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 授業で「失楽園」の状態="意識,分別が形成されている”と聞いたのです

 授業で「失楽園」の状態="意識,分別が形成されている”と聞いたのですが、具体的にいうとどういうことなんでしょうか?  また、失楽園のプロセスについても詳しく知りたいのでぜひ教えていただきたいです。。

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回答No.2

 こんにちは。  ちょうど同じような質問があります。  【Q:創世記にある失楽園にて、アダムとイブは蛇によって唆されて知恵の実を齧ったとされていますが、何故蛇は唆すような真似をしたのでしょうか?】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6055209.html  その回答No.6をごらんになってください。  《失楽園》もしくは《アダムとエワが楽園を追放された》というのは 神に敬意を表してそういう言い方をしたものです。人間の存在は讃えられています。(弟アベルを殺したカインでさえ そのカインを殺した者は何倍もの報いを受けなければならないとされて 存在のとうとさがうたわれています)。  別様に 次のように解釈します。  エワのいう女の人は 知恵に長けていました。  光がモノに当たって遮られても その後ろ側の陰となった地帯にも あたかも曲がって進むかのように入っていくと知り ここから自分の魂の 方向の偏りを想い描きました。  このふとした体験を 夫のアダムにも話しました。かれのほうは そのような心のズレについては 気が向きませんでした。  ここから 心のズレ 魂のユレとマガリ そして 人と自分とのチガイを知ることになったというおとぎ話の始まりです。  ここから 言語表現のいわば無限の可能性を見ることになったと思われます。言葉による世界の知解に対する飽くなき追求が あたかも生存の欲求を満たすことであるかのように始まる。その言葉の表現における人びとのあいだでの互いの理解のちがい これがあることも 分かってきた。  知恵の木から人間はみづからが その木の実を採って食べた。エワに勧められてアダムも食べた。そのアダムにしても 同じ言語表現の世界に入りその海に漂うことになった。  知恵の木の実を食べてからは ことばの表現によっておこなう意思疎通において 互いの思いに違いのあることを知ることになり 善とそうではない悪との認識が 始まった。自分の思いが善だと思えば それと違っている相手の思いは 善ではないと思いたくなる。それは 悪だと言いたくなった。  ここからは 言語にふたつの類型が始まった。善だ悪だと判断しわたしの思いを語るスサノヲ語と 相手に〔も〕善と思わせる表現を用いて相手を説得し 自分の善を実現していこうとするアマテラス語とである。  人間語ともよべるスサノヲ語は 互いの善をそれぞれ互いに いやいや悪だと思っても これらを互いに認め合って生きる素朴な共生の知恵である。(ムライズムあるいは インタスサノヲイズム)。  アマテラス語は あくまでも光のあまねく世界を照らすように 概念の普遍性を求める表現形態である。  途中でその真理追求を打っ棄って 相手の無知につけ込み 相手に善の見せかけをほんとうの善であるとして言い含め丸め込む場合をも含めて 一般にこの類型は アマテラス学問語もしくはアマテラス語弁論術と呼ぶとよい。  (科学にしても つねに普遍性の明確化については 進歩する状態にあるとしか言えない側面がある。  その場の暫定的な判断に従わざるを得なかったり あるいは 既成の秩序や既存の現実が重くのしかかって その不合理だが事実として有力である側に従わざるを得なかったりする。  そのとき しばしば アマテラス語弁論術は 言語表現じょうの真実追究(修辞学)としても科学的真実の追究としても空しい場合が見られる)。  ▲ アダムよ きみはどこにいるか? / エワよ あなたは何ということをしたのですか?  ☆ という声を聞くことができるなら ひとは真理にほんの少しだけとしてでも触れられていると考えられます。この社会あるいは世界にかんする全体観 これが分かっていれば 《失楽園》はそれほど大きなあやまちでもないのではないかと思われます。  たぶん 確信犯 これは間違いであるかも知れません。人と人のあいだのマ(間)が違っていて 話が合わないという差しさわりが現われます。    ★ 「失楽園」の状態="意識,分別が形成されている”  ☆ この理性あるいは善悪についての分別 これが 世界のすべてなのではないと知っていることが大事ではないでしょうか。ではそのほかに何があるか? なぞです。  そういった共同主観( common sense )が常識になるとよいと思います。

その他の回答 (2)

