思ってしまう事もあります。 こんな事を繰り返していて最近ようやく気付いたんです。 こんな馬鹿な事をして時間を無駄にしては絶対にいけないと。 もし仮に街で会って馬鹿にしてきたとしても、そもそもそいつらはそんな低レベルな事をする人間なのだから気にする事はない。しかももう相手も大人になってるし、それにも関わらず馬鹿にしてきたら、中身が全く成長していないという事だからもうそれは哀れむに値する。 馬鹿な後輩もそう。もし仮にどこかで会って私に気付いたとして近づいて来た時、もし当時と同じ態度ならそいつは当時から何も成長していないと言う事。 そんな低レベルな人間が言う事なんて何一つ気にする事は無い。相手にしなければいい。毅然とした態度で堂々としていればいい。何も恐れなくていい。 将来夢を追いかけている時、当時の奴らと運悪く遭い自分がしている事を馬鹿にされても何も怯える必要なんてない。 当時は学校という無法地帯にいたためいじめのエスカレートが怖くて何も言えなかったけど、今はどうとでも言える。相手にしていない様な言動をいくらでもとれる。当時の奴らは今はもう全く関係ない。 いくら馬鹿にしようが何一つ怯える必要が無い。 もし手でも出そうものなら今は法的手段を取る事が出来る。  もう過去と今は違うんだ。 そんな人間の事は今後一切考える必要が無い。 以上は当時の奴らに対してですが、これから出会うかもしれない嫌な人に対してもそうです。 将来自分を馬鹿にしてくる人に出会ったとしても動揺する必要な無く、気にしなければいい。 そんな人間の事は考える必要が無い。 昔みたいなイジメが将来起こるとは到底思えないし、あまりにも酷い環境なら変える事だって出来る。 だからもう将来を恐れる事無く、人を恐れる事無くこれからを生きて行こう。 この様な結論が出ました。 皆様は馬鹿にしてくる人をどう思いますか? いちいち気に留めて腹を立てますか? 自分はもう馬鹿にされる事を怯える事を止めたいと思います。 皆様の回答お待ちしております。

  • 過去にいじめてきた人間を考える必要ありますか?

    中学時代に陰湿ないじめをして来た人間が数人います。 当時は彼らは事ある毎に私の事を潰そうと、排除しようとしてきました。 そんな人間達の存在を22歳の今でも考える必要あるでしょうか? 「奴らにブログを見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らにFacebook等のSNSで見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 「奴らに街であって、例えば恋人を連れている所を見られたら馬鹿にされるだろうか・・・」 この様な事って考える必要ありますか? 当時は虐められていたという不利な状況の為に、どうしてもそのいじめをしてきた加害者達の事を異常に気にかけて考えてしまっていました。 これ以上いじめられないようにとやたら彼らにビクビクしていたと思います。 それが今でも記憶に残っているのか、もう全く関係の無い今でも上述した「」内の様に無理に「繋がろう」として苦しんでしまいます。 もう当時の輩達は関係ない。 だからそんな人間達の事等一切考える事無く生活したいです。 そこで皆さんにお聞きしたいのが、 「もういじめは過去の事。その加害者も過去の人間。だからそいつらの事は一切考えなくても大丈夫。そいつらによって何か私の身に辛い事が起こる事等もうあり得ないから、考えなくたって問題は起こらない。そいつらの事を考えないとそいつらにいじめられてしまうという事等ない。」 と思えるようなアドバイスを頂けませんか? 切実に回答希望しております。 22歳 男

  • 考えると気分が悪くなる人を考える必要はありますか?

