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自分を突き詰めれば、自分でない感じがする。

. 自分の本質は何か? と突き詰めるために、こんな思考実験をしてみました。 まず、自分の足の親指を切り落としてみます。 それで、足の親指と、身体本体と比べてどっちが自分の感じがするか? 当然ですが、身体本体が自分である感じがします。 次に、足を切り落とす、腕を切り落とす、 それで、胴体と頭の部分と、切り落とされた手足とどっちが自分の感じがするか? やはり、胴体と頭の部分が自分である感じがします。 さらに、胴体と、頭を切り離します。 (この場合、頭には血液とか、栄養を送り生きている状態に出来ると仮定します。) その場合、まだ、胴体より頭が自分である感じがします。 さらに、頭部を脳とそれ以外に切り離します。 こんな、思考実験を続けると、自分とは最終的に意識の残っている方に自分の本質が有るという気がします。 つまり、極端に考えると、意識こそ自分の本質で身体という物質は自分という意識を入れている容器な様な物だ。 という、所に行き着くのです。 しかし、ここに自分はすごい違和感を感じます。 物質である身体の部分を切り離すにつれて、身体を通じて入ってくる情報はなくなります。 暑い、痛い、美味しい、・・・これが、どんどん消えていきます。 それって、自分なんだろうか?外部から、信号が入ってこない意識に意識の存在意義はあるのか? つまり、自分は、自分の本質を突き詰めれば、突き詰めるほど自分でない感じがするのです。 これって、凄い矛盾していないか?と思うのです。 まだ、思考をしている最中で混乱もあるのですが、皆さんは、この矛盾についてどう思われますか? 意見を聞かせてください。 .

みんなの回答

noname#99059
noname#99059
回答No.23

>意識こそ自分の本質で身体という物質は自分という意識を入れている容器な様な物だ。 「本質」とは、結局、よく機能する「入れ物」のことに過ぎない。 かもかも♪

mintarou1
質問者

お礼

. 面白い考えだと思います。 けれど、良く機能する「入れ物」ってなんですか? 身体能力って、結構遺伝に左右されるから、それって違うなって思うんですけど・・・・ 良くわからないので、具体例を挙げてもらえませんか? 参考に、考えたいと思います。 .

noname#135843
noname#135843
回答No.22

 こんばんは、Hidocchiです。 > それって、自分なんだろうか?外部から、信号が入ってこない意識に意識の存在意義はあるのか?  確かに、仏教の思想では、特に唯識思想におきましては、あらゆる諸存在が個人的に構想された識(”心”に現れた表象)でしかなく、それら諸存在は主観的な虚構であり客観的存在ではない と解し、それら諸存在は「空」であり、実体のないもの(つまり、般若心経の「色即是空」です)ということを説いています。 もちろん、心身二元論に立つわけですが、デカルト等とは異なり、”心”と身体は相互依存関係であるというものでございます。  この論を進めますと、当然身体がなくなりますと、識も生まれず、諸存在の主観的な構築も消失してしまいます。  従いまして、この仏教思想からは、存在意義を認めるのは困難かと考えらます。  一方、話しが変わるのですが、身体の各部分を排除していった際に生じた実験(治療)と致しまして、ロボトミーというものがございました(下記サイトをご参照ください)。 http://psychodoc.eek.jp/abare/lobotomy.html  http://www.direct-comm.com/terms_lobotomy.html  ロボトミー手術(脳の前頭葉部分を切り取るというものです)の術後結果は、おおむね以下のようだったそうです。 1. 性格が変わる 2. 意欲が消失する 3. 知性自体には影響は見られない  また、事故等で、前頭葉を無くしてしまわざるをえなくなった人も同様の症状を呈したそうでございます。ただ、残念ながら、これらの患者様で、意識がどうなった等の情報は存じておりません。  そこで、さらに考察を進めますと、前頭葉部分には、 1. ”心”とは何らかの関係がある 2. もしかしますと、(超越的存在を認めるという前提を要しますが)、そうした超越的存在との何らかの情報・信号のやりとりをする部分とも解釈は可能かと思われます。  つきましては、身体を切除した、ある意味、最終形態はこのようになろうかと察せられます。 > つまり、自分は、自分の本質を突き詰めれば、突き詰めるほど自分でない感じがするのです。 これって、凄い矛盾していないか?と思うのです。  因みに、上記仏教思想では、「自分」の“本質”なるものは認めてはおらず、”心”の存在もまた、夢のごとき存在(「空」)であり、究極的にはその実在性も否定されております。  何らかのお役に立てれば、幸いでございます。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 提示していただいた情報は、有益に感じています。 ロボトミーについては、知っています。 意識を考える上では、欠かせない、有名な出来事ですからね。 Hidocchi さんも、書いておられるように、 脳の前頭葉部を手術、削除して、「人格等」に変化が現れた。 言えるのは、「前頭葉」と「意識」が何らかの関係がある。という所で留めて置くべきでしょうね。 何しろ、「意識」と「脳」の関係については、脳科学の最前線でも分かっていないんですから・・・ ただ、解釈は自由に出来るわけで、特に、自分らの様に公の物を背負っていない場合は、それについて語っても構わないでしょう。 Hidocchi さんが、考察を進め >1. ”心”とは何らかの関係がある >2. もしかしますと、(超越的存在を認めるという前提を要しますが)、そうした超越的存在との何らかの情報・信号のやりとりをする部分とも解釈は可能かと思われます。 としています。基本的にその解釈に賛成です。 意識には、顕在意識と潜在意識があり、潜在意識は顕在意識より、はるかに大きいとされています。 その、潜在意識の正体は、闇の世界ですからね。果てがあるか、無いか分からない・・・ 話は、少し変わりますが、 いま、(顕在)意識について考えています。 追い込んで考えて行くと、時々、分からなくなるんです。 分からないと言うのも、随分いい加減な言い方ですが、 例えば、 意識って本当に存在しているのか? 意識って本当に自分の本質なのか? 自分の物じゃないのに、自分の物と勘違いしているんじゃないか? とか・・・・それって、仏教で言うところの「空」に近いんですかね? 考えを詰めていくと、宇宙空間にぽっと放り出されたような感じがします。・・・ まあ、そんな一筋縄ではいかないと思ってはいましたけど、 とりとめの無いない、話ですみません。 また、何かあれば、教えてください。 .

