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亜流の思想とは何か?
- ゴロツキやチンピラがのさばる理由は、まともな人たちが亜流の思想を追い求めているからかもしれない。
- 亜流の思想とは、組織宗教や倫理規範に矛盾を抱えた信仰や実践の結果として現れる思潮のことである。
- ブディズムにおいては、離れたところにさとりがあると信じる考え方が亜流と見なされる。この考え方はゴロツキの成仏と同じであるとも言える。
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>ゴロツキ等は 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくことをしないその状態を言います。 定義のやりかたがヘタくそです。そんなバカな定義はありません。 たとえば、こんな文章は合理性がないといえますよね?それとも、思想ですらないので、ゴロツキ等該当しないのだろうか? http://okwave.jp/qa/q6064885.html >1 消費税率は世界最低 法人税率は最高 でいいのでは? >2 つまり所得税の税率も累進課税にするのが ふつうのことだと考えます。 なにが言いたいか混乱のきわみであり、とてもじゃないが返答できなのだけど。 1.まず、日本の消費税率は、消費税を導入している国の中では消費税率最低、 法人税率も世界最高。 すると、現況でよいという意味なのか、消費税をやめろという意味なのか、 こういう、主張の基本線すらまるでわからりません。 参考 各国の消費税率 http://ja.wikipedia.org/wiki/消費税 各国の法人税率 http://www.777money.com/torivia/houjinzei_world.htm 2-1.消費税率と法人税について述べていたはずなのに、なぜ所得税? こういうのを、論理の断絶(はしょりすぎの意味です)といいます。 2-2. 所得税の税率「も」? 「を」でなく、「も」なの? そうすると、所得税以外の税率が累進になっていないと変ですが、 消費税も法人税(法人所得税)も累進でないし、肝心の所得税(狭義の所得税であり法人所得税含まず)は累進。 矛盾しまくりで、どこかに、認識ミスか誤字てんこもりと考えないと理屈が通らない..... これはジャブ。まあいいや。個人の問題だ。 「ゴロツキ等」や「亜流の思想」の定義の本当の問題点。 一般に宗教の主流と目される、ギリシア正教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、 これらがみな、定義により亜流の思想に分類されてしまう点。 (これらは、民族宗教であるユダヤ教をいじくって世界宗教にしたもの。) 一方、誰も信じないようなヘンテコリンな思想は、たとえ不合理のかたまりでも、 既存宗教をいじくったものでないのであれば「亜流の思想」に該当しません。そのように定義されています。 ※「亜流の思想」の定義には、経験合理性の有無は言及されていません。 経験合理性について言及しているのは、「ゴロツキ等」のほうです。 また、ゴロツキのほうは、思想支持者の多寡は言及されていないので多数派が ゴロツキであっても定義上の問題はありません。 また、 新技術。 文句なしのゴロツキ。 科学。 半分ゴロツキ。 トンデモ科学。 まっとうな科学と意味は異なりますが、やっぱり半分ゴロツキ。 となってしまうのだけど..... その結果、私も技術者に分類されますが、技術者であることを理由にゴロツキ呼ばわりされてます。 そりゃないよ。 技術者としてゴロツキ呼ばわりしてもいいけど、それは技術者としてあるまじき 失敗としたとき限定です。 これらがゴロツキになってしまう理由。 トンデモ科学:「都合の悪いことには目をつぶる」という、科学の禁止事項に命中 しているが、そこ以外はいちおう合理的。 科学:合理性については問題ないとして、経験性のほうが問題。 科学にとっての経験性とは、帰納性のことであり演繹性は経験性に含まれません。 で、科学の重要手法の1つ(いや、これだけだといっても良い)の仮説検定 の検定の方法を考えるのは演繹であり帰納で不可能であるから、 仮説を立ても検定を行ったらゴロツキ。よって、半分ゴロツキ。 新技術:その定義「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」(特許法による定義) より、帰納の部分(自然法則の見つけるまで)は科学の領分であり、残りの部分は 未知の領分なので演繹。よって、全部ゴロツキ。 で、オモシロイことに、 科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったとき には、それこそ思想の百花繚乱です。何しろ、解決に至る道はそれしかないから。 確かに、「亜流の思想を追い求めている」のです。そして、科学は「ゴロツキ」だし.... 何か、妙な形で本来の意図と違うがつじつま合っているのよねえ。
