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憲法9条と国益

sudacyuの回答

  • sudacyu
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回答No.8

 憲法第9条の解釈について、過去に多くの議論がされ、自衛戦力の保持については可能であるが、集団的自衛権は認められないというのが、現在の結論です。  一般に言われるのは、集団的自衛権が認められないために、相互に守りあう対等な軍事同盟が結べず、外交的に不利になるという見解です。(集団的自衛権を認めるために、この憲法解釈を変更するという考え方を取る人もいますが、そのようなことをすれば、国民に憲法改正を諮ることなしに、憲法の実質を変えてしまうことになり、国民主権をないがしろにする行為と思います。)  この問題の本質は以下の点に行き着くように思われます。  日米安全保障条約の規定は、アメリカ・日本双方の国はお互いの憲法の範囲において義務を果たすということが規定されています。(当然です。憲法を逸脱することは出来ません。)  日本の憲法は集団的自衛権を認めていない。アメリカの憲法は認めている。そのためアメリカ側が一方的に重い義務を負わされている。  条約として対等にするためには、日本も集団的自衛権を認めなければならない。これが9条改憲論を取る多くの方の趣旨で、条約というもののあり方を観念的に見た主張です。  アメリカのタカ派(=共和党系議員が多い)は、日米安全保障条約が、日本国憲法9条のせいで、法的にアメリカのみに不利な不平等条約になっているとして、大きな不満を持っています。  ただし現実を見た場合、別の解釈も成立ちます。  集団的自衛権を認めれば、アメリカが攻撃されれば日本はアメリカを攻撃した相手を攻撃する義務が生まれます。  最近50年間、日本の国家権力を他国で行使して、他国の国民を殺した数は、0です。  それに対して、アメリカは、朝鮮・ベトナム・イラク・アフガニスタン・中南米・アフリカ・・・。数十万を数えます。  当然、日本に攻撃を掛ける国よりも、アメリカに攻撃を掛ける国の方がはるかに多いはずでしょう。  対外的に高い評価を受けている『平和国家日本』の看板は、日本に居る間は分かりませんが、世界的に親日国が多い理由の最重要の要素の一つなのです。集団的自衛権を認めると、この国益を失うことになりかねません。   もし仮に、昔から憲法9条がなく、集団的自衛権を憲法で否定していないということであったならば、朝鮮戦争・ベトナム戦争に日本も参戦せざるを得なくなっていたかもしれません。  尚、韓国は米韓安全保障条約があったため、ベトナムに派兵しましたし、アフガニスタンにも戦闘部隊を派兵しました。  現状では直接アメリカ本土を攻めようとする国が存在するとは思えません。アメリカの東西の大洋である、太平洋・大西洋の制海権を完全に維持していて、アメリカを攻撃できるのは、大陸間弾道ミサイルか、テロに限定しています。  アメリカを攻めると言っても、アメリカの在外民間施設・公館・アメリカの海外駐留部隊が目標になるはずです。  テロのように相手の存在場所が分からず、国家を相手にできない場合は別として、アメリカが戦火を交える場合は、アメリカ以外の他国が戦場となり、アメリカが戦場となることはないでしょう。  この場合、アメリカ以外の国で戦うことが、自衛戦争に参加していることになるのか、常に問題となるはずです。 ・日本が集団的自衛権を認めるならば、アメリカにとってどのようにプラスか・・・  日本が集団的自衛権を認めておらず、条約としてアメリカ側に重い責任が課されている結果、法的には、確かに不平等ですが、国力・軍事力・地理的関係・その他の事情から、日米の負担がやっと同じくらいの状態となっています。  米軍基地の守りは自衛隊が担当し、米軍維持費+思いやり予算までつけてアメリカの太平洋制海権確保への協力を行い、在日米軍の一部がアフガニスタン・イラクなどにも派遣されたことでも分かるように、日本を守る以外の目的に使われるアメリカ軍の維持費を日本が出しているなど、日本側の負担も相当あります。  条約上の立場が同等になれば、実際問題としては日本のほうがより重い負担をしなければならないのが現実でしょう。  アメリカの西の大洋である、太平洋の制海権維持に全面協力している日本は、太平洋の制海権をもっともアジア大陸よりで抑えるための、アメリカの軍事的生命線で、その維持費が日本負担となっているのはアメリカにとって大きなメリットです。(フィリピンの海軍基地・空軍基地は、フィリピン政府が基地設置の見返りに、援助を要求したところ、撤去されました。)  