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「体罰」問題についてどう思いますか?

最近、よく聞く話ですが・・・ 教師が生徒をたたくと「体罰」になって、 廊下に立たせても「体罰」 (実際に暴力を伴わない行為までこの言葉で一括りにする事自体おかしいと思いますが) で挙句の果てに怒鳴ることすらいけない事にされているとか。 で、自称良識派の人が 「体罰ではなく対話で解決しろ。 口で言ってわからないことを体罰でわかるわけがない」 と主張するのを目にする機会がままあります。 現在も未成年の自分の実感として 「殴られて初めてわかる事」は大いにあると思います。 人間が何でも口で言うだけで理解できる賢い生き物なら 戦争も犯罪もテロもこんなには起こらないでしょう。 まして相手は子供なのです。 そもそも「対話」と言っている人達は 実際に現在の学校の状態を理解していません。 生徒は教員をナメています。対話以前に話し自体聞く意志が全くないのです。 僕の中学は比較的平和でしたが、他の地域の中学から同じ高校に進んできた 友人の話を聞くと 「授業はボイコットされ、教員がぶん殴られて泣き出す」 といった有様だったようです。 こんな状況でどう対話するのですか? 「話せばわかる」とでも言いながら延々とぶん殴られ続けるんですか? 昔、日本の学校がかなり荒れていた時期 ちょうど高校生だった先生に聞いたのですが その時期の学校では半分やくざのような 木刀を持った体育教師が闊歩していたそうです。 もちろん、今の学校をそうしろとも 言う事を聞かない生徒を滅茶苦茶にぶん殴れとも言いません。 ただそこまで行かない範囲内ではある程度の事(叱るとか廊下に立たせるとか)は必要だと僕は思います。 みなさんはどう思いますか?

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回答No.1

私的に体罰はやりすぎなければ悪くないとおもいます。 といいますか、よく思うのですが体罰という言い方が悪いです。 この言葉を聞くとまず悪いことを想像させます。 愛のムチだとおもいます。 子供はまだ自我が強い人間で心は大人ほど成熟していないとおもいます。 こういうことしたら相手がどんな気持ちになるのだろう…と真剣に考えることはせず、むかついたから殴った!とか、とりあえず自分中心に行動しているとおもいます。 それをまず口で説明するのは当然です。 ですが、子供に大人が怒っている真の意図は分かっていないことが多いとおもいます。 例えば、ある子がある子をたたいたとします。 怒られたのは、殴ったから。その程度は理解できます。 ただ、その子が何度も何度も人を傷つけたらどうでしょう。 なぜ殴るのかを説明しても同じ繰り返しです。 むちゃくちゃ殴るわけでなく、先生がしかる程度でゴツ!っとたたくと、痛い!といって、お母さんに告げ口します。 ただ、その子は他の子を殴ったのです。たたいたのです。手は出してなかった場合でも心を傷つけました。 その子は初めてそこで、痛い!殴られたら痛い。と認識します。 それからの先生の熱い気持ちはさておいて、その子供は痛いを認識しました。大きな一歩です。 親、先生から殴られて育った人は大きくなって、自分の子が殴られてもさほど気にしませんが、殴られもせず、愛情のみを注がれて育った人は子供が体罰を受けたことについて激しい憤りを感じます。 なぜなら自分はそうされてないから。 虐待を受けた子はその人が大人になって子供が生まれたら虐待をする確立が高くなるのと同じです。 今は、体罰を受けていない子が育っているので、その子が親になるあと20年後はもっともっともっともっともっともっともっと先生の肩身が狭い位置になるとおもいます。 これからは触らず、気にせず、悪いことは見てみぬふりでいく時代がきますね…。

hiroshyu
質問者

お礼

長文でのご回答、ありがとうございます。 >愛のムチだとおもいます。 そうですよね。よく学校でも 「みんなが憎くてこんなことを言っているんじゃない」 と言われます。 教師が殴りたくて殴ってるなら話は違うと思いますが 教師は生徒に憎まれながらも生徒のためを思って 泣く泣くたたくのではないかと思います。 >その子供は痛いを認識しました。大きな一歩です。 実際に小さかったころを思い返してみると たたかれた時に初めて「ああ、僕は悪いことをしたんだな」 と実感した覚えがあります。 >これからは触らず、気にせず、悪いことは見てみぬふりでいく時代がきますね…。 悲しいですが・・・どうしようもない事なんでしょうかね・・・