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こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 また、ご賛同賜りまして、厚くお礼申し上げます。 なお、例の”Tさん”から、愚生のことについて、いろいろと言ってきてはおりますが、”Tさん”と対話を致しましても、建設的な意見が出てきそうにもございませんので、これ以上のやり取りはご遠慮させていただければと思っています。 将来のTさん自身、もしくは友人が同じ目にあわなければいいのですが..... それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。
お礼
なんだか 暑さは第三波だそうですね。変則的ですよね。 ひどっちさん こんばんは。ご回答のご確認をありがとうございます。 そうですね。いい潮時かと思います。 T さんは これからはのらりくらりで応対して行こうかと思います。 逆に言えば こちら側は じゅうぶん説明責任を果たしていると思うからです。それゆえに そのようにのらりくらりの応対ぶりでも 不都合にはならないという確信が持てました。 それでは あたらしい出発に向けてとまいります。
- amaguappa
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3に補足をいただいていますね。 わたしの文章につきまして、ましゅまろさんは読み違えていないことがわたしにはわかりますので、きっと心配いらないでしょう。また、高校生時代に将来物理屋となる同級生に求婚されたときから、物理学者を夫に持つのは嫌だと思っていますが、友人に持つには良いと思っています。金にもならなそうなことに気付いては難しい数式の混じった長い手紙をくれるのですが。
お礼
それはよかったです。それなら よかったです。 あまがっぱさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 歳を取ると 約束していた鶏でしたか その履行を果たさなきゃと何かと気ぜわしくなります。そこのところをおもんぱかって おゆるしください。 あんなに暑いと思っていた夏も そろそろと言えるほどにはなって来たようです。 それでは またあらたな出発に向けて。
ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 ?> 地球上の人間が主観的に捉えるぶんには 天動説が妥当だという部分的ないし一時的な妥当性が 捉えられるということはありますか?? 愚生が知る限り、残念ながら、存じてはおりません。ただ、現在の小学生は、”地動説”を学習していないため、「”地動説” or ”天動説”、どちらが正しい?」と問われますと、”天動説”と答える小学生は多いと耳にしたことはございます(これは仕方のないこですが)。??> ☆ 数光年離れた位置関係のことを 実験室で検証できるということがよく分かりませんが ボーアの説が確かめられた。このとき ボーア説にしろアインシュタイン説にしろ どちらも《仮説》として主張し合った。というふうに単純に見ることは出来ないのですか?? 正確には、仮説を主張しあった というのが正しいかと考えられます。そもそも、確認・検証作業ができない以上は、未だ仮説の段階でしょうから。 > (しつこくて すみません)。 いえいえ、ご遠慮なくお申し出くださいませ。? > そもそも主題に対して答えようとする――これまた 《意図》の問題になりますが――《意図》がないという場合が見られる。これは 仮説という段階でもなければ 一般に対話を成すというものでもないというむなしい情況になっているのだと思うからです。 全く、意見を等しく致します。もしかような”答え(の内容)”がまかりとおりますと、権力者(時の権威者や行政機関等も含まれます)は”決定権”を所有してしまい、何をしてもいいということになってしまいます。 ?> ☆ この結論を 確認しておきたいと思います。そうしてこの傾向ないし現実のひとつの原因は 亜流の思想を追い求めることが人びと一般のあいだに見られることではないかというものでした。 了解致しました。 ?> 受けとめるべき意思表示もしくは仮説の表明が”ある”か”無い”か これが両者を分けるというように思います。? 仰られますように、”ある”か”無い”の違いは、非常に大きいかと考えられます。??> もし以上のようであるなら 科学における論文や対話は ひととおりにおいて ゴロツキやチンピラであることをまぬかれている。こうわたしは考えますが いかがでしょう? 確かに、そうお考えになられてもよろしいかと存じます。愚生は理系人間ですので、またもや「偉そうに」とか言われそうでございますが、やはり、論理的な理論の組み立ては最低限必要かと思われるからでございます。従いまして、仮に、亜流なるものの理論形成を求めるのでしたら、まずは、正統とされる原点(原典)を参照しつつ、しかるべき道筋を建てながら前に進むべきかと考えられます。逆に、 原点(原典)が全くそこには含まれていない、もしくは、単なる”自分の思いつき”といったものでしたら、ゴロツキと言われても致し方ないように考えられます。 ご参考になれば、幸いでございます。
