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赤紙(召集令状)と入営通知書の違い

pem42391の回答

  • pem42391
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回答No.2

> 入営通知書というのは郵送で、ハガキか封書 > (映画「戦争と人間」)だったようです。 それって本当に正確な事実なんですか? ソースはその映画だけですか? だったらちょっと怪しいのでは? 調べてみると映画『戦争と人間』は第一部でも1970年公開で第二次大戦終了から25年も経ってますね。脚本を書いた山田信夫は終戦時13歳、軍隊経験者ではないでしょう。監督の山本薩夫は軍隊経験がありますが当該映画の製作時は60歳前後、どれだけ正しく戦争中のことを記憶しているでしょう(まして山本薩夫は思想面からも正確中立な描写ができるか疑問であるというのが私の個人的意見)。 「入営通知書」なる物の存在が疑問です。ネット上で調べてみた限りでは日本の軍隊関係ではほとんど出てきません、「入営命令書」ならあったようです。どうも「入営命令書」というのは“現役兵”が徴集されて入営するときの書類のようです。 http://www.pref.aichi.jp/kenmin-soumu/chosakai/tenjishitu/c/s-c/s-c-24.html 召集令状(いわゆる「赤紙」は何種類かある召集令状のうちの一部)は“予備役兵”(現役兵の務めを満了して民間に戻っていた者)、“後備役兵”(予備役の期間を終えた者、1941年に後備役は無くなり予備役の期間がそのぶん長くなった)、“補充兵”(現役兵の務めを経験していない者)たちが受けるものです。“現役兵”として入営する者は召集ではないので「赤紙」は無関係ですよね。 日本の徴兵制度は20歳の男子、詳しく書くと前年12月1日から当年11月30日までに満20歳になる者のうち、すでに志願により軍籍にある者(志願兵や軍学校の生徒)と上級の学校に進学し最大27歳まで徴兵が猶予される者(この猶予をされなくなったのが、いわゆる「学徒出陣」)などを除いた全員が指定された日時と場所で徴兵検査を受けることになってました。検査は町村、あるいは区単位で4月16日から7月31日の間に行われ、甲種、乙種、丙種の合格者と丁種(何らかの障害がある者)、戊種(検査時に疾病や怪我などのため翌年以降に再検査を要する者)に分けられました。そして大きな戦争がなかった昭和初期などは、甲種合格者のうちから抽籤で当たった少数が“現役兵”として入営しました。1937年(昭和12年)に日中戦争が始まる前までは、徴兵検査を受けた総員の15%程度(甲種合格者の約半数)しか“現役兵”にならなかったそうです。残りは“補充兵”になります。 そして“現役兵”に指定された者には「現役兵証書」というのが届けられます。徴兵検査が4月半ばから7月の間で、「現役兵証書」は9月ごろに届けられ、そこには入営の日時と場所が記されています。軍の事情で12月1日から翌年の春にかけての任意の日だったようですが日中戦争前までの陸軍では1月10日というケースがよくあったようです。この「現役兵証書」も現物写真を見ると右側がミシン目になっていて切り取られたようなので、臨時召集令状(「赤紙」)と同じく本人または近親者に手渡しをして、押印の受領証部分を担当者(役場の兵事係?)が持ち帰った可能性があります。少なくともハガキのようなものではありませんね。 http://www.library.pref.nara.jp/sentai/gallery003/gallery003004.html “現役兵”に指定されなかった“補充兵”(“第一補充兵”と“第二補充兵”)にも「補充兵証書」が届けられます。やはり右側がミシン目になっていて切り取られたようにも見えます。 http://www.library.pref.nara.jp/sentai/gallery001/gallery001036.html こうした「現役兵証書」や「補充兵証書」は文献でも確認することができます。けれども私が探してみたところでは「入営命令書」に関する文献はわかりませんでした。ここから先は私の想像なので正しい回答かどうかは確かではありませんが、「入営命令書」とは「現役兵証書」が終戦間近になって、その名称を変えたのかもしれません。なぜなら1944年(昭和19年)ごろの戦争末期には徴兵検査を受けた者のうち“現役兵”となる比率が約90%にまでなったというからです(http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/report/pdf/h20/h20_04.pdf)。そこまで現役兵が増えると、わざわざ「現役兵証書」とするより「入営命令書」という形式にしたほうが話が早いですから。現物の写真がある「入営命令書」も昭和20年のものです。そしてそれが郵送されたかどうかは積極的に否定するだけの材料を持ちあわせていませんけれども、私はマユツバだと考えます。こういっては失礼ですが、お爺さんの思い出話といったサイトは(読み物としては面白く私も好きなほうですが)史実を正確に伝えているかという点で信用に値するものは少ないのではないでしょうか。

参考URL:
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438251
yoshinobu_09
質問者

補足

詳細な解説ありがとうございます。 映画を再見しました。 受け取ったのは二十歳そこそこの勤労青年(天涯孤独の身)で、 時は南京陥落直後、昭和12年12月ぐらい、封書 表「公用 速達 切手2枚貼 東京都XX ○○様 入営通知在中」 裏「仙台市役所兵事課」とあります。 徴兵検査を受けた場所と離れたところに居住している場合は、 入営通知を郵送したのかもしれません。 入営通知とは、たぶん召集令状のことでしょう。 昭和20年ですが三島由紀夫は、群馬の工場で勤労動員されているときに、入営通知を電報で受け取っています。徴兵検査を受けたのは本籍のあった兵庫県でした。 この入営通知は残っているようです。 http://www.mishimayukio.jp/floorguide.html ハガキや電報では、入営手続きに必要な召集令状がないので、どうしたのか気になります。 一方で、下記のサイトでは、 http://www.asahi-net.or.jp/~id1m-ssk/ 「郵便葉書から区分に取り掛かって間もなく、私宛の葉書に目が止まった。それは紛れもなく私への入営通知書で、一瞬息の詰まる思いであった。愈々俺にも来たかと声にもならぬ呟きをしながら、入営通知書を胸のうちポケットに入れ区分を続けた。」 「自宅から出勤した村上局長に、入営通知書を差し出し、入営通知があった旨を報告した。」 と具体的です。郵便局員が、自分あての郵便物を間違えて記憶するとも思えません。 入営まで1と月以上あることから、召集令状の先触れのようなものではないかと想像します。

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