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自分とはだれ?

(1) 潜在意識、顕在意識、魂、心、精神 …etc 人の内面を表すいろんな言葉がありますが、 どれが本物なんでしょうか。 あるいは全部あるとして 一体全部で何個あるんでしょうか。 あるいは(潜在意識≒心)だったりするんでしょうか。 (2) 一般的に、 私は 僕は などと名乗るとき一体何を指してるんでしょうか。 冒頭にあげたものの中でどれでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jinseiwalk
  • ベストアンサー率23% (372/1603)
回答No.10

お前というやつは、お前というやつは、お前というやつは、おまえだ! これは私のギャグですが、それはさておき。 1、自分の内面を表すものは一般的にはこころです。 2、冒頭にはないマナ識といって東洋心理学で自分で動かすことができるこころです。 心は自分で動かすことができる部分が多ければ多いほど「私」の分野が広くなります。 人生とはマナ識をいかに多く獲得できたかどうかで、究極まで獲得するとその究極に肉薄できます。 自分の範囲の狭い人間は嫌いな単語が多いです。たとえば努力、誠実、根性、宗教、神は死んだなどです。

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回答No.11

自分とはだれ?と言う事ですが通常は自分はと言えば心でしょうがもう少し正確に分析しますと心とは目(視覚)耳(聴覚)鼻(嗅覚)舌(味覚)の細胞の意思です。細胞は意思を持っていて見えるものや聞こえるもの等に左右され自己中心的で威張っていて何事にも立腹します。さてもう一つの万人の内部に存在するいわゆる宇宙の意識(叡智、命、魂、潜在意識、神等)は貴方の生命を支えるものですが人間はこの存在に付いて通常は知らん顔をしています。本来の自分はこの宇宙の意識が真の貴方です。宇宙の意識(宇宙的細胞)は心に対して次のような印象や指示を与えています。直感、閃き、映像、アイデアー、警告、魂の知覚、囁き声等ですが通常は一般人は心と宇宙の意識との分離があります。宇宙の意識(潜在意識)は貴方の前世を記憶しています。人間の不幸は実に、これなのです。心と宇宙の意識との一体化が出来ていないのです。 nakaotatsuya3

  • pupurr
  • ベストアンサー率18% (129/705)
回答No.9

>>一体全部で何個あるんでしょうか。 一念三千ということを調べるといいです。

noname#103214
noname#103214
回答No.8

不二無二・・と言う事でしょう。

  • ok-dempa
  • ベストアンサー率16% (1/6)
回答No.7

言うまでもなく、自分というふうに位置づけられたテクストのいちぶですよ。 ただ、自分と以前使われた自分というフレーズが同じとは限りませし、ほかのフレーズとの境界も存在していませんので、厳密には規範性の問題上意味も対照も存在いたしません。(!) 社会的な言葉の意味を知りたいのでしたら、国語辞典を使ってください。 それでも満足いかないのならヒラリー・パトナム、テオドール・アドルノあたりの著作をお読みになることをお勧めしますよ。

  • leacat
  • ベストアンサー率20% (39/191)
回答No.6

今、このとき、 自分 と認識している 自分 でしょうね。 自分 があるから 自分と認識できるのか、 自分と認識したから 自分となるのか、 それは永遠にわからないテーマですね。

