• ベストアンサー

「囚人のジレンマ」の状態での認識対象は?

西洋近代的な「主客二元論」の下では、 主体が第三人称を客体側へ据えて認識を行なってきた、と思われますが、 「囚人のジレンマ」の概念は、西洋近代社会で生まれているのに、 同時に御互いを「第二人称」として認識し続けているかの様に、 私には思われます。 でも唯の錯覚なのかも知れませんので、適切な認識を保持したいものですから、 下記の内容に関しましての回答を御願い致します。 『「囚人のジレンマ」の状態の下で認識されているものは、 「第二人称」的な自己なのでしょうか?』

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#130496
noname#130496
回答No.3

囚人のジレンマは技術ではありません。 東洋思想については知りません。 相互認識を扱う科学の分野ということなら、生物学、心理学、社会学、ゲーム理論、行動経済学等の行動科学全般だと思います。 いずれにしても、当初の質問からも、経済学カテゴリーの範囲からも、質問内容が逸れ始めています。 当初の質問について私が回答できることは以上です。

SakuraiMisato
質問者

お礼

又別の機会に御教授を賜れると、幸いに思われますから、 其の際には、何卒宜しく御願い申し上げます。

SakuraiMisato
質問者

補足

有り難う御座います。 伺える可能性を他の分野が秘めている事情を諭して下さいまして、 非常に助かりました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

noname#130496
noname#130496
回答No.2

>そもそも文献で分かる程度に留まっている愚問でしたら、此処で伺おう、とは考えません。 「文献で分かる」と書いた覚えはない。 「囚人のジレンマのどんな文献にあるどんな記述を読んだか」を聞いただけ。 それを聞いたのは、文献にある説明が誤解を招くものだったり、その説明についてのあなたの解釈が誤りである可能性があるから。 ゲーム理論の文献はもちろん膨大で、それらを全て読んだわけではないだろうし、また専門外の人が正確に理解することは期待できない。 だから、「どんな文献のどんな説明を読んだか」は回答する上での有用な手掛かりになる。 >一方向的ではなく、「囚人のジレンマ」の様に、御互いの出方を窺う認識の視点が取り扱われている』という事が、私には不可思議に思われたのです。 確かに、ゲームの(ナッシュ均衡を含む)均衡の一般的な解釈では「各プレイヤーは他人の行動について何らかの予測をしその予測の下で最適な行動をする」とされている。 この解釈では、各プレイヤーにとって、他人は自然や社会と同様(あるいはそれらの一部として)1つの客体だと思う。 そこでは各プレイヤーは客体への1つの認識(それを主観と呼ぼうが何と呼ぼうが)を持つと仮定されるだけだと思う。 拘束力のある約束をできない状況での人間行動をそのまま形式的に記述しただけだと思う。

SakuraiMisato
質問者

お礼

専門分野だけに括られた事情なのではなく、 壮大な越境が可能であれば、誠に有り難いです。

SakuraiMisato
質問者

補足

すいません。 無理矢理の質問へのお付き合いを賜り、とても嬉しく思います。 本当に参照文献は御座いません。 私の勝手な「妄想」で、 『認識主体と認識客体との相即関係』を連想しておりました。 と申しますのも、 『主客二元論が登場した当初には、 「認識客体が認識主体へ影響を及ぼす」という関係が、 科学の中で取り扱われていなかったのではないか?』 と私が考えていたからです。 そもそもの着想の元は、 『東洋医学と西洋医学との間での接客(患者への認識)の齟齬の起源を知りたい』という痛切な願いで御座います。 そして其の酷く愚かで拙く幼稚な思考の過程の途上で、 『「囚人のジレンマ」という技術(?)が 「相互認識の技術の分析の手段」にもなり得るかも知れない』 という奇妙な妄想が思い浮かびましたので、 更に詳しく知りたくなったものですから、伺わせて頂きたくなりました。 従いまして、折角の機会ですから、追加の質問をさせて下さい。 その疑問は、次の通りの内容の物です。 つまり 『自分を認識している他者達からの視線を認識し合う関係を、 東洋哲学的に取り扱った、西洋近代的な科学技術の事例は、 現時点で発明されていますでしょうか?』 という内容です。 度々乍ら畏れ入りますが、 ご教授を何卒宜しく御願い申し上げます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#130496
noname#130496
回答No.1

「お互いを第二人称として認識」や「第二人称的な自己」といった言葉の意味がよく理解できません。 補足で説明してください。 その錯覚が囚人のジレンマに関するどんな文献のどんな記述を読んで生じたのかも書いてください。

SakuraiMisato
質問者

お礼

矢張り汎用性が乏しい状態では助言なんてとても出来ないですよね。

SakuraiMisato
質問者

補足

注目を下さりまして、有り難う御座います。 因みに畏れ入りますが、 そもそも文献で分かる程度に留まっている愚問でしたら、 此処で伺おう、とは考えません。 私の気になったことは、下記の通りの内容です。 つまり、 『周知の通りに、西洋近代科学の視点では、 第1人称の認識主体と第3人称の認識客体とを峻別させて、 一方向的な主従関係を拵えている、と言えますが、 其処から派生した筈の経済学では、 一方向的ではなく、「囚人のジレンマ」の様に、 御互いの出方を窺う認識の視点が取り扱われている』 という事が、私には不可思議に思われたのです。 ややこしい表現を使い、申し訳が御座いませんが、 もし支障が御座いませんでしたら、 御教授を賜れると助かりますから、宜しく御願い申し上げます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 「囚人のジレンマ」と「第二人称」

