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寝たら?

島崎 信也(@zakky74)の回答

回答No.46

Fairyland_0201さん。 返信が大変に遅くなりましてすみません。 僕は、今の日本が今からの時代において、世界の中心になっていき、日本から始まる黄金時代が開けてくる事を確信しています。 その理由が、実は正にFairyland_0201さんが質問している疑問を、世界で初、そして歴史上としても初のものとして、明確な解答を出しているのが、この日本であり、この質問に解答する事を通して、新しい経済大陸、新しい知の爆発が起きるからでございます。 その中の一つのプロジェクトに関わる様になってから、時間の使い方が随分と変化しました為に、このQ&Aサイトに顔を出す事が極度に少なくなりました為に、返信が遅くなってしまいました。 ですが、必要最小限の説明責任は果たしたいと思っておりますし、できる限りFairyland_0201さんの疑問を整理しながら突破口までを案内できるお応えでありたいと思っておりますので、以前より時間は掛かるかもしれませんが、今後とも顔を出そうと思っておりますので宜しくお願い致します。 >思いついたのは二者が相互にかかわりあってる(表裏一体)という点ぐらいです。向こう側とこちら側で、見る視点だけが違うような…? 仰る通りです。 二者は、相互にかかわりあっておりますね。見る視点が違うだけでございまして、実は同じ土台を共有していたり、同じ前提を持ち合わせている事が分かります。 どちらに中心を固定して見るか、の問題です。 そして、それは本当の意味で中心ではなかったんですね。 本当の意味の中心とは、それらの違いや相違点さえも包み込んでいる前提であったり土台であったりするところに潜んでいるものです。 それが共通点です。 Fairyland_0201さんの仰る事はその通りなのですが、Fairyland_0201さんのその表現だけですとイメージが不鮮明であったり曖昧さが残るのではないでしょうか? そこに少し補う事を通して少しでも鮮明になれば、と思い更に共通点について別の角度から触れる事を通してもう一度戻ってきたいと思います。 西から東へ行く事。 東から西へ行く事。 これらは別物の様に思えます。 ですが、地球と言う土台があるという点で共通です。 マイナスからプラスに上がる事。 プラスからマイナスに落ちる事。 こららは別物の様に思えます。 ですが、上下の軸を移動するという点で共通です。 男性が女性に恋心を寄せるという事。 女性が男性に恋心を寄せるという事。 これらは別物の様に思えます。 ですが、人間の心が寄り合おうとする動きという点で共通です。 それぞれは、共通点であり同じ土台の上にあります。 ですが、観点を固定する事によって別物に見えます。 自分は観点を北の方へと固定していたのであれば西から東へ行く事は右手の方になりますし、東から西へ行く事は左手の方になり、両者は全く別物です。 自分は観点をプラス方面へと固定していたのであれば、マイナスからプラスに上がる事は前進や推進となりますが、プラスからマイナスに下がる事は後退や低迷となりましょうか。 自分は観点を男性の方に固定していれば、男性が女性に恋心を寄せる時には男性性が自然に優先されてしまいますし改めて男性性を問う事はしませんが、逆に女性性が理解出来なかったり改めて女性性を問う事をしたりします。どちらも、人間性の一側面ですし、自分の中には男性性も女性性もありますね。 共通点があるのですが、その内の部分や違いを選択してそこに観点を固定する事によってまるで相違点であるかの様に見えてしまう仕組みが、実は至るところに隠れている訳でございます。 そこで今一度、前回の投稿に立ち戻ってみます。 表と裏は全くに分離や独立されたものではなくて、お互いに関わりがあるという事ですね。前回の投稿の中ほどにも触れました外から中に入ってくる動きと、中から外に出て行く動きで観たり、100円玉の表や裏で観たりしましたが、これの共通点とは、同じ100円玉であるという事や、同じ空間軸に乗っているという点です。 同じ空間軸を前提として、その前提の上で外だとか中がありますね。同じ100円玉を前提として、その前提の上で表だとか裏がありますね。 この100円玉を切り離して分離する事が出来ませんし、この空間軸を切り離して分離する事が出来ません。共通点であり同じ前提を共有している・・・その上で、観点をどちらかに固定する時にまるで相違点であるかの様に見える方向性や複雑性が生まれるんですね。 その様にして、僕たちの観点は実は物理的宇宙や存在論や宇宙が一つ・・・といったポジションに固定され易いんですね。 逆に、意識的宇宙や認識論や宇宙が無限・・・といったポジションには歴史的にも文化文明的にも殆ど固定する事がございませんでした。個人の経験的にもそうです。 僕たちが五感覚でパッと見た世界ではどうしても、宇宙が一つあって、その中を銀河系があって、太陽系があって・・・そしてAさんがいて、Bさんがいて、Cさんがいて・・・自分がいるという認識方式になります。 逆に、自分の認識があって、その上で自分の認識の上にAさんがいて、Bさんがいて、Cさんがいて、地球・太陽系・銀河系・宇宙・・・があって、それは自分の認識に観点が固定した宇宙であるという観方をしている事に気付く事は殆ど有りません。 ですが、観点を動かしてみるならば、自分と自分の観ている宇宙もありますが、AさんとAさんの観ている宇宙もありますし、BさんとBさんの観ている宇宙もありますし、CさんとCさんの観ている宇宙もあるという事です。 そして、共通しているのは、観点をどこに固定するかによって、主体と客体が同時に生まれているという事ですね。 ここまでで、Fairyland_0201さんが気付いた事や感じた事がございましたら、お聞かせ下さい。

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