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noname#7049の回答

noname#7049
noname#7049
回答No.18

殺人を容認しているということになるかどうかは、bofdさん独自の定義だとは思います。通常、こういうのは事故と言います。 で、もし、「殺人」か「事故」かの定義が、bofdさんの主張の根本ではないという前提でなら、私の投稿も呼んでみてください。 まず事故は容認しています。その事故で、人が死ぬことも容認しています。これを殺人とbofdさんはおっしゃておられるようですが、言葉の辞書的な意味でも、現行の法律でも多分殺人の容認とは言わないと思いますので、もし殺人という定義を主張することが目的であれば、社会の「殺意」と起きてしまった事故(あなたの言う殺人。飲酒運転みたいなものも含めて。)の因果関係を明かさなくてはいけないのではないかと思います。「殺人者」(事故を起こした人)の責任能力を全く問うことなく、社会に責任を還元して、それを殺人の容認だと言い切ってしまう論法は、現段階では一般的には認めがたいと思います。 問題がそこにあるのではなく、事故であれ、殺人であれ、起こることがほぼ分かっているものを容認していることを、いいか悪かと聞かれれば、結論的に言えば、「いい」(積極的に良いことだと言う人は少ないと思いますから、この場合は、仕方ないという意見になります)と思ってるということになるんでしょう。そう思っているからそのままなんでしょう。 便利性、広く言えば利益ですよね。利益と人命のどちらが優先するかというと、はっきり言って、利益です。人命は概念としては地球より重いですが、まともに考えて本気で信じてない人のほうが多いです。利益が優先するんです。というか、正確には人命も利益を計る一つの要素です。人命がもっとたくさん失われると、利益がないということになって、車の一般人の使用禁止と言うことなるかもしれませんが、現段階ではそこまで死んでないということです。 事故が起こる可能性がある(その前提)から保険にも入るのでしょう。飛行機なんか特にそうです。安全度から言えば、飛行機は自動車より断然事故率は低いのですが、生命保険等かけます。加害者としてはなく、被害者になることを覚悟して乗るわけですよね。落ちたら落ちたで仕方ない、そう思って乗ってます。だってお金持ちでもないのに、船で遠方の外国行けません。韓国くらいなら船で十分だけど。これは私の場合ですが。つまり、事故を容認しているのは、何も加害側ばかりを想定しているのではなくって、被害者(bofdさんの定義だと殺される側)になることも想定しているわけです。こういう人、割と多いと思います。利便性と安全面は、天秤に掛けられるわけですね。 正しいかどうか、ということを聞かれていたのですね。社会的に正しいかどうかは、「殺人の容認」ということであれば、言いやすいのですけど、社会の意志と因果関係の不明確な「事故」(感情的には理解できなくもないですが、立証できますか?)では、ほしがっておられるような回答は導きにくいと思います。しかも、事故を起こす側も起こされる側も、その危険性を認知した上で、自動車に乗ってるわけですから。乗らない人が、自動車社会を批判するようには簡単にはいかないでしょう。社会的に正義か不正義かは、自分にはわからんというのが正直なところですね。 が、少なくとも、私自身は、免許自体は、周りに流されて採りましたけど、採ってから10年以上たちますが、自動車は運転したことはないです。買ってもいない。理由は人を引く可能性と不安を持っているから。資源を大量消費したくないから。はっきり言って、雨の日とかつらいし、不便です。でもそれも都会だから出来ているのでしょう。田舎に転勤にでもなれば学校で訓練してペーパーやめるかもしれませんが、今はあなたと同じ理由で運転をしていない。ただし、これはあくまでも自分の問題として考えていることで、社会問題として捉えているわけではないです。他人の自動車には乗ってるわけですし。

bofd
質問者

お礼

「殺人」という表現は、感情的になり、行き過ぎた表現だったと思います。「人の命が奪われる」とすべきでした。言いたかったことは、「人の命が奪われる(危険性がある)システム」=「車社会」に対する社会の管理が、今のままでいいのだろうかということです。 そこでotorisanさんは、社会は「車社会」の利益と不利益を天秤にかけ判断し、その結果「車」を使うことを容認した(たとえ天秤にかけられるのが「人の命」だとしても)。だからそのままになっている。と仰いました。 ここで重要なのが「判断」という部分です。社会の「判断」というのは価値観や社会環境が変わるにつれて、そのたびになされるべきものです。一回したら終わりというものではありません。 さらに判断するにはそれについて知っていなければなりません。「車社会」に伴う暗部を私たちは本当に知っているでしょうか。「知る」というのも厄介なもので、究極的には、自分が車に轢かれてみたり、自分の大切な人を轢かれてみないと分からないだろうけれど、それはできないんで、被害者の話を聞くとか、人が車にはね飛ばされる映像をみるとか、そのくらいのことはするべきかもしれまん。赤ちゃんの頭がトラックのタイヤに潰されるのを見て、車を使うのを必要最小限にしようと思う人は少なからずいると思います。そういう個別的現実の悲惨さは、不経済なので隠されがちです。のほほんと生きているだけでは、知るのは難しい。この辺のことは教育から変えていかなくてはいけいと思います。 「車社会」の暗部については、もっとあいまいにしか知らない人が結構いるのではないでしょうか。少なくとも自分はそうでした。その結果、「判断」を政治にまかせっきりになり、政治は企業と癒着して、今のような「車社会」になったのだろうと思います。 社会を構成するみんなが、知るべきことを知った上で、いまのまま「車」を使うことを「いい」と「判断」するなら、自分には何も言えません。 最後に、私もotorisanさんと同じように車に乗りません。人を轢くのが嫌だからです。駅から家が離れていて、自転車で十五分くらいかけて電車に乗っています。今日、自転車で猫を轢きそうになりました。さすがに、歩いて駅に行こうとは思いません。人は罪深いですね。 参考になりました。貴重な御回答ありがとうございます。  

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