    西洋近代科学が「主客二元論」に立脚している筈なのに、 どうして第二人称的な自分達の振る舞いを相互認識している様に感じられるのは、どういう錯覚に起因するのでしょうか? 哲学分野では此の問いへの回答が得られませんでいたから、此の分野の方からの御教授を賜りたいです。

  • 西洋近代科学は第二人称をどう扱っているのでしょうか

    主客二元論の下では、第一人称と第三人称との間での遣り取りが重視されているのではあるまいか、と思われますが、現実には第二称的な関係が中心に横たわっている様な気がしますので、お尋ねを致したくなったのですが、此の質問のタイトルの回答が若し存在しているのでしたら、具体的に教えて頂けないでしょうか?

  • 暦の誤差

    近代的な暦が出来る前の1年の概念は、どのように認識されていたのでしょうか? 特に、日本と西洋で1年の日数が違うということはないのでしょうか? 例えば、うるう年というのがあります。これの認識がなければ、1000年でその1/4の250日の狂いが生じます。 この誤差はどのように吸収されたのか? ということです。

  • 純粋理性批判(Q7)

    純粋理性批判(Q7) 「空間と時間という直観の形式によって(よるのだから)、客体は物自体ではなく現象として認識される」として、あくまで例としてですが、 「我思うゆえに我あり」の、「我(思う)」が認識の主体で「我(あり)」が現象と言えると思われます。 この場合、デカルトは(よく知りませんが)どちらも同じ「我」と考えていたことになるのか、という気もしますが、それはさておき、 「認識主体としての我」と「現象としての我」についてカントは何か述べているでしょうか。 いるとすれば、その概略を教えていただけないでしょうか。 それとも「我」という概念には、物自体・現象という基準を適用させてはいないのでしょうか。 前提に間違いがございましたら、それもご指摘いただけるとありがたいと思います。     

  • 西洋哲学の系統分けについて

    西洋哲学は大雑把に存在論と認識論とに分けられるでしょうか?同じ哲学者の思想の中にも両面がある場合もありますか?西洋哲学は古代から近代にいたるまで、どういう系統立てが出来るか、あるいは類型化できるかを大まかでよいので教えて下さい。合理主義と経験主義とか実念論と唯名論といった区別もありますが、もっと大きな分類でお願いします。系統的把握なので中,小分類ではなくあくまでも大分類。あまり細かい分け方は無用です。

  • 囚人のジレンマ

    現在、ノイマンやゲーム理論、囚人のジレンマなどについて調べています。 そこで囚人のジレンマについてなんですが、 ジレンマが起こるということはわかったのですが、 「だから何?」という感じで何がすごいのかがよく分かりません。 ジレンマで結局決められないのか、あるいは裏切って結局損をするのか ゲーム理論はそもそも何をしたいのか。 囚人を両方開放する新たな方法を導き出すのが目的? それとも人間は結局ジレンマで苦しんでしまうというのが結論? この辺の胸のもやもやを取り除く明快な回答をお願いします。

  • 囚人のジレンマ

    無限回繰り返した囚人のジレンマで「しっぺ返し」よりも強いオリジナル戦略を考えています。 良い方法が見つかりません。何か例などがあればおしえてください。

  • 囚人のジレンマについて

    以下の例は囚人のジレンマに当てはまるのか教えてください。 あるひと組のカップルがいます。 男(25歳)はまだ学生で、大学院に通い、アルバイトはしているが収入はあまりない。 女(26歳)は就職していてそれなりの稼ぎがある。 2人が結婚を考えたとき、 男は大学院での研究を続けるまたは就職して彼女を養う 女は男を養うまたは専業主婦になる この条件で囚人のジレンマは考えられるでしょうか。 回答お願いします!

  • 囚人のジレンマについて

    例えば、社内別々の部の関係について。 2人が協力すれば両者win-winになると分かって入るが、互いに離反している。 原因は、作業が面倒とか、協力しなくてやっていけるって感じです。(派閥とかではない) 本など見ると2人で解決する方法は見つかります。 今回の質問は、実社会で2人の間にたって第3者の立場に入ることです。両者をwin-winにもっていく方法について。(看守の立場で囚人を改善する) 案 (1)互いに協力するメリットを再確認 (2)こちら(第3者)が血を流し(マイナス覚悟)お互い頑張ろうってもっていく (3)経過をチェック 順番にしていく。 本では、あくまでも2人での動きで終わっています。 実社会では誰かが壁を打ち破る行動をしないといけない、と考えています。 第3者がバカを見て終わりとか、2人で解決すべき、その通り、ご意見いただければと思います。

  • 囚人のジレンマ

    囚人のジレンマの結末はどうなったのでしょうか?