※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:そこが天国(哲学))
天国と地獄のバランスとは?
西洋のマニアックな偉人の格言に「天国に行く近道とは、地獄に落ちる最短ルートを熟知する事」とでもいうのはある、天国を切望するだけだとバランスが取れないんだ。
そしてだよ、、、、
地獄を理解しても天国まっしぐらもいけない。
天国の道と地獄の道をバランスよく了解したらだよ。。。
場合によっては地獄の道を望んで選択するのもありなんだよ。
その地獄が自分にとっての天国だから自ら選択するんだ。。。
そういうものさ。
何のために地獄に落ちるかというと、地獄に救済の働きをもたらすために、ちょっと仕事で出かけるんだ。
このキザなセリフは私の思考回路の基礎的根底の一つだけども、哲学とかかわる文芸作品として何か読書感想文でも回答して冷やかしてください。
なにか偶然でさらに先に進めるかもしれません。
哲学研究の支援依頼です。
馬鹿らしいのでそう言ってくれてもいいですよ。
お礼
ありがとう。 この質問はしたたかに酔っぱらって、いい気分で書いたけどシラフで読み返すと恥ずかしい。古い話だからなんといっても青臭い。 元々は20代前半で身に着けた「地獄へ落ちるぞ!(いや、俺が突き落とす)」という宗教的な恫喝への自然な抗体だよ。 素晴らしい文才だね、単なるセンスだけでなく霊感と言って差しさわりの無い才能もあるんだろう。 実に楽しい回答だよ。
補足
マメ知識で助言か意見。 観念論の土台から死後をうかがうと、人は死者を前提にするから「死者による思考」というドグマダイブをする。 そこがややこしい、生粋の住人と同じ「聖霊による思考」をすると、観念世界の探査が容易になる。 そして、自分が死者になると死者の国に行くというのは、見知らぬ世界に恐怖がある。 事実とは感覚的には「肉体を失う」という自己の変化がある、その時に今までの人生が集約され、何らかの形での魂の純化とでもいうのがある。 自分が変化するんだ。 「人は誰もが死ぬ、例外はない」認めない人も多いが単純な原則で「まあ、そうだろうな」でいいんだ。 世界が変化する未知よりも、自分自身の変化というのは実際は恐怖が軽微だ。 その変化により、「死者の思考術」を捨てて、魂がしかるべきところに向かうんだ。 今はわからなくても、割と大丈夫なその変化は、誰にでも訪れて例外はない。 感覚的には全てが純粋な光として凝縮した世界で、あなたの表現する地獄に近いかもしれないが快楽でなく幸福か安楽だろう。推定だと思ってくれ。 楽しめた文学へのお礼だ。