回答No.21

ここは議論する場ではありませんので、もし他の回答が気に入らなければ、 ただ淡々とご自身の考えを述べましょう。 また、質問者さんも、議論を誘導するようなコメントのつけ方はやめて、 直接のコメントと評価だけで対応して下さい。 我々回答者は、好意で回答しているのであり、もし『この人には回答する必要はない』と思えば (そう書いていただければなお明快)、次回からその方の質問はスルーいたしますので。

mintarou1
質問者

お礼

. >ここは議論する場ではありませんので これについては、私は分かりません。 他のスレッドを見ると、ある回答者が他の回答者の意見に、自分の意見を述べているのを見かけることは少なくありません。 意見は、様々ですが、最初の回答者の、推論の矛盾や、飛躍などを指摘し、結果、回答が正しい方向に向かっていくと感じる例も多々見かけます。 ここは、「教えてgoo」というサイトです。 議論により、質問者の疑問の回答に近づくならば、このサイトの趣旨に反していないじゃないかとも考えています。 >質問者さんも、議論を誘導するようなコメントのつけ方はやめて、 これは、どの点を指しているのでしょうか?自分は、自分の考えを述べているだけのつもりです。 問題の、コメントを教えていただければ、考えたいと思います。 >もし『この人には回答する必要はない』と思えば、(そう書いていただければなお明快) 私は、psytexさんの回答を必要ないと思っていません。回答番号15のお礼でも書いてあるように >最後になりましたが、真摯な回答ありがとうございます。心から、感謝いたします。 と書いています。それは、嘘ではありません。 ただ、同所で書いてあるように、誤解を全面否定する考えには賛同していません。 それについて、psytexさんの意見を聞きたいと思っています。 また、もう一つ素朴な疑問として感じることがあります。 哲学とは、思考することだと思います。 自分の感じ、体験等から、推論を重ね、答えをたぐり寄せようとする作業との認識です。 「存在」についての論もいくつか読みましたが、ほとんどが、自分の推論(または、思考実験等)の結果として得られた、結論の考えを提示しています。 psytexさんの様に、量子論を根拠に「存在」を説明している例を知りません。 最新の物理学の結果、しかも、量子論という、ミクロの物理学を根拠に、話を展開する方法に、他書の方法論との差に違和感を感じます。 これについて、それから、前回の私の「誤解を全面否定する考えには賛同していません」について意見を聞かせてください。 スルーなさらない様、お願いします。 .

