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この世界に信じるに値するものは何か

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.17

 primeapeさん 進展がお有りのようですね。  ★ (No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  何が言いたいかと言うと。  自らの本質の姿は絶対であり、それは内包している。  とでも言いましょうか。  ★ (No.15補足欄)~~~~~~~~~~~~~~~~~~  心に内包する真実の姿はやはり愛です。  これはもはや疑問の余地がない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ このように確信をつよめられたご様子に見受けられます。  たしかに 人間の いわゆる隣人愛も 神の愛と 二つにして一つであると言われます。究極の愛は ひとつであって しかもその愛が われわれの心に宿る(《心に内包する》)というわけです。(《仏性》はどうであるのか これを いま 問うています)。  ちなみに よく引き合いに出される愛の区分を 確認しておくなら  神の愛:charitas ( grace / devotion )  隣人の愛  ・精神としての愛(意志):dilectio ( affection ?)  ・心理としての愛:amor ( love )  ・欲望としての愛:cupiditas ( desire / love ) などであり しかもこう捉えたときに けっきょくすべては 基底には 神の愛が 流れている。息づいている。と言われるわけです。   学問や人格陶冶の愛も 平静なこころとしての愛も 情欲・情念として現われる愛も そのような人間愛は さらにその負の側面 つまり 憎悪や嫉妬や貪欲やら何やかやまでを含めて 神の愛に さらされている と言うべきか あるいは 裏打ちされていると言うべきか そのようなかたちにおいて 究極では 同じひとつの愛であるという観想です。  ここで 神の愛は 無時間として捉えると分かりやすいかも知れません。あるいは さらに通俗的に 《長期の視点から見て》と捉えるとよいのでしょうか。人間の経験的な時間的な愛(愛・憎その他その他一切)は 無時間においては 絶対者の愛のもとにあるという夢です。  でも primeapeさんの確信は そういうことなのだということですよね。それが 《この世界に信じるに値するもの》なのだと。  ★ アーラヤ識やマナ識  ☆ を持ち出すまでもなく 人間の精神および身体にとって そのように 捉えられるという一つの認識であるでしょうし。そのような認識を持った精神および身体が 社会的に 互いに 鏡となってのように 人にも 愛の概念が 反射しつつ 呼び起こされ 写し出されてくるとも見られます。    そして わたしに言えるのは ここまでです。つまり この理論は まだ わたしには 予感です。  それは こういう理由からです。つまり すでに触れたように 憎む・嫌う・いぢわるをする・様子を見つつ無視するなら まだ いいのです。つまり 広義の《愛》に入ります。けれども 取り合わないという意味で無視する・答えない・答えをはぐらかす・はぐらかし続ける・要するに おまえの存在じたいを認めないというようなこれらの対応は 愛の概念に入って来ません。  宇宙遊泳でもないのに これらの対応をおこなう人間は どこかかなたの星屑となって生きている つまり 死んでいる。(そのくせ 社会的には 地位もあるのです。あるから 無視することができるのです)。この場合には その人間存在は 手に負えないただの物体であるように思えてなりません。  こういう事情です。逆に おしえてください。

noname#117439
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 A16のようなことを確信するとやはり軋轢の渦中に放り込まれます。 あくまでも心だけの話なんですが。 私は欲望を正体不明と定義した自己催眠のようなもののおがげで今日一日欲望との格闘でした。 といっても欲望は根拠不在で実態がどこにもも由来しないんです。 その上それだけでは欲望は掻き消えないで、なんと言いますか自らが欲望を持つことに諦めを抱いた人間像を基点に発散されています。 この辺の定義は発展途上で私もお馬鹿さんですが。 還元すると欲望はどこにもなくすべて錯覚だったことになるでしょう。 したがって欲望について考えたり定義したりするのは無理っぽいです。 ちなみに煩悩といえば聖典に由来しており、これは自己の探求です。 したがって厳密には欲望でありません。 欲望の影を背負ってはいます。 それからbrageloneさんの言う愛に分類されない情動というよりそぶりのような行いは、現世利益とか内容の伴わない信仰とかで表現できます。 欲望をあまり否定しないほうがいいです。もっと正々堂々と戦いを挑んでこそ、生きた意味があるといえます。

noname#117439
質問者

補足

愛に分類されない心情は「孤独」のことですね。 共感や共振のある事柄なら情動は広く愛を基点とすると認識できているようですが孤独や拒否なら確かにそれは出来ませんね。 さらにそれでいて自分を判ってほしいなんて支離滅裂な態度だと困ります 若い頃の青臭い孤独なら内面の清らかさも予感できますが大の大人だとどんなモンでしょうね。 多かれ少なかれそんな側面のある人は多いというよりも、殆どがそうですが、その場合愛がどうのと言うよりも、何より自分自身を知らない状態です。 良きにつけ悪しきにつけ、迷っている、またはさまよっているだけなら、自らの行いの意味を自覚できるように導くような話しかけ方をする事で、感謝されお互いが幸福を堪能することも出来ますが、きれいごと以外一切聞かない姿勢だと(または儲け話)いかんともしがたいです。 青臭い自分探しを中途半端にしたまま諦め顔でも困ります。 そのような場合は鬼軍曹みたいになって即刻行いへの還元を促し、しかる後にその成功をほめることで希望を育てることになります。

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