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この世界に信じるに値するものは何か

arayata333の回答

回答No.18

primeapeさんの文章は 意味合いを読み取るのが大変ですね。 しかし明らかに深い思索の後の文であることは よく読むと解かってくるという文章であるわけです。 同じような達観能力という直感力があるような人には、お互いの文章が通じやすい文になっているのでしょうけど、 そうでない人は そこからの質疑交流の意味合いを読むのにも 大変なことになります。 その意味合いの深さについて私にも解かったと思える部分を 解かりやすい文で描写してみたいと思うのですが、 その前にそちらがどうしてこのような解かりにくい文となってしまうのかを明らかにしたいための質問をさせてください。(よりよき、そしてより広き対話の場を開くためです。) * primeapeさんは、 白紙状態で集中して物事を考える能力がある方であると自認されておられますが、、   そのへん、 こんなふうになっているのでしょうか? 今までの知識や体験の積み重なりから答えを導くのに、 一気に何らかの会得した方法で直感的に答えが見えてくるという直感力がいつしか働くようになった。 → それを 詳しくあとから考え続けてみても、その一気に考えた答えは やっぱり正しい。 年月を経ても なおくずれることが少ない。  まるで しっかり厳密に一つ一つの検証を積み重ねた後の結論のような確かさが いつも実証される。  間違いもあり、常に検討はつづけているが、  一気に達観が働くこの能力は、確かにあると言いえる。    ↓ こうして、たとえばこのQ&Aの場にても、 質問者の質問に 一気に達観した結果が まだ詳しく検討しないうちに生まれてくる。  あとから考えても 質問者様がたが それを理解するかぎりその質問者様がたの確かに役に立つポイントをつく答えとなってきたし、 自分でもやっぱりポイントはついているなと、後からもそう思う。 ↓ この繰り返しが、 一気に達観された言葉群での文章と文体の習慣を生み出した。 →出きるだけ解かりやすくも書いていて、“たとえ話”まで組み入れているのに、 その習慣自体はなかなか抜け出せない。 =どうしても むずかしい書き方となってしまう。 かってな推測ですし、 別に “あえてそのような書き方をしてる“という部分もまざってるようにも思えますし、ことさらに詮索を追いかけるつもりはないのですが、ですからこの詮索の答えるか否かも もちろんそちらの直感にしたがっていただきたいのですが、  この回答を書くにあたって、わたしには ここを訪れた大勢の人にこの論議を解かって欲しい意図があり、一応私は私で 質問の形をこのように記しておきました。 * 子供の頃、私は病弱で たくさんの夢(睡眠中の夢)を見ました。 その中で こんな夢を見たことがあります。 夢から醒めて、布団かが起き上がり歯をみがきに洗面所に向かう途中で、あっ と気がつくと布団の中で目を覚ましていた^^。 というこのの繰り返しが えんえんと続いた夢です。 最初は 何だコリャ^^。と おもしろくさへあったのですが、 そのうちに、恐怖の真っ只中に意識がおかれることになりました。 なにしろ、夢から醒めて、おきあがって、こんどこそ醒めたなと思って歯もみがきおわり とうとう最後は昼ごろになってすっかり安心してたら また、はっ         っつっつつつと、気がつくと布団の中で目を覚ます。とう繰り返しだったのですから。 とうとう 目を覚ましても覚ましても なお必死で目を開けようとしている状態が続きました。 それでも歯は磨く繰り返しもあったことは憶えていることろです。 もちろん、最後は目は醒めたからこそ、 今61歳にまでなった私がこれを今こうして書いているわけですが^^、 はてさて、  そこまでの夢を見ては、子供の頃の私にしても、 えっ夢と現実の違いってなんなの? という思索を さすがにおっぱじめてしまいます。 現実こそ、死の次は永久に醒めないのだから、?夢なのか?(この言葉どおり考えたわけじゃないです^^。 まだ子供ですからね。  でも、私はそのすこし以前に何度も病気で死に掛かっていましたから、 似た思索でもそれはあったのです。) すぐには、解答らしいものは出てこなかったのですが、 夢の中と現実の違いはまず夢の中の意識はボケネてるということでした。 リアルな夢もすいぶん見ましたから、すくなくとも夢の中の意識状態でその夢が夢か現実かを見分けるだけのボケネていない意識は起こりがたく、 現実の意識にても、どこが違うのかやはり明確とは言えなくなりました。 と、よくよく考えていくと、まず「みつめる」ということが夢の中では出来ず、流されてる感じで、何かを考えていてもそれはなんと「反省」という名でよべる思索は たしかに一度もしたことがなかったのです。 この発見は 子供なりに大きな発見だったと思います。 “反省という思索が 物事をなんらかの形でみつめてこそ起こる能力だ”ということを思索したのも おそらくこれが最初だったと思います。 しかし、このへんで、《この生も終わってしまう? 反省し進歩し続けてもそれは生の中でのことであり、やがて終わってしまう?   