noname#99059
noname#99059
回答No.20

「不確定性」は不確定性原理の『不確定性』、のことであるのなら、「無限のゼリー」とは、何の『無限のゼリー』のことであるのか?? 「分かったつもり」の、『分かった』分だけの誤解を恐れて身動きとれない、それでも発言はしたくてたまらない専門家?(笑) どんなに分かりやすいコトバや文章であっても、完全な理解に達しているという保証はなく、それだから、多かれ少なかれ、常に理解の労は注がざるを得ないはずで、それをもって、努力とみることもできるのではないですか。 だいいち、ここは、まさに知ろうと、いえ(笑)しろうとが主役のQ&Aサイトではなかったのでしょうか?それに、物理学のカテでもないですし。 来るの少々怖くなって、私なんか投稿するのは、やめとこうかな、と、ためらってしまいましたわ(笑) さて、ですが 幻肢痛、ということがあるそうですね。 脳がなかったら、痛みなどを感じることができるんでしょうか? 身体各部を切り落としていくことによって、その分、信号が消失していき、そのことによって、自分の本質の消失感が増大した、あるいは、自分が消えていく感じ、ですか。 外部から、信号が入ってこないな~っていう意識。意義があろうとなかろうと。 それらのことを感じとっているのも、これまた脳ですよね? >行動を起す場合、過去の記憶を参照した上で、行動を決める場合があります。 ここで、行動を起すために、過去の記憶を呼び出そうとした「何か」、記憶を元に、次の行動を決めた「何か」、この「何か」に、自分の本質の重みを強く感じるのです。 ちょっと待ってください。 記憶というのは、記憶の仕方、その重なりゆくさまにも、個々の者の個性とか特徴とかの違いがあるように思います。ですので、行動を決めるときに参照するべく呼び出そうとする、すでに、それ自体、行動の如何を決めさせるだけの力を、「記憶」が持っているからこそじゃないのでしょうか。 その、各個による「記憶」のあり方の個性、これが何によるのか? 私の母親の言ですが、生まれてきたばかりの赤ちゃんに、もうすでに個性はシッカリ備わっているよ、と言うんですけどね。 他との関係性によって存在できるのだ、という考え方も、よく聞かされるところですけど、 生まれながらに人事不省の人などは、どうなっているのだろうか、と思います。 その人の世話をしている人たちをはじめ、周囲は、その人事不省の人の存在を認識しているわけですけど、当人は意識も自覚もないわけでしょうからね。 「意識の存在意義」はあるのかないのか、私にも分かりませーん。ゴメンナサイ。意義がなくても困らないみたいだしネ?(笑)

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 それから、お礼が遅れてすみません。 >その、各個による「記憶」のあり方の個性、これが何によるのか? >私の母親の言ですが、生まれてきたばかりの赤ちゃんに、もうすでに >個性はシッカリ備わっているよ、と言うんですけどね。 VenusAurea さんが、上に述べているように、記憶を持たない赤ちゃんでさえ、個性があるわけでしょ。 記憶に関係ない所で個性があるということは、その個性こそ、本人の本質に近いものだと思うのです。 前の方のお礼で述べているように、記憶が、全く関係ないとは、言っていないんです。記憶以上に、本質への重みの大きいものがある。と言っているんですよ。 この、「何か」が、小さい記憶を持たない赤ちゃんの個性を決めている「何か」と重なるのではないか・・・と思っているんですよね。 .

