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哲学することは、その人のモラルを高めますか?

偉人でも、自分の身の回りの人を見ても、独学なり趣味なり、真面目に哲学を学んで日々精進している人は、小さい自分の事で他人に迷惑をかける等のことがなく、モラルが高い人が多い印象を受けます。 自分の感じでも、哲学を始めた頃に比べ、身近かな自己中行為に対して興味が引かれなくなりました。 そこで、再び問います。 哲学することは、その人のモラルを高める効果があると思いませんか? 当然、質問の振りをして、自説に近い回答だけを取り入れ、逆の回答は、無視したり、屁理屈で排除するやり方は問題外です。

noname#136007
noname#136007

質問者が選んだベストアンサー

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noname#144995
noname#144995
回答No.13

哲学をすると、人はモラルから余り外れるようなことはなくなるんじゃないでしょうか。死とか生存とか、時間とか、あるいは智慧とか徳とか、フィリアとか真理とかいった事柄を思索、探求していくと、雑多なことがそぎ落とされて行き、考えや生き方の芯があらわになってくるようにおもいます。くだらないことに振り回されなくなるとか、そういったことですよね。無駄な批判や僻みなどが無くなって、洗練された人物になってゆくと思います。

noname#136007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >はモラルから余り外れるようなことはなくなるんじゃないでしょうか。 そう言う印象を私も持っています。同意が得られて嬉しいです。

その他の回答 (12)

  • P14142
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.12

「哲学すること」がモラルを高めるのではなく、 「哲学したこと」を自分の行動や内面に反映させて、 実践していくという過程がモラルを高めるのだと思います。 「哲学すること」はモラルを高めるきっかけとなりうるに過ぎません。 いくら哲学しても、その内容が自分の頭の中の知識にとどまり、 人を説得するための材料や、人を論破・非難するための道具にしかならないなら、 「哲学すること」は「自己中行為」を正当化することになります。 残念ながら、「哲学すること」は、多くの場合一人で考える作業ですから、 頭の中だけで終わってしまって、構造的に「自己中」になりやすい危険が高いと思います。 哲学や思索は、もともと人格高潔な、 謙虚さを失わない人のモラルを高めるきっかけにはなりますが、 モラルの低い人間のモラルを高めるきっかけにはなりにくいのでは。

noname#136007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >モラルの低い人間のモラルを高めるきっかけにはなりにくいのでは。 モラルの低い人間が哲学をする思考体力があるでしょうか? そんな疑問を感じます。  

回答No.11

哲学をしているごときのことで、何にもかわりませんよ。 むしろ、屁理屈が多くなり、いけすかない人間になる。 モラルの向上は、社会の荒波にもまれ、世の中の厳しさや 人の情けを知っていくうちに、自然に身についてくる。

noname#136007
質問者

お礼

哲学をすることは、物事を深く考えます。 それが、思慮深さを与え、結果、モラルを高める効果を持つ気がします。 その考えには、どう思いますか?

回答No.10

哲学することでその人の倫理観が高まることはないとおもいます。 自室に籠って哲学するより、広い世界に出て何かを経験しながら考えることが人格の向上になると思います。

noname#136007
質問者

お礼

哲学をすることは、物事を深く考えます。 それが、思慮深さを与え、結果、モラルを高める効果を持つ気がします。 その考えには、どう思いますか?

noname#194996
noname#194996
回答No.9

>哲学することは、その人のモラルを高める効果があると思いませんか? そのとおりです。 その理由として、哲学が本来持つテーマの性質にあると思います。 哲学は人間の本質を究め、永久生命のための価値観を創り、それによって人間の目指すべき道、方向性を探求してきました。 そういったことを考えてきた先人についてもついでに探求してきました。 そういったテーマを考えていくうちにその人間自体も、偉大な先人に感化され浄化されるのは自然なことでしょう。 芸術にも幾分かそういった傾向はありますが、哲学ほど純粋に前向きのものではありません。 科学は単に世界と自然、森羅万象のなんたるかをあきらかにしていくだけの学問です。 モラルの向上には何の寄与もありません。 他の学問にいたっては何をかいわんや、世事の快楽と本能の満足に寄与するだけです。 もちろん何事にも例外と言うものは存在しますが、この際は問題としません。 ご参考まで。

noname#136007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 同意が得られて嬉しいです。m(_ _)m

