• ベストアンサー

体罰

体罰については十分な議論があると思います。 少しは有意義な議論をしたいものです。 いろいろな意味の日本人の幼稚化は問題視されています。 諸外国の体罰はどうなんですか?日本以外も体罰禁止してますかね? 体罰がないと子供が言うこと聞かないのではないか?大人をなめるのではないか? どうすれば体罰にみんながけちをつけない社会になるのだろうか? 体罰を堂堂と行って保護者がけちつけない学校は日本にあるのか? ご意見お願いします。

noname#183911
noname#183911

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.3

体罰込みの教育を必要とするかどうかは、教育を受ける側の成熟度に依存します。 質問者が言うように学校教育の空洞化(=幼稚)も顕著なので、馬の調教のように 体罰込みの教育を受けたければ、子供の躾をしなければいい。馬鹿なガキにいちいち 心身を削るのは教師側としても愚かしい。また、学校教育が教育ではなく、施設管理に 留まるレベルで認識されれば、体罰も大した問題ではなくなります。調教ですな。 これは公立だから私立だからではなく、教師と生徒と保護者のそれぞれの質の問題に なります。ただ、日教組のような教育業界の癌も存在しますので、教師や教育委員会を 完全に信用する事はできない。結局、病院と同じですな。 体罰込みの教育は意外と難しい。それこそ免許制にしてもいいかもしれません。 まあ、教育業界の改善を謳うならば、教員免許取得の条件から見直さなければならない。 悪くなるのはすぐだが、善くなるには時間がかかります。

その他の回答 (2)

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

 理解させることもできないのに体罰をする側の幼稚。プロであれば、痛めつけ方はドツかなくても可能です。

  • necolip
  • ベストアンサー率23% (79/336)
回答No.1

体罰は必要だと思います。 ですが、加減ってものを知らない教師をどうにかするのが先ですね。 そうしないと打ち所が悪かったりすると死んでしまう生徒が出てきてしまいますし 精神的に生徒が追い込まれるとそれこそ自殺してしまう生徒も出てきます。 ま、自殺に関しまして私情としては弱い人間は勝手に死ねばいいと思うのですが。

noname#183911
質問者

お礼

スパルタという言葉がありますが、この国はま逆ですね

関連するQ&A

  • 体罰について

     最近、「体罰はOOだからあってはならない事だ」というような感情的な話題をよく見聞きしますが、体罰の定義と、そのメリットデメリットをしっかり議論しているところを見たことがありません。  たとえば、いじめのようなものや、些細なことによる純粋な暴力、あるいは昔からある規則違反による罰等をひっくるめて考えているような気がします。そもそも刑法での禁固刑や死刑は体罰とだと思いますので、学校での体罰がなぜいけないのかと思うのです。いじめや単なる暴力はよくないと思いますが、すべての体罰が悪いとは全く思えません。定義が大切だと思います。間違っているでしょうか、教えてください。  また、体罰は本人にメリットがない、という話はよく聞きますが、体罰の効果は第3者に対する抑止力だと思っています。この事も学校以外での一般社会での刑罰の目的の一つだと思うのですがなぜ体罰で議論されないのでしょうか。ご存知の方は教えてください。

  • 体罰をしてしまいました

    新採用の小学校教師です。 新採用だというのに、口で言っても効果がない児童に対して、頭を平手でバシッ!・・という体罰をしてしまいました。それも2日に1回くらいの頻度で。 対象となったのは2人の男の子。口でいくら言ってもヘラヘラしており、2人とも保護者の方も手を焼いているほどの子です。 ・・といっても、「体罰は禁止されている」ということは重々わかっているのですが、つい手がでてしまいます。 しかし、今になって急に怖くなってきました。 保護者からクレームがでたら、やはり体罰はいけないことだし、言い訳はできないな・・とか、新任なのに体罰なんてして、採用取消になったりするのでは・・と。 こちらも真剣に怒っているからこそなのですが、やはりいけないことなのでしょうか。 「体罰禁止」というのは重々わかっていますので、心理的な観点でお答えいただければ幸いです。 また、実際に同じ経験のある方や、教師の方にお答えいただきたいと思います。 よろしくおねがいします。

  • 教師の「体罰」について

    学校教育法11条によって体罰は禁止されていますが、教師による体罰は何故禁止されているのでしょうか? 私自信、体罰は決して良くないと思っていました。 しかし、養護学校の先生にお話を聞いたところ、知的障害の子どもの場合、言葉や動作だけではどうしても意思が伝わらず、手を上げざるを得ないという事を仰っていました。そのような観点から私自身、体罰の是非について明確な考えがもてなくなってしまいました。 障害児教育に限らず、普通教育についてで構いませんので、みなさんの教師による「体罰」の是非についての意見をお願いします。

  • なぜ戦前に体罰禁止が解除されたのですか?

