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So this is Christmas,戦争のない世界について
クリスマスが近づくと、毎年、平和について考えてしまいます。 今年は例年になく厳しい状態が続くようですが。 ところで、戦争のない世界を多くの人は望んでいますが、その根拠としてはどのようなことがあるのか、私自身も、戦争のない世界を望んでいるのですが、ひょっとすると、戦争のない世界などは、過去に存在しなかったし、今後も存在しない、ということが証明可能かもしれません。 戦争のない世界を信仰として望むことを否定するのではなく、学、あるいは哲学として、存在しないし、今後も存在しないものについて考えることは、まったくの徒労になってしまいます。 そこで、戦争のない世界について、哲学的考察は可能なのでしょうか。 まずは、 1)戦争を現象学的に還元して、人間本性から起因しているもので、戦争はなくならない。という仮説について吟味してください。 2)1)の結果に関わらず、戦争のない世界について、哲学的な考察は有益なのでしょうか。 ひとつは、戦争のない世界はいかにして可能か。 もうひとつは、戦争がなくならないのならば、その悲惨をやわらげる方法を考えることは哲学か。 さらに、戦争がなくなるのかなくならないのかは解らない、それに関して何が語りえるのか。 3)これは、関心のある方だけご回答下さい。 ありもしないものについて考えることは、そもそも哲学なのでしょうか。 つまり、哲学の限界について、皆様のお考えをお聞かせ下さい。 質問を読んでいただき有難うございます。 こんな感謝の意思表示が許されるのかどうか分かりませんが、 お楽しみ下さい
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