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赤紙(召集令状)と入営通知書の違い

pem42391の回答

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  • pem42391
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回答No.9

No.8の続きです。だんだん結論に近づいてきているでしょうか。「召集令状」や「現役兵証書」は役場から手渡しであるのが大原則ではあるけれど、やむを得ない事情の場合は電報による通知や封書での郵送(ただし十分な配慮がされている)もあったということが、質問者さん自身の努力のおかげで確認できました(ハガキによるものはまだ未確認です)。今度は入営通知の件です。 > 入営通知書というのは「入営を命ず」と書かれた書類の総称であるらしい いずれにせよ、一番最初の質問だった「入営通知書」というのは正式な名称ではなく、一部の人による俗称あるいは通称の域を出ないということでよさそうな気がします。いかがでしょうか。 > 具体的には「現役兵証明書」と「入営命令書」 「入営命令書」の根拠らしきものが見つかりました。そして「入営が間近くなると入営命令書が届くシステム」というyoshinobu_09さんの考えは正しいようです。No.7の冒頭で否定したことをお詫びして訂正します。 1944(昭和19)年11月に出された「昭和二十年ニ於ケル徴兵事務等ノ特例ニ関スル件」(陸軍省令第51号)の第7条で、現役兵証書の表面には「入営部隊、入営部隊所在地、入営期日及時刻ハ時宜ニ依リ之ヲ記入セザルコトヲ得」、つまり入営に関する諸情報は記入しなくてもよいと定められたんですね。そして第7条ではつづいて「此ノ場合連隊区司令官ハ(中略)別ニ入営部隊、入営期日及時刻等ヲ本人ニ達スベシ」としています。これが「入営命令書」になると考えて間違いないのではないでしょうか。また同じ陸軍省令第51号の第2条で、1945(昭和20)年の徴兵検査は1月15日から4月30日までと前倒しすることが確認できました。ですから「入営命令書」は昭和20年の4月ごろからの日付が見受けられるのも当然といえるでしょう。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961856/1 http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C01007597400?IS_KIND=SimpleSummary&IS_KEY_S1=%E6%98%AD%E5%92%8C%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%B9%B4%E3%83%8B%E6%96%BC%E3%82%B1%E3%83%AB%E5%BE%B4%E5%85%B5%E4%BA%8B%E5%8B%99%E7%AD%89&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InfoD& 徴兵検査の日程は官報に徴兵署開設日割という情報が出て大体わかるようです。あまり戦争と縁がない昭和ヒトケタの時代は、きちんと4月16日から7月いっぱいで終わるように日程が組まれているのが確認できます。それが1944(昭和19)年のものを見ると、8月までずれ込んでいるのも見受けられます。そして1945(昭和20)年の場合は、上記の陸軍省令第51号により1月からという日程になっていることが確認できます。補足で例として挙げられた満州の青年が2月に徴兵検査を受けた話は、まさに定められたとおりだということがわかりました。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2957425/5 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961663/10 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961908/6 つぎに私が疑問だった、なぜ1945(昭和20)年という戦争も終盤(当時の人は誰も8月に終戦になるとは知りませんが)の混乱した時期に、わざわざ「現役兵証書」と「入営命令書」という二度手間にするかについてです。陸軍は上記の陸軍省令の頃から本土決戦に向けて師団をどんどん急造する計画をたて始め、2月以降には新しい師団ができてきます。このへんの事情は防衛庁(当時)防衛研究所戦史部による『戦史叢書 陸軍軍戦備』(朝雲新聞社 昭和57年7月30日発行)の462頁以降に詳しく書かれています。またインターネットでは「帝国陸海軍作戦計画大綱」というキーワードで検索すればいろいろな話が出てきます。そういった新たな大量の師団編成に追われてギリギリまで誰をどの部隊へ入営させるか軍も決めかねて、まずは現役兵証書だけを交付する、その後で目処がついた部隊に入営させるため命令書を出すということかもしれません。 ただし・・・ > 翌(昭和20)年1月私にも入営通知が届きました。 > http://www.pref.tottori.lg.jp/80236.htm この例は前年の徴兵検査によるものであり、それまでと同じ「現役兵証書」のことだろうと考えます。 > ネットで検索した結果、他にも入営を命じる書類があった可能性を感じます。 > 「入営令達書」「入営兵令達書」なるものも登場します。 このへんは何ともいえないですね。昭和20年以降のものなら上記の省令では「入営部隊、入営期日及時刻等ヲ本人ニ達スベシ」というだけですから、各連隊区司令部の判断で書状の名称をつけてもよいのかもしれない、と考えれば「入営命令書」以外の名前の可能性も残るでしょうか。しかし、yoshinobu_09さんが補足で例として出された昭和14年や17年のものはどうでしょうねぇ・・・。しつこく書きますが、公文書の文言でもない個人の思い出話の中に出てくる単語は、記憶違いであったり、それを書いた人が勝手に呼んでいるだけというおそれが十二分にあります。ですから「入営令達書」や「入営兵令達書」という正式名称のものがあったかどうかはわかりません。やはり現物か、そうでなくても裏付けとなる別の史料と合致しないと、本当にあったかどうかは決められないでしょう。 以上、ダラダラとこんな細かいことを、自分以外に興味を持つ人がいるかどうかわかりませんが、yoshinobu_09さんの質問をきっかけにして、今回調べてみていろいろわかったことがあったので自分のための備忘録も兼ねて書いてみました。

yoshinobu_09
質問者

補足

たびたびの詳細なご回答、ありがとうございます。 「入営兵令達書」の記載がある本を読んでみました。 1923年生、税務署員、徴兵検査時期不明、甲種合格、昭和19年4月入営。 たぶん昭和18年に徴兵検査を受けて、翌年現役兵入営となったのだと思いますが、 4月入営はすこし遅く感じます。 税務署員(官吏)ということが考慮されたのかもしれません。 『入営兵令達書(赤紙) 甲種、第一乙種の合格者は現役兵となる。 そして、それぞれの兵科ごとに定められた時期がくると、当時赤紙(くすんだ 赤い色をした紙に、×月×日×時×分に× ×部隊に入営すべし、と記載されてい る召集通知のこと)といわれた入営兵令達書が郵送、ではなく、市町村の職員によ って各人宅に直接届けられた。』 本人の中では「赤紙=入営兵令達書」のようです。 幹部候補生、中野学校を経て憲兵という経歴からして、法律用語になじみがあり、 それで戦前を回顧したときに、入営兵令達書という名称が思い浮かんだのかもしれません。

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