    日本の学校において1879年に制定された教育令第46条で初めて体罰が禁止され、現在も禁止されています。ただ1885年から1947年までは体罰禁止が解除されています。なぜ解除されたのでしょうか?

  • 体罰はしつけであり、暴力ではない」と考えなくては

    「体罰はしつけであり、暴力ではない」と考えなくてはならないのでは ・親から虐待を受けた子供の心は非常に不安定な傾向が顕著。 ・逆に親から全く体罰も受けずに育った子供の心も非常に不安定な傾向が顕著。 ・相対的に体罰を受けた経験を持つ子供は心理的に安定傾向にある。 世界のいくつもの国で子供の成長に関する調査で上記のような結果が出ています。 私はこれらの実態を知って「体罰はしつけであり、暴力ではない」と思うように変わりました。 体罰と虐待は全く異なる存在と考えなくてはならないということです。 多くの調査では「子供の躾として身体的苦痛を罰として与えること」を体罰としており、「お尻を叩く」「頬を叩く」「頭を叩く」といったものが主な体罰です。また直接的体罰ではなくても「どこかへ閉じ込める」「食事を抜く」「大きな声で子供を怒鳴りつける」などの罰も体罰としているところもありました。 私は少し前まで「もう体罰は禁止で暴力って話にした方が手っ取り早いな」とか考えておりました。 しかしそれは、今から考えれば年中テレビで流される虐待問題にヘキヘキして、あまりものを考えずに判断していたからだと思います。 「言葉のわからない子供にはある程度の体罰が必要だ」というのは経験則としては昔から多くの人から言われていたことではありましたが、子供の成長にはある年齢層には体罰が必要であるようです。 ある学者さんは「言葉のおぼつかない子供で自らの意志で積極的に行動する4歳~10歳ぐらいまでは、一定程度の体罰を認めなくてはいけない」と話をしています。これは、悪いことをした子供に、子供にわかるレベルで明確な意思表示が必要なためとのこと。 むかしは体罰当たり前で、現在の価値観では虐待とみられるような教育も普通に行われていました。 冷静になって考えてみれば、そんな中で普通に立派な大人に成長している人が大多数です。 昔は体罰が当たり前で肯定的な意見が多数でしたが、現在はその逆であり、そのことでメディアの情報が変調してしまっているようです。 例えばヘレン・ケラーなどの話は今では虐待や体罰を肯定しているとして、テレビで放送することすら困難なのだとか。おそらくこういった一方的な情報の遮断により、私を含め多くの日本人が体罰も虐待と思い込ん来たのではないでしょうか。 またスウェーデンなどは1960年台から体罰を法律で厳しく禁止していますが、今でも酷い虐待事件が起こっており繰り返されています。 OECD統計を観ているとスウェーデンを含む高福祉国家は虐待が少ない傾向にありますが、高福祉国家間で体罰を厳しく法律で禁止されている国 と 体罰を禁止していない国 を比較しても、どちらも同じぐらいの虐待事件が起こっており問題の処方薬にはなっていません。 統計を観てわかることは ・虐待を確率的に減らすには、貧困対策が最も効果的。 ・体罰を禁止しても虐待減少には繋がらない。 ということです。 またある心理学者が「子供は親から明確な善悪を示されることを欲している」といった類の話をしています。本能的に人は悪いことを拒絶し、良い行いをしたい気持ちを持っているが、良いこと悪いことの定義は本能的なものではなく、社会や文化に起因するとのこと。 そこで親が叱らない教育などをして、時に子供を大きな声で叱りつけたり、身体的刺激によるメッセージとなる体罰などを禁止して接し褒めてばかりいたりすると、論理が通じない子供にはまるで理解できず、子供の心は虐待を受けた子供と同じように不安定になってしまう と考えられるとのこと。 またこれらを裏付けるように、アメリカの刑務所の囚人からの聞き取り調査の結果は「親から虐待を受けて育った人」が多い中、同じぐらい「親から叱られることなく、全く体罰の経験がなく育った人」が多かったとのこと。 体罰を全否定していると、そのことによって多くの子供が精神的に不安定に成るというかたちで被害を受けることになってしまうのではないでしょうか。

