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「反撃の狼煙」という慣用句は存在しますか?

LN-TFの回答

  • LN-TF
  • ベストアンサー率53% (320/596)
回答No.4

「反撃の狼煙」は別におかしいとは思いません。 戦闘中に狼煙を見てと云うのならば別として、例えば「三国演義」あたりにありそうですが、敵をできるだけおびき寄せるために攻め入らせ駐屯しているところを周囲から奇襲攻撃をするなどの場合、銅鑼太鼓と共に狼煙も併用せないと少し遠くではわかりません。況して丘の裏からなどと云う場合には。又狼煙を合図に一気に攻め込むなどと云う事がある以上それが戦闘の流れとして反撃だと云う場合も少なくないと思われます。 受けの姿勢から攻めの態勢にかわったと云う感じで放送では使っていますね。慣用的用法とみて良いでしょう。野球でいえば一つの試合だけぢゃあなく、ひとつのシーズンを見るとここ迄劣勢をゆるしていたがここで(この試合で)反撃に転じてと云う感じでしょうか。 日本の辞書では講釈や噺あるいは大衆小説の慣用的表現があまり入っていなかったり、とんでもない事が書かれていたケイスがあります。前者はスペースをケチらないと辞書が膨大なものになるからですが、後者は主として特定の文献に依るからだろうと思います。「酢豆腐」なんて最近迄とんでもない事が書かれていたそうですから。

webuser
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「反撃の狼煙」は別におかしいとは思いません。 おかしくないと言えばおかしくないのですが、しっくり来ないんです。 自分がそこにいる事を妄想してみると、 「反撃の狼煙を上げる」 というより、 「反撃の鬨を上げる」(そんな慣用句はありませんが) と言った方が団結感や勢いがあって、また実戦向きな感じがします。 「さあ、これから皆で団結して巻き返すぞ!!」 という感じがします。 「反撃の狼煙を上げる」だと、 状況を見て、軍師が反撃の指示を出した。という状況に過ぎません。 狼煙=合図としても良いですが、前線から遠いところから、指揮者によって出される合図です。 しかも「好機なので反撃しろ」なんて、具体性のない無茶な指示はミスターだってしないと思います。 「初球から積極的に振っていけ」とか「エンドランだ」とかそういう具体的な指示の積み重ねが結果として反撃に繋がるかもしれませんが、ベンチから「さあ反撃だ!」なんてサインは出ません。 やはり、「反撃の狼煙を上げる」は 「反撃の狼煙」を上げるではなく、 「反撃」の「狼煙を上げる」という風に、元は別の単語と慣用句をくっつけて使用されている。 なんとなく使い勝手が良いので、多くの人が使用しているだけに過ぎない気がします。

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