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美は社会に強力な作用を起こしえるでしょうか?

arayata333の回答

回答No.19

ある意味 奇跡の星に私たちは生まれています。 奇跡の大地に生きています。 地球は、宇宙にまれな水という物質が定着した大地を持っています。 それが太陽の光に、 空のチリを青に海にも映しつつ、その青い水という不思議な物質は、それが蒸気ともなり雲ともなり、 青空に白くたなびき、夕にはその全体が赤くそまり、 その間から星の光が 一つ また一つと見えてきたりします。  青い水にもそれは映ります。  青と対比的は白い雲は やがて大地に雨をふらし、 起伏のある大地に川たちを作ります。 小川がうまれ大河が生まれ、そして川たちのせせらぎの音もうまれ、  大海の潮鳴りの響きは、そうした川たちの営みがつくりだした豊かな森の木々の風の音と重なります。   そこに小鳥達の声が混ざるとリズムの根源が奏でられ始まるかのようです。 が、こうした大自然の美は、人間以前には そこにあっても、なんの意味も「美」も無いものだったわけです。 前回(ANO16で)、私たち人間が森に住んでいた頃の話を書きましたが、 それ以前に猿から人間に進化した時点で、 人間は「美」を感じた、宇宙の歴史の中で始めて 動物の脳が「自他を見つめ反省し進歩する能力」を宿した時点で、「美」を感じる感性も 言葉以前から生まれていたという推理が私の中にはかなり鮮明にあります。 このことの論証となるような理論の展開をここではするつもりはありませんが、人間はこの「美を感じる心」として生まれ「美を感じる心」のふるさとに再び帰り行くために 生きているとさへ言える存在だと私は思っているのです。 五感すべてにおいてです。   言葉によって その「美」が曇らされたと言っても その言葉によって私たちは今度こそ消えることのないゆるぎのない「美を感じる心」に到達してゆけるのですから   文明とは、そのための試練の場という図式もここになりたちます。 大きく大きく言えば こうなります。 そして、この大きな観点を抜かして「美」について語るのはめちゃくちゃな論議の世界となってしまうとも思っています。  * でも、私たち文明人がそれを取り戻すのはなかなか大変です。 現代生活の中で、では、どうしたらその「美を感じる心」を取り戻せるのかというと、 たしかにこれは まさにさまざまなショッキングなほどの方法を試す必要があったりすると私も思っています。 あらゆる方法があるとも言えるのですが、 その中でそちらの言われる「醜悪美」というのは、おもしろいですが、まさに難解ですね(^^)。 歌なら ダミ声とか 都はるみのうなり節というのは、醜悪の中に美をというよりも、 生活観を含んだ声の美という世界です。  ですので醜悪美より簡単です(^^)。 でも、だだの「きれいな声」より、味わいが深かったり 苦労してる人の心により深く癒しを運んでくれたりもするでしょう。 勇気や励ましも受取るでしょう。 本能と結びついた世界に セックスの世界とか裸体美の世界とかもありこの美醜も結構複雑です。   でもここにはその醜悪美というもののほんものも追求できそうです。  ロックの最初にエネルギーとかには、一部明らかにそのシャウトのようなものがあったりします。 絵では シュールレアリスム(超現実主義)の幻想的な「夢」の中のようなひん曲がったような絵の中に、 本物も見たことがあります。   でも、これも一握りのもので、全面的な開花とは成っていません。 ただ、シュールレアリスムで本物であろうとするのは難しいですが、 セックスの世界とか男女の心の通い合いの世界の中ですと、 これは別にわざと醜悪を求めるわけではなくても 美との融合の世界はかなり考えられます。  簡単ではないですけどね。 また、 舞踏という日本の特殊な踊りの中で醜悪美に相当するような世界を追及した跡はありますが、 これは醜悪の表現のみとなってしまってむしろ魅力を失ってしまっていたりします。 創始者の舞踏がまさに醜悪でありつつ詩的な美を持っていたのに残念です。  非常に魅力的な力の可能性を秘めていました。 このへんを歌でうまく 魅力的に出来たらどうかなとも思いますが、 これこそ難しそうですね。  北野武の歌は、かすれていたりもしますが、彼の性格のようにしっかりとその声の質を見つめて ちゃんとしっかりした歌に仕上げています。 それこそ魅力的ですが、  これも醜悪でありつつ美でもあるというような仕上げかたではなく、むしろ新たな歌の美の魅力というべきところです。   ヒントは 彼の声にありそうですけどね。 もしよろしければ、 そちらの「醜悪美」についての 難解な定義(^^)をもう少し書いてみてください。 * ダイナミックな地点からも さまざまな方法が現代ではあると思っていますが でも、それはとても いっぺんには書けません。 *、 うまく、求めておられる希求するところにたどり着くといいのですが、あくまで それを求めつつ、対話形式で回答を進めていきたいと思っています。 まだ、広義の、“言葉にも思想にも人間の生き方とかにも通じる「美」”の定義のあたりは、私のほうからは書いていませんが、 機会が与えられましたら次にはそのへんを 書いてみたいとも思っています。 今回の回答は以上となります。

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質問者

お礼

それ自体で美しいのだろうから基準を要しない、何かを見たり聞いたりするとき普通は基準というものがあるはず、そして基準と比べてみてきれい、醜い、かわいい、ブサイク、カッコイイなどと感じると思います。 例えば、ゴッホの絵を絶対的な美と仮定しましょう。 ゴッホの絵自体は物体としては変わるが、それ自体は誰かが何か絵の具で付け足したわけではなくいつになっても変わらず、ゴッホの絵であり絶対的な美なわけです。 ですが時代とともに価値観は変わり、基準も変わる。 ということは絶対的なわけですから美自体は何も変わらず、色あせずで、しかしそれを見る側の偏見によってきれいな絵だったり下手な絵、不愉快な絵になりうるということだと思います。 ゴッホの絵は今でこそ素晴らしい、人から評価されている絵のようですがそれはゴッホが死んでからの社会(人)の評価です。 生きていた頃、売れた絵はたったの1枚だったそうです。それが今じゃいうまでもありませんね。 つまり、あくまで仮定ですが絶対的な美であるゴッホの絵を見る側が一切他人の評価を捨てて見なければ現れてこないものが絶対的な美なのではないかなと思います。 ですから、受け手側にも問題がある。それ自体で何も変わらない美しさなわけですから見る側にも問題がある。 写真や表面ばかりできれい、素晴らしいなどと思っていては本当にそれがどんなものかは見抜けないということになるのではないでしょうか。 おそらく、花=きれい(かわいい、美しいなど)というような記号と同じようなものでしょう。 一見、醜悪だ(多分時代の価値基準や自分の価値基準と照らし合わせて見て)、しかし美しい(ここが多分絶対的)ということではないのだろうかと思います。 なので実例を挙げるのは中々厳しいんですね。 実際、上の話は過程の段階で僕も実物を見たことありませんし。 多分、色々な実例があると思うんですが、それが一体どの程度の影響力で、いつ現れて、どんなものかはとても考えるのが困難ですね。 ここが一番追求したい点なのですが、中々ですね。

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質問者

補足

>実際、上の話は過程の段階で僕も実物を見たことありませんし。 過程のところは仮定とよんでください。変換ミスです。

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