回答No.5

自分自身という形で認識している感覚は自我意識と思います、つまり顕在意識、という事になります。ですが自分自身の抱えている「或る漠然とした疑問や、不安感」は自我意識にそういう感じを抱かせる者が自分自身の中に内在している可能性を示唆しています。 この漠然とした不安や疑問をキリスト教では「原罪」という風に、或いは仏教では「業」としてその解決方法を知りたいという欲求や方法論として聖書や仏典となっていると思っている者です。 この疑問や不安が人類に哲学や、宗教というものを提起していると思います。この疑問が解けた者として、貴方に書いてみます。 自分が分からなくなった感覚が「失楽園」という事になります。子供時代にはなかった感覚の事です。何事も疑う事を知らなかった時代の事です。天国に一番近い存在として聖書に載っています。ところが「知恵のリンゴを食べた」という事実が実際に人間の心に引き起こされます。 天国からの追放、知恵が付いた、或いは分別心が付いたという事を説明してみます。それは心の衝突が起き始めたという意味になります。是は自分の心が争い始めたという意味になります。 是は人間の脳の成長と関係してきます。子供時代には脳の機能がまだ未分化だったという事です。まだ知恵がない、或いは未だ分別心がないという意味になります。思春期頃から脳の機能の分化が完成に近くなります。この事と「自分とはだれ?とか心の闇とか、心の病や、悩みが」始っています。 この訳を書いてみます。 顕在意識、或いは自分自身と認識している自分とは生まれてきてからの記憶におもに頼っている自分の事と言えます。処が人間の脳には、生まれてから何も教えられなくとも全てを知っている者が存在しています。この存在が命を守ってくれています。 赤ん坊が生まれる前から、例えばお腹の中にいる頃から。乳を飲む練習である指しゃぶりをしています。教えられなくとも乳首を探して乳を飲もうとしています。飲めない時には怒り、飲むと安心して眠ってしまいます。何も教えられていないのに生きる行為が出来ています。そうして怖がったり、安心したりしています。怖い事も安心する事も誰も教えていないにもかかわらずそういう事が出来ています。 是は脳にはすでに、生きてゆく事を知っている者が存在している証拠と言っても良いはずです。この知っている者と顕在意識は一つになって働いています。つまり心が一つしかないという事になります。心が一つしかない事が天国に住むという事です。 科学が進んで脳の研究が盛んになって、昔てんかん治療の一環として左右の脳を繋いでいる脳梁を切断する事が一般的に行われていた時代が在りました。いわゆる分離脳の研究という事ですが。この事で在る事実が見つかっています。 一つは左右の脳は機能が違うという事です。左脳に自我意識が在って、その機能は割り切って、或いはものを分析して、論理的に割り切ってゆく機能という事になります。飛躍した考えになりますが、有限の世界しか理解できない機能、何故ならば割り切れる事を有限と規定しています。言い方を変えたなら割り切れない問題には対応できない機能を持った脳という事になります。 そうしてもう一つの事実が在ります。それは左脳に一つの人格が存在している、この人格が自我意識という者という事でした。処が右脳にも一つの人格が存在している事でした。この人格は自我意識とは全く別な人格という事が確認できています。この事実を踏まえて話を進めます。 人間の心が二つ在って悩みや苦しみが始まると今書きました。その事をもう少し詳しく書きたいと思います。健常者と言われる人たちは自我意識ともう一つの意識(無意識の意識、或いは潜在意識の意識)の二つの意識がうまく連絡が繋がっている人の事です。言い方を変えたなら自我意識の出番に自我意識が出てきて、無意識の意識が出る番になった時には、その出番を、邪魔しない。つまり左脳の意識と右脳の意識が緊密に連絡が取れていて良好な関係が保たれている状態という事になります。 その関係が崩れた状態を書いてみます。自我意識のみで字を書こうとして文字が書けなくなる事を「書痙」、話をしようとした場合が「吃音」、人前で話をしようと自我意識が単独で行為をしようとした場合が「上がり症や対人恐怖」という事になります。 自我意識が単独で自分の心を整えようとした場合には「心の病」という事になります。自我意識は本当は単独では何もできないように出来ています。 私の場合を書いてみます。14歳で死というものに取りつかれた経験が在ります。四六時中死の恐怖におののく事です。今でいう「恐怖症」というものですが、意識が在る間中恐怖感がぬけなくなってしまう事です。そうした場合には現実感が無くなってきます。生きている感覚が無くなって、現実感が無くなってしまう現象の中で、辛くて苦しい気持が続く事になりました。不安感が高じて恐怖感を味わったものです。 ノイローゼになったという事でしたが、人には言う事は在りませんでした。結婚をして長男が生まれた頃から、その症状がきつくなって生き難さが強くなって、とうとう入院をする事になりました。入院森田療法というものを2ヶ月間受けました。 その4年後「無意識の意識」に出会って、一瞬にして恐怖症が完治した経験が在ります。14歳から18年間の苦しみでした。その時の心の変化を書いてみます。 死を考えるという事は不安に包まれます。長い年月の間にその不安が風化して消えてゆくという事は在りませんでした。いつも新鮮に不安にさいなまれるという事です。その事から逃れられない事でした。不安から逃れようとした場合には不安が、恐怖感に代わっています。 その不安を教えていた者が「もう一つの意識」という事になります。もう一つの意識は自分の心の事でした。自分が自分の心が教えようとしていた事を拒んでいたことが恐怖症の実際でした。もう一つの意識が実は「救いの手を差し伸べていた」のに拒んでいた事が、不安をあおっていた事になります。 自我意識は「有限」の壁を越えられなくて苦しんでいます。もう一つの意識は「永遠」で出来ていました。有限を永遠が包み込もうとしていた事が自分の苦しみとして実感していた事になります。つまり心の矛盾に苦しんでいたという事です。 自分自身がもう既に永遠の存在として実感できた瞬間の事です。肉体の死はたいして大事なことでは無かったと体得した瞬間の事です。この日以来「死」というものが怖くなくなった経験が在ります。 この経験を通して書いていますが、分かり難いと思います、自分で味わう以外に方法は在りませんが、疑問や苦しみとは脳の機能によっているという事を言いたいと思います。 そうしてその疑問や悩みとは、自分の脳のどちらに送ればよいかが分かれ道になっている事になります。それも自分で解決する以外には方法はないという事になります。 貴方が自分の疑問を解決したいと思うならば禅問答に取り組む事が良いと思います。禅問答は師匠がいたとしても何処から手をつけたらよいかは教えてもらえません。自我意識が困っていて有限の壁を越えられない事が貴方の疑問と重なっています。もう一つの意識には言葉が在りません、その言葉のない意識が書かせている問題が禅問答というものです。是は思考方法の転換を促せるテキストです。言い方を変えたなら、いきずまった自我意識に対しての救い、もう一つの意識を呼び出すテキストという言い方が適当かも知れません。 鈴木大拙博士の書いたものが参考になると思います。禅問答はもう一つの意識の助けがないと解けない問題です。禅問答が解けた時の事を書いて置きます。「生死の問題が解決した」或いは「自分の疑問が全て解けた」と言う結果になります。 もう一度子供の心に戻ったという事です。分からない子供ではなくて、全てが分かっていながら子供の心を持つという事になります。絶対の安心というものに包まれて「どんな困難」にも対応してゆく事が出来るようになるという意味が在ります。