    20代の男です。 何かやりたいこと、やらなければいけないことがあるとします。 そういった事をやろうとしている時に、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを考える必要ってありますか? こういった人達のことをわざわざ考えて、 嫌な気持ちになる必要ってありますか? 僕は中学生の頃イジメに遭ったことがあるのですが、 もう何年もたった今でも時折当時のいじめの加害者達を考えてしまいます。 もちろん、当時の加害者達と関わり合いを持つことは 将来死ぬまでないでしょう。 にもかかわらず、未だに頭に浮かべてしまう。。。 恐らくそれは、 「考えないと大変なことになるかもしれない」 という謎の考えが未だに頭から抜けていないから、 無理やり考えてしまっている、と言った方がいいかもしれません。 そんな自分にとって嫌な人物、考えるとストレスを感じ気分が悪くなる人達を考えると、 時間も無駄になりますし、思考のエネルギーも無駄、そして作業にも集中できません。 そこで皆さんに質問です。 冒頭で述べた、 「少しでもその存在を頭に浮かべると気分が悪くなる人」 「考えるとものすごくストレスを感じる人」 「その存在を考えている時間全てが無駄である人」 「もし遭遇したら馬鹿にしてくるかもしれない人」 「僕のいない所で悪口を言っているかもしれない人」 こういった人達のことを、しかももう自分にとって 「過去の」人間である人達のことを やりたいことをやろうとしている時、 やらなければいけないことをしようとしている時、 趣味を楽しもうとしている時に、 というか生きている間 考えなければいけないでしょうか? もっと言えば、仮に今もそういう類いの人物と日常的に顔を合わせなければならないとしても、 わざわざ考える必要ってありますか? つまり、 過去に関わった人物、または現在も関わりのあるそういう類いの人物のことを、 自分の人生を生きようとしている時に考える必要ってありますか? 僕は、過去の人物であればもう一生考えなくてよくて、 今仮にそういう人物が周りにいたとしても、 その人物と接する時以外は1秒も考えなくていいと思っています。 僕はこう思っていますが、皆さんの意見もお聞きしたいと思い、 今回質問させて頂きました。 理由も添えて回答して頂けるとありがたいです。 では、失礼します。

  • 未だに・・・?

    昔に部活でいじめられていた事がありました。 団体のスポーツをやっていたのですが、特にその部活の1人は私がやる事なす事全てを嫌い陰湿ないじめを繰り返してきました。 たとえ自分がどんなに個人練習を家でやっていっても、ほとんどその練習の成果を出す事が出来ませんでした。 理由はそのいじめてきた人間達が怖かったからです。 例えば100m走をそいつと2人同時で走るとします。 明らかに自分が勝てるのは分かってる。 でも私はわざと負ける事しか出来なかった。 勝つ事でそいつが自分を妬み、結果いじめられるのが怖かったから。 当時の私はそんな状況にいました。 今思えば、本当に低レベルで幼稚な事をする人間達となんで一緒にいてしまったのだろうと、悔やんでも悔やみ切れません。 それ以来、未だに私はスポーツ番組や何か対決をしている番組を見る時、 「当時だったら俺はわざと負けていただろうな・・・」 「もしこの人達が自分と同じ環境にいたとしたら、いじめられるのをおそれて自分と同じ行動(わざと負ける等)を取っていただろうか・・・」 また仕事等で仕事仲間をライバルとして考えなければいけない時、 「当時のそいつがしてきたみたいに、ここで自分が頑張って勝ったとしたら私を妬み悪口、いじめみたいな事をしてこないだろうか・・・」 上記の事を考えてしまいます。 要は、自分が頑張って結果をだした時(勝った時)、いじめや悪口みたいな事をしてこないかなと気を伺ってしまう、顔色を見てしまうのです。 そしてその度に「こんな事をする原因は過去にある。部活をしてしまった事にある。そいつにある」と結局過去の辛い辛い記憶を思い出してしまいます。 もういやだ。。。もういやだ。。。 結果を出したいから頑張ったんです。 何故結果をだそうという時に人の目を伺う必要がある? 当時のその人間の様にいじめられないかな・・・と思う必要がある? もういいですよね? 私は結果を出す為に全力で勝負してもいいですよね? 他人の目なんて気にする必要ないですよね? だって勝負なんですから。。。。 皆様の意見をお聞きしたいです。 回答お待ちしております。

