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科学的に見て偶然とは何か

mazeranの回答

  • mazeran
  • ベストアンサー率42% (221/518)
回答No.6

「自然界」の、極々一部を理解したような形で「人間」が作った「インターフェイス」が『科学』なわけで、自然界の流れの中では至極必然的な事柄であっても、ほとんどを理解していない及び理解しているように感じているだけの人間が、「予測できなかったことがすべて『偶然』」と言っているだけのことと思います。 「偶然」って、人間が自然界を相手にした時に「負け惜しみ」で作った言葉のように思います。 ですので、科学的に解明できていれば「偶然」なんて言葉は使いません。 自然界の法則を知ったような感覚になっている人間が、「常識」と言う理論や感覚では説明が困難か又は、確率的にあり得ないと思われた時に、「偶然」と言う言葉で片付けているのでは。 人間の科学には必ず『誤差』と言うものがあります。 なぜなら、人間は自然界の表面しか見ることができていないからです。 誤差のない結果を出そうとすると、「クォーク」かそれ以下の『物質又はエネルギー』レベルでの挙動を計算する必要があります。 所詮『計算』するしかないわけです。 自然界は計算で動いていないわけで、ここでもう既に『誤差』が出てくるわけです。 計算するにしても、基本となる『理論・法則』を基に計算するわけですが、それすら常に覆されているわけで、真偽は現時点では不明。 「天動説」が信じられていた時代の科学は、当時としては最先端だったと思います。 その当時を「現在」に置き換えてみれば、今の科学はすべてが『真』であると、誰も肯定できないでしょう。 今は、人間の科学で考えられる『誤差』の範囲内で生活しているわけなんで、その誤差から少しでも外れた現象はすべて『偶然』と言われる現象になると思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 科学といえども人の心理が強く働いているのでしょうね。

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