  • 体罰をしてしまいました

    特別支援学校の講師1年目です。 小学5年生のクラスに所属しています。 今日、学校で体罰をしてしまいました。 こんなところで質問していいものか本当に悩んだのですが、色々な人の意見が聞きたいので相談させてください。 経緯は以下です。 休み時間中にクラスの子ども、A君を指導していました。 A君の知的な発達段階は1、2歳です。 すべきことをしないで遊ぼうとしたので、「今は○○するよ」などと伝えてはいましたが嫌なようで、次第に反抗的な態度を見せるようになりました。 A君は人に向かって唾を吐きかけることがあり、それは普段から厳しく禁止されていましたが、このときA君は私に唾を吐きかけ、笑っていました。 1度目はA君の体を強く持って怖い顔をし、目を見て「だめです」と言い、A君は反省した様子はなかったのですが、「ごめんなさい」をしました。 けれど私がまた「じゃあ○○するよ」と次の行動に誘うと、再び唾を吐きかけました。 瞬間に私は手が出ていました。 本当、まさに条件反射で、自分で自分が何をしたのか一瞬分からなかったくらいです。 私はA君の頭を平手ではたきました。 痛いほどの力は込めてはいませんが、A君は突然のことに泣き出しそうになりました。 とっさに私はA君の頭を両手でぐしゃぐしゃし、まずは唾を吐きかけたことを謝らせ(素直に謝りました)、次に「先生もたたいたの悪かったね、ごめんなさい」と言いました。 納得したようだったので、「じゃあ○○しようか」と次の行動に誘うと、素直に動き、そのあとは笑顔でくっついてきました。 体罰を容認する意見も聞くことがありますが、私は断固体罰否定派で、どんな場合でも教員が子どもに体罰を加えるなどあってはならないことだと思っていましたし、今も思っています。 法律で禁止されているからというよりも、自分の信念からです。 そんな信念をもっていたにもかかわらず、私は子どもに手を挙げました。 A君に申し訳ないと本当に思います。 A君は「先生にたたかれた」とお母さんに口で伝えることもできません。 たたいたときは何も考えていませんでした。 うまく言えないのですが、「切れた」というのともちょっと違う感じです。 唾を吐きかけられること自体は今までに何度もあったことなので、特別腹が立ったということもありません。 どうしてこんな行動をとってしまったのか、自分にも分からないので、今後絶対に手を上げないという自信が持てません。 適切な指導でないことは明白であるのに、指導の効果だけはあったことが逆に怖いです。 ここまで読んでくださったことに感謝します。 率直な感想を聞かせてくださると幸いです。 また、教員の経験がある方にうかがいたいのですが、体罰を加えることを是としているような教員は論外にしても、「よい先生」と言われるような先生でも体罰を加えた経験はあるものなのでしょうか? 私は今年度が終わったらもう教員をやめた方がいいのではないかと思っています。 私のような者が目指してよい職業ではないような気がします。 やめた方がよい、続けても大丈夫だ等の意見をお聞かせください。 よろしくお願いします。

  • 体罰で教師が辞職??

    今日、「ガッコの先生」というドラマを見てて、ちょっと疑問に思いました。このドラマに限らず、最近の学校関係のドラマで生徒に体罰をした先生が辞職に追い込まれています。そういうとき、PTAや教育委員会が「こんな先生はやめさせるべきだ!」と言っているシーンを見ます。こんなことはやっぱり、ドラマの中の世界だけの話なんのでしょうか?それとも、現実の学校でも似たようなことがあるのでしょうか?教師の個人的な都合で体罰を加えた場合、辞職に追い込まれるのは仕方がないと思います。ドラマの中の体罰は子供が間違った方向に進むのをとめるための体罰だと思います。あれでやめさせるのはどうなのかなと思います。  もうひとつ質問をさせてください。体罰という言葉の定義はどういう意味なのでしょうか。生徒に暴力をふるうような直接的なものはどこまでが体罰なのでしょうか。「グランドを走って来い」や「長い髪の毛(茶髪)を無理やり切る」というような間接的なものは体罰ということになるのでしょうか?  先生も人間なのでその日の感情で行き過ぎた体罰が存在することもあると思います。そこで、教師への懲罰の基準はどのような感じなのでしょうか。学校関係者の方や私のこの疑問に対して意見をお持ちの方からの返答を待ってます。どうか広いご意見や回答をお願いします。私は体罰を見たことはありますが、されたことがないので先生をかばうような意見になっているかもしれません。この質問内容を読んで気を害した方がいらしゃったら、すいませんでした。