その他の回答 (8)

  • aimaimi
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回答No.9

No5です。 私もNo8の回答者様と同感です。 叩かれている本人が理解していなければいけないと思うんです。 なので話す事がとても重要になると思います。 ただ話すだけで良いとは思いませんが、叩くならせめて叩いた真意を伝える事は必要だと思います。 その場は納得できなくてもいずれ理解してくれると思います。

  • --neiro--
  • ベストアンサー率15% (22/139)
回答No.8

体罰を受ける側の気持ちの問題を忘れてはいけませんね。 同じように先生に叩かれたとしても、叩いた後、道理を説明し、語りかけてくれる先生と、ただ感情的に叩くだけの先生がいたとして、前者の先生には尊敬の念を抱きますが、後者の先生の場合、反感の思いしか沸きませんね。 体罰を受けた側がちゃんと納得出来るかどうか。 これが体罰と虐待の違いですよね。 小さい子は得に敏感だと思いますよ。そういうところは。

hiroshyu
質問者

お礼

>叩いた後、道理を説明し、語りかけてくれる先生と、ただ感情的に叩くだけの先生がいたとして、 そうですね~。実際に僕の小学校時代にも 「生徒のあら捜しをして、ただ感情にまかせてたたく」 ヒステリックな女教師がいました。 そういった教師にはみんな反感を持つばかりで誰も 「たたかれた」という事から何も学ぶことができませんでした。 たたいた後に真摯な態度で生徒と向き合えるかが大事ですよね。

  • kurupin
  • ベストアンサー率24% (125/511)
回答No.7

 話してもわからない相手をどうしようかと言う時に「話せばわかる」ですか?禅問答をしている暇もないと思うのですがそういう人は時間がたっぷりあるのでしょう。  「言って聞かなきゃ殴ってでもわからせる。」 当たり前の大人の作法です。人は生まれながらに博愛主義で善悪の判断や暴力の価値を等しく共有しているわけではありません。ましてや「躾け」の為に用意された時間は永久にあるわけではありません。  限られた時間の中では「これをやったらやばい」というある種の「恐怖」を植えつける事でしか物事を理解させることができない状況が必ず出てきます。そして場合によっては物理的な「力」をしかも効果的に行使しなければならない局面に遭遇するはずです。大人は常にその時の所作を考えておくべきだしそれについて考える努力を怠ってはいけません。  がしかしそうはいっても物理的な「力」の行使にはリスクが伴います。わけても教師であるならば教員免許以外に「技術」を含めたプロとしての「資質」も当然問われるべきです。では実際問題として今の教育現場で「殴り方」を熟知している教師が一体どれほどいるでしょう?  今や国も地域も学校も家庭も「体罰」と「虐待」の区別もまともにつかないマヌケな大人で溢れかえっています。その中において拳に「痛み」以外の「重み」を込められる教師など滅多にいるものではありません。  

hiroshyu
質問者

お礼

>ましてや「躾け」の為に用意された時間は永久にあるわけではありません。 学校という特異な環境下ですからね。先生は一人で 何十人もの生徒を面倒見るわけですから やはり限界はありますよね。 これからの少子化というのもいい方向でこういう問題の解決の糸口になってほしいものですが・・・ >今や国も地域も学校も家庭も「体罰」と「虐待」の区別もまともにつかないマヌケな大人で溢れかえっています。 下の方でもお話を聞きましたがしっかりと 「なぜたたくのか」を説明してあげることが大切なんですね。