お礼
いやあ ありがとうございます。ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 全部と言っていいほど 解決しました。解きほぐされました。 ★ やはり、論理的な理論の組み立ては最低限必要かと思われるからでございます。従いまして、仮に、亜流なるものの理論形成を求めるのでしたら、まずは、正統とされる原点(原典)を参照しつつ、しかるべき道筋を建てながら前に進むべきかと考えられます。 ☆ こういう場合 わたしだけかも知れませんが 文系人間は 《このように理論形成として成っているものを〈仮説〉と言う》という具合いに勝手にまとめたくなるようなのです。 もしそれでよければ ひとことで ○ 仮説の表明があるか無いかを ゴロツキでないかあるかの目安とすることができる。 ☆ と言えるかも知れません。 要するに 質問に対して答えているかどうかなんですけれどね。そうですよね。 もう少し開いていたあと閉じます。まとめや補遺などありましたら どうぞお寄せください。 あらかじめ 今回もありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。Hidocchiでございます。 > 上の理論のことですが 光について 粒子となる場合に不確定性原理が当てはまるだけではなく 波動としてもそうだというようなことではないですよね? EPR理論におけます”波”での理論は、愚生の勉強不足のため、何とも申し上げられず申し訳ございません。 > ★“地動説”は、現在でも説明可能ですので、特に問題はないかと考えられます。 ☆こうでしょうか? つまり 一般に天動説で説明できるというのが 妥当であるが 他方では 地球と太陽との関係あるいは太陽系における星々の位置関係は相対的なものだから それは《地動説》によっても説明可能なものであると。 愚生は、もっと単純に考えておりました。”他の木星のような惑星と同様、地球が太陽のまわりを回っている”というのは、打上げ人工衛生からの分析結果から等でも、支持されているから でござます。 ?> ☆ ご回答の前半(No.21)で考えつき触れたのですが 《仮説》としての段階 これを設定しそれとして誰もが捉えるならば ゴロツキ問題は起きないと思うのですが どうでしょう?? 仮説としてなら トンデモ科学であっても 何の問題もないと皆が分かっていればだいじょうぶなのではないか。? 誠に失礼とは存じますが、今回もまた、皆様から、「何を言っているかわからない」とのご批判を受ける可能性もございますため、EPR理論の概略をご説明させていただく存じます。 2つの電子A,Bは、互いに逆向きのスピンがかかっています。 このA,Bの電子の距離を徐々に広げていって、例えば、数光年も距離を取ったとします(光の速度でも数年かかる距離となります)。ここで、Aの電子に磁場を加えて、スピンに影響(観測)を加えたとします。 すると、数光年離れた、Bのスピンはどうなるのか? アインシュタインの相対論によれば、Bのスピンは最初から決まっており、Aの影響は受けません。しかし、量子論によれば、Aの影響は瞬時にBに伝わることになってしまいます。 相対論では光速を超えた情報交換はあり得ないため、このEPR思考実験を説明するには、光速を越えた情報交換を説明しなけばならなりません。これは、観測抜きには物体の物理量は測定的ないとする量子力学と矛盾してしまいます。 ですが、アスペらの実験により、アインシュタインが絶対にあり得ないとした光速を越えた情報交換を認めざるを得ない、実験結果が提出された訳です。 このEPRパラドックスにおきましては、アインシュタインは、量子論は自分の確固たる信念(”自然界は確かな客観的な存在であるべきだ”という信念)に反すること、さらに、実験によって確認されるなど想像していなかったために、ボーアに対して反論したものかと推察しております。 一方、”地球温暖化説”と同時に”地球寒冷化説”もございます。前者は、温室効果ガスに原因を求め、後者は太陽活動の低下にその原因を求めております。つまり、そもそも原因となるベースが異なっているために、どちらが正しいのかの議論は、元来困難なものかと考えられます。ですが、お互いを非難しあっている状況にございます。 