• 締切済み

昔の体罰は激しいのに、なぜ子供は自殺しなかった?

戦前から戦後のある時期までは、家庭では親父に殴られ、学校では先生や先輩から殴られ、学級では友達とケンカをしてなんて当たり前だったと思います。 それなのに子供が体罰、暴力、ケンカを苦に自殺をしたなんて話、聞いたこともありません。 昔の子供は非常に打たれ強かったという感じがします。 今の子供は学校でも家庭でも地域社会でも、他人から殴られるような経験がなく、言葉の暴力にも弱く、ちょっとした事ですぐに思い悩むような気がします。 私は今の子供にタフさのようなものを一切感じません。 昔の子供と今の子供の何が違うのでしょうか? それから、この問題は領土問題や経済問題にも繋がっていく気もします。 今の子供が大人になって、中国人と国防、経済分野で対等にやりあえるんでしょうか? 事情通のみなさん、どうなんでしょうか?

みんなの回答

  • cherry77_
  • ベストアンサー率23% (291/1261)
回答No.19

>子供が体罰、暴力、ケンカを苦に自殺をしたなんて話、聞いたこともありません。 それは単純にあなたが知らなかっただけだと思われます。 実際、過去から現在に至るまで青少年の死亡原因の第一位は自殺です。 昔は体罰が容認される空気があったので、体罰を原因に自殺した子供がいたとしても、根性が無い・女々しいとして報道されることもなく無視されていたのだと思います。 最近になってようやく子供の人権問題に真剣に取り組むようになった結果、その手の情報に光が当てられるようになったというのが実情であると思われます。

  • btys1944
  • ベストアンサー率34% (19/55)
回答No.18

 今、世間では「体罰」の是非が騒がれております。 体罰と言っても、2種類に分けられるのだはないかと思っています。 「叱る」のと「怒る」のとでは雲泥の差です。 叱るのは、叱る方も冷静で仮に体罰を加えても手加減なり、1,2回程度でやめるはずです。 反面、怒るのは感情移入して体罰を加えるので、手加減もせず、気の済むまで続けてしまいます。 その結果が子供たちに恐怖心と逃げ場を失わせてしまうのです。 私は学生時代、体育系で体罰を食らいましたが、飽く迄指導者は叱ることを根底にして指導していたので、その都度納得し、 恐怖も湧かず指導者への敬意も損なわれませんでした。 確かに今の子供たちは、親を初め大人たちから叱られて体罰を与えられることに慣れてはいないのでしょう。 また昔のように、煩くしつけや道徳観も植えつけられてはいないように覆われます。 そのため自分だけの世界に引きこもり、ゲームや自分だけの世界の倫理観でしか判断できない子供が増えてきているようです。 社会性が培われていなから、自己中で打たれ弱い子になってしまう訳です。 先日の衆議院投票でも、20代の投票率は1割台だったそうですが、それをみてもいかに広義の観念が損なわれているかが分かります。 イギリスなどでは、親の体罰はお尻を叩くでけで、それも人格が形成されるまでのこととされています。 私は、子供達が高校生になってもゲンコツやビンタを張ってしかりました。 でも過程を持ち、子供が生まれた今でも、3人の子供たちは親を立て、しょうちゅう孫の顔を見せに寄り集まってくれています。 高校生にまでなって親に殴られるというのは、内心かなりの反発もあったでしょうが、決してクドクド怒らずにその場で終わりとしたので、親の愛情と受け取ったのだと思っています。 親が叱るのが子供のための躾や教育です。 特に体育系での指導では、怒るのではなく叱る体罰も不可欠ではないかと思っています。 指導者には、その境をきっちり自覚して指導に励んでもらいたいものと願っております。

回答No.17

なぜ昔の子供は自殺しなかったかというと、社会状況に原因があると思います。 昔は、社会全体が「将来は明るい。きっと未来はよくなる。」と考えていました。 今から30年くらい前までは格差が非常に少なく、一億総中流階級と言われました。 今苦しくても我慢すれば、学校を卒業すれば明るい未来が待っている、と思えれば 子供も耐える事が出来たでしょう。 現状はどうでしょう? いま耐えて学校を卒業したとしても、明るい未来があるのでしょうか? 大学を卒業しても就職難です。運よく会社に入れても、会社の中で過酷な競争に 晒されます。バラ色の人生など望めない。 東大でも卒業して国の官僚にでもなればバラ色の人生が送れるかもしれません。 しかし、東大に入学できるのも年収1500万円以上の人が7割以上で公務員の 子弟に独占されている状況があり、貧富の差が固定化しています。 閉塞された社会状況で希望を持てない社会なのです。 だったら今苦しいのを我慢しても仕方ない。 子供がそう感じていても仕方が無い状況ではないでしょうか。 大人の自殺も年に三万人以上を続けてきました。 その社会状況を子供の自殺は映しているのだと思います。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.16