noname#101110
noname#101110
回答No.19

NO.11 です。大きな補足をいただいたので、やっぱりお返しせねばといった気分になっています。 けっして「いじめる」積りはありませんので(笑)。 >多くの信号が、消失することで、自分の本質の消失感が、増大したと言うことです。 もう一度、提示したURLの「脳地図」を参照して、僕の考えた所を理解ください。 (質問者さんの、区別の最大の手段を否定するものではありません。) このあたりに質問者様(私は回答者ということtになっています)との齟齬があるような気がしています。 自分というものの存在(可能性も含めて全存在)としては、入出力機能を含めたいっぴきのいきものの権力の及ぶ範囲(手指、足指含めて)を考えねばならないと思いますが、自分の本質、エーキス、純粋で個性的名な自分というものとしては、そういった未来に関わる外部との干渉機能は一応除外していいのではないか、と思うのですが、どうでしょうか。 たとえば三重苦でも世界に著名となったヘレンケラー女史は、やはり視覚、聴覚、押しでありながら強烈な存在を主張したひとでありました。 ひとの個性的存在は、”過去の”その人自身とその人に関する知人の記憶で一定の評価が定まるものです。これをもってそのひとの本質とは思いませんが、少なくとも、その時点で彼が5感を喪失していたとしても、たとえ彼が以後自分で自分の主張は出来なくても、彼自身の本質は既に存在しているはずだ、と、 私は思います。 そのエーキス(余分なものをすべて取り去って最後に残る純粋成分)は(やはり)彼の記憶の中にあるもの(エピソードが近いか?)ではないでしょうか。 確かに、下らない記憶も、他人のそれと同じような記憶のごみも沢山混じっていているとは思いますが、当人しか持ち得ない記憶もたくさんあるはずです。その膨大な記憶の整理具合だとか、考え方のプログラムソフトだとか、かなり重要な、なによりも彼自身しか持ち得ない、そして知らず彼自身の話ぶりとか行動の癖などを引き起こすデータの数々がその中には含まれているのではないでしょうか。 そういったものが未来への彼の行動を決定づけるのは確かでしょう。 自分の本質=自分の全存在-(マイナス){標準的な日本人の肉体+(プラス)常識的な記憶} 私の個人的な思いです。 「理解」へのなんらかのご参考になれば幸いです。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 前回もお礼で書いたように、記憶それ自体の本質への関与を否定してはいないんですよ。ただ、重要さから言ったら、記憶を呼び出し、行動を決める「何か」の方が、本質への関与度が大きいと言っているんですよ。 amazo007さんは、その人の評価を決めるのはその人の回りの、その人に関する記憶って言っているでしょう。その人に関する記憶って、結局、その人の行動の記憶ですよね。つまり、行動を決めている「何か」を評価していることになりませんか? それから、 >その膨大な記憶の整理具合だとか、考え方のプログラムソフトだとか、かなり重要な、なによりも彼自身しか持ち得ない、そして知らず彼自身の話ぶりとか行動の癖などを引き起こすデータの数々がその中には含まれているのではないでしょうか。 って、言っていますよね。 例えば、左利きってあるじゃないですか。 左利きって言うのは、時代、文化、地域によらず、ほぼ10%存在するんですよね。 これは、遺伝でもないし、記憶でもないし、何か、左利きを10%に保とうとする、見えない力が働いているんですよね。 このことを、考えても、人の癖って、どこから来るのか分からない部分があるんですよね。 僕は、それが何か分かりません。 だから、「何か」って言っているんですよ。 .

回答No.18

>こういう説明では、じゃ「リラックス」している時、はどうなんだ? >と疑問がわいてくるのですが、氏の論では、この場合はどう説明しているのでしょうか? 補足、拝見いたしました。>氏の論では=大森庄蔵は、でしょうか、 誤解を与えてしまったようで、反省しております。 補足に挙げられた説明は、大森だけでなく、いろいろな哲学者の言っている、いろいろな説明です。 そもそも、大森庄蔵は、二元論を批判して、私の内容(私をすべて外部に返還したというと少し違いますから、こんな表現になりますが)を外部に返還するのですが、それでも、私は「へそ」のように残ってしまう、といっています。なかなか理解しづらいですが、デカルト的二元論から出発されたと思われる、ご質問者様の「自分」と言う物からは、微妙に違いがあると思います。 結論としては、 「私の身体の中に、常に、私がいる」と言う、過った前提から、 痛い痛い、思考実験を重ね 正しい推論を行った結果、矛盾が生じた。 矛盾が生じるのは、正しいことで、ハッピーエンドではないでしょうか。 まぁ、慌てず、忘れず、続けることですね。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >いろいろな哲学者の言っている、いろいろな説明です。 だとしても、知りたいですね。誰の説にしろ、「集中している時」と「リラックスしている時」の意識の所在が違うという説明を・・・ >「私の身体の中に、常に、私がいる」と言う、過った前提から、 誤った前提と、言っているのはどういう所からですか? 前回の回答のお礼でも書いたように、大森庄蔵氏の論を元にしても 身体の部分を切り落とすと、自分が消えていく感じは同じなのですから 意識の所在の問題ではないと思いますけど・・・ .