  • mintarou1
  • ベストアンサー率30% (22/73)
回答No.4

. 安易に答えを求めず、自分で考えることも必要です。 このような「問い」は、多くの哲学書に記載されている、基本的とも言えるテーマです。 本屋の哲学書のコーナーに行って探せば、すぐに見つかると思いますよ。 それを元に、自分で考えましょう。 (あなたには、「自分で考える」と言うことが不足していると、質問文から感じられます。) 単に、分からない事を質問をすれば良いと言う物でもありません。 自分で、考え、考え、煮詰まってから質問した方が、答えも良く理解できます。 哲学書も簡単な、入門書でもいいから読んでみましょう。 哲学は、この考えるプロセスにこそ意味があります。 それが、さらに、自分とは何かを教えてくれ、自分を深めてくれます。 それから気になるのが、あなたのプロフィールです。 登録日 2009/08/19 質問数 7件 回答数 0件 お礼数 8件 ありがとうポイント 0ポイント 自己紹介 (ありません) これはいけません。 時には、他人の質問にも答えてあげましょう。 また答えてくれた人には、お礼の意味で、「ありがとうポイント」の差し上げましょう。 これでは、答える気が失せますよ。これが、今のあなたなのか・・・・ .

回答No.3

あなたは何者でもありません。存在も怪しい。しかし、あなたがこうして私に応対されていることで、かろうじてあなたは何かの存在なのです。 このことについては、私がこのカテゴリーで2番目に質問したことに大いに関係があります。そちらをご覧ください。つまり存在とは何かということです。 (このサイトの検索はよくないですね。出てきません。CGI技術者が未熟なのでしょう)

回答No.2

 こんにちは。  ★ 私は / 僕は / などと名乗るとき一体何を指してるんでしょうか。  ☆ いま《私は / 僕は》と言ったそのひとです。  《わたし》と名乗ったあなたご自身です。  ★ 心  ☆ と言やぁ 心のことでしょうが ともかくいま(そのとき)・ここ(そこ)にいるあなたという人間存在そのものです。  しかもひとは 生きていますから その動態としての存在のことになります。いま・ここで どういう顔をして何々をしているというあなた自身を言います。  これをわざわざ分析するからと言って 分解しなくてよろしい。  人格の全体 生きている存在の全体 誰の誰べえというあなた その《ひと》を指します。基本的にそれ以外にはないと考えるべきです。  精神分析などにおつき合いしていたら ろくなことはありません。あったら おしえて欲しい。  そういうもんですよ。

回答No.1

真の自己とは、あなたの感じる「自分(感受表面)」の 内側(肉体)ではなく、外側(宇宙=意識)です。 最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測 される事によって生じています。 自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性 こそが宇宙(無の無限の闇に対する自我の射影)。 全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源 にまで遡った)補完なのです。 即ち「何か有るんじゃ?」という疑問(自我仮説)の相補 として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」 という無の射影として、存在は生じていると言えます。 我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来て いない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、 真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用 (光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測 (未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。 (認識体自身が、その仮説的空間に有限な大きさ(肉体)を 占めていることで先入的根拠の完全否定)

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