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自己と他者
ふだんはそんなことは、まるで考えないのですが、ここ数日、ある考えが頭から離れなくて苦しんでおります。 それは「自分(自己)」というものがどのように「他者」を理解するのだろうということです。「自己」は自分という殻からは一生出られず、 しかし他者と理解しあったり、恋愛したり、憎しみあったり・・ 他者を理解するということイコール自己の経験の投影なんだろうか・・とか。 考えても埒があかない問題ですし、考えすぎて苦しくなってくる程で、 みなさまの見解をお聞かせください。 そして、困ったことに、これを考えていると恐ろしい考えにいくつくのです。 つまり自分の見ている世界は、全部自分の仮想現実なのではないかと いう・・。他者には一生なれないわけで、それなら、本当に存在しているかどうかは、確認しきれない・・。 全ては夢の中のようにも思えて、自分でも、馬鹿だなと思いつつも でも神経症なんじゃないかと思うほど気になる。 どうぞよろしくお願いいたします。
- tou99
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哲学の究極問題だと思います。養老孟司さんの「唯脳論」という本がありますが、参考になると思います。この問題は答えがすぐ出てくるものではなく、ひょっとしたら宗教の起源とも関係があるのではないでしょうか。安直な答えを求めようとすると、良いことはないと思います。養老さんのほかの本も参考になりますが、彼は自己言及の矛盾という言い方をしています。また別の表現では「ひとは自分の脳の中に棲んでいる」と言っています。私は木村敏さんの「時間と自己」や木下清一郎さんの「心の起源」なども真摯な取り組み方を教えてくれる本だと思っています。古来誰も答えを得られなかった問題です。デカルトのコギトエルゴスムは彼の結論でしょうが、これは答えが見つからなかったという告白のように感じられます。ずれますがあなたのようにこの問題で悩むと周囲の人もまた同じ状態に置かれていることがわかり、この人たちの存在が実に大切に思えてこないでしょうか。実はあなたを悩ませている疑問は、逆説的に人は孤独ではないということを確信することがその答えなのではないでしょうか。
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- tehutehu50
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読んでいてこんな話しを思い出しました。 ドラえもんというアニメは御存知ですか? 何をやってもダメなイジメられっ子の少年を助けるため、21世紀からロボットがやってくるという話しなんですが…。 あの話し実は主人公の「のびた」という少年は植物状態で意識がなく、あの世界は少年の夢の中のお話なんだそうです。 登場人物に至るまで全てが。 あなたの言っていることはそれに近い内容ですよね。 マトリックスなんかにも似てるかもしれません。 ただアニメや映画の話しとは違い、それが仮想現実だったにしてもそれを証明できるものは何もありあません。 現実世界だったとしても同じことです。 つまりはどちらにしても何も変わらないんです。 面白い話しだとは思いますが、答えを求めたり悩んだりするのは意味がないと思いますよ。 あ、ちなみにドラえもんの話しはただの根拠のない噂かもしれません。
お礼
回答ありがとうございました。 ドラえもんの話は、確かに聞いたことが・・・ ぞっとしたのを覚えております。 でもたしかに、たとえそうだとしても、そうでなかったとしても、 証明できるものは何も無い・・ 答えを求めすぎて悩むのは、ナンセンスなのかもしれませんね。 ぐるぐる、思考の迷路にはまっていた私に、 tehutehu50さんの答えは、 すっきりと腑に落ちてきました。 ありがとうございました!
- nco
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唯識論のことでしょうか。 そうであれば資料はたくさんあると思います。 でも答えがあるのかどうか、わたしにはわかわかりません。
お礼
回答、そして参考URLをありがとうございます。 ぜひ読んでみます。 でもたしかに答えのない問題のようです・・・ それがわかっただけでもすっきりです。 ありがとうございました。
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お礼
回答ありがとうございます。kaitara1さんのご意見、本当に、目からうろこのような気分でした。 そうですよね・・結局はみな同じ立場で、人は孤独ではないことを裏付ける・・そのとおりだと思います。 そしてこの問題が、哲学の究極というのも、分かります。 本、読んでみます!