• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人に裁かれるより、機械に裁かれたほーが良いのでは)

人 vs 機械:裁判を考える

noname#194996の回答

noname#194996
noname#194996
回答No.14

NO、9 です。 まずお礼の全体としての印象を言っておきます。 確かに、多くのものが数値化されていることは確かです。 しかしそれはアナログ→デジタル 的変換であって、忠実性100%ではありません。ただ似たものに過ぎないのです。人間の目や感覚が騙されている、ごまかされている、といえないこともないのです。 そして、まだまだ数値化されていないものはたくさんあります。あるいは、人間がごまかされないものといったほうがいいかもしれません。裁判は最終的には人間の感情の対決に行き着きます。感情は数値化できません。 韓国人と日本人のどちらが感情的に竹島を欲しているか?そういった要素を国際司法裁判所が冷静に数値化して判断することは可能でしょうか?

hitonomichi23
質問者

お礼

  >感情は数値化できません。 やはり根本的な間違いがあります。 人間の損得感情などは物事の損得が人の頭の中で数値化され比較された結果生まれるものではないんですか。 心理学は人の心の中、心理、感情、理性、判断の基準などなどを研究する学問ですが、心理学がこれらを扱うにはやはり何らかの方法により数値化し、グラフに表すなどして比較検討するのです。 人間の感情とて既に数値化されてます。 医学では頭に電極を付けて脳波を採取し、これを比較検討することにより人の心を読むのです。 当然その脳波は数値化され解析されるのです。 意識調査なども人の感情や意識を数値化するために行われるものです。   よくよく考えてみて下さい。 この世に数値化出来ないものなんて殆ど無いのです。  

関連するQ&A

  • なぜ欧州の文明のみが機械文明成立できたの?

    なぜ、インダス、黄河、エジプト、マヤ、チグリスユーフラテス、十字軍時代のイスラムなどの文明ではなくヨーロッパ(欧州)の中世以降の文明のみが現在の高度な科学文明を発達できたのでしょうか。 ある人に聞くと、ヨーロッパはキリスト教を信仰したので世界全体が人間のものであるとの概念を持ちそれが遠因となっているとの答えをもらいましたが、ほかの宗教でも世界は人間のためにあると(明言してなくとも)していると思います。また中国では「指南車」などの高度な機械が皇帝のために、また、ロケットの祖先と呼ばれる火矢が開発されてもその先がありません。今日のように、科学のみでなく、哲学その他の学問を体系的に発展させ、高度な機械をグローバルな視点で発展させた文明は他にはないように思えます。マヤ文明でさえあそこまで精密な暦、建築技術を持ちながらそこで途絶えていると(知識の少ない私は)思っています。 キリスト教を根拠にされた方についての私の考えは、世界征服では、中国も唐の時代に、アレキサンダーもその時代に当時としての世界征服の半ばまで入っていますがそれで終わっており、文明の発展が途絶えています。ガリレオやニュートンなどの現代科学の創始者的な人たちが現れるようにできた要因はなんなのでしょうか。 いろいろな不思議が取り上げられていますが、最大の不思議は、なぜヨーロッパのみが機械文明以降にたどり着けたのでしょうか? 長文ですが、よろしくご指導ください。 なお、アトランティスやムウなどの(想像上の文明と思われるものはここでは対象外とさせていただきます。 また、宇宙人が指導したなどのSF的な回答も対象外とさせてください。

  • もっと多くの仕事を機械化できないのでしょうか?