そういやあ、昔は「お礼参り」ってのがあったなあ。先輩や教師も調子に乗りすぎるとやり返される可能性もありました。 友達とのケンカと先生や先輩からの暴力はまた別の話ですよ。先生や先輩の暴力はやり返せないけど、友達とのケンカはやり返せますからね。それに、昔は「コノヤロー!」と取っ組み合うと「おい、やめろやめろ」と仲裁に入る奴もいたし。「誰かが途中で止めてくれる」という確信があるから妙に安心して取っ組み合いのケンカができたという面もあったなあ。それに、小学生の頃は「お前ら、仲直りしろよ」といってくれる奴もいたし。 取っ組み合いのケンカもできない今の子は可哀想だと思いますねー。

Guan-Yu
質問者

お礼

昔は、喧嘩なんて普通で珍しくもありませんでしたよね。 友達とは、プロレスごっこなどもしてました。 今の子供もやってるんでしょうか? 先生自身も喧嘩したことない世代が多くなってるのかもしれません。 ありがとうございました。

  • anu01
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.15

今みたいにネットも発達してなきゃ、個人の情報交換手段に乏しかっただろう。報道だって今ほど自由じゃなかったんじゃないか。 暴力は絶対に駄目だね。タフとかほめる問題じゃない。人としての人権の問題だよ。

  • ssele-man
  • ベストアンサー率29% (19/65)
回答No.14

自殺しなかった、のではなく明るみに出ない様学校側が全力で隠蔽してきたから気がつかなかったのではないでしょうか。 実際にデータにも出ている様ですしね。 昔は学校は聖域と呼ばれ外部からは不可侵でした。 だから明るみに出なかったのではないでしょうか。 ただまあ、やや覇気が無い様にも見受けられます。 これは教育だけでなく時代背景も大きく関わっているのだと考えます。

  • hikokurow
  • ベストアンサー率21% (75/341)
回答No.13

昔も今も一緒です、この程度のことで自殺する奴はいるでしょ、いたでしょ、昔も今も、そして、この程度のことで自殺する奴は、昔も今も、唯単にヘタレ、根性無し、これだけのことでしょ、自ら死ぬ気であれば、その前にやることあるでしょ、それすらせずに自殺、勝手に死ねば、そんな程度の奴は、戦前戦後も現在も、一緒でしょ、要は己次第でしょ、自己責任、はい、以上です。

noname#211894
noname#211894
回答No.12

昔の先生も子供の時は喧嘩もしただろうし、親や先生に殴られたこともあるでしょう。 私もビンタは何回もあります。 そういった中で、これぐらい殴ればこれぐらい痛いとか、怪我をするということを学びます。 最近の先生、その年代の人で怒られたり、喧嘩したり、殴られたりしていない人は、何処まで の加減が判らないのでしょう。 また、自分が悪いと言う感覚もありません。 怒られても耐性はありませんから、凶暴に反発するか、沈んでしまうかになるでしょう。 マスコミも勘違いしている部分もありますし。 あいつ等の仕事は伝えることで、犯人予想や吊し上げではないと思うのですが。

  • hallo-2007
  • ベストアンサー率41% (888/2115)
回答No.11

既に回答がある通り昔も自殺や引きこもり不登校はあったと思ますが、一言 今と昔は家庭の環境が大きく違います。 昔がじいちゃん、ばあちゃんと多くの兄弟が一緒に生活していました。 学校では怖い先生も多く、カミナリ親父も怖かったです。 しかし、兄弟、保父、祖母、母親がいました。 大学進学率も低く、別に高校での部活で競争することもありませんでした。 スポーツ科なども聞いたことはありませんでしたし。 今は、家庭では少子化の上、両親共働きが多いです。 学校では競争を求められます。 勝ち組、負け組とかいう言葉もありませんでした。 それだけ生徒の負担するストレスも少なかった時代であっただけです。 昔の自分に今の教育のストレスがかかったら辛抱できたかと問われると?です。 私は、朝6時のJRで通勤していますが、そこへ私学の小学生が乗ってきます。 大人に交じって、6歳の小学一年生が何人か乗って何駅も先の学校出へ通学するわけです。 私のたちの時代と違って、親が子供へ期待するレベルは相当違いがあると思います。 今話題のバスケ体罰の問題ですが、自殺された子供の事を思うと学校や教育委員会に不満があります。 しかし、わずかでしょうが、 あの時に「バスケも学校も辞めたらいいやん」 と一言、声をかければよかった という思いが親の方の心にはあるのではないでしょうか。 >今の子供が大人になって、中国人と国防、経済分野で対等にやりあえるんでしょうか? 今の子供に心配していることですが、今の大人(先生)は隠ぺいするのが当たり前みたいな 指導をしてしまった。 将来、国防や経済にも興味がなく、悪いことをしても隠ぺいすればよいとか 上の言うことを聞くばかりで自分で考え、行動することをしない大人になる事を心配します。

