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九仞の功を一簣に欠く
pandaAppleの回答
1.手許の『新字源』では、 「欠」=「完」の対。物がかけそこなわれる。不足する。欠陥。 「虧」=「盈」の対。目減りしたり、そこなわれたりすること。 ということで、意味が微妙に違っています。 これでいけば、「欠」は「完全なものから不足する」で、「虧」は「みちたりたものから目減りする」という意味合いです。 2.小生の感覚では頻繁に出くわした記憶がないので(たまには見かけますが)、文中にいきなり出てきても、特に若い人には理解できないことが多いとは思います。 文書に使わない方がいいかどうかは、その文書をどういう人が読むかにもよるでしょう。 ただ、小生は“常用漢字ではないから使わない方がいい”とは思いません。オーバーに言えば“一期一会”ですから、こういう慣用句は何かの形で眼にしない限り、一生知らずに過ごす人もいます。 もし質問者さんが何かの文中にこれを用いたとしたら、それを読んだ人が意味を調べ、一つ知識を得ることになります。“常用漢字ではないから使うべきではない”と言ってしまったら、四字熟語や慣用句の多くは消え去っていくしかないでしょう。 そして、もし使うのであれば、「簣」「虧」など原典通りに用いるべきで、“常用漢字ではないから”という理由で、原典をねじ曲げていいものとは思いません。読めないかもという思いがあるのでしたら、ルビを振ればいいだけのことだと思います。 なお、「仞」と「仭」は正字と異体字の関係ですから、「虧」を「欠」としたり「一簣」を「一気」としたりするのとは意味合いが違います。手書きなどでは「仭」とする場合がよくあるように思いますが、全く違う字ではありませんので、さほど目くじらをたてるほどではないと思います(もちろん“正字”を使う方がより正確ではありますが)。 3.この句の意味するところは、「最後の“もっこ”一杯分の土を盛らなかったために、九仞の山を完成させることができなかった」ですから、「自分の努力が足りなかったために……」というよりは、「ちょっとした油断したために(最後に手を抜いたために)完成するものも完成できなかった(失敗に終わった)」という意味合いだと、小生は理解しています。 ですから、“他人の援助が得られなかったから成就しなかった”とか、“妨害があったから成就しなかった”という意味合いではなく、あくまで“本人が手を抜いてしまった結果、成就できなかった”ということだと思います。
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