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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:死刑は報復刑?)

イスラムの報復刑について考える

oshinabeの回答

  • oshinabe
  • ベストアンサー率36% (138/378)
回答No.6

「許しを与えることで満足を得た」 。 イスラムにおける報復刑の本質はここですね。 真っ当な人間であれば、いくら自分がされたとて他者に同様の刑を与えることに多少なりとも良心の呵責を感じます。 その決定権が自分にあるのであれば尚更です。 法とはいいつつも、実情は極めて徳、つまりは人の感情に任せた裁きです。 許すことで被害者の気持ちが晴れればそれでいいじゃん、ってことになりますね 日本の死刑制度は言うまでも無く、完全に法に則った裁きです。 被害者やその遺族が助命を訴えたところで、判決が出れば覆ることなく執行されます。 そこに人の感情が入り込む余地はありません。 極刑を望んでもかなわぬ時もあり、被害者の心理を100%満足させるものではありません。 どっちがいいかと言われると、迷いますね。 被害者の心情ばかりを思いやるようでは、情に流されやすい日本では刑罰というものが形骸化するでしょう。 かといって、現在の裁判の判決では罰として不十分とも思えるような事例は多々あります。 死刑制度を続けている現状でも野蛮扱いなので、これ以上どうこう言われてもいいのですが どちらがいいかという点については私はどっちもどっちとしか言えません。

myrtille54
質問者

お礼

ありがとうございます。 >被害者の心情ばかりを思いやるようでは、情に流されやすい日本では刑罰というものが形骸化するでしょう。 そうですよね。日本人は特に性犯罪にしても厳罰化ばかり訴えて量刑のバランスは度外視する人も多いし、死刑の問題だって 矛盾点から目を背ける傾向がありますからね。

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    こんばんは。 実は同じタイトルの質問を この前 社会問題のカテに出したんですが、“好き嫌いの問題ではないと思います。”、“誰も好きで死刑を認めているわけではないでしょう。”、“好き嫌いという解釈は些か強引に思えます。” という反論がありました。確かに、この場合の「好き」は英語で言う enjoyやloveはあまり相応しくないでしょう。(一部そう言う人もおりますが) しかし、死刑に関しては日本では法曹界は慎重なのに比べて 一般庶民は積極的に賛成している風潮は否めないでしょう。 先ず、死刑存置国として中国やイスラム諸国があります。そして ベラルーシを除くすべてのヨーロッパ諸国はすでに死刑を廃止しています。 私の考えでは 日本は 中国やイスラム諸国よりも ヨーロッパ諸国と仲良くなる方がいいと思います。 さて、イスラムの刑には“ an eye for an eye”という考え方があります。これは英語では Qisasと呼ばれています。 http://en.wikipedia.org/wiki/Qisas つまり、これはイスラムに限らず、刑の根源とも言えるかもしれません。ヨーローッパの殆どの国で死刑が廃止されたのも “ an eye for an eye”が野蛮なら “”a life for a life”はもっと野蛮だという矛盾があるかもしれません。日本でも死刑賛成派の人でさえ 「目には目を」の考えには否定的な人が多いかと思います。この場合は、それなりの賠償金で償うのが正しいと思う人が多いかと思います。ところが、日本人の場合、人間にとって視力より大事なはずである 他人の生命を奪った場合、状況は一転し、お金の大好きな日本人が賠償金を蹴ってまで 加害者の死刑を望むことと思いますが、これは なぜか、次の英文が成り立つと思います。 Why do the Japanese prefer the death penalty (to the financial compensation)? この文はどう訳したらいいと思いますか? 質問でも書いたように 日本語の「好き」はどうも この際 語弊があるようなので・・・・・・^^

  • 死刑の意義

    近代の司法制度は、古くは「目には目を」のハムラビ法典、もしくは復讐とか仇討ちを否定する形できていると思います。 ハムラビ法典というのは 失明させたら、罰として加害者の視力を剝脱するということですね。 死刑賛成派の人でも この考えに肯定的な人は少ないはずです。しかし、そうすると 人の視力を奪うことが野蛮なら 「人の命を奪うことはもっと野蛮なのではないか」 という矛盾が生まれます。(ヨーロッパの殆どの国で死刑が廃止された理由の一つにそういう不条理もあるのですが) そして、死刑賛成者に この矛盾を指摘すると 「自分の子供が無残に殺されても 死刑に反対できるのか。」と反論する人が必ず現れます。 熊本の3歳女児殺害事件では 被告は無期懲役になりましたが、私が心ちゃんの父親だったら 私もやはり死刑を望んでいたと思います。 しかし、法律というのは被害者や被害者の遺族の視点だけでなく、もっと広い視点で感情論ではなく 冷静かつ客観的に考える必要があると思います。 私も死刑には必ずしも反対ではありませんが、死刑賛成派の人は この矛盾をどのように解釈しますか? 一つの考えとして、懲役刑も制裁や償いというより “罪を犯した人が矯正し、社会に復帰するために必要な時間” というのもあるかもしれません。 (未成年の犯罪の場合は まさにこれが当てはまると思います。) そして、死刑というのは 矯正がもはや不可能だと見切った 人間を処分するということになるでしょう。 ただ、これは頷ける部分があるものの 全面的に私が賛同する意見でもありませんが。

  • 交通事故の被害者が加害者に望むのは?

    例えばあなたが飲酒運転の車に轢かれて 失明した場合、被害者は 加害者にも同じ苦しみを味あわせたい、刑務所で一生反省して欲しい、お金で解決はできないが、それ相当の賠償金を払って欲しい という気持ちが起こると思います。 そこで、どれも満足な償いにはなりませんが、あなたなら どれを選びますか? 尚、心理的な問題のアンケなので、ここでは法律上の揚げ足はご勘弁ください。 (1)加害者はすぐに釈放され、あなたに相場を大きく越える賠償金(4億円以上)を一括で払う。 (2)賠償金は放棄し、加害者にも失明してもらい、自分がどれだけ人の人生を台無しにしたか、分かってもらう。 (3)加害者には無期懲役の刑を受けてもらい、毎月僅かばかりの加害者から支払われるお金(3000円~4000円)を一生払い続けてもらう。 (4)賠償金も要らないが、自分と同じように飲酒運転の被害者たちと協力し、飲酒運転撲滅の活動を起こす。