つきましては、「”仮説”として、誰もが捉える」ことは、冷静になれば、誰もが必要なことかと思われるのですが、残念ながら、現実は少し異なるようでございます。 > ☆ こういう場合には《仮説》ですらなく結局 《科学》ではない。こう言えると思われるのではないでしょうか。つまり 認識の作業からして事実との対応や推論の妥当性に欠けるというのであれば 科学しようとしていないと判断できますから。 はい、仰られるとおりかと存じます。事実(もしくは、その礎となる理論)との対応等を無視しては、原則、”科学的”ではないと考えられます。 一方、推論の妥当性の欠如につきましては、”錯誤”等の問題も出てきますので(実際、学術論文でも、間違った結論を導いてしまっているのも少なからず存在します)、断定はしにくいのですが、たとえそれが、間違った結論であったとしましても、それなりの論理構築、換言しますと、ある程度の”推論の正当化”がなされております。従いまして、妥当性がほとんど(全く)存在しないというものでしたら、それは、単なる”おとぎ話”の類いになろうかと存じます。 ?> とすれば 《意図》においてかなり ゴロツキ度が分かる場合があるかも知れません。? ある程度可能かと思われます。以下に一例を示させてもらっております。 ・事実等を無視した理論展開 → ”ゴロツキ”度が大。 ・単なる誹謗中傷 → ”ゴロツキ(or チンピラ)”度が大。 ご参考になれば、幸甚に存じます。
お礼
こんばんは ひどっちさん。ご回答をそしてご説明いただきありがとうございます。 地動説と天動説とを 逆にして述べていました。 天動説は いまでは トンデモ科学とみなされていますか? がお聞きしたかったことです。 あるいは もし似非量子論よろしく 地球上の人間が主観的に捉えるぶんには 天動説が妥当だという部分的ないし一時的な妥当性が 捉えられるということはありますか? ★ EPRパラドックス ☆ 数光年離れた位置関係のことを 実験室で検証できるということがよく分かりませんが ボーアの説が確かめられた。このとき ボーア説にしろアインシュタイン説にしろ どちらも《仮説》として主張し合った。というふうに単純に見ることは出来ないのですか? (しつこくて すみません)。 ★ ”地球温暖化説”と同時に”地球寒冷化説”もございます。 ☆ についても 同じような見方になると思うのですが どうでしょう? 互いにどちらも仮説として発表している段階だという見方です。 つまり ここの質疑応答の場では そういう事情ではまったくなく そもそも主題に対して答えようとする――これまた 《意図》の問題になりますが――《意図》がないという場合が見られる。これは 仮説という段階でもなければ 一般に対話を成すというものでもないというむなしい情況になっているのだと思うからです。温室効果ガスなり太陽活動の低下なりの事由も提出することなく 論拠もなければ推論もない。すなわち のっぺらぼうだと見なさざるを得ない場合だと思うからです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ ・事実等を無視した理論展開 → ”ゴロツキ”度が大。 ・単なる誹謗中傷 → ”ゴロツキ(or チンピラ)”度が大。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この結論を 確認しておきたいと思います。そうしてこの傾向ないし現実のひとつの原因は 亜流の思想を追い求めることが人びと一般のあいだに見られることではないかというものでした。 思想の亜流は 初源の思想とのつながり関係つまり互いの異同を はっきりさせないまま流通してしまっている場合が多いと思われるからです。それは 顔が定まらず のっぺらぼうになってしまっているのではないか。こういう見方でした。 ソーカル事件にしても その仮説もしくは科学理論の援用についても 判断するための基準があるし 判断することができるように表現して来ているでしょうから その点で のっぺらぼうではないわけです。意思表示もしくは仮説の表明があります。 もしそうだとしたら 一般に科学の論文と 思想をめぐる言論とでは その取り扱いに違いが出ているというように思われます。受けとめるべき意思表示もしくは仮説の表明があるか無いか これが両者を分けるというように思います。 ★ 一方、推論の妥当性の欠如につきましては、”錯誤”等の問題も出てきます ☆ つまり《推論の欠如》と《推論の妥当性の欠如 もしくは 勘違い》とは 明らかに それを表明したひとの意図や ひいては人格に 違いがあると考えます。《錯誤》は コミュニケーションにおいて 何のやましさをも伴なわないと考えます。情けなさや恥づかしさはあってもです。 ですから もし以上のようであるなら 科学における論文や対話は ひととおりにおいて ゴロツキやチンピラであることをまぬかれている。こうわたしは考えますが いかがでしょう?