noname#99989
noname#99989
回答No.17

わたしも、何か勘違いをして偉そうなことをいってしまいました。 すみません。 身体がばらばらになったら、意識はどこにあるのだろう? と想像すると、どこにもないだろうな、と、思いました。 おそらく、質問者様の矛盾は、先ほども申しましたように、率先して思いも付かない想定であったから、答えも、矛盾したものになったのかなと、想像しております。(あくまで想像です。) ただ、一つ申し上げておきたいことは、空ずる観は、やりすぎると、思っても見ないところに行ってしまうことがあって、神経症や精神病にもなりかねない行法であると聞きます。実際に、私も類似する病気に近い体験をしており、その意味でも勧めたくはなかった。 人生にはおいしいものも、にがいものもあって、どれを選べばどれを得られるのかと言う判断がなかなか前もってわからず、窮してしまうこともあろうかとおもいます。始めはよくても、中ほどでだんだんと怪しくなり、それでも無理に、、と言うような道は、必ず後悔を生じてしまうものなのではないでしょうか。 ですが、きちんと、胸に問うて、自分自身の本当の気持ちをその時々に応じて確かめるようにするならば、本当に見たり、きいたり、あるいはたずねるべきことが、(最後には)見つけられるのではないかと思います。 そのように自身に問い続ける道こそがご自身に本当に納得の行く道であり、そういう意味で、ご自身を信じて道を歩まれることを願っております。

mintarou1
質問者

お礼

. 心配していただいてありがとうございます。 参考にさせていただきます。 .

noname#98518
noname#98518
回答No.16

僕にも雪中庵さんがNo.12での回答がどんなことを言っているのか 内容はよく理解できないから一度機会があったら聞いてみたいとは思います。 でも解らなかったらその時は >ありがとうございます。ですがごめんなさい専門家の言葉は難しすぎて理解できません・・・簡単に理解できるように答えて頂けたらよかったのですが・・・ で留めておくか どの辺が解らないかを問うていくのが筋だと思います。 貴方の理解力がどの程度なのかも解らないわけですし? >今一度、検討して、分かりやすい文章で再開込みされる事を希望します。 物理学者のファインマンさんが、 「素人に分かるように説明できなければ、本当に理解していることにはならない。」と言っています。 これについては貴方はどう思いますか? こういうのを人の気持が人より深く解りますと言うんだ? なかなか面白いよ

mintarou1
質問者

お礼

. ありがとうございます。 先の、回答お礼でエネルギーを消耗しました・・・・ .

mintarou1
質問者

補足

. すこし、元気がでてちょっと頭が動くようになってきました。 多少は、ちゃんとした回答のお礼を書きますね。 >どの辺が解らないかを問うていくのが筋だと思います。 >貴方の理解力がどの程度なのかも解らないわけですし? あなたが、雪中庵さんがNo.12での回答のどの辺がわからないか、書いていただけますか? 理解力の程度を示す、サンプルを見せてください。 >こういうのを人の気持が人より深く解りますと言うんだ? y0tさんの質問への回答を、まともに受け取っているんですか? そういうのを、人の気持ちが分からないといいます。 .

回答No.15

それでは、ファインマンの書いた解説書である「ファインマン物理学」を読んでみて下さい。 素人が、何の学習もせずに日常用いている言語や概念だけを組み替えて、数百文字で理解できるような単純な概念を発見するために、人類(の優秀な人材)が何千年も費やしてまだ、分かりきっていない、などということがあるでしょうか? 「素人に分かるように解説できなければダメ」というのは、物理の本質を理解するのに、自分は努力せずに理解したいという怠慢の表明に過ぎません。 たとえば時空の本質を表す上で、「相補的不確定性」という言葉が出てきて、これが字面を黒くして『分かりにくい』という印象を与えます。 それを「たがいに補う不確かさ」と言い換えれば、“分かりやすく”なります。 確かに言語としては100%正しい訳ですが、ここでに言う「不確定性」は不確定性原理の『不確定性』であり、日常に生じる(情報不足や処理能力の限界による)「不確かさ」とは異なるのです。 建築についての問いのように、現象的な複雑さなら、工夫すれば、日常の定義に基づく“やさしい言葉”で表現することも可能ですが、物理においては、日常の素朴唯物論的世界像、相対論以前の絶対時空や、量子論以前の決定論的存在といったものを前提とした言語体系を、そのまま用いて「自分の誤った先入観を許容したまま理解しよう」などというのは不可能です。 「分かったつもり」の、『分かった』分だけ誤解です。