回答No.6

わたしは水泳を10年以上やってましたが、所属してたクラブが超スパルタだったんですよ。 男子も女子も関係なく、竹の棒の先にコースロープの部品をつけたもので気合を入れるために頭とかお尻をはたく。これがめちゃくちゃ痛い。あとげんこつ。タイムがヘボいとやられる。目から火花が出るんだ。マジで。泣いてもダメ。トホホ(今じゃ何とも思ってないけどね)。 でも練習終わったらコーチとも普通だったよ。親も席で見てるんだけど「もっと厳しくお願いします!!」とか逆に頼んでるし。おいおい(笑)。やめてくれ~。でもオリンピック目指してる人もいるようなところだったから真剣だったな。 今はどうなんだろう。まだやってるのかな。最近よく体罰がどうのこうの言ってるの聞くようになったけどぬるくなったな、と思う。まだわたしの頃と10年くらいしか経ってないのに。

hiroshyu
質問者

お礼

そうですね~、普通の教育現場とその 「オリンピック目指してる人もいるようなところ」 では少し話も違うかもしれません。 ただやはりそういった環境の中にいると目上の人に対する 接し方が全然違ってきますよね。 今の学校でも一部の運動部は非常に厳しいルールがあり(僕は所属してませんが)、 そこの人たちは先輩や先生(顧問以外でも)に会うと必ず 深深と頭を下げて挨拶をします。 やはりそういった礼儀をわきまえる精神は大切ですよね。

  • aimaimi
  • ベストアンサー率37% (196/519)
回答No.5

私は、虐待は反対ですが、懲らしめの為のムチは必要だと思います。それは早ければ早いほど良いと思っています。 小さな芽を摘むのは簡単ですが、大きな目を摘む・・大きく成長した子供を矯正するのは並大抵ではないと思うからです。 ただ懲らしめと言う名の虐待によって多くの子供が死亡したりするのを見て子供を親が私物化している事が原因かなと思いました。 その場合、感情だけが子供には伝わって肝心な教えの部分は全く伝わっていないのではないでしょうか? 私自信も虐待されて育ちましたが、感情と憎しみだけを感じとっていました。 なので自分の子供を叱る時には、理由を言います。納得するまで話した後に体罰(お尻ぺんぺん)しています。時にはかわいいお尻を叩いて悲しくなって親子で抱きしめ合って泣いた事もあります。それは1才~3才までに徹底的にしました。 その後は、だんだんと叩く事がなくなりました。 話だけでも十分に通じるようになりました。 なので子供の懲らしめは差し控えるべきではないと痛感しています。 そして先生にも時には叱ってもらう、叱っていただくと言う感覚をもっています。叱られても子供は自分の都合の悪い事は決して言わない事も十分承知して子供の話を聞かなければいけないとも思っています。 ほとんどの先生は子供の為を思って叱って下さっていると思うからです。先生方に感謝しています。 なので大きくなってから矯正しようとして今は問題が複雑になっている気がします。

hiroshyu
質問者

お礼

>大きく成長した子供を矯正するのは並大抵ではないと思うからです。 そう、思います。小さな子供だからこそ心を鬼にして時にはたたく事も必要になるのだと思います。 >なので自分の子供を叱る時には、理由を言います それが大事なんですね。「なぜたたかれたのか」を子供に考えさせることが やがてその子の人間性を作っていくんですね。 >なので大きくなってから矯正しようとして今は問題が複雑になっている気がします。 確かに、高校生やら大学生になったら「体罰」どころではないですもんねぇ・・・ 一時期17歳の犯罪が連続したことがありましたが彼らはきっと 「なぜたたかれたのか」を考える機会を持てないまま大きくなってしまったんでしょうね・・・