愚生の錯誤により、長くなってしまい、誠に申し訳ございません。続きを述べさせていただきます。 > (5) ☆☆ (趣旨説明) ゴロツキ等は 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくことをしないその状態を言います。 ( a ) あたらしい理論の必要性を覚えて新しい科学ないし思想を問い求めているというときに そのことをひとことも事割らない場合は ゴロツキに間違われるおそれがある。そのおそれは あたらしい理論の提唱者のほうが 注意を払って前もって晴らすことが望まれる。ではないか? はい、そういうところもあろうかと存じます。ですが、上述のボーアのみならず、数学者ガロアにしましても、自説を懸命に主張し、疑問点を晴らそうとしたにも関わらず、当時の大御所には、跳ね除けられてしまったという史実がございます。 ( b ) また 亜流の思想については その唱導者は 初源の思想との違いをまづは自覚し 必要に応じてその違いについて触れるかたちで自説を説明すべきである。ではないか? もちろん、仮にその結果、たとえ認められなくとも、説明を懸命にすべきかと存じます。 ( c ) ゴロツキ等は 自説や理論の発表によりは 相手に対するいやがらせ(つまりは 内容に根拠のない話題による不要な発言)を目的とする場合を言う。 誠に、申し訳ございません。愚生は趣旨を勘違いしていたようでございます。この件につきましては、上記愚見とはまた別かと存じます。ボーアにつきましても、また、夭折しましたガロアにしましても、“嫌がらせ”はしませんでした(むしろ、“された側”と思われます)。 根拠がありそうだけれども、実は自分に都合の良いソースをでっち上げていた。もしくは、内容自体を批判するのではなく、単に“批判すること”それ自体にしか興味がない。さらには、内容よりも、個人の人格等を批判対象とする(もしくは、それぐらいしかできない)。 上記、要件を満たしてしまいますと、ゴロツキかと考えております。 駄文、ご一読いただきあまして、どうもありがとうございました。
お礼
つづいてです。 ★ ( a )・・・ボーアのみならず、数学者ガロアにしましても、自説を懸命に主張し、疑問点を晴らそうとしたにも関わらず、当時の大御所には、跳ね除けられてしまったという史実がございます。 ☆ ご回答の前半(No.21)で考えつき触れたのですが 《仮説》としての段階 これを設定しそれとして誰もが捉えるならば ゴロツキ問題は起きないと思うのですが どうでしょう? 仮説としてなら トンデモ科学であっても 何の問題もないと皆が分かっていればだいじょうぶなのではないか。 ☆☆( c ) ゴロツキ等は 自説や理論の発表によりは 相手に対するいやがらせ(つまりは 内容に根拠のない話題による不要な発言)を目的とする場合を言う。 ★ 愚生は趣旨を勘違いしていたようでございます。 ☆ いえこれは ボーアらにアインシュタインらが そうしたのではないかという位置関係になります。発表や発言の主体について 誤解を生む表現をしてしまいました。 でも 自説ないし従来の理論を擁護するということは 《仮説》の段階で 新旧が互いに批判しあい探究しているということでしょうから やはりゴロツキ問題とは―― 一般に科学の探究においては――別だというふうに思われます。 すなわち ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 根拠がありそうだけれども、実は自分に都合の良いソースをでっち上げていた。 もしくは、内容自体を批判するのではなく、単に“批判すること”それ自体にしか興味がない。 さらには、内容よりも、個人の人格等を批判対象とする(もしくは、それぐらいしかできない)。 上記、要件を満たしてしまいますと、ゴロツキかと考えております。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このご見解にまったく賛成なのですが こういう場合には《仮説》ですらなく結局 《科学》ではない。こう言えると思われるのではないでしょうか。つまり 認識の作業からして事実との対応や推論の妥当性に欠けるというのであれば 科学しようとしていないと判断できますから。 とすれば 《意図》においてかなり ゴロツキ度が分かる場合があるかも知れません。 ううん。どうでしょう。こういったところでしょうか。
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございます。Hidocchiでございます。 > 《思想》ということで思っていたのは この哲学カテゴリでやり取りする内容ということに――舌足らずだったんですが――絞っていましたから。 申し訳ございませんでした。愚生が勝手に論を進めてしまったようでございます。深くお詫び申し上げます。 > ★ ヒマラヤの雪の消失は デマ(捏造) ☆ なんですね。 “2350年”と記述すべきことを、“2035年”と誤記してしまったようでございます。IPCCも、誤りを認めたようでございます。 ソース:“「ヒマラヤの氷河が2035年頃までに消失する」は誤りだった” > ★◆ 「科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったとき」 (1) 地動説は いまでは 《トンデモ科学》とみなされていますか? “地動説”は、現在でも説明可能ですので、特に問題はないかと考えられます。 (2) 相対性理論にとって ニュートン理論は? 仰られますように、(ニュートン)古典力学は、相対論の近似式(部分的に当てはまる)となっているようでございます(ただ、地球上では、ほぼ誤差範囲ですので、古典力学でも、さほど問題はないようです)。 量子論にとって 相対性理論は どう見なされるのですか? 実を申しますと、これは難問でございます。