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謀略家として名高い人物、能力の高い人物は誰?

謀略家として名高い人物、ありえないようなことを成し遂げた人物、その能力で世の中を震撼させた人物など多くいます。 その中で、とりわけ高い能力の人物は誰でしょうか? 非常に個人差があると思いますが、事績やその能力の源泉と思われることなど含めて回答してほしいなと思います。 個人的には、戦国時代なら松永久秀、宇喜多直家、黒田孝高など、ヨーロッパならマキャヴェリなどが比較的高い能力だったのではと思っています。

みんなの回答

  • barbosh
  • ベストアンサー率50% (16/32)
回答No.6

 オスマントルコのアブドルハミット二世。  オスマントルコは力が殆どなくなって来て、領土を守ることができなかった第一次世界大戦前、彼がオスマントルコを引き入った30年間バランス政治で国を守りました。  彼の非常に逞しいバランス政治により国を守ることができ、ヨーロッパの国々はなかなか植民地を拡大できなかったため、ヨーロッパではかなり嫌われました。クーデターで引き下ろされたとき、最大の敵、イギリスの首相チャーチルは大きな政治家が去っていきましたと言ったそうです。

  • rivoisu
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.5

足利義満 彼がどうやって南北朝時代を終わらせたか。いかに南朝をだましたか。

  • kgu-2
  • ベストアンサー率49% (787/1592)
回答No.4

 武将なら、難癖をつけというパターンなどで 源頼朝 義経、藤原氏を滅ぼした 斉藤道三 土岐家を乗っ取った。「まむし」の異名。 徳川家康 豊臣家を騙し打ち。「国家安康」の難癖をつける。  謀臣なら、本来表に出ないハズだが、評判が悪いということで 道鏡   天皇になろうとした 梶原景時 不確か 高師直  悪人として書かれる 日野富子 応仁の乱の元凶 本田正信 宇都宮の釣り天井事件は、自業自得か

zyunyu
質問者

お礼

回等ありがとうございます。なるほど。 斉藤道三、頼朝あたりは同感ですな。 本田正信は自業自得です。 そもそも主君にまで反感を買ってる時点でOUT。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

そういうことでいえば、やっぱりルネサンス期からナポレオン時代くらいにかけてのヨーロッパの人物になりそうな気がします。 その時代のローマ教皇なんて、誰がどうとではなく、謀略家じゃないとそもそも教皇になれなかったと思います。インノケンティウス○世なんて、もう名前からして陰険な雰囲気が漂います・笑。 思うに、謀略家というのは寄るべき力を持たないから徒手空拳というか、謀略をめぐらせて力を手中に入れようとするのではないでしょうか。例えば、質問者さんが例に出したマキャヴェッリが理想の人物として絶賛したチェーザレ・ボルジア。彼は都市国家の集合体であったイタリアを手中に入れようとしたとてつもない野心家でしたが、最も直接的な力である信頼できる軍隊を持っていませんでした。だから、色々陰謀を尽くして都市国家を手に入れようとしたのです。 そんなチェーザレに表向き「わが弟」なんていっていて実はその裏で暗殺までも企んだルイ12世もなかなか油断できません。フランス人なんて、現代でもF1ドライバーのプロストがアイルトン・セナを追い落とすために様々な陰謀をめぐらすほど陰謀好きな国民性です。そもそも30年戦争のときは旧教国家なのに新教側に味方するわ、ハプスブルク家に対抗するためにオスマン・トルコと同盟するわ、目的のためなら文字通り手段を選びません。 我が国では、まあ古代にはいろんな人物がいたでしょうが、中世以降では岩倉具視じゃないかなあと思います。肖像画なんか見ると、目つきがとてつもなく悪くて(子供の頃からヤクザと付き合いがあったそうですが)とてもお公家さんには見えません。 カネも軍隊も持たなかった岩倉具視のネチネチさ具合に比べると、黒田如水や松永弾正の陰謀にはまだどこかしら武士らしい清々しさ(ダメとなったら案外あっさりしている)があります。

zyunyu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、日本では、岩倉具視、ですが、むしろヨーロッパのルネサンス期ですか。 確かに、あちらの陰謀にはまったくためらいがなく露骨な印象があります。隠すのも徹底的だし、隠すために飾り言葉で相手を偽るのは基本、みたいな文化だと感じますねw ただ、手段を選ばないが、その手段がどこか稚拙なイメージもヨーロッパに対しては持っています。 でも、とても参考になった。岩倉具視とか調べてみよう。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

優秀な謀略家 というのを、政治体制をひっくり返した。 というように定義したい。 ※ でないと、講談話のようになってしまう。 ○ ローマ初代皇帝アウグスツゥス 王制なんてしませんよ!と元老院を残しつつ、実態としてローマ帝国を造った。自分は戦闘もしないで、低コストオペレーションの国家体制を作り上げた。 ○ ローマ皇帝コンスタンティヌス一世 キリスト教を公認して、ローマを再構築した ○ 徳川家康 戦国体制をフリーズさせた。 源頼朝も足利尊氏も、その後内部闘争続きでしたが、徳川体制はそれがなかった。 ちなみにマキャベリは本を書いただけです。

  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.1

 謀略家と言うと、私は三国志の賈クを押します。  『三国志』に注を施した裴松之は、董卓の死後に李カクたちの逃亡を止め、長安攻略を進言したことについて、「悪の権化である董卓が獄門台に曝され、ようやく世界が平和になろうとしていたのに、災いの糸口を重ねて結び直し、人民に周末期と同じ苦難を強いたのは、全て賈クの片言に拠るものではないか」と批判しています。  ←三国の動乱の元凶は、この時の一言[長安攻略を進言した事]が原因とまで言われている…。  なお、董卓・李カク・張繍・曹操に仕え、最後に曹丕の元で三公の一つ太尉に成り77歳で病死しますが、謀略家の通例と異なり彼は君主に殺される事無く人生を終わりました。  (謀略家の常として、陰湿な直言を続ける為、国が安定してくると君主の地位を脅かす者として疑われ[信用されず]殺される者が圧倒的に多い。)  漢の高祖劉邦の参謀だった張良[粛清を避ける為に仙術を学ぶとして自宅に引きこもった]や陳平[粛清を避ける為にクーデターを実施]と比べても彼の人心掌握に優れていた事が判ります。  なお陳寿の評価では「打つ手に失策が無く、事態の変化に通暁していた」とされています。    http://www.geocities.jp/nivansenji/bouryaku.html

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