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美は社会に強力な作用を起こしえるでしょうか?

arayata333の回答

回答No.16

ANO14のarayata333です。  ごめんなさい。 「哲学は“解りやすい表現を”という点ももっとしっかり哲学すべき時なのでは」という考えを持っているはずの私自身が、ふと、最近かなり解りにくい文章をふと書いてしまっています。   気おつけます。(ーー); コメントをいただき、ご質問の裏の誠実なお心が伝わってきました。 ありがとうございました。 そこでさらにもう一つつっこんで質問させていただきたいのですが、その前に * でも その前に すこしだけ 例の解りにくい文となってしまったあたりを説明します。 「二つの融合の世界をとりもどした大人に 」の、その「二つ」とは何かという説明がきちっと書かれていませんでしたね。 豊かで新鮮な感受性を昔の素朴な人たちの多くの人は持っていたところ、(ジャズ音楽の発展によって、アフリカの音楽が見直されてきましたが、 その前までは昔の森の中の人たちは土人というような呼ばれ方で 人間としての豊かな感受性が私たち文明人よりはるかに劣っているともかなり大勢の人に思われてもきました。 ところが ジャズの専門家が彼らの音楽を聴くと、その単調な部分は馬鹿な証拠ではなく、むしろ「心の統一された姿」として、複雑で即興的な部分はただの野蛮なでたらめではなく、むしろ「それだ豊かな生活感や感性が スイングしあって調和している姿」として理解できるようになってきたのです。 音楽美と関わる解りやすい例なので付け加えておきました。) それが、逆に、人間がとうとう言葉を獲得し、それによってさらに豊かに成長してゆける道具を手に入れたにもかかわらず、 それこそ機械文明は進歩したのに、またさまざまな哲学や科学を発展させたのに、 また豊かな生活まで多くの人が手に入れたのにもかかわらず、 かえって頭が複雑になり、きちっと整理できなくなり、心の世界の新鮮な感受性の世界は、かえって失われていってしまった。 文明の歴史(とくに言葉による文化の発展)には、 功罪二つの側面があるという図式、 ここまで解りましたでしょうか? けれども、もしここに言葉というものが、しっかりした明晰性のある確固とした哲学に昇華されるのならば、またその土台の上での表現の進化が起こるならば、 私たちの理性や言葉の世界は 私たちの感受性の世界を邪魔するものとはならないはず。     二つのことの一つは、この哲学の総合的な整理の世界のことです。 あるいは言い直すならば、 「中途半端ではなく総合的に人生を考え切る」ということです。 一見現代では不可能にも思えてしまうことですが、方法はあります。  文明人が言葉をすて科学的思考能力をすて、その面を退化させることで感受性をとりもどす、という原始回帰はもはや不可能なのですが、 前進することにはその「希望」があるということです。 しかも、私たちは「美」を通して 再び森の時代の感性を取り戻すことも可能、子供の頃に大自然に触れた体験のある人なら、あの新鮮な感動をとりもどしたいと思うでしょうが、音楽をとおし、絵をとおし、歌をとおし、ダンスの進化をとおし、  またはいよいよ始まる新しい写真文化をとおし、あるいは情報化時代の映像の美の可能性の世界を通じ、  それは充分とりもどせますよ。 そのはずですよ。  とう前提が その「二つの融合の世界」ということの裏にはあったわけです。 私自身の頭の中には はるか昔に考え終わってたことなので ふとこうした説明抜きの言葉で文章が出てきてしまったのでしょうが、  ここの哲学カテに参加する以前には あまりなかった失敗だと思うのですが( あ 人のせいにしちゃいけないですよね^^) 気おつけます。 つまり、1、子供のように無邪気でくったくのない新鮮な感動の世界と、2、もう矛盾の無いゆるぎない哲学の世界の  その1、2の融合された世界を 取り戻すというよりも、 今こそ作り上げてゆくべく「希望」を持って前進しよう。  という哲学を 私は持っているということなんです。 おおよそは、解っていただけたかと思います。 * では、どうすればいいのか という肝心な点に深入りしたい気持ちはありますが、 それはまた機会がありましたらということにして、 ここで補足要求質問の第2弾となります(^^)。 * いただいたコメントに対して、大きくは3つの質問が浮かびますが、 まずは、一つにしぼります。 ★ >美は直接人や社会を動かす力となりえて< というふうに言い切っておられますが、 それはそんなに簡単なことでしょうか?  たとえば、  西洋のクラッシック音楽は、時には体の震えるような感動の涙を流させる力があります。 でもなんでそんな音楽を生み出した西洋が同時にナチズムにも陥ってしまったのでしょう。  戦争を止めることが出来なかったのでしょう。     (権力や暴力の方の力の方が大きかったのであれば、「美」の力はその程度のものだったということにも、なります。) そのまえに、たとえばゴッホの絵のほんとうのすばらしさを大勢の人が知っているでしょうか?  解説で「そんなものなのかなあ」と思う程度なら、それが行動にむすびつくとはあまり考えられないのですが? “「美」の無意識的な影響”の世界の事も考えておられるようですが、 ともかくその無意識の力の世界のことにしても、 とても簡単な世界ではないと思うのですが、、 簡単に言い切ってしまう気持ちの裏側のあたり、この社会をなんとかしたいというあがきのような何かがあるような気がしますが、そのへんを知りたくなったのです。 * 今回は以上です。  もしよろしければ 補足質問等へのコメント等、よろしくお願いいたします。

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質問者

お礼

「二つの融合の世界」というのは大体わかりました。 >美は直接人や社会を動かす力となりえて< ここなのですがまだ仮定の段階です。それともちろんこの問題、いうまでもなく非常に難しい問題です。 >西洋のクラッシック…(略)…争を止めることが出来なかったのでしょう。 歴史を見ると文化というのは戦争に限らず何かと何かのぶつかりあいで大きく飛躍しています。 既存の制度に反逆することで価値の転換を図ってきた(新しい価値を見出してきた)わけです。 ぶつかりあいが起こるのは必然だと思います。 もっとも最近の戦争はかなりたちが悪く、効率的な破壊を繰り返してばかりいるので何にもなくなっちゃいそうなくらいの凄まじさですけど。 僕は絵や音楽だけでなく言葉、思想、人間自体やその生き方なども美になりうると思います。 それと特に社会を何とかしたいわけではなく、日々が味気ないのでこの煮え切らない感じを何とかユニークに料理できないものかといった具合でしょうか。

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