夢とおんなじじゃないか?  どこが違うんだろう?》という思索へと 子供なりにですが入り込んでいきます。 そこで、まず気がついたのが 夢の中の意識と現実(眠ってない時)の意識との一番根本的な違いについてです。 どんなリアルの友の像がそこに生き動いてる映像や声が聞こえてきても夢の中の意識には「友」は実在しない。 という考えです。 これは哲学的に厳密な理論で考えたというよりも、あたりまえのこととしてそのことに気がついたという感じのものです。 子供ですから当然ですが^^。 でも、ここから 私は「意味」って何なのか「価値」って何なのかを、始めてその本質を垣間気がついています。 「友」という存在を何か意識に持たない意識は すべて寝ているに等しい。 どんなにボケネていなくても、どんなに反省し進歩しても頭がよくなっても、その意識に「友」への関心がなければ、  夜眠っている時に見てる夢のようなものだ。 人間的な「夢」に生きることこそむしろ、それがどんな抽象的な甘い段階であっても その意識は夢ではなく現実を すこしでもいき始めたという状態なのだ。  という気づきです。 その時点では 人生をなんら哲学できたわけじゃないです。  でもとても大事な観点に気がつくことになったことは確かです。 * そちらの質問は すでに「愛」について、また「悪という概念が 幻想であるとも言える概念である」ことについて、「友」という意識の究極のような直感や思索の後の文で質問しています。 ほんとうは正確な書き方とはなっていないところがあるとわたしは思っていますが、 ともかくその境地 その達観から 文を表現しています。 >欲望は私には正体不明です。< というのも、欲望というのが、あらゆる情と関るものでありつつ、情よりも通常は巻き込まれてる状態を意味する言葉のため、 結局 そこに「友」がいない内側のもの「夢」と似ている意識を感じ   うまく捉えることが出来ない というふうに解釈することができます。 逆に言うと、欲望とは“「友」意識”が深くないと「見つめる」ことが難しい世界だとも言えるでしょうが、 おそらくこれがそちらの直感の世界においても、 “現実意識→「この世界」”に分類されるのか「夢幻絵空ごと」→「この世」に分類されるのかが どうも、両方にわたっているようで、どうにも達観出来ない。 《欲望は 愛なのか? 》 そんな誠実そのものの、裏の心の希求の声まで連想されるところです。 そんなふうに考えると そちらの質問の意味合いが、やっとおおよそ解かってきた気持ちになるのですが、 どうなのでしょうか? 「質問の中に答えがある」とよく言います。 深くつきつめてゆくとよくあることです。 “私なりの回答”の前に、 そちらの質問について考察し その内容について質問してみました。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 欲望について回答者様のコメントは新しいひらめきのヒントとなりました。 要するにこうです。 感情と行いが何処かしらちぐはぐで、必要以上に同じ行いを繰り返した場合は、そこに累積した行動の結果は余分な副産物です。お腹いっぱいなのにまだおかわりするような心境でして満腹感が欲だと考えました。 必要以上の行いとも、必要外の行いとも解釈できます。 誰もが備わっている理性は縁起行動と結果などを冷静に分析しますのでその歯止めを失った繰り返しが欲と解釈できるのではないかと思いました。 ちなみに理性の縁起の計算(自然な成り行き)で生じる心の中の世界の光景と(理想)、現実のブレの軌道修正が罪悪たる概念の発祥ではないかとも考えます。 私自身の考えの編み出し方について前文で見解を述べていますが、自らを認識し他者を認めたので(たったこれだけ)明白なテレパシー能力が自覚できます。こうなると自分ひとりの脳の中で考えてるわけでない事もわかります。その辺りが達観の内訳です。

noname#117439
質問者

補足

まづ夢の内容が示す現象について判ることお書きます。 歯の健康とは無意識と自らの本質(主観など意識できる領域とも限りません。魂と解釈しても結構です。)を、結ぶ「絆」の象徴です。健康な無意識にはそこに存在理由など不要でして「絆」次第なんですが、文面の解釈として絆を磨く健全性と、さらにそれと裏腹な、絆が欠けていく恐怖の二面性が見て取れます。それから友についてですが、人一人分の心の中で見る夢ですからふたりの登場人物がいた場合、それはお互いの同一性のある愛で惹かれ合い、縁が遠くても兄弟程度、基本的にお互いが自分自身に等しい存在です。ですから(同一性があれば)友とは解釈しません。ただし直感的な友の解釈は間違いでないでしょう。そこには自己の同一性から切り離された孤独があり、罪悪たる、錯覚だけで結びつく心の病根の象徴です。総じてこれは悪夢と解釈できます。 はっきり言うとそれは罪であるはずです。したがってこの世のドグマといって脅かした非現実の心の世界です。はっきりした決別のために言いますと、その友は心が通っていない人形です。したがってわかり合った振りは一方通行です。心は涙を流すかもしれませんがさよならして下さい。

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