  • 体罰をなくしたところで生徒の自殺は無くならない

    今回の高校生の自殺の件ですが、今の日本の世論は体罰を振るった教師一人をA級戦犯にしたて、事態の巻く引きをはかろうとしていますが、本当にそれでいいのでしょうか!? そもそもあの教師はなぜ、体罰を振るったのでしょうか? そして、自殺した生徒は体罰という暴力を振るわれながら、なぜ、部活を辞めなかったのでしょうか? 自殺した生徒が通っていた高校はスポーツ強豪校です。 体罰を振るった教師は学校、大阪市、地域社会からも全国大会で好成績を残す事を期待され、教師自身も期待に応えなければならないというプレッシャーを感じていた事だと思います。 自殺した生徒自身も期待に応えなければなければというプレッシャーを感じていたでしょうし、好成績を残さない限り大学進学も難しい、その上、就職の事までも不安に感じていたかもしれません。 学費免除のスポーツ特待生ならばなおさらそう思うでしょう。 これはある意味、社会、学校、家庭を含めた日本社会全体が体罰教師を生み出し、生徒を自殺に追い込んだのではないでしょうか? 今回は体罰で自殺とメディアが大きく報道しましたが、体罰がなくても、スポーツ特待生がケガなどで競技が出来なくなり、夢を失う事で自暴自棄となり自殺という事も普通にありえる事だと思います。 これはスポーツに限らず、受験に失敗し自殺する場合も同じようなものです。 このような場合は、メディアの扱いも小さく、社会的問題にもならないでしょう。 高校野球などもそうですが、日本の社会は素人である、たかが子供のスポーツをまるで国民的関心事のように大々的に扱い、全国大会で活躍した生徒をスター扱いしすぎだと思います。 高校生の子供の活躍に過度の期待をしなくならない限り、生徒の自殺は無くならないと思います。 事情通のみなさん、どう思いますか?

  • 体罰賛成論者

    では決して有りませんがしかし悪い事すれば口で言っても聞かない場合は怒りますし、それでも聞かない場合はお尻ぺんぺん有る程度の体罰は必要悪だと思います。怒れない親がいる現在の親のモンスターペァレンツなる我が儘な親のおかげで子供まで、我が儘放題で学校崩壊を招いてしまいました。全ては不況が招いた日本社会のヒズミだと思いますが、しかし今回の大阪の桜宮高校のキャプテンに対する顧問の体罰は余りにも度が過ぎているのではないでしょうか?一度くらいの体罰は解らなくもないですが 同じ子供に必要以上に 何度も繰り返しの体罰は常軌を逸していませんか? 顧問は愛情の積もりかも知れないが 何回も繰り返しの体罰は虐待ではないでしょうか? もはや 明らかな犯罪で有ります! 永井哲朗教育長、長谷川教育責任者の責任問題並びに校長、直接担当顧問の名前を明らかにし、社会的責任をこのまま取らせないのでしょうか? 今回のこんな顧問のおかげで また学校関係者、直接指導する先生達が体罰反対論者で子供達の我が儘が復活し、学校崩壊に戻りはしないか? それが心配です。

  • なぜ体罰を振るう教師がいるのですか?

    まず、体験から。 社会科の授業中、先生が「いいか、これからちょっと無駄話するからな」と無駄話はじめた。 それで私はノート取るのが遅いので黒板の内容を取っていた、そのとき、鉛筆で定規が真っ黒に汚れたので定規に消しゴムをかけた。 すると先生が鉄パイプ(金属製に椅子の脚の折れた部分)でいきなり私の右頭を殴りつけ「てめえ、俺の話きいてるのか」と言った。 休み時間になって水道で冷やしても少しも痛みが取れない。 2時間続きの授業だったので濡れハンカチを頭に乗せて授業受けたら、今度は左頭を鉄パイプで殴りつけ「おまえ、それは俺に対する当て付けか」と言われた。 もう冷やす事も許されなかった。 こぶはいまでも両頭い残っています。 当時親に言っても相手にしてくれなかったし、当然訴える能力などありません。(法律では当時から体罰は学校法律法で禁止だったらしいです) 最近のそことを市の教育委員会に手紙で訴えたら「昔のことであり、どうにもできない」と返事が来ました。(時効らしいです) そこで質問なのですが、一般社会では理由がどうであろうとも法律に違反したら罰せられるし、そういう発言をネットでしただけでも叩かれますよね。 オタクロリコンキモイとか なのにどうして教師の体罰だけは教師や教育学部の学生自身が「愛のムチ」と言って公言、正当化してるのですか? 生徒のためとか体罰で生徒が立ち直った、子供は殴ってくれる大人の存在を欲してるといいます。 だったら、18歳未満の女性に対する淫行も「向こうが望んでいる」と言えばいいですよね なんでいい大人の教師が平気で法律違反行為を主張しても叩かれないのですか? その辺の世間の心理を知りたいです。