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不器用なのでしょうか

自分が頭で考えたことを言葉にするのはできるのですが(頭の中で言葉で考えるので)、思ったことや感じたことを言葉にしようとすると、どうしても抽象的で詩的?な言い回しをしてしまいます。 例えば、「あの人はこういう人だからこうしたらいいのに」というのは、ちゃんと具体的に伝えられるのですが、「あの人はこういう人だよな~」というのは、言葉が見つからないというよりは、言葉にならなくて、感じたままに伝えると、色や触感、比喩になってしまいます(「朝っぽい人」など)。 他人に対して何か思って、ちゃんと伝えられる言葉が思いついたときには、もう伝えるタイミングを逃していたりします。 全てを映像と感覚で捉えてしまいます。 頭で考えたことは機械的に吐き出していて、心で感じたことは頭で考えられない、という気がしています。 どうしてこうなるのでしょうか。ただの不器用なのでしょうか。やはり語彙力の問題なのでしょうか。

みんなの回答

回答No.1

 語彙力の問題だと思います。  ワインの論評や映画の感想などでよく見かけるように、単に良い悪い、好き嫌いを表現するのに「~のように」という表現はお手軽に使われていますが、その元を知らなければまったく意味がない。  例えばフランスワインの「ピートがこげたような香り」とかいわれても、ピートが何か分からないんだから不親切きわまりない。  そういった表現を避けてキャラや状況、あるいは行動を表現するのが文学です。つまりさまざまな言葉の組み合わせで、豊かなイメージを醸し出すということです。例えば美人を表現するのに、「彼女は美人でした」ではまったく意味をなしていない。それを「ほっそりした指先」とか「透き通るような肌」とかの文を組み合わせて、なるほど美人だと、読む本人に納得させるということです。  ですからいろいろな文章を「これは具体的にどんなこと、どんなキャラ、どんな状況なんだろうか?」という視点で読み込んでいくことで、たくさんの表現のアーカイブを頭の中に創って行くことができます。  とにかく多読です。  私の場合は好みですが翻訳物を読みます。読んでいるときに「これはこの単語を訳した表現」とか「(具体的なことを)こういう風に表現しているんだ」といった発見がいつも見つかります。

ich5
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やはり語彙力ですか…。 そのような視点で読書したことはありませんでした! 読書でも、全てを映像に変換して取り込んでしまって…。 たくさんの表現を読んでみます。

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