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So this is Christmas,戦争のない世界について

safecityの回答

  • safecity
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回答No.14

戦争は彼らにとって必要だからです。人間は増殖力が旺盛で人口コントロールには戦争が最適なのです。少なくとも過去4000年の大きな戦争は、同じ血統の人たちによって引き起こされています。人間は奴隷として45万年ほど前に遺伝子操作によってオリオン座の方からきた宇宙人の細胞から作られました。それから暫くして人間らしく感情を持つようになりましたが、逃げ出せない様に体が死んだら生前の記憶を失うように作られていました。そして3次元に閉じ込められることになったのです。創造主が去った後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が地上に出てきて人間と血縁関係を結び、13血統をヨーロッパに広げました。エリザベス女王や殆どの王族そしてアメリカ大統領の44人中43人は爬虫類人と混血です。 貴方が人間だと思っている世界のリーダーたちが人間ではないからです。特徴は目に出ます。爬虫類の目ですね。 彼らは世界中の政治、経済、文化の中心を押さえているので、日本の新聞やテレビを見ても必要な情報はほとんど流れていませんね。天皇陛下も英国皇室とは関係が深いですが、血統の違いで(白人ではないのでと表向きは言われています)世界のリーダーの仲間には入れてもらえないようです。芸能人にもずいぶん潜入しています。 何億年前にも、地球人(人間ではありませんが、基本的には同じです。)は今の我々と同じような状態にありました。そして核戦争や滅亡の危機にあいプレーディアン星人らの友好的な宇宙人に助けられ、自分たちが宇宙の創造の一部であり、全てはひとつの意識から始まったのだと理解できて5次元に移りました。映画未知との遭遇に出てくる宇宙人がそうです。彼らは今でも地球に住んでいますがいつもは地球内部にいてたまにUFOに乗ってコスタリカの上空に現れたりしています。http://www.youtube.com/watch?v=PKYn6a_8H-U  大惨事を免れて3時元に残っていた少数の地球人(人間の先祖)は、だまされて遺伝子操作をされ奴隷にされてしまいましたが、2013年にアクエリアス時代に入り我々が愛と意識にめざめる時代になり、再び自由になる時がきたのです。アクエリアス時代とは、今までは個人を独立したものと感じていた意識が、全てはひとつなんだと気ずくようになるのだということです。でも日本ではなぜ誰もこの話しを知らないのでしょうか。ノルウエー政府は国民の半分を助ける用意をして地価避難所を2011年までに完成しょうとしているのに、日本はエリートだけを助けるつもりで、羊は勝手に死ねという官僚体制が明らかですね。 http://www.youtube.com/watch?v=JBM_Utij9u4 大幅にカットされた人類創世記に書かれているように、人間は宇宙人との遺伝子操作によって誕生しました。聞いたことがないのは当然で、羊である、知能程度の低い人間に教えるはずはありません。そうです。彼らは、我々を家畜程度と思っています。彼ら爬虫類人は、このところ人間の姿を保てなくなり多くの人に変体している現場を目撃されるようになりました。混血率が50%の場合爬虫類の姿になることが出来るのです。彼らは人間の体を保つためには、月経の血を飲まなければなりません。そして人間の内臓を皮膚にこすりつけたりするそうです。(すいません気持ちが悪いですね。わたしも考えると吐きそうです。)コモドドラゴンがヤギを食べている感じでしょうか。コモドドラゴンは別にヤギを憎んでいるわけではありませんよね。生贄の儀式には、4次元の爬虫類人たちを呼び出す為に行われます。かれらは非常に知能指数が高いので、呼び出してはいろいろと解らない事などを質問します。儀式に参加した人間にのりうつることもあります。日本のリーダーも参加しているので当然彼らの仲間です。エリート達は、宇宙人からもらった未来を予想する機械を持っています。これは使う人達の気分で結果が異なります。エリート達の見た未来は、第三次世界大戦、地球壊滅、人類滅亡と言うものでした。爬虫類人の思いどおりですが、笑えるのは自分達も一緒に滅びると出たことです。ハリウッドも彼らの支配下ですので、ドキュメンタリーや地球未来計画のつもりで見てください。参考までに映像だけでも見てくださいね。 我々は3次元の世界を卒業して5次元の世界へ行きます。爬虫類人達はDNAの関係で4次元までしか行けないので、家畜と馬鹿にしていても人間と混血になって5次元に行きたいのです。しかし2012年が近ずくにつれそれは不可能なことがわかっています。そこで我々をだまして3次元に留めようとするはずです。彼らは魂を集めることが出来るので、羊を納屋にとどめておく為に9/11のように、テロに見せかけた核戦争や自然災害に見せかけて多くの人を殺そうとするはずです。貴方が不思議と思われていることは、綿密に計画された地球侵略計画の結果なのです。 http://www.anti-rothschild.net/lecture/current/index.html ちなみにクリスマスはイマニュエル(キリストと呼ばれている人)の誕生日ではなく冬至に行う爬虫類人の儀式の日です。イマニュエルの誕生日は2月3日です。西洋、中近東の宗教は、家畜をコントロールするように彼らが作ったので、戦争を継続する為には非常に効果的ですね。 PS;これを読まれた方全てが目覚められますように。是非you tubeを見てください。

fishbowl66
質問者

お礼

safecity様、お礼が遅くなり、大変失礼しました。 いや~驚きましたね。こういう考えもあるのですか、知りませんでした。 >創造主が去った後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が・・・ この件に関しては、なんともコメントが見つかりません。 編集された部分に、何か有ったかもしれませんが、残念ながら機会を逸してしまいました。 一番下のURLは少し覗いてみました。 結局利子の問題ですが、この件も、今の所、確かな判断はできません。 そもそもこの質問は、利子の問題まで自分の思考を上方に向かって転換するか否かのポイントです。 私の思考は、下方に向かって掘り下げ、確固たる岩盤・根拠を探っているのですが、いつまでたっても、金鉱にも岩盤にも当りません、そこで、そもそもそんなものはないのではないかという疑いを、戦争という比喩・代理を使って検討してみようという下心ですね。貨幣の哲学とか価値の哲学では、もう飽きられてしまったようで。 どなた様に置かれましても、自分の信じる道を、行くしかありません。 ちょっと心配ですが、来年も頑張ってください。よいお年を。

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