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自分の意識?
精神的におかしいかも知れませんが、書いてみます。 最近、自分というものの本体が、別なところにあって、意識がある と思っている自分は、本体の影でしかない、この意識は本体に依存 していて、自分が操っていると思っている意識は誰かの夢のような ものでしかないという感じが強くなってきて困ってるのですが、 皆様はこのような感じがすることがあるんでしょうか? それとも、私の心に何かの傷が入っているということなんでしょうか? 心理学的、または精神医学的に解釈できる方などお言葉いただければ 幸いです。
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>自分というものの本体が、別なところにあって この「本体」をA(別人かもしれないし、何かの集合体かもしれない)とします。 >意識があると思っている自分は、本体の影でしかない、 このAの影である「自分」をB とします。意識は実際にはBにはないわけですね。 >この意識は本体に依存していて、 意識は A にある。 >自分が操っていると思っている意識は誰かの夢のようなものでしかない この「自分」はBで、その意識は従来の意識であり、Bがコントロールしているという自覚はあるが、BがAの影に過ぎないという意識があるので、Aがはっきりしない以上確信出来ず、Aの飛ばしてくる夢、というか、あるいは意識的な操作信号なのかもしれない。 非常に興味のある状況ですね。私は感じたことはありませんが、ありうることだと思います。貴方は5感以外の非常に敏感な超感覚を持った方かもしれません。冷静にその意識に耳を傾けるのは無駄なことではないでしょう。 蟻の社会や下等な深海生物などの群体が秩序だった行動をする現象の解明がこういった超意識の共有でなされるという仮説があります。 もちろんSFなどで他の超高等生物が人間社会を侵略する時の手段としてこれを用いるケースがあります。あくまで冗談です。 常識的には、意識を含めて自分を離れた他人の目で見るという感覚は誰にでもあり、それは有用だから大切にするべきだと思います。 考えすぎると有害になるのではないでしょうか。
- youchan37
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貴方様のような感じは、私も稀に感じることがあります。 小説を読むことに没頭したり、映画に入り込んだりすると、たまに感じます。 或いは又、とても高尚なことに気づいた時、「自分は生きているのではなく、生かされている」 と感じたこともありました。 ただこれは私の主観であり、本当に貴方様の感じているものと同じなのかは分かりませんが。 私は素人なので診断はできません。あくまでも知識としてですが、 離人症性障害というものがあります。この言葉で検索してみて下さい。 もしかしたら関係があるのかも知れません。 それで、この感じが強くなってきて困ると仰せですが、それがどれ程のものなのか、です。 日常生活に支障がないのなら、特に問題にしなくてもいいと思います。 又、心の傷とも仰せですが、心的外傷(トラウマ)が、この原因となるようです。 その体験があまりにも辛かったので、今ここで苦しんでいるのは自分ではないと。 そう考えることが発端となったりするようです。その辺りも合わせて、心の再点検をしてみると。 以上、的外れなアドバイスであったかも知れません。 ひとつの可能性の示唆ということで、ご容赦下さい。
- nisekant
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参考書「ユーザーイリュージョン」「解明される意識」
確かショーペンハウエルだったと思いますが、まったく同じようなことを言っていたと思います。養老孟司さんは自己言及の矛盾という言葉で表現していると思います。私は蛇が自分の尻尾を呑み込むような感じと思っています。考えている自分のことを考えようとすると誰でも同じ状態になるのではないでしょうか。案外心の闇というような表現が当たっているのかもしれないと思います。闇とはどういうものかと明かりで照らすと消えてしまいます。明かりを消すと再び現れます。正体不明だが存在することは確かです。