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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:日本人の心の支えってなんですか。)

日本人の心の支えってなんですか。

moto_koukouseiの回答

回答No.12

理想は理想であっていい。それは、困った時にシェルターの役割を果たす十分なもので、必要である事はないと思いました。そして、現実を現実として受けとめ、前を向きながら現実を生き抜く事だと。 ⇒ 理想、目標、人の道、戒律を守る、その他何と表するものであっても良いと思うのですが、現状だけに生きるのではないことが、進化してヒトの脳を持つ者としては、かなり大事なことだと思います。 現状を楽に生きる、世間をうまく生きるという方法でも満足できるヒトも少なからずいるでしょうし、それさえもなかなか難しいヒトも結構います。 しかし、おそらく過半数あるいは半数に近いヒトは、イデア、理想のようなものに向かう姿勢をとても大事にしていると私は思います。 少なくとも、物書きや歴史上の事蹟を残したヒトは乱暴者や法規違反のヒト、無学のヒトでも、目指す自分の生き方を持ち続けたヒトが、圧倒的に多いと思います。暴風雨を避ける港やシェルターではなくて、欠くことが出来ない目標、目指す道なのだと思います。   ここまでくるのに、長い遠回りをしてしまいました。 ⇒ 長い遠回りでも、近道でもかまわないでしょう。やり直しは出来ないです。 正しい道なのか、最終的に到達できるのかもわかりません。間違いか正しいかはわかりません。 自分のこれまでとこれからをそのままに受け入れることが大事なのだと思います。   私は、国籍は日本ですが血としては半分だけ日本人なので、皆様のお答えをそれぞれ参考にしながら様々な資料を慎重かつ多義的に熟読、研究しないと、真の日本人の心を理解できないと判断しました。 ⇒ 多義的に考えることは大事だと思います。 なお、「真の日本人の心」という単一のものはありません。10世代、20世代と日本での血統しか持たないヒト1000人には、相当数のバラバラの感じ方、考え方、行動スタイルがあります。地域差も大きいし、昔生業としていた職業集団が持っていた気風を引継ぎ影響されていることもあります。文化は、傾向として何かを言うことは出来ますが、「真の日本人の心」というものがあると思ったら、大きな間違いです。   私のアイデンティティとしては、日本人だと思ってます。ひいては自分としての「日本人とは」の答えを出すべき時期がきたと思ってます。現段階では、答えがわかりません。 どれくらいの時間がかかるかわかりませんが、必ず「お礼」として自分の答えを表明します。 ⇒ 考えること、問い続けることは大切です。 時間は相当に掛かるし答えはないかもしれません。 一番大事なことは、考えるだけでなくて、その時点で考え感じた範囲で、仮説試行的にでも行動することです。 信仰でも、祈ったり、唱えたり、それにあった律や戒を守り、しっかり信徒としての行動をとることで、一歩の前進が出来ます。 信仰を持たないと思う場合でも同じです。 自分が理想としたり、目標とする生き方に向かって、自分を律し(=自分を磨くと思う人もいるし、プロとして精進努力すると言う人もいます)行動や生活の中心に持ってくるように努力し続けることが、答えを探す本道です。   日本においては、宗教をよしとしない見方が大多数です。しかし、人生における節目には様々な宗教が関わっています。過激な疑問ですが、大多数の日本人は、何を心の支えにしているのでしょうか。ほとんどの世界各国においては、宗教色がとても強いです。それによる争いが耐えないのも事実ですが。 ⇒ 宗教は普遍宗教だけでなく民俗宗教もあります。民族宗教という概念もあります。 神仏混淆と呼ばれている教義の統一性を欠いた言語説明が困難な内容のものもあります。日本には、正月、節分、節句、盆、夏祭り、地鎮祭、上棟式、お祓い、合格祈願、良縁祈願、商売繁盛、厄除け、神前・教会式結婚、宮参り、初詣、除夜の鐘、通夜、四十九日、成人式、復活祭、クリスマス、何でもありです。 イスラムでも、カトリックでも、習俗の中に組み込まれたものは沢山あります。 明確な教義がなく、教祖や神父、牧師、教導僧はいないが、呪術師、神官、僧侶のようなイベント専門家が式を進行支援するのでも、形は違っても宗教です。 