    ときどき不思議に思うんですけど、現代社会における種々の仕事って、人の仕事というより、機械に代替できそうなものってありませんか? 車とか、機械を製造する大手メーカーの製造過程がどういう風になっているか詳しくは知りませんが・・・学生時代に社会の教科書で、ロボットアームみたいなのが溶接か何かやってる写真を見たことがありますけど、結構すでに機械化されているとも言えるんですかね? ひたすら機械化されればそれこそターミネーターの世界になってしまうのかもしれませんけど・・・合理的に考えれば、もっと機械化することもできるんじゃないか、と思うんですよね… 別に単純労働を機械化すべきとか言うだけじゃなくて、エリート的な人が担当してる仕事にも結構そういうのがある気がするんです。 特に思うのが、行政とか何とか、法律関係ですかね…あんな何10年も昔の人が基本的に作った条文に従って法律通りに文書を右から左に流すのって、人間が全力でやる必要あるんですかね? 大前健一氏なんかよく本の中で、6法全書をDVDROMみたいなものに入れて誰もがいつも条文を参照できるようにすれば、法律に特化した仕事はかなり要らなくなるんじゃないか、と書いてますが、実際そうなんじゃないか、と思います。まあ現場の人は、実際の現場は複雑だから、どういう場面に応じてどういう風に法律を適用するかが問題なんだとか何とか言うんでしょうけど…機械化すれば公務員ももっと減らせるんじゃないですかね? 公認会計士とか税理士の仕事なんかも、指定された様式の帳簿、請求書なんかををコンピューターに入れればどこの処理が間違ってるとか判断してくれる、そんなコンピューターを作ればだいぶ機械化できるんじゃないでしょうか? そもそも極端に言えば、創意工夫とか、新しい発想、想像力、創造力とかと関係ない仕事って、人間がやる必要ないんじゃないか、て気がするんですよね。 まあ世の中の現実を見る限り、それでも人がやらないといけない仕事の種類って、無数にあると思うんですけど、一方では、現代の機械とかコンピューターに最強に強い人たちが、最先端の技術を駆使しまくって、それを本気でやれば、人から機械に代替できる仕事ってたくさんあるんじゃないか、と思うんですよね… それで私の言いたい疑問なんですけど、そういう状況ということはつまり、あまり合理的に技術に頼りすぎると人間の仕事が減ってしまうので、社会の上層部の人がある意味意図的に、社会のある程度の雇用を維持するために、機械化とかそういうことを避けているんでしょうか?

  • サッカーの審判を機械がやるのは是か非か??

    今年のワールドカップは誤審も感動もありました(笑) 現在はビデオ判定が導入されているスポーツもあり、機械やビデオ判定の是非を問う議論は大きなものとなっています。今回私は高校のレポートでサッカーの審判に絞ってそれを調べています。そこで皆様の一般人としての意見を賜りたいのですm(__)mまだOKwebも使いこなせない未熟者ですが御協力お願いします。 1.全て人間が現在と同じようにやるべき 2.人数を増やして全て人間でやるべき 3.ゴールラインのみ機械導入(即時判断できる)をするべき 4.ゴールラインのみ機械導入(即時判断できる)、他は随時ビデオは判定するべき 5.全て機械が行うべき(完璧に反則か否かを見分けられるものがあると仮定して) 6.その他

  • 思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが

    思想としてのゴロツキやチンピラがのさばるのは ふつうにまともな人たちが 一般に 亜流の思想を追い求めているからではないか?  ゴロツキ等は 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくことをしないその状態を言います。  亜流の思想というのは そのままでもありますが 特には クリスチアニズムという宗教となった思潮 あるいは そもそもブディズムは無神論としての信仰であるはずなのにこれをああたらこうたらいじくりまわしたその結果としての思潮を言います。  前者は 非思考の場としての個人の信仰が 教義を信じるという矛盾をかかえた組織宗教となった場合であり あるいは単に道徳規範としてしまいこれを抱き続けるということに変身した場合を言います。教義は 思考するものであり 信じるものではありません。倫理規範も考えるものであり 信じるものではなく その実践ということもそれだけでは 信仰そのものとは関係ありません。(ほかの宗教でも 道徳を説きその実践を奨励します)。  後者のブディズムについては ひとつだけその亜流の特徴を挙げれば。さとりが いま・ここなるわたしを離れたところにあると思っていることです。このへだたり・この時間差が 亜流であり チンピラの振る舞いと何ら変わらないと見なされることになります。少しづつだんだんさとりに近づくというのなら ゴロツキの成仏と変わらないということになるからです。  ご見解ご批判をお寄せください。

  • 未開発民族?についての書籍を探してます

    未開発民族?についての書籍を探してます 良くテレビで取り上げられている裸族の人たちの文化やそういう部族がいくつも存在している国の事だとかを学びたいのですがオススメの書物があれば教えてください そういう人達の中で機械や洋服など文明的なものを使いつつ暮らしている部族、そういったものを断っている部族の思想なども知りたいです

  • 全部機械にやらせれば、人間ハッピー?