“量子重力理論”なるものがございますが、未だ、数学上(机上)の問題にとどまっているようでございます。 ソース: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E9%87%8D%E5%8A%9B%E7%90%86%E8%AB%96 (回答No.5)のご見解につきまして ☆ この見解に 同意なさるということになりますか? はい、意見を等しく致します。 ただ、幾つか問題がございます。「旧理論で説明できない現象に出会わ“なかった”とき」でございます。つまり、その当時の、権威者に理解されないときでございます。例えば、“アインシュタイン-ボーア論争”なるものでございます。つまり、“EPRパラドックス”といわれる思考実験理論で、お互いが論争しあいました。そして、ボーアはアインシュタインを説得(論破)できずに、世を去ってしまいました(現在では、ボーアの方が支持されております)。おそらく、ボーアの当時の理論は、“トンデモ”だったかと思われます。 ソース: http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity316.html > ★ 従いまして、”トンデモ”科学と言われているものにおきましても、徐々に解明がなされていくものと思われます。 愚生はあまり存じてはいないのですが、一番衝撃を受けましたのは、「ソーカル事件」でした(若干、趣旨が異なってしまっておりますが、後にトンデモ科学であったことが判明したものでございます)。権威者が、最新の科学・数学を使わなければ偉くはない と勘違いし、意味もなく、“トンデモ”科学・数学用語を用いていたというものでございます。 ソース: 1.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6 2.アラン・カーソル著「「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用」岩波書店 以下を続きを述べさせていただきます。
お礼
ご説明いただきたいへんありがとうございます。 こんばんは ひどっちさん。 ● EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関 ~~~~ 結果は量子力学の予言どおりであった。アインシュタインが嫌う非局所的長距離相関(ボーアのいう分離不可能性)が実験的に証明されたのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この結論としてよく分かりました。ちょうどあたらしい質問を挙げたところですが この《分離不可能性》あるいは《関係の絶対性》にかかわっています。そこにおいて 順観(前史)と逆観(後史)といった見方の回転がありうるかです。 上の理論のことですが 光について 粒子となる場合に不確定性原理が当てはまるだけではなく 波動としてもそうだというようなことではないですよね? ★ 「ソーカル事件」〔の〕トンデモ科学 ☆ については 読んだことがあり 結果にかんして承知しております。現代思想ですよね。精神分析で 究極の思惟もしくは脳内活動を探究するというような。 ★ “量子重力理論” ☆ その中身については残念ながらむつかしいのですが けっきょくこういう場合には 《仮説》として提出すればよいというふうに――この質問に沿って言うとすれば――考えるのですが それだけにはおさまりませんか? あるいはつまり トンデモ科学も この《仮説》だという段階として捉えれば 《ゴロツキ》問題にはならない。こうも考えられます。 すみません。つぎのご説明がよく分かりません。 ★ “地動説”は、現在でも説明可能ですので、特に問題はないかと考えられます。 ☆ こうでしょうか? つまり 一般に天動説で説明できるというのが 妥当であるが 他方では 地球と太陽との関係あるいは太陽系における星々の位置関係は相対的なものだから それは《地動説》によっても説明可能なものであると。
こんばんは、お世話になっております。Hidocchiでございます。 ANo.5のご回答者様も技術者ということですので、幾つか補足したいと思っております。 “科学”、これには、妄信的に信ずる“科学万能教徒”なるものが実在します。そう考えますと、信徒を引き連れた「チンピラ」なるモノが現に存在しているものかと察せられます。「過ぎたるは、…..」と申しますが、ここまできますと、とても厄介と考えております。 例を挙げさせていただきますと、「温暖化により、ヒマラヤ山脈の氷河が急速に消失しており、2035年には完全に失われてしまう」といった報告が、国際氷雪委員会より、なされました。もちろん、これはデマ(捏造)であることが、後ほど判明しました。ですが、これを信じてしまった人たちは大慌てだったかと思われます。 なにしろ、ノストラダムス顔負けの“大予言”を“科学者”がするのですから……. なお、はなしが少し逸れてしまうのですが、“トンデモ科学”と“(正規とされる)科学”との線引きは、以外と困難であることもございます。例えば“化学物質過敏症”も、本当に実在するのか、それとも一種の“心身症”なのかどうかは、現在でも定かではないようでございます。 その他、“マイナスイオン”効果説も、微妙な位置にあるようでございます。 ソース: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3 お礼欄に置きまして、「科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったとき」とのご見解がございましたが、 一例(地動説)を挙げさせていただきたく存じます(以下、T. クーンの“パラダイムシフト”論の受け売りでございますが)。 