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この世界に信じるに値するものは何か

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.15

 No.14です。  ほんとですね。《八百長試合》のごとき様相を呈して来ました。   はじめ 《愛》にかんしては 触れないでおこうとしていたのですが 二度目三度目で おもな主題であると分かり そこに 集中するようになりました。  《愛》に 多少は信じるに足るところがあるという議論のひとつをご紹介します。すでに投稿経験のあるものですが。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  だから 魂は 善き意志によって 私的なものとしてではなく 公共的なものとしてこのようなもの(*1)を愛するすべての人によっていかなる偏狭や嫉みなく清らかな抱擁によって所有される 内的なもの 高みにあるものを捉えようと自分のためであれ 他者のためであれ 気遣うなら 時間的なるものの無知によって――魂はこのことを時間的に(* 相対的な判断によってその実践として)為すから――或る点で誤り そして為すべきようになさなくても それは 人間の試練に他ならない。私たちが いわば帰郷の道のように旅するこの人生を 人間にとって常なる試練が私たちを捕捉するように送ることは偉大なことである。   *1 (私註)《このようなもの》とは 端的には 情欲・情念・愛   情です。一般抽象化して 《理想のようなもの あるいは 理念と   その美 これらのたぐいを みづからに心地よい観念とすべく 想   像をとおして その表象に自分から依り憑いていく心の片向き つ   まりは その弱さ》です。  それは身体の外にある罪であって姦淫とは見なされず したがってきわめて容易に許されるのである。  しかし 魂が身体の感覚をとおして知覚したものを得るために そしてそれらの中に自分の善の目的をおこうとして それらを経験し それらに卓越し それらに接触しようとする欲望のために或ることをなすなら 何を為そうとも恥ずべきことをなしているのである。  魂は自分自身の身体に対して罪を犯しつつ姦淫を行なう。また物体的なものの虚妄の像を内に曳き入れ 空虚な思弁によって それらを結合し その結果 魂にとってこのようなものが神的にさえ見えるようになる。  自己中心的に貪欲な魂は誤謬に満たされ 自己中心的に浪費する魂は無力にされる。しかも魂はこのように恥ずべき 惨めな姦淫に はじめから直ちにとびこむのではなく 《小さなものを軽蔑する人は次第に堕落する》(『集会の書=ベン・シラの知恵』19:1)と聖書に記されているようになるのである。  (アウグスティヌス:『三位一体論』中澤宣夫訳 12・10) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

noname#117439
質問者

お礼

オコリザルです。 私はドグマ探索で何かが愛に昇華する瞬間というのも体験していますがそれはいわば地上に生命が発祥した瞬間にもなぞらえます。 それから子供の遊びで「お前はビックバンを信じるか」なんて謎かけで友情を確かめようとする行いが有ります。 はっきり言うと生まれた瞬間にもう何もかも判っているんですよ。

noname#117439
質問者

補足

妙な演出をすると判りにくくなるので補足です。 この世は心の世界です。 ただそれだけです。 心が枯れることはないのでドグマとこき下ろしても(私はドグマを箱庭のことといった覚えがありますが)脅かしただけです。 すみません。 罪悪は克服すると空文であったことがわかります。 心に内包する真実の姿はやはり愛です。 これはもはや疑問の余地がない。 そして現実と真実を一致させてこの世界を忠実にあらわす鏡がアラーヤ式の本分であり大円鏡知です。 マナ識はもっと判り易いです。 愛にもとづく感情は平等に采配を振るう。 不平等だと葛藤が生じることもありますが、平等性知とか言うありがたい智慧に例えなくても情動の起源は全て愛です。 自らの考え方がはっきりしすぎて質問になってない感じです。 もっともこれのここ何日かの思索の結果でしてこの世のドグマ化は言いすぎだと判りました。

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