    全部機械にやらせれば、人間ハッピー? 人間がやる仕事は、200年前、100年前と比べてオートメーションが進んでいますよね。 そのうち、人間がやる仕事すべて機械任せにして人間は悠々自適に暮らせるようにはならないでしょうか。 発電や燃料精製から食糧生産、高度医療など全て機械任せです。 機械のメンテも機械がやります。 人がやることといったら、政治ぐらいでしょうか。 人間には好奇心がありますから、そういう人は趣味で研究や探求をしてもらえばいいですし、生きがいを見つけたい人は見つけてもらえばいいです。 その趣味で新しい機械も発明され、人からたたえられるかもしれません。 人が働く必要がなくなれば過労死なんてものとは無縁ですし、職場や組織なんてものがなくなればハラスメントや人間関係の悩みから来るうつ病なんてものに悩まされることはありません。 「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」では、「機会に頼りすぎていてはダメ」というメッセージを発していましたが、失敗したのは機械に思考能力を与えた人間自身であり、機械化すること自体の何が悪いのかが全然わかりませんでした。 それとも、人は「人生においては苦労するべきであり過労死やうつ病などにかかるのも神が与えたもうた試練なんだ」というキリストや仏が言ってそうな生きていく上でどうでもいい思想を持っているのでしょうか。 全てをオートメーションにして、人はやりたい事ができるようにするという未来はあるのでしょうか。 ダメな場合、なぜダメなのかの理由(精神論なのか技術的なのかその他なのか)も添えていただければと思います。 『堕落』を理由として挙げる場合、そもそも堕落がダメな絶対的な理由を説明していただけると助かります。

  • インド人 VS 中国人 どっちがプライドが高い?

    韓国対北朝鮮や最近の日本のメディアによる日本と韓国の対比のようなチンケでスケールの小さい話しに私は興味も関心もありません。 近い将来、必ずや衝突するであろうアジアの2大文明国、インドと中国。 私は、この2つの大国に興味を惹かれます。 そこで質問なのですが、みなさんはインド人と中国人、どちらの方がプライドが高いと思いますか? 私、個人的な考えとしてはインド人の方がプライドが高いと思います。 私のこれまでの海外を含めた経験からの考察なのですが・・・。 ●カレーを食べている中国人は見た事があるが、中華料理を食べているインド人は見たことがない。 ●現在、世界的なヨガブームの中、中国人でヨガをしている人は多くいるが、インド人で気功や太極拳をしている人は見た事がない。 ●中国そして日本の寺などのご本尊、信仰の対象はインド人である。 ●インド人はゼロという概念を発明し、圧倒的に数学の能力に長けている。 私が見たところインド人の方が自国の文明に対する優越感が強く、「中国文明なんて・・・。」みたいな中国を見下すところがあると思います。 日本ではインドの情報が少なく、中国の情報が圧倒的に多い為、日本人の間で情報の不均衡がおこっており、インドに関する知識が乏しいという感じがします。 日本人で「中国人には中華思想というものがありまして・・・。」などという人がいますが、インド人にもそのような思想があるのではないでしょうか? 違う見方をすれば、中国はインド文明を幅広く受け入れており、閉鎖的でなく柔軟性に富んでいるとも言えると思います。 経験豊富なみなさんの中国観、インド観からの考えをきかせてください。

  • 裁判員制度はなぜ必要なのですか?

    現在、裁判員制度施行に向けての準備が進んでいる。 (1)裁判員として、参加したくないという世論が多いのに関わらず、   なぜ、裁判員制度をはじめる必要があるのでしょうか? (2)裁判員として参加することで、被告や被告の家族、被告の知り合 いなどから、嫌がらせを受ける可能性があるのではないのか?   検事、判事、裁判官、弁護士の皆さんにお尋ねしますが、裁判に関 わることで嫌がらせを受けたことはないのですか?

  • 裁判員裁判を行う本当の理由は?

    裁判員裁判を行う理由として 国民の司法への理解を深めるため 裁判官の価値観を一般市民の目線に補正するため 判例に基づいた判決が国民感情とズレがあるため 弁護士と検事の相違点について、裁判官以外の人の判断を仰ぐため などの文字を目にしますが、本当の理由は何でしょうか? この制度によって受ける、裁判所および裁判官の利益は何でしょうか?

  • 日教組会合の拒否

    日教組の会合が、ホテル側の判断で拒否されるニュースを耳にしました。 地裁・高裁と日教組側の勝利の判断が出たにもかかわらず、ホテル側は拒否したそうです。 裁判所がそう判断しにもかかわらずです。 政治的な思想は別にして、純粋に法的見地から見て、このようなことは許されるのでしょうか? 民間ですから、賠償金を払っても拒否できると言えばそうなのでしょうけど、この場合、会合の場所を提供するということは、ホテルの基本的存在理由ではないのでしょうか? それを裁判所の判断が出ているにもかかわらず拒否するということは、正に自己否定ともいえることかと思います。また、裁判所が提供しなさいといっているにもかかわらずそれを拒むということが、法治国家で許されるのでしょうか? それがOKなら、法的強制力はどうなるのでしょうか? くどいようですが、思想的見地は別として純粋に法律的見地からの皆様のご意見を教えてください。