• 締切済み

西洋近代科学は第二人称をどう扱っているのでしょうか

主客二元論の下では、第一人称と第三人称との間での遣り取りが重視されているのではあるまいか、と思われますが、現実には第二称的な関係が中心に横たわっている様な気がしますので、お尋ねを致したくなったのですが、此の質問のタイトルの回答が若し存在しているのでしたら、具体的に教えて頂けないでしょうか?

みんなの回答

回答No.3

日本語とか古代ギリシア語とかの場合には、 3人称が主語になった命令文が存在させ得る様ですが、 例えば近代西洋語等の場合には、 「汝自身を知れ」という言葉に代表される通りに、 命令文の主語が2人称になっています。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

ゲーム理論等へ反映されていると思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

御互いに自分の再帰代名詞的な目的格を認識しているのでないでしょうか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「囚人のジレンマ」と「第二人称」

    西洋近代科学が「主客二元論」に立脚している筈なのに、 どうして第二人称的な自分達の振る舞いを相互認識している様に感じられるのは、どういう錯覚に起因するのでしょうか? 哲学分野では此の問いへの回答が得られませんでいたから、此の分野の方からの御教授を賜りたいです。

  • 「囚人のジレンマ」の状態での認識対象は?

    西洋近代的な「主客二元論」の下では、 主体が第三人称を客体側へ据えて認識を行なってきた、と思われますが、 「囚人のジレンマ」の概念は、西洋近代社会で生まれているのに、 同時に御互いを「第二人称」として認識し続けているかの様に、 私には思われます。 でも唯の錯覚なのかも知れませんので、適切な認識を保持したいものですから、 下記の内容に関しましての回答を御願い致します。 『「囚人のジレンマ」の状態の下で認識されているものは、 「第二人称」的な自己なのでしょうか?』

  • 作者が批判する人物像を一人称の語り手の持続的対話相手にするのは論理的に不可能?

    作者が批判/侮蔑する人物の造形については、三人称の語り手でならばできるとしても、一人称体での語り手の持続的対話相手としてはできない、と論理的に言えるでしょうか? 現実世界でも長く相手にしてはいられない相手ですしね。また、造形できるということは、その人物の存在形式を理解できるということですので、結局、批判はできないということになりますからね。できれば、具体的な反証例作品を示していただけると嬉しいです。

  • 西洋近代科学なのか否かに関わらずに考えてみました。

    理論的な説明の為には、例外の排除が伴ないやすいのでしょうか。

  • 西洋近代科学的な食生活

    どうして英国の料理の味付けはセルフサービスになっているのでしょうか?

  • 霊的存在の有無を確率論で数学的に証明できませんか?

    霊的存在を、科学的に証明することが難解であることはわかります。 しかし、大数の法則などを用いて、確率論で相対関係を求めることは、そう難しいことはでは無いのでは…。 具体的には、 霊能者と呼ばれる人を大数の法則に則った人数を集め、心霊スポットと呼ばれる箇所に集めます。 そこで、同じ場所で同じような霊の存在を指摘した霊能者が相当数のいれば、これで存在が証明されたも同然と言えると思います。なにより、説得力があります。 p.s. 実はyahooで同様の質問をしたのですが、的外れな答えが多かったのです。 今回は、「霊的存在の有無を、確率論で数学的に求められないか」という問に対して、中心に答えていただけると幸いです。  