明確な教義がなくても、心に不安を生じたときに困ることはないのです。 お祓いしてもらったり、祈願したり、真言呪やお経の読経を聞いたり、懸命に祈れば、お宮でも仏像、神像、山や磐でも滝でも、お守りでも良いのです。 祝詞や聖書の一部を読むのだと、聞いていてもわかりますが、読経やアラビア語のコーランを聞いてわかる人は限られます。 イスラムでは偶像崇拝を禁じますが、キリスト教の信者の一部にはマリアを崇める人もいます。 聖人を崇めたりするのは、多くの宗教で良くあることです。明確な教義などがなくても、教義がわからなくても、心の支えにして生きることも、苦しいときの神頼みをするのも出来ます。 これらは日本だけでのことではありません。 ⇒ 世界で宗教による争いと言われるものの多くは、経済資源の奪い合いです。 水利権を村と村が争ったり、比叡山の法師が強訴、金峰山の襲撃事件、一向一揆や天草の争いでも、スラブやアラブ、アフリカ、インドパキスタンで起きる争いも、経済や支配権の争いが基本です。 宗教で争うことは、イスラムでも、法華でもあるのですが、社会事件になるのは、別の意図が絡む場合です。中国でも、日本でも、廃仏毀釈はかなり決定的でしたが、こうした宗教の採否だけなら、長く続く大規模な争いにはなりません。 http://okwave.jp/qa/q521195.html   日本人は元来、外来されたものに対して、中国、韓国より受け入れが早く新しいものを吸収したから近代化が進んだなんてよく言われてますが、現代社会において宗教に関しては、特に新興宗教にネガティブであまり多くを語りたがらないとおもいます。 ⇒ 明治期の日本の近代化産業興隆の速度は、中国、韓国、インド、ロシアに比べても速いものです。 それは宗教とは関係ないと思います。 なお、新興宗教というか、別系統の宗教をすぐさま受け入れるという社会はないと思います。 唐の場合でも、国際交流、貿易や国土拡張などで、多様な民族が入ってきて、その人々がそれぞれ宗教を持ち込んだのを禁制、排除しなかったからに過ぎません。 新興宗教でも外来宗教でも、信者はじわじわと増えるものです。 地中海周辺でも、キリスト教が信徒を獲得するにはそれなりの時間が掛かっています。政治経済が絡まない場合は、それほどの速度では広がりません。   大多数の日本人が精神的肉体的に究極に追い詰められた時、何を支えにするのかとても気になります。 ⇒ 非定型うつが、日本でも米国でも増加しています。精神の安定には、理想、目標や戒律、習俗、道徳律で自己を位置づけることが有用です。 それが失われるとストレス障害などが起きやすくなるようです。 しかし、そうしたものや特別の支えがなくても、多くのヒトは何とかやっていけるものです。 日本にもそれなりに頼れる習俗が沢山あります。 中には、心理療法とかオカルトや医療に依存しようとするヒトもいますが、日本人の大多数というほど多くはありません。   私の親類の一人は宗教はあるけれども、心の支えは家族で無宗教だという答えが返ってきました。 ⇒ 「家族が私の支え」「彼(女)が私の支え」「子どもが私の支え」と言う人は、どの社会でも、それなりの人数割合でいると思います。  密教を含めて、今の日本に多いのは、大乗系の仏教の系統を引いています。(仏教と言えるかどうか疑問な点もありますが、、、) 仏教の元々は小乗あるいは上部座と言われる系統のものです。 基本は自分の解脱を目指すものです。 戒律が(少なくとも戒が)厳しいです。 (そうした戒律が厳しい宗教は、日本でも、他の社会でも、長期間、社会の中の多数の割合の人々に支持されることはありません) イスラムでも、ユダヤでも、同じです。 キリスト教でも、大衆を救済すると標榜している宗教だから信者になっているという人々の中では、宗教や信仰一途ということはまれです。 習俗として、困ったときのすがり先として宗教を使っているくらいです。 それなら無宗教というか、原始信仰、アミニズム、自然物崇拝でも似た様なものです。

noname#153481
質問者

補足

何から手始めに勉強しようか正直困ってました。 回答していただいた事を参考に勉強しながら、生きる道筋を立て試行錯誤しながら実行していきます。私には、アミニズムという概念もなかったので様々なキーワードを元に一つ一つ研究して、ある程度理解したら、自分の考えを表明しようと思います。

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