  • いじめによって生まれた考えについて質問です。

    23歳です。 昔中学時代、球技系の部活でいじめに遭ったことがあります。 その部活では走る練習があり、いじめが原因で普段ちゃんと練習できない分 走る練習だけは頑張るようにしていました。 しかし、そこで僕はいじめの加害者の1人を抜かさないように せざるを得ない状況になっていたのです。 というのも、そいつを抜かすと尋常じゃなくキレれてグレられて、いじめの行為をエスカレートされたからです。 明らかに抜かせる。 そいつより早く走れる。 でも、そいつを抜かすとそいつはグレれて悪口を言ったりしたような奴なので、 僕はわざと自分の力を出し切らないようにしていたのです。 これって、本当におかしいことだと思います。 自分よりも速く走れる人や上手い人がいたら、その人よりも上に行こうと思うのは極普通のことで、 向上心・競争心を持って上を目指そうとする事はスポーツをする人として、 そしてそもそも人間として全く悪い事ではありません。 しかし当時僕は出来なかった。 そいつの顔色を伺い、 「ああ・・・抜かすと何か言われるかな・・・されるかな・・」 こんなことを考えざるを得ない状況になっていたのです。 他にも似た様な感じの話があって、ある時部活にちょっと外部からコーチみたいなのが来たんです。 その人に僕はシュートとか見てもらって、 練習している時に結構褒めてもらったんです。 で、その練習の後、部活内で練習試合することになったのですが、 その時そのコーチは僕がいじめをされているような状態だと知らないので、 確か僕を比較的早い段階で試合に出す様に促したんです。 しかし、その時いじめの加害者達が僕を見て凄く嫌そうな顔をしたので、 僕はあえて試合に出たくない素振りをして、 結局出なかったか出るのをだいぶ後回しにしたかなんかをしたんですよ。 本来ならば、出たかったんですけどそのいじめの加害者達に何か言われるのが怖くて、結局僕は一歩引いたんです。 自分の実力を出すチャンスがあったのに、いじめの加害者という外的要因があったため出せなかった。。。 もう9年10年ぐらいも前ですが、こんな経験をしたんですよね。 で、その時に 「積極的に自分の実力を出そうとしてはいけない。 周りの目を気にしてビクビクしなくてはいけない」 こんな考えが、頭の中に出来てしまったんです でも、こういった考え頭の中にある限り僕は僕の可能性を広げることができません。 だって出来る時に周りの目を気にしてやらないんですから、 やったとしても自分の力を抑えるんですから、 そりゃ自分の限界はいつまでも突破できませんよね。 勿論、「俺これぐらいできるから、凄いだろ??」みたいな、そんな傲慢な気持ちでするのではありません。 純粋に、出来るからするだけです。 とは言え、よくよく考えてみると 当時僕はそんな陰湿ないじめをして来る輩がいた環境に、 自分の身を置いていました。 僕は、僕を嫌い排除しようとする輩達がいた場所にいたんです。 思うようにできなくて、当然と言えば当然です。 よって、そこで受けた経験は「そいつらだったからやったこと」なので、 そこで受けた経験を一般化して全てに当てはめる必要性は無い筈。 だから、もう当時経験したことは「その時そうだった、一過性の出来事」と割り切って忘れて、 これからは周りの目など気にせず、どんどんとできることをやって行きたいのです。 そこで質問です。 もし将来例えば目上の人で明らかに気を遣わないといけない人がいたら、 その時は空気を読んで、自分が勝てそうな時でも抑えてその人を勝たせます。 それは仕方のないことです。 しかし、そういう時以外、何か勝負する時や何かに挑戦する時は、 相手や周りの目など気にせず、どんどんと自分の実力を出して行ってもいいですよね? こんな風に、「いいですよね?」なんて聞くことはおかしいかもしれません。 ただ、自分で「そうだ!」と思っても、過去の経験が「本当にそうなのか?」と不安にさせてくるので、皆さんにお聞きしたいと思います。 では、回答の方お待ちしております。