回答No.10

私も親に殴られ、友人と殴り合いの喧嘩をした世代で、東京の学生運動の様子を物心付き始めた中学生の頃に学窓から直に眺めた最後の世代だろうと思うのですが、子供の自殺は今も昔もありましたよ。 でも、肉体的暴力の場面や事故などが圧倒的に多いので、精神的に追い詰められて自殺に至る例が霞んでしまっていたのだろうと思います・・・単なる事故、例えば鉄棒やブランコから飛び出して頭から墜ちたとか橋から川に飛び込んで頭を打ったとかによる死亡事故とか 2B Cracker の類で指を飛ばしたとか肥後守で指を切ったといった事故が数多くありましたし・・・。 >今の子供が大人になって、中国人と国防、経済分野で対等にやりあえるんでしょうか? 軍事衝突に関しては杞憂だろうと思います・・・起きないと言うのではなく、起きても戦うのは海保と空自及び海自ですから。 理由なき体罰は単なる「いびり」であり、教育的価値など何一つ無く、精神的 Stress から精神障害を引き起こすものですが、軍隊に於いてこの手の「いびり」ばかりやっていてまともな耐久訓練など行なっていそうもない筆頭が「問題となっている共産圏」や「それに柵封されることを示したお隣りの軍隊」でしょう・・・だからお隣りは徴兵を終える頃には大半が精神障害を抱えるようになっているようです。 これらの軍隊と海保や空自、海自を比較すれば、質に於いて何ら心配はないと言えるでしょうね。 政治経済の駆け引きはどちらかと言うと「いびり」にも似た権謀術数の技術が含まれますので。これはどうなんでしょうねぇ(笑)。 実直で質実剛健な Leader よりもイビリ上手、イヂラレ上手で、のらりくらりと躱しながらもじわじわと相手を窮地に落とし込んで行けるような辣腕家、国民さえも手球に取られていつの間にか外交的に有利な方向に外務省が話をまとめる方向に誘導できる政治家とか経済指導者が望まれるのでしょうね。 実力がないことが白日の下に曝された挙句、後足でその後も汚しまくっている前政権の国民の騙し方なんて或る意味、凄い手腕だなとも思いますが、それで日本をダメにされてしまっては元も子もないのですが(滝汗)・・・。 取り敢えず日本は実力がないと判ったら叩きまくって更迭するという Pattern ですので、いつまでも無能な者が政治経済の Leader でいられる環境ではないところが安心できるところなのですが、いつまで経っても実力のありそうなのが出て来ないという Dilemma もあります(笑)。 政治家や経済界の指導者は或る意味のらりくらり型の掴みどころのない者でも良いのかも知れませんが、実務担当の省庁管理職は少なくとも Debate の技術ぐらいは持ちあわせて欲しいものですね。・・・特に外務省や大使館、領事館は、能なし政治家の接待に明け暮れていないで、膨大な機密資料を読み解いて権謀術数を張れる才覚の持ち主が率いて欲しいものです。 今の子供達の 1 万人に 1 人でも良いからそうした才覚の若者が輩出されれば日本は安泰です。 USA ってそういう国ですから(笑)・・・数万人の学生がいる一流総合大学でもどちらを向いてもバカばっかし(笑)・・・でも何人かはとんでもない天才だったりするもので、それに近い秀才で尚且つ家柄 (Connection 力) に優れた者達が Fraternity を通じて Network を張り、国を動かしています。・・・2 億人余りいる国なので 1 万人に 1 人、できる奴がいればできる奴の合計は 2 万人以上いることとなり、彼等の Network は驚くほど強力です。 日本も 1 億 3 千万人いるのですから 1 万人くらい頼りになる辣腕行政官を生み出す教育 System にして欲しいですね。

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