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創価学会の不思議。どうして学会員は減らない?
メディアも含め、ごく一般的な普通の人なら創価学会は池田大作氏を敬うだけが実態の異常な新興宗教団体と認識しています。 多くのメディア、出版会社もその実態を暴いて毎日のように創価学会を批判しています。 しかしながら、いくら創価学会を社会が批判しても学会員は減るどころか逆にゾンビみたいに増殖しているような気がします。終いには政党まで作ってしまったほどです。 どうして創価学会員は社会から批判を受けても一向に減らないのでしょうか? ご教示お願いいたします
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創価学会の人間は、自分たちを正義だと思っているから。 そして、その思考を維持するシステムが整っているから。 だから、学会員は減らないのだと思います。 学会員の方からの「事実誤認」という批判もあるようですので、 以下、あくまで私の体験に基づいた“事実ベース”のお話です。 以前、学会員の元友人(女性)に集会に連れていかれました。 そこでは、大きなスクリーンに池田大作氏が映し出されて、 「正義」や「勝利」という言葉が叫ばれ、それにあわせて、 会場にいた数百人の学会員の方たちが握りこぶしを突き上げる。 ということが繰り返されていました。 創価学会の会員が減らない理由のひとつは、 偶像を奉り、人々を同じ方向に向かわせる、 こうした組織としての統制力があるのだと思います。 (個人的には、TVで報道される北朝鮮の姿を思い出しましたが) また、学会員同士の近所付き合いも、よくあるようです。 そうした活動によって、「自分たちは正義」という認識を、 学会員同士のレベルでも強化・維持されているのだろうと思います。 それから、私の元友人に関して言えば、 池田大作氏を賞賛し、口では「正義」や「心が大切」と語りながら、 実際には、お金のために、自分が楽をするために、 お年寄りや心の弱い人たちを騙している人でした。 私がその矛盾について尋ねても、口では「葛藤している」と言いながら、 自分が苦労するような行動はせず、今も、同じ仕事をされてるようです。 また、池田大作氏や学会員の方を「素晴らしい人」と賞賛する一方で、 学会員ではない人間を見下すような態度を取り、非難・軽蔑する人でした。 このように、行動が伴わなくとも、表面だけ「正義」をうそぶいていればよく、 池田大作氏の名のもとに、自分に都合の悪い批判は、すべて無視する。 独善的・排他的な姿勢で、自分たちだけが正義であることを疑わない。 閉鎖的な空間で得る、精神的なマスターベーションの快感。 その快感のために、学会員は減らないのだと思います。 客観的に見れば異常だと思いますが、先述したように、 組織のチカラで客観性を排除する仕組みになっているのだと思います。
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- beingpeace
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大変失礼ですが・・・ 創価学会がある程度批判を受けるのは已む無しと思います。 ↓ http://www.youtube.com/watch?v=ZtkIFZr69Ro http://www.youtube.com/watch?v=taUA1HSVLTk 創価学会の折伏には多くの人が迷惑を受けているのは事実です。 信教の自由ですが、あくまで他人に迷惑をかけない範囲で、です。 赤の他人に教義を説くあたりが、すでにおかしいです。 ただ、悪気がないとは思うので、私は過剰な批判はいけないと思いますが、学会員の方はあくまで自分の活動範囲内で活動していただくようお願いします。
お礼
学会員同士で折伏活動してもらいたいですよね ご回答ありがとうございました
- nontro_08
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まさにその創価学会の者です。 >どうして創価学会員は社会から批判を受けても一向に減らないのでしょうか? ご教示お願いいたします そもそも創価学会が社会から批判を受けるといっても、事実誤認や無認識からくるものや、創価学会が大きくなるのは何となくけしからんという嫉妬の感情からのものが、その大部分です。ここでも、他の質問サイト・掲示板でも、創価学会や池田名誉会長の批判・讒謗のオンパレードです。これだけ批判が多ければ、事情を知らない人たちは、「ああ、やはり学会や池田は、悪い奴なんだな」と“洗脳”され、学会、名誉会長を批判する側に回ってしまうわけです。そうやって、反学会勢力が「ゾンビみたいに増殖」するのです。 ところでなぜ創価学会は批判されるのか。学会が何か悪いことをしたのか。池田名誉会長が何をしたというのか。悪いどころか、世界中の絶望に沈んでいた人々に、「南無妙法蓮華経」の日蓮仏法を流布し、希望を与え蘇生させてきたのです。そしてこの仏法で蘇生した人は、さらに他の人にこの仏法を語り蘇生していく。そうやって創価学会は世界192カ国・地域にまで拡大したのです。それはとりわけ池田名誉会長の功績によることは、否定のしようがない事実です。「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)。この仏法で功徳の体験をした人は、世間の学会に対する無認識な評価などに惑わされません。体験より強いものはないからです。学会の素晴らしさを身をもって知った人に、社会の批判など「風の前の塵」(開目抄)で、取るに足りないことなのです。わかる人はわかるのです。 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(兄弟抄)。この法門(南無妙法蓮華経)の信心を実践すれば、それを妨げようとする力学がどうしても働くものです。それが「魔」です。「魔」が現れるのは、その信心が真の正しい信心であることを意味するのです。他の力なき信心を実践しても、「魔」は現れません。創価学会の信心は正しいからこそ、あらゆる難癖をつけられ、批判を受けるのです。