更に付け加えると、日本の横須賀米海軍基地は、アメリカ原子力空母のメンテナンスができる海外で唯一の基地で(日本の工業力がバックにあるからできるのです。)、インド洋に展開するアメリカ海軍にとって生命線となっています。(アメリカ本土までメンテナンスに行くことになれば、余分な交代戦力が必要となります。)    結局、日本を守る=アメリカを守ることになっているのですから、法的には、確かに不平等ですが、現実の状況を考えるなら、東西を大洋に囲まれたアメリカの西側の守りの拠点として、日本は重要な位置にあり、日本を守ることで太平洋の制海権をアメリカが確保できる現実があります。    日本付近のアメリカ・およびその同盟国の戦力は、それぞれ単独では総合的全面作戦をする能力がありません。  韓国は陸上戦力のみが強力。在韓米軍は緊急展開機動陸戦力主体。在日米軍は攻撃空軍力・空母機動部隊・強襲上陸用艦船および海兵隊=攻撃力。日本は防空・防海能力と対潜戦闘能力が突出しています。  それぞれの戦力には総合作戦を行う能力が欠けていますが、これらを一体的に指揮・運用することが出来れば(=集団的自衛権)、総合作戦が展開できます。(韓国軍・在韓米軍・在日米軍の指揮権は、アメリカが持っていますが、日本に対する指揮権は、日本が集団的自衛権を認めていないため、アメリカにはありません。)  集団的自衛権を設定すれば、複数の国の軍の指揮権が一体化されますが、日本には攻撃部隊・攻撃兵器の運用実績がないのに対し、日本の兵器の大半はアメリカの軍事技術を使ったもので、アメリカが日本の兵器の運用・指揮をすることになんら支障はありません。(日本の防衛省の総合指令所のシステムは、米軍の極東指揮所=横田基地内と同じものを採用しており、互換・オンライン化が可能です。現在は、オンライン化していません。=集団的自衛権がないので。)  ですから、集団的自衛権を認めるとは、極東有事の際は、実質的に日本の軍事力がアメリカの指揮の下に入るということを意味します。  アメリカにとって、今は「日本の自衛隊が日本を守る。」「米軍基地は日本にある。」よって「米軍基地は自衛隊によって守られる。」という状況です。  つまり、攻撃が大規模であれば自衛隊は、日本国民を守るか、米軍基地を守るか、アメリカにはわからないということです。  日本が集団的自衛権を認めれば、自衛隊に米軍基地を優先的に守らせることが出来ます。(アメリカは、9・11以後ハイジャックされた民間航空機が軍事施設・首都圏に近づいた場合、撃墜することを明言しています。民間人の生命より軍事反撃能力の保持・指揮系統の保全を優先させる戦略を明確に持っています。)  『アメリカが日本を守ってくれるか。』という疑問を「教えてGoo」にされる方がいますが、在日米軍に日本を守る戦力はほとんどありません。  駐日アメリカ大使が在日米軍は『抑止力』といっているように、日本を守る戦力ではなく、だれかが攻撃してくれば「攻撃してきた相手を攻撃する能力」に特化しています。(守れるのは、自衛隊だけ。)    佐世保に配備されているアメリカの強襲揚陸部隊が日本近海で緊急に使われるような場合、それを潜水艦攻撃から守る対潜装備を持った戦力は、日本近海では自衛隊にしかありません。  このように、アメリカは在日米軍の攻撃戦力を守るための守備力として、自衛隊をその指揮下に置くことを望んでいます。  軍事戦略上は、民間人を守るより、反撃戦力を守る方が正しいのかもしれませんが・・・。 <<韓国軍のベトナム戦争派兵>>  ベトナム派兵は、1964年7月、医務要員とテックォンド教官派遣, 65年3月、工兵隊である鳩部隊派遣, 65年10月、戦闘部隊である海兵青龍部隊と陸軍 猛虎部隊派遣, 66年9月、白馬部隊派遣などに引き継がれた. 8年8ケ月の間、計31万2853名の国軍がベトナムの地を踏んだ. 韓国軍被害は、戦死者4960人, 負傷者1万962人, 枯葉剤被害者6万6千名などだ.  また、憲法がアメリカの押しつけだから、改正する必要があるというのも本質から外れています。今現在および将来に対して、憲法が機能しているかどうか、国益に合致しているかどうかだけが重要です。  アメリカからの押しつけで、日本が開国したのは多くの日本人が知っているでしょう。『開国』がアメリカからの押しつけだから、『鎖国』しようという論が、根拠のないものなのは、すぐに理解できると思います。  最後に補足:小泉前首相は「集団的自衛権」を規定する考えがないことを明らかにしていました。

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