  • 「科学」と「自然科学」と「科学的」。あいまいさ。

    元になっていると思われる外国語の背景については以下の質問で回答を戴いているところです。 「science という言葉の語弊」 http://okwave.jp/qa/q6919627.html 国語のカテゴリーでは主に対処法を相談させてください。 「科学」(Goo国語辞書) http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/37739/m0u/%E7%A7%91%E5%AD%A6/ によると、 「…、広義には学・学問と同じ意味に、狭義では自然科学だけをさすことがある。サイエンス。」 なのですが、一般的にも、専門家の用語としても、狭義の意味の方で広く使われているのが現実だと思います。 使われ具合で決めると、もはや自然科学をさす言葉としての「科学」になっていると思います。 私としては文系の学問が科学とされる事実を尊重して、広義を”全く”無視した使い方に抵抗と無責任さを感じます。狭義の科学という言葉が使われるのは、文系と対比させた趣旨でつかわれるのですから、なおさらですよね。この狭義の問題は他の言葉の狭義問題よりも、断然ややこしいのです。 そう考える私としては、自然科学という意味の「科学」を活かしにくいことになります。狭義の使用が途絶えてしまいそうなのです。 (1)いちいち「自然科学」と表記しなければならないのでしょうか。重たいですよね。 (2)「科学」は明治期の造語だと思うのですが、当初から、文系の学問に対しても使われていたのでしょうか。つまり当時の日本においては、広義の意味だけだったのでしょうか。 ★私が問題にしているのは「社会科学」という看板が存在するから使われているという建前論的な説明ではなく、学問の分類作業とは全く関係しない、文章や対話の中で、「科学」という言葉が文系学問の意味で使われるかということです。生きていたか、ということです。その意味で、今日、広義の方は死に体だと思います。 「その説明は科学的じゃないと思います。ヒトの先祖は猿と同じですよ」 「そうか、君はそんなに科学が好きなら将来、科学者になったらいいよ」 「うん、生物学者になりたいんだ。先生みたいに政治学や文学は好きになれないもん」 「私は科学は苦手だからね。だから逆に科学教育の必要さが身にしみて分かるんだよ。がんばって将来科学者になりなさい。図書館に行ったら、子供にも分かる科学の本があるよ。直接、科学の楽しさを教えてあげられなくて申し訳ないけどね」 (3)なぜ科学と言えば自然科学をさすようになってしまったのでしょうか。 (4)皆さんは日頃、「科学」の使い方に問題を感じませんか。日常会話と、説明や議論においても同じ使い方でしょうか。 こういう事を考えずに、上の対話のように使いまくってもいいのでしょうか。

  • 分かり易い文法書

    ある文法書にはこうあります。 If I were rich, I would buy you whatever you want. If I were you,I wouldn't worry about it. 「Iは金持ちでもなければyouでもありません。だからこのようにwereを使っているのです。これで主語がIでもwereを使う理由をわかって頂けたでしょうか。」 は? 全然分かりません。 「最近では主語の人称に合わせてwasを使う場合もあるけれど、原則的にはwereです。」 だからなんじゃそりゃ? 推測によるとこうだろう。この場合のIは現実性の無い存在(本当の自分ではない)であるから、(どういう経緯かは知らないが)具体的文法の条件は無視されてIだろうがheだろうがwereになるのだ。つまり英語では具体的人称に対してだけ文法が適用されるのだ。 しかし、そのことは書いてないから、私の勘にフォローされて読まれているだけだ。この推測も確定ではない。単にIが現実の自分にとって、他人だから2人称を使っているのかもしれない。だがその場合3人称のwasの方が適切ではないのか。If I was richはyou(2人称)ではないのだから。 他にも例を上げたらキリがないが、実用的に「こうだ」と言っている部分が多く、その経緯が詳しくないので 、結局欧米人が何を考えて言葉を選んでいるのかよく分からない。ただの丸暗記では応用力が無く、文法を理解する意味が無い。 そんな私に適した文法書があれば教えてください。

  • 政治学 存在論と認識論

    政治学 存在論と認識論 大学の政治学入門の授業で分からない事があるので助けてください。 存在論と認識論に関する英語の資料を宿題に出され、一応読んでみたものの いろんな情報がごっちゃになってしまって上手く頭の中でまとまりません。 資料の中で出てきた主な用語は 存在論、認識論、基礎付け主義、反基礎付け主義、 実証主義者、現実主義者、Interpretism(日本語不明) で、今まで分かった事は 存在論は基礎付け主義者と繋がり、認識論は反基礎付け主義者と繋がる。 基礎付け主義者は客観的で、反基礎付け主義者は主観的。 という事だけです。授業始ったばっかりなのにもう既に分からない事 だらけで不安です。どなたか分かる方、それぞれの用語の解説も含め それぞれの関係性を教えていただけないでしょうか。 何卒よろしくお願いいたします。

  • 近代科学の定義

    江戸時代の科学を調べています。この時代は、結構擬似科学も多く含まれています。例えば、引力、磁力などの相互作用を五行説で説明したりしています。時代を考慮すると、五行説を持ち出したからといっても、すぐに擬似科学とも呼べないような気がしています。調べを進めるうちに何をもって科学または科学者と呼べばいいのか解らなくなってしまいました。 そもそも、科学と擬似科学を厳密に区別することはできないとは思いますが、何をもって(近代)科学と呼べるのか?果たしてその定義みたいなものはあるのでしょうか?皆さんのご意見をお聞かせください。よろしくお願いいたします。

このQ&Aのポイント
  • Windows11へのアップデートにより、Windowsエッジが開かなくなる問題が発生しています。
  • この問題はウィルスセキュリティのアップデートと関連している可能性があります。
  • Wi-Fiの接続は正常であり、再起動も試みましたが問題は解消されていません。
回答を見る