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.8

No、3です。 お答えします。 哲学的思考の行き着く先は、隣人愛であり、 すべての生命に対する愛であり、人類愛であると思われます。 それの意味するところは、 すべてに対する「ゆるし」であり、「受容」であると思われます。 それが表現される「場」とは、「自分」と「他者」以外にはありません。 自分と他者が実は一つものであるという理解に達するとき、 違いを究めるための哲学的思考は終わります。

noname#136007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >哲学的思考の行き着く先は、隣人愛であり、 なるほど、うなずける感じがします。

回答No.7

 No.4です。  その回答が言おうとしたことは 次の一文はまだそれだけでは意味が確定しないということです。  ★(趣旨説明欄)=(あ) 当然、質問の振りをして、自説に近い回答だけを取り入れ、逆の回答は、無視したり、屁理屈で排除するやり方は問題外です。  ☆ このことは《自分の行為について述べてい》るのではなく そうではなく《私ではなく、良く登場する人の●を語る某氏の振る舞いについて述べた物》だということですが そのことの妥当性をどのようにほかの人に対して説得するのでしょう?  むろんこの(あ)の命題は ほとんど意味を成さないと言おうとしているのですが それはまだ論証していません。というよりも No.6さんのご回答にそれは見出されるようです。  あるいは  ★ 自己中行為  ☆ これについて何も定義がありません。それをわるいことだと判断されているようですが 果たしてどうなのか 明らかにしようというおつもりがないように見受けられます。つまりそういった意味で モラルの前に哲学だと考えます。  【Q:《自己チュー》とは どういうことですか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6110573.html  ☆☆(その趣旨説明欄) ~~~~~  もし自己中心的な思考や判断のことを言うのであれば それは 誰もに当てはまるのではないですか?   なぜなら とうぜんひとは《人間》を判断のひとつの基準とするはずです。つまりは取りも直さずこの《人間》を自己の見方考え方にもとづき捉えているはずです。人間という物差しを自己を中心として捉えたところから 思考も判断もおこなうのではないですか?  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  あるいは  ★ モラル  ☆ とは ひとが持つようになる《くせ(エートス)》のことです。集団に共通のものだとみなされれば 《ならわし(習慣・慣習)》としても捉えられます。  もし《モラル》として哲学が推奨するものがあるとすれば それはモラルは多様性があるそのことを認め合うというクセでしょう。

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.6

モラルとは人の価値基準とその行動基準と思います。『モラルを高める』とは 目的を言っていると思います。 それは 今までその人が低レベルのモラルを持っていたとその人が考えます、 例えば利己的価値基準をもっていた、そこで 高レベルモラルの利他的価値基準に変えたい、この場合 哲学は役に立つか というような ご質問 と理解します。 一般的には 現状認識がしっかりしており目的意識が明確であれば 目的達成のための そのような哲学を勉学することは その人には役にたつと思います。 ただモラルの高低は 個人で評価するもの とすると 個人評価でどうにでも点数が付けれます、すると その点数クリアーのための知識、あるいは行動基準としての哲学の勉強は 自己満足以外のなにものでもないでしょう。 では モラルの高低を世間の平均値を基準として 自分のレベルをそれに対して向上させようと考えるなら 一つの偏った哲学の勉強より 世間のモラルを広く拾い集め 行動基準を創り上げた方が 無難でしょう。 もうひとつ、哲学は 主張する という重要な面があります。主張の結果 その人の世界が実現していきます。もちろん その構成要素の一つに独特のモラルは付随しています。そのモラルに焦点をあて 評価するのも一つでしょうが ご質問者さんの期待にそえるものかどうか 疑問です。 ちなみに本カテの世間モラルからズレていても質問者、回答者、読者はあまり気にしてない ように思われます。本カテは哲学に絡んでいるのでしょう、とにかく主張が強くでているとおもいます。多様な主張はそれでいいかと思います。したがって『当然、質問の振りをして、自説に近い回答だけを取り入れ、逆の回答は、無視したり、屁理屈で排除するやり方は問題外です。』となりますとこのカテからはご質問者さんの期待にそえるモラルものが 得られるか どうか 相当 疑問とおもいます。  以上 失礼しました。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