天動説が支持を得られていた際には(往々にして、その当時の“権威”といわれる人たちに支持を受けています)、別段問題はございませんが、その前提では解決できない例外的な問題(惑星の動きがおかしい)が登場したりしてきます。 このような問題が累積してきますと、異端とされる考え方の中に、問題解決のために有効なものも現れ、解決事例が増えていくことになります。そしてある時期に、“地動説”を拠り所にする人(科学者)の数が増えて、それを前提にした問題解決(研究)が多く行われるようになる といった具合にでございます。 また、相対性理論、量子論の出現のときも、ほぼ同様だったかと推察しております。特に、量子論におきましては、反対論者の中には、アインシュタイン(当時の大御所)がいたため、大変だったかと推察しております。 従いまして、”トンデモ”科学と言われているものにおきましても、徐々に解明がなされていくものと思われます。 ご参考になれば、幸いでございます。
お礼
なるほど。科学という分野をきちんと捉えてこの質問に対応するとしたなら もっと細かい分類と定義が必要である。こうでしょうか? ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 No.5のマサさんのご回答に応じたときには そこまでのことは考えていませんでした。《思想》ということで思っていたのは この哲学カテゴリでやり取りする内容ということに――舌足らずだったんですが――絞っていましたから。 そうしますと ◆ (回答No.5) ~~~~~~~~~ 新技術。 文句なしのゴロツキ。 科学。 半分ゴロツキ。 トンデモ科学。 まっとうな科学と意味は異なりますが、やっぱり半分ゴロツキ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ といった分類にもきちんと対応しなければならないようです。 しかも ★ “トンデモ科学”と“(正規とされる)科学”との線引きは、以外と困難であることもございます。 ☆ なんですか。ううーん。 ★ “科学万能教徒” / 信徒を引き連れた「チンピラ」 ☆ これは 世論調査の結果をそのまま信じる場合が分かりやすいでしょうか。でも わたしが勘違いしているかも知れない。・・・ ★(意訳) ヒマラヤの雪の消失は デマ(捏造) ☆ なんですね。 ★ (“トンデモ科学”と“(正規とされる)科学”との線引き)~~~ ○ 例えば“化学物質過敏症”も、本当に実在するのか、それとも一種の“心身症”なのかどうかは、現在でも定かではないようでございます。 ○ その他、“マイナスイオン”効果説も、微妙な位置にあるようでございます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ なんですね。 ★◆ 「科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったとき」 ☆ そうしますと (1) 地動説は いまでは 《トンデモ科学》とみなされていますか? (2) 相対性理論にとって ニュートン理論は トンデモ科学なのですか?――これは 違うのでしょうね。それまでの学説は 相対性理論の中で部分的に当てはまるということなのでしょうか? (3) 量子論にとって 相対性理論は どう見なされるのですか? (4) ◆ (回答No.5) ~~~~~~~~~~~~~~~~ で、オモシロイことに、 科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったときには、それこそ思想の百花繚乱です。何しろ、解決に至る道はそれしかないから。 確かに、「亜流の思想を追い求めている」のです。そして、科学は「ゴロツキ」だし.... ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この見解に 同意なさるということになりますか? ★ 従いまして、”トンデモ”科学と言われているものにおきましても、徐々に解明がなされていくものと思われます。 ☆ 分かっている範囲でおおしえ願えればさいわいです。 あらためて (5) ☆☆ (趣旨説明) ゴロツキ等は 経験合理性にもとづいてものごとの認識や判断をみちびくことをしないその状態を言います。 ☆ であるとするとき トンデモ科学は言うまでもなく 従来の理論を把握した上でそれとの整合性をもじゅうぶんに扱いつつあたらしい理論を問い求める科学にも 《非合理性を容れた想像ないし判断をみちびく》内容が含まれるということでしょうか? もしそうだとしますと 質問趣旨では こう言うべきでしょうか。つまり ( a ) あたらしい理論の必要性を覚えて新しい科学ないし思想を問い求めているというときに そのことをひとことも事割らない場合は ゴロツキに間違われるおそれがある。そのおそれは あたらしい理論の提唱者のほうが 注意を払って前もって晴らすことが望まれる。ではないか? ( b ) また 亜流の思想については その唱導者は 初源の思想との違いをまづは自覚し 必要に応じてその違いについて触れるかたちで自説を説明すべきである。ではないか? ☆ そうして ( c ) ゴロツキ等は 自説や理論の発表によりは 相手に対するいやがらせ(つまりは 内容に根拠のない話題による不要な発言)を目的とする場合を言う。 ☆ と。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.18 ダブってしまいましたね。 そんな声を聞くなら聞けばいいし、踏みつけて通り過ぎるならそうすればいい。 それで何かの痛痒なんかほっとくこともありますし、ちょいと軌道修正あるかと考えることもありましょう。 私は貴方のご質問のテーマ題目には興味がありますが、質問のご文章には正直いえば馬鹿馬鹿しい。 やりとりも馬鹿馬鹿しい。 それだけですが。これは私の感じ方に過ぎません。いろんな経験合理性がありますし、私は一定範囲のことにしか理解と同調ができませんので。 私が猫なら、猿の関心と文章にあまり関心はない。しかし猿は猫と違う意識世界でしょうから、それを猫が価値評価して意味がないとはいうものでもありませんでしょう。 どちらかが多数か少数かも意味がない。猫と猿は違うだけです。 貴方も一応言葉を極めて表現してきておられるのですから、自己の貫徹を意図されることも一つの選択肢かもしれない。 私の選択しない道だが。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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大人の男として、ごたごた言わないで、自分で決めて自分で歩くことです。 恥の上塗りに付き合う時間はない。
