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美は社会に強力な作用を起こしえるでしょうか?

arayata333の回答

回答No.20

ANO19への そちらのコメントの中にゴッホの美を 絶対美という概念で仮定してのお話がありましたが、 仮定でそれだけゴッホの美や、絶対美の概念を論じれるのは、やはり現代人の「新人類」の中の何がしかの感性の芽生えを意味するものと思いました。 実は私自身が ゴッホの美の世界に気がついた「いきさつ」が、その論理とかかわるような形でしたので、 すこし描写しておきます。 たしか34歳の頃だったのですが、私は一枚のゴッホの絵 “手前のほうは畑の垣根があり奥の方は、丘のような山の稜線の連なりのある絵”(名前は知りません。)の前に釘付けになっていました。  え、 これがゴッホの絵の世界だったのか!と始めて知った瞬間でした。 今までは ただ単にミレーの絵の良さを油絵にも写しとろうとした後があるとか、ジャガイモのある風景は あの跳ね橋の色合いの明るさに通じる心の明るさを暗い室内の中にも精神として写し取ってるとか、 日本の浮世絵の感性を外国人なりに油絵にも写し取ろうとしているな、とか、たしかにそのタッチには情熱がある、とかとか いろいろ聞いていたことを、自分なりに解ったつもりになっていただけでしたが、 そのすばらしい!と感じた感覚は それまでの過去の自分の中での評価を1点とするならば、1000点以上というか、測ることなんてなるほど出来ないところの巨大としか言いようのない差のものだったのです。 まさに、そちらの言われているとおりの感覚ですね。 * それと、醜悪美との関わりや、 その説明のあたり、 またそれもまた実際にはまだ見たことが無い。  というあたりは、 よく解りませんでしたが、   もし、それでもそれを期待しているとしたら、 それは何かの占い師のような感性なのかもしれませんね(^^)。 * 私の方では 学ぶところがありました。  ふと気がついたことがあるのです。 其の「絶対美」さへ、確信を持てるならば、 その対極にあたるような中にすら たとえば線のタッチ自体は失わずの表現できるだろうし、 確信があるほどに、表現の幅はありとあらゆる可能性の広がりがあるはずだ。というあたりの気づきです。 これは回答者である私の方が 学ばせていただきました。 ありがとうございます(^^)。 参考になりました。 * しかし、いずれにせよ、私の考える“価値的な方向で強力な作用力を持った美”の世界には、 其の「絶対美」の世界とかかわる何かが(絵ならタッチや線の深さ、 歌なら音声、演劇なら眼差し、 舞踊ならば手の表情とかの世界に現れる何か)が、 深くシンクロしている必要があるのですが、 それを 解りやすく表現しようとすると、考えてみたらとても長くなってしまいます。    そこで、この場では、その絶対美の要素としては、2つの方向のそれにいたる道があり、それはバランスよく相互交流しながら発展するという考えを簡単に書いておくにとどめたいと思います。 * イ、一つは感じる側の 感性の世界自体の基準を高める方向です。 おもしろいのは、美人とブスの一般感覚ですが、これはかなり多くの人の間に(其の時代時代で多少の差はあっても)共通項の多い感覚でありつつ、 これはその美の感性の浅さをも意味してしまっています。 わたしも、これは59歳ぐらいまではほんとうには解らなかったのですが、 東洋医学の原点となった仁の思想がそれによってはぐくまれたところの気脈の世界から女性美とかが見えるようになってみれば、 最大限の一般的ブスも、最大限の一般感覚での美女の美よりはるかに感動的に美しくも見える世界があることを知ったからです。 それまでも、いろいろそのへんは考えましたが おぼろげにしか解らなかったことです。 同じように、この感じる側のほうの感性が、大自然の美に対しても明らかに1000と1の違いを生み出します。 では何か制作された美についてはどうなのかと言うと、 これが複雑な世界となっています。 しかし、もちろん、総合的にはこの感性の問題は大きいはずです。 感性教育、または感性の発達の道筋の問題です。 ロ、 もう一つは、たとえば都会に暮らしてる人と、高原や森に暮らしてる人達との感性の差、自然の美に触れる機会の差の問題と、感受性豊かな子供のうちにそれらの自然な環境に触れることができる環境の問題です。 これには、単なる感性教育の問題を超えた教育改革が必要だと思っています。 基礎教育の段階を より早くクリアーするシステムや方法を考え出し、そのユトリとともに、学校を学校というより遊校にしてしまう教育改革です。 そこには、主にこれからの写真藝術の世界が役に立ちます。 また学校だけでなくホテルとかその他の宿泊所全体がホームステイ斡旋も含めた“子供たちが出きる限り世界中を旅できるように、また世界中を写真に写してもこれるようにし、それを大人たちが応援するというシステム”を創っていくということです。 何億光年のはるかかなたからやってきた星の光を、私たちは「へーすごいな」ぐらいにしか思えなかったりするところ、私の知ってる人でグライダーと物理が得意な人(^^)がいて、 その人は 普段も星までの空間の距離のすごさを計算だけでなく実際の空間として感じられるようになったのだと言います。( 残念ながら故人ですが。) 感性を磨くのは、もちろん、遊びも重要です。 そしてその遊びが これからは音楽藝術が神の創った音との出会いから生まれたように、 写真をとおして、子供たちが光と大地との出会いからその藝術を深め高めていく時代だと思うのです。 詳しくは 書けませんが こうした大改革とともにある美の革命には、人の心を優しくし、思いやりの深い人たちを増やすと言う意味での社会的な強力な影響があると私は思っているのです。 私にはなのかもしれませんが、 それ抜きに資本主義が変わるとはあまり思えないのです。   すみません、かなり大雑把になってしまいましたが以上です。

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質問者

お礼

遊びというのは確かに重要だと思いますね。 しかし、絶対美の問題はやはりまだまだ難しい所です。 もっと深く理解しなくてはならないようです。

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