回答No.3

どのような授業か存じませんが、聖書の中に書かれてある内容では… 最初の人間夫婦は「楽園」の中の全ての木の実(「命の木」も含め)を採って食べる事が許されていました。但し「善悪の知識の木」の実だけは食べる事が禁じられていました。この木の実を食べる日には必ず死ぬ(具体的には「楽園」から追放されて「命の木の実」を食べられなくなり、いつか老いて死ぬ)と神から言われていました。この善悪の知識の木の実を食べることは、人間が自ら、何が善で何が悪なのかを決めることを意味していました。「善悪の知識の木の実」を食べないということは、神が善悪を決定して、人間がそれに服して「楽園」に留まって生き続ける、ということであり、逆にこの木の実を食べて神に対して罪を犯して「楽園」から追放されるということは、善悪の判断を人間自ら行い、神の支配に服さないことを意味することになりました。 失楽園のプロセスについて話を戻します。 重要な任務に就いていた神の御使い(ケルブ、後に悪魔と呼ばれる)のひとりが、神が人間を支配することに異議を唱え、人間は神に服さなくても自らの判断でうまいことやっていけると主張して、この善悪の知識の木の実を食べると善悪の判断が可能になると蛇を通して女を騙してこの実を取って食べ、ついで男も食べ(男はこの実を食べる結果を知っていた)ることにより、結果として人間は楽園を追放されたというものです。 ですから、聖書でいうところの「失楽園」の状態とは、人間が自ら善悪を判断して、神から見て罪の状態にある(神が悪とされたことも人間が善と判断することにより)ことを指しています。 神の支配に服さないので、その代わりに人間が支配者(政府)を形成して上手いことやっていけるということで人間は「失楽園」の状態を選んだワケですが、果たしてその結果は…?

  • kigurumi
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回答No.1

聖書の中の失楽園の部分でしょうか? ヤハウエイの父親は父親を殺し、さらに最高地位をくれと母親に言ったところ、母親は夫を殺してさらに最高権力までくれとはなんたるバカ息子と怒った。 でもヤハウエイの父親は、権力・支配への渇望がすさまじかったので諦められず、天使の半分を味方につけ母親に戦いを挑んだんです。 これがキリスト教の言う天使たちの大戦争で、ハルマゲドン神話の元にもなったお話。 しかし圧倒的戦闘能力を持つ母親の前にズダボロになってしまった。 キリスト教だと神の最高権力欲しさにルシファーは天使の半分を味方につけ神側についた天使たちと大戦争をし、神によって落とされたとなってます。 聖書ではこのルシファーに対して人間側は同情的になってます。 「ああ 光の子 ルシファーよ」って。 ケチョンケチョンになり大敗したのですが、その息子であるヤハウエイだけは父親ゆずりの支配欲と権力への欲望がすさまじく諦めて撤退しなかった。 初源の神がヤハウエイを胎内に戻そうと口を開けると、ヤハウエイは暴風を起こし口を閉じれなくして矢を射て殺したんです。 そして殺した初源の神の肉体をヤツ裂きにして、天と地を作った。(天地創造) 初源の神を殺したのでこの世を運行する者がいなくなり、世は無秩序になってしまうため、勝ったヤハウエイとその手下の天使たちがこの世を運行することになったのですが、そうなると忙しくて身の回りのことができなくなり、天使たちはヤハウエイに文句を言ったんです。 それで身の回りの世話をする者として、初源の神の肉体である土と、初源が選んで石版を渡した天使を殺して得た血をまぜて人形を作り、そこに初源の神を殺したときにやったように息を吹きかけ人間を造って農場で働かせていたわけです。 この農場が楽園。 人間はせっせと天使たちのために働いてたところ、あるものが「あの木の実を食べてみなさい。」とエヴァに教えたんです。 エヴァはヤハウエイからその木の実を食べると死ぬと聞いていると答えると、「死ぬことはありません。そればかりか神のように物事がわかり分別をつきます。」と返答され、それでその実を食べたところ、神と同等の知恵を得て、分別がつくようになったんです。 エヴァはアダムにそのことを教え、アダムも分別がつくようになった。 分別がつくようになった二人は、自分たちは今まで何も知らなかったとわかり 無知であったことを恥じたんです。 ここらへんが意識 自我の発生じゃないかと。 で、真実を知る知恵を得てしまったので、自分たちが存在する前、一体何が起こったのか、自分たちは本当はなんのために創造されたのかわかってしまった。 奴隷として作られたとわかり、奴隷の運命に従うしかなかったと知ったわけです。 ところが知恵を得た以上、もう一個の選択肢ができた。 このまま奴隷として存在するか、自由意志を持った新たな存在となるか。 奴隷には自由意志は無くご主人様の命令通りのことを実行するだけのために存在。 食べる・食べないという自由があり、食べるを選択したのは誰の命令でもなく自ら選択したわけですから、本当は知恵を食べる前から自由は存在していたってことですね。 ただそれが知恵が無かったので存在していたのに見えなかった。 で、結局 見えるようになったので、自らの意志で農場を出ていったわけです。 自由を得ることを選んだのは自由が見えるから選べたし、知恵を得たので自己決定ができたので、出て行くを選んだわけです。 その農場はご主人様の命令を実行するだけの存在である奴隷専門の土地だったので。 出エジプトでも同じことが起こっている。 奴隷だった民族はモーセに従う自由と、エジプトの奴隷として残る自由があったのですが、モーセについていったものは、「こんな辛い思いをするのなら、エジプトで奴隷として生きた方がマシだった」と不明不満を言ったわけです。 それでも自分で出て行くことを選択した以上、誰かの人形ではないのですから、命あるものになるわけです。 失楽園・意識・分別をキーワードにして文章を形成してみました。 エヌマ・エリシュとその続編である聖書の内容を元に作ってみました。

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