お礼
つづいてです。 ★ 大人の男として、自分で決めて自分で歩くこと ☆ そのように歩いていたら どこかから その質問はなっとらんぞとの声。わざわざ おまえの文章に価値を認めることは出来ないとか 声が聞こえる。 もうかれこれ 何年になりましょう。同じ声がそれはそれは しつこく聞こえてきます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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大人の男として、ごたごた言わないで、自分で決めて自分で歩くことです。 恥の上塗りに付き合う時間はない。
お礼
まささん お早うございます。たのしいご回答をありがとうございます。またいつも わたしの文章の不備をおしえてくださって感謝しております。 今回は 質問の趣旨の中で使った概念をさらにていねいに把握することが出来るようにと説明してもらいました。おおむねおっしゃるとおりだと考えます。 【Q:消費税率は世界最低 法人税率は最高 でいいのでは?】 の趣旨説明の文章は たしかにおっしゃるように成っていません。そういう中途半端なまじめというかたちで設問しています。でもみなさんは それでも趣旨を理解してくれて回答を寄せてもらい 大きな実りが得られたと思いますよ。どうでしょう? 世界各国の消費税率と法人税率の表を掲げてくださってありがとう。いい資料になると思います。 質問も添えてありますが 以上のような事情とそして質疑応答の中でだいたい答えていると思います。 ☆★ ゴロツキ等 および 亜流の思想 ☆ これらについても 概念規定のあいまいなところを明らかにしてくださって こう言っては何ですが 助かります。批判や突っ込みがあってなんぼでもありますからね。 ★ 誰も信じないようなヘンテコリンな思想は、たとえ不合理のかたまりでも、 / 既存宗教をいじくったものでないのであれば「亜流の思想」に該当しません。そのように定義されています。 ☆ なるほど。困ったと思ったのですが さすが人びとの規定というのは だてで決めてはいません。つまり 独創的な思想があってその第二次であることを 亜流の条件にするなら このご指摘にまるまる従わなければなりません。 たぶん こういうことではないでしょうか。たとえ独創的な思想でも その内容が《へんてこりん》だと証明できれば 類推的に亜流と見なすと。 科学の方面でのご指摘の中で 次の項目には 異議をとなえます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 新技術:その定義「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」(特許法による定義) より、帰納の部分(自然法則の見つけるまで)は科学の領分であり、残りの部分は 未知の領分なので演繹。よって、全部ゴロツキ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《未知の領分》は いづれ科学によって知られるであろうと見なす《経験世界》に属しています。つまり 未知のことがらについても経験合理性によって――しばしば論理の飛躍があるでしょうが 反科学的にではなく非科学的にして基調は合理性をつらぬくことによって――推理しても構わないのではないかと思いますが どうでしょう? 仮りにこれがゴロツキだとしますと そうだとしても このような科学の心は その飛躍の部分について あぁおれはゴロツキだと分かっているしつねにそう人にも伝えてことわっているということです。これが 違いだと言えるかも知れません。つまり 経験合理性が 基調であります。 ★ 科学についての 半分ゴロツキ性 ☆ これも同じかたちですね。 ★ トンデモ科学 ☆ の場合は 基調を 何を思ったか 論理の飛躍のほうに持って行ってしまうのではないか。《これこれを証明すればいいんでしょ》とことわったあとは まったく堰を乗り越えて水が流れ出るように勝手に言い放題の回答が しばしば見受けられます。そしてこのことわりもないのが ゴロツキですよね。 チンピラは その上 いちゃもんをつけて来ます。説明もなく根拠もなく道理に合わないとすでに知っていることを押しつけて来ます。おまえはうざい。消えろ。このパターンですね。 (あれっ 定義が違ったかな? ぎゃくかな?) ★ 科学の世界で、旧理論で説明できない現象に出会ったときには、それこそ思想の百花繚乱です。 ☆ このとき 亜流の思想も出てくれば 初源の思想をさらに補うように展開・発展させた場合もあるのではないですか? ★ 技術者としてゴロツキ呼ばわりしてもいいけど、それは技術者としてあるまじき失敗としたとき限定です。 ☆ 経験合理性と人間の心が 基調ですから あんまし卑下しなくてもよいのにと言うよりは もっと堂々と胸を張って 時にはゴロツキぶりを発揮してください。悪をも善く用いる。これが 人間です。 ★☆ 何か、妙な形で本来の意図と違うがつじつま合っているのよねえ。