また、それに負けることなく信心を貫くところに、信仰の真髄はあるのです。 他の、「無認識」な回答を寄せている方へ。 人間、何か大きな事業を成し遂げようとすれば、団体=組織が必要です。例えば、日本最大の某自動車会社だって、組織であればこそ、世界的な企業になったのです。他の大企業もそうでしょう。個人事業で、できますか? ましてや創価学会は、「世界広宣流布」という、世界にこの仏法を広めるという壮大な取り組みをしています。ゆえに一人ではできません。組織が必要なのです。また、この悪縁多き末法悪世で、人間は一人だけではなかなか信心を全うすることはできませんし、より高い境涯へと成長していくためには互いに組織の中で切磋琢磨する必要があるのです。また、池田名誉会長のような、自身を高めてくれる師匠が存在するのは、組織だからです。自分の心を「師」としても、悪に流されるだけです。個人崇拝云々ではなく、名誉会長の人徳に感化され、我々のほうで名誉会長を慕い、ついていっているのです。 もう一つ、宗教団体は弱虫どころか、その実践途上、荒れ狂う魔に立ち向かい信心を全うするには、宗教的信念に基づいた勇気が必要です。日蓮大聖人はその信念ゆえに、鎌倉幕府の権力者から死刑にされかかりました。また戦前においては、その信念を持って初代・二代の各会長は軍部権力と対峙し、特に初代会長は獄死されたのです。信仰を貫くには、最高の勇気が必要なのです。宗教者は弱虫という論難は、全くもってお門違いの詭弁というほかはありません。
お礼
ニーチェの言葉に汝自身を知れ、というものがあります >池田名誉会長が何をしたというのか。 池田さんの命令によって折伏活動をせよ、とのことで 年柄年中折伏受けてます 池田氏の折伏運動によって迷惑被ってます こちらの被害も鑑みてください 回答ありがとうございました
- beingpeace
- ベストアンサー率19% (203/1025)
私も、そもそもただの批判中傷ネット言論は、いい加減になくなれと考えています。創価学会より自分の吐く息の臭さを知りましょう。 「息の臭いは主知らず」です。 自分のことも分からない人が、赤の他人の創価学会の人のことを分かるはずがありません。
- hurasuke
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>どうして創価学会員は社会から批判を受けても一向に減らないのでしょうか? 創価学会だけに当てはまることではないかも知れませんが、私の友人等身近な例では、学会員の家族(特に子供)が学会に入ることが多いようです。学会を辞める人もたくさんいるはずですが、自動的に若い世代が補充されてしまうからではありませんか? 私は学会を批判しても構わないと思います。ただ、あなたのように具体例なく「異常」「ゾンビ」と言ってしまうのはちょっと不公平かと思いますよ。誰かを敬っているから異常とは結びつきませんし、このような批判は批判ではなく、ただの中傷として受け取られてしまうと思います。健全な団体とは私も思いませんから、批判は堂々とやっていいと思います。批判を許容できない団体というのは、随分器の小さなものだと思いますし。ただ、批判するのならもう少し明瞭に書かれるべきだったのではありませんか?質問と関係なくて申し訳ありませんが。
お礼
批判、中傷ではございません。日本国には言論の自由があります ご回答ありがとうございました。
- Kiriyama-taicho
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>多くのメディア、出版会社もその実態を暴いて毎日のように創価学会を >批判しています。 そんな事実はないでしょう。 メディアに学会に批判的なことが露出すれば直ちに消されてしまいます。 タレントやマスコミの幹部にも学会信者は多数おり、マスコミ対策は 万全です。この質問も遠からず削除対象になるでしょう。
お礼
未だに削除されていません ご回答ありがとうございました
- iriho
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社会から批判を受けるがゆえに、集団が巨大化することもあります。 「私だけが真実をわかっている」 「ここだけが本当の私を理解してくれる」 こういう心理を巧みについて、構成員を増やすのは、ヤクザでも宗教でも同じです。 多くのメディアが、とあなたは書かれていますが、 テレビ局が面と向かって創価学会を批判したことがありますか? せいぜい、ゴシップ週刊誌程度だと思います。 世間の人は、週刊誌に書かれていることは、あまり信用しないし、 書かれていること自体に目にしませんので、批判勢力は大きくないですね。 本当に批判が高まれば、信者は減るかも知れません。
- mapponew
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宗教とは、 世界には日常の経験によっては証明不可能な秩序が存在し、人間は神あるいは法則という象徴を媒介としてこれを理解し、その秩序を根拠として人間の生活の目標とそれを取り巻く状況の意味と価値が普遍的、永続的に説明できるという信念の体系をいいます。この信念は、生き生きした実在感をもって体験として受け取られ、合理的には解決できない問題から生じる知的、情的な緊張を解消し、人間に生きがい、幸福を与える役割を果たすものとして期待されています。また、信念を同じくする人々が、教会、教団とよばれる共同体を形成するため、さらに強固な組織として存在を大きくしていきます。 創価学会が誹謗中傷を受けながら生き続けているのも、このように、常人とかけ離れた、即ち学会員にとっては唯一の心の拠り所として、所謂麻薬のような存在になってるわけです。 逃避行なんです。現実に立ち向かえないばかりか、毅然とした意思を発揮できない弱虫団体がこれら宗教団体なんです。 団体でなければ行動できない人間の最大の弱点が凝縮したものが宗教でもあります。換言すれば、他の動物にはない最も人間的な行動の一つともいえます。
お礼
なるほど。学会は麻薬のような存在なんですね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
正に同感です ご回答ありがとうございました