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『昔はよかった』

classicgaskiの回答

回答No.9

 「昔は良かった」は、いつの時代でも誰でも感じる事のようです。若いことの特権は時代の空気、感性や波長が合い、時代の中心にいてもてはやされて、原体験として体に刻印されるのですから、感性が鈍り感動も薄くなり惰性で生きがちな高齢者からは、昔が良かったになるのももっともでしょう。今の日本の世代間の差は、お互いそりも合わず、埋めようもない宿命のようなものかも知れません。しかし、歩み寄りは可能だと思うのです。高齢の人は、若い人から謙虚に感性やアイデアを学び、若い人は高齢者から経験と知恵を学ぶことが必要と分かっているはずですが、その接点が見つかりません。日本ほど世代間のコミュニケーションが取れない国はないのではないでしょうか。しかし接点が持てない社会システム、文化を高齢者側の大人が戦後営々と築いてきたのですから責任逃れはできません。それにしても異星人同士がいっしょに住んでいると錯覚を起こすことさえあります。そうなれば相手の欠点しか見えてきません。感性が一致する訳はないのですが、歩み寄りの接点は何であるかを本当は見極めたいのです。これは若者より高齢者の方が強い意識をもっています。個人のレベルでは考えられるのですが、社会的なスケールでの接点は、ボランティア活動とか学校での生活科の範囲を広げるしか思い付きません。  さて、私は高齢者側に入りますが、「今の若い人は」と本音の部分ではあります。いつの時代もこの感想は不変と思いますが、ただその程度と質の違いは確かに昔とは違うと感じます。しかし、そのような文化、システムを生んだのも先輩たちであり、我々ですので本来彼らを責める資格などありません。それを承知の上であえて40年前と比較すれば、  1.非常に子供っぽい(特に外国人は感じるようで        す)  2.社会的視野が狭い  3.ため口をきき、語彙が少なく荒っぽく品位がな    い。  4.他人への配慮が極端に欠ける  5.判断が感覚的で好き嫌いが唯一の基準かと思わ    せる。自分に興味ないこと以外はすぐに「関係    ない」と言う。  6.人間的なバランス、知識のバランス、情緒的な    バランスに欠け、欠損していると感じる部分が    多い。  7.反射的なリアクションが多く、思索する熟慮す    ることが少ないように思われる。  良いところももちろんいっぱいありますが、今回はやめときます。批判に聞こえるかも知れませんが、問題提起の部分もあります。自分はそうじゃないと言う人がたくさんいてほしいですね。今の時代ほど歴史上、自己表現が達成できる時代はありません。羨ましいぐらいです。40年前は人の熱を感じましたが、今は時代の嵐を感じます。40年前に比べて、今の時代は総合的に素晴らしい時代と感じます。

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