mintarou1
質問者

お礼

. 回答ありがとうございます。 >「分かったつもり」の、「分かった」分だけ誤解です。 誤解が、絶対悪いと断定出来るのでしょうか? 子供が「何故空が青いの?」と聞いたとき、それを、厳密に説明しらた、子供は理解できるでしょうか? 僕は、「分かったつもり」にさせる、誤解の方が良いと考えます。 自分の場合、哲学に対する理解は、最初と今では雲泥の差があります。 最初、分かったつもりでも、後から考えると、不十分であったと思います。 いわば、「分かったつもり」の誤解があったとも言えます。 しかし、この「分かったつもり」の誤解がなければ、自分は先には進めませんでした。 今後も、過去の理解を不十分と思うことは、繰返されるだろうと、思っています。 つまり「分かったつもり」の誤解の元で自分は先に進め、理解を深めているのです。 それから考えても、「真の理解」に届かず、分からないより。 「分かったつもり」の誤解の方に、支持の手を上げたいのです。 科学とは、理解とは、何なのでしょうか? 身の回りに電化製品が溢れています。 電線の中を電子が流れこれを、電流といいます。 じゃ、電線の中を流れれている電子を見た人がいるのでしょうか? 絶対0度で、抵抗がなくなり、超伝導が発生します。 そのメカニズムは何でしょう? 生命は、どうやって発生したのでしょうか(その起源は)? 光速は、30万km/s と観測結果が出ています。 じゃ、何故 30万km/s かと問われたら、誰も答えられません。 psytexさんは、この問いに何と答えますか? 私たちは、謎が解明された世界に住んでいると考えている人もいるかも知れません。 しかし、自分が認識している「意識」の発生メカニズムも分かっていません。 つまり、謎に包まれて生活しているのです。 その謎を、解明しないと先に行けないなら、生活は成立しません。 「分かったつもり」の誤解、それを悪いとは思いません。 最後になりましたが、真摯な回答ありがとうございます。 心から、感謝いたします。 .

noname#98490
noname#98490
回答No.14

あはは 自分の無能を棚に上げて簡単に言えない君が解ってないと言われちゃったな 雪中庵さん ここはそういうところなんだ。 久しぶり と言っても解らないだろうな   何たって今は              龍のケツだから                                `                           `

mintarou1
質問者

お礼

. 自分は、無能です。 頭が悪いことは、色々な所で表明しています。 だから、棚に上げてはいないと思います。 また、雪中庵を解っていないとは言っていません。 「人を見て、法を説く」ということわざがあります。それを知って、説明するのであれば、理解できない説明に何の意味があるのでしょうか? 理解できない人の方だけの責任でしょうか? 混乱を生じさせないように、あえて、説明しないのも、正しい選択といえると思います。 仏陀に、弟子は「あの世はあるのか」と何度も聞いています。 仏陀は、その問いには一切答えていません。 個人的には、すばらしい対応だと思います。 .

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    三年前程から、自分とは何かと問い詰めるようになりました。 最初その思考を持ち始めた時は、すごく気持ち悪く、怖く、 胸がザワザワし、苦しい毎日でした。 時には途中下車して吐いたり、友達と食事していても 頭から離れず、食べたものを吐いていました。 精神科にもいきましたが、鬱ではなく、 いくつか通いましたが、全て考えすぎとのこと。 通っても治らず、私も逆にお金の無駄だと 思うようになりました。 私は死にたい訳では決してないのに、 こんなに苦しいなら、死んだ方がいいんじゃないかと たまに頭をよぎり、またそんな自分もすごく怖い。 楽しく生きたいのに、常に頭から離れず、 頭痛が続いています。。 また、楽しいと思えるような時でも、 どうせ死ぬ。私も友達もみんな、 いなくなるんだと思うとまたまた怖さが襲います。 この世は何? 何で自分は生きてるの? 動物は何でいるの? 死んだらどうなるの? 意識って何? 考えたくないのに、 吐きけがする程毎日考えてしまうこと、 自分の意識を意識する癖が治らず、 これは誰だ。と思い続けてしまうことが 苦しい。 どうすれば治るのでしょうか。 ※周りには、全くわかってもらえません。 見た目は元気なので。