noname#16816
noname#16816
回答No.4

今の世の中は簡単に言うとこんな感じでしょうか。 悪い事をしても先生は激しく怒ることが出来ない。 しかし度が過ぎると"国"によって体罰をうける。 それは打撃系のものではなく反省と指導の意味もこめて 閉じ込めるというもの。 しかしとっても悪いことをすると死刑という残忍極まりない、究極の体罰が待っている。 お国は「体罰はやめろと」云っているのにこのお国は究極の体罰を行っています。 しかしこのお国を動かしているのは私たちです。つまり私(あなた)が死刑という殺人(体罰)を行っている・・・ ちょっと脱線してしまいましたね。ごめんなさい。

hiroshyu
質問者

お礼

う~ん、死刑とはちょっと別問題ですかね。 教育問題と刑法の問題ですので。 しかし、死刑というのは子供一人に対して行われる 体罰に対して社会全体に向けられた 「悪いことをしたら罰せられる」という意味をこめた メッセージでもあるのではないでしょうか。 と、ちょっとこじつけてみました。 これ以上は脱線になってしまうのでまたいつかここで 新しく「死刑問題について」と別にアンケートをしてみた方がよさそうですね。

回答No.3

おっしゃるとおり今の子供は大人をナメてる部分はありますよね。 それはそう教育してきた大人が悪いと思います。私は今26歳ですが、私が幼い頃常識だとされていたことが今は非常識になっていたりします。 今の教師は怒られたことがないから怒り方をしりません。なので加減を知らないのです。それが過剰な体罰へと発展する原因でもあると思います。 全ての教師がそうであるとは言いませんが、少なくともただ教員免許だけ取得して教師になった人が反抗期の子供あいてにまともな授業が出来るわけありません。もっと内容の濃い人生を歩んできた先生が少なすぎです。 悪いことをしたら怒られるというのを大人がもっとちゃんと教えるべきだと思いますね。 ちなみに今の小学校では給食を残しても怒られないそうです。私が小学生のときは嫌いなものが食べられなくて掃除の時間になっても席についてる子が居ましたけど今は違うみたいです。っていうか給食を作ってくれた人に失礼ですよね。そういうことを大人が教えていかなければならないのに・・・

hiroshyu
質問者

お礼

>私が幼い頃常識だとされていたことが今は非常識になっていたりします。 よく親からも話を聞きます。 「私が子供のころは先生というのはこんなに権威のない存在ではなかった」 とか。物事を教わる「師」という認識がないんですね。 >悪いことをしたら怒られるというのを大人がもっとちゃんと教えるべきだと思いますね。 そのとおりだと思います。「悪いこと」という意識を持たない子供が 大きくなって犯罪に走るのでしょうね。悲しいことです。

noname#19691
noname#19691
回答No.2

体罰って理由のない暴力や理由があっても過度の場合を いうと思ってます。 でも、年齢に関係なく、子供といわれる未成年の間、 大人がきちんとしてイイコトと悪いことの区別を教え、 そのためにしつけとして叩く・きちんとしかることは、 必要な範囲内で、大切だと思います。 最近の親御さんは自分の子どもを叱らない・叩かない・ 良悪を教えない(電車内で走り回っていても泣いていても 笑ってますし)のに、教師が手をあげたり叱ったりすると、 うちの子を…と怒るのは筋違いですよね。 子どもを教師にゆだねすぎだし、子どもやその親が怖くて 叱れない叩けないという教師も情けないと思います。

hiroshyu
質問者

お礼

> 体罰って理由のない暴力や理由があっても過度の場合をいうと思ってます。 そうですよね。なんでもかんでも「体罰」ではないと思います。 しかるべき理由があって仕方なくのことですので 「体罰問題」なんて言い方自体がおかしいと僕も思います。 >叱れない叩けないという教師も情けないと思います。 学校側も世間体からかクレームがきたら実際に教師を罰してしまいますからね。 みんな自分がかわいくて子供をどんどんダメにしていくんですね・・・

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