昔から先人達の言っていることは大変参考になりますよ。日本では、似非儒者や生臭坊主と言うのがありましたね。  磨いたら磨いただけは光るなり 性根玉でも何の玉出も なんて道徳ぶった儒者もどきの歌に対して、江戸町民は  光ろかのこんにゃく玉も藍玉も たどん玉でもふぐり玉でも とやり返した。  線香のどらとはさすが和尚なり 江戸日本橋芳町には陰間茶屋が並んでいました。坊主は女犯を断つことになっている。だから毘沙門天に帰依した上杉謙信と同じで、女を断って陰間専門。芳町じゃ、お遊びの時間は線香何本で数えた。  女でも男でもよし町といひ  一本一分の線香を和尚立て  芳町は匂いがやむと迎ひが来  芳町で和尚線香手向けられ こんなんが、哲学やる連中の相場だと庶民は思っていたらしいですよ。 行動と言えばカントは一生独身で、毎日決まった時間に散歩していたそうです。皆は、カントが散歩に出る時間で自分の家の時計の狂いを調整していたそうです。何か、夕方に成ると必ず決まった時間に巣を張り出すクモみたいな人だったんですね。 その人が何と言っているかではなくて、どう行動しているかで判断しなさいって、誰かが言ってたような気がする。まっ、人間は理屈を言う奴は信用しない方が良い。「てにをは」にこだわるのが官僚や似非学者だ。今度の原発見てたって、「当面は安全だ」と言った官僚が居たり、「再臨界の可能性は0ではない」とは「その可能性は限りなく0に近いと言うことと同じ意味だ」なんて屁理屈言っている学者もどきがいた。こと程左様に理屈を言う奴ほど信用できな奴らはいないっちゅうことが良く判る。だから言葉をいじくり回して居るだけの哲学者を信用しては駄目だ。理屈でなくて経験に基づいて行動している哲学者が、その経験に後付けの理屈を付けているのだっら、その言葉も信用しても良いかもしれません。

回答No.4

 こんにちは。  ★ 自分の感じでも、哲学を始めた頃に比べ、身近かな自己中行為に対して興味が引かれなくなりました。  ☆ というご感慨の表明と そして次の言明とは 矛盾しませんか?  ★ 当然、質問の振りをして、自説に近い回答だけを取り入れ、逆の回答は、無視したり、屁理屈で排除するやり方は問題外です。  ☆ 矛盾しないというのであれば その《問題外》の振る舞いも 《自己中行為》ではないとなります。自己中行為には興味が引かれなくなったのだから このような《問題外》の振る舞いについてわざわざ触れるといった行為をなさらないと考えられるからです。  哲学が出来ることは せいぜいそういったわが心の真実を述べることのみです。

noname#136007
質問者

補足

回答ありがとうございます。 回答の意味に分からない部分があるので、再度質問させて下さい。 >自分の感じでも、哲学を始めた頃に比べ、身近かな自己中行為に対して興味が引かれなくなりました。 これは、自分の行為について述べています。 >当然、質問の振りをして、自説に近い回答だけを取り入れ、逆の回答は、無視したり、屁理屈で排除するやり方は問題外です。 これは、私ではなく、良く登場する人の●を語る某氏の振る舞いについて述べた物です。 そう言う理解でも、矛盾を感じますか?  

  • zebura23
  • ベストアンサー率30% (252/820)
回答No.3

哲学的作業が行なわれる場は自身の意識の場であり、 みずからとの問答ですから、 いわゆる「モラル」という設定も必要なくなります。 自分自身との対話が成り立つのであれば、どのような事柄であっても、 「哲学的思考」ができます。 おっしゃるように、哲学することは人のモラルを高める効果がありますが、 モラルとは最低限の「足並み」でしかありませんので、 哲学的思考のもたらすものは、 それを大きく超えて余りあるものがあると思います。

noname#136007
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >モラルとは最低限の「足並み」でしかありませんので、 >哲学的思考のもたらすものは、 >それを大きく超えて余りあるものがあると思います。 その、大きく越えてあまりある物とは何でしょうか? せっかくの哲学ですから、それを考え、言葉にして提示していただくことは大きく意味があると思います。

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