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人は何故生きるのか

mori0309の回答

  • mori0309
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回答No.25

miyavirginさん、こんにちは。普通の会社員のmori0309です。 > どうして人は生きるのでしょうか?  この質問には次の二つの意味があると思います。 ●人はなぜ(どのような理由・原因で)この世に生まれてくるのか ●人は何を目的として生きているのか(何を目的として生きるべきか)  今回の投稿では、前者の意味について考えてみようと思います。  人がこの問いを発するときの「人」とは、自分のことですね。自分が生まれてきた原因や目的、それが知りたい。抽象的な「ヒト」のことではない。自分という存在への深い懐疑や苦悩がこの質問の背後にはある。この質問は、例えば「星はなぜ生まれるのだろう」というものとは、明らかに違うと思います。  抽象的な「ヒト」のことならば、科学(生物学や脳科学、あるいは遺伝子学や進化学など)が、まだまだ完全とは言えないにせよ、かなり高度な答えを教えてくれます。でもそれは対象化・客観化された「いのち」や「こころ」であって、対象化・客観化された時点で、もうそれは自分ではなく、自然のなかのあらゆる他の物理化学現象(自我というもののない)と同質のものになってしまいます。対象化・客観化すると、もっとも知りたい謎の本質部分が、するりと逃げてしまう。哲学問題が科学問題になってしまう。  永井均の「<子ども>のための哲学」(講談社現代新書)には、このあたりのことが、この本の半分をさいて書かれています。一部を抜粋して要約してみます。    *   *   *   *   *   *  一組の男女がセックスをして、ある特定の人間が生まれ、そいつが「永井均」と名づけられる。そこには何の不思議もない。でも、そいつがどうして私でなければならなかったのか、ここにはどうにも説明のつかない神秘がある。「永井均」と名づけられた子が、私ではないという状況も、じゅうぶん考えられるはずではないか。(同じ父母から生まれた兄弟は、私ではない。)「永井均」がいても、それが私ではなかったら、世界や宇宙を認識できる私がいないことになり、結局、何も存在しない(宇宙がない)のと同じなのではないか。「永井均」が私であることを決定づけている、いちばん大切な”何か”、それが何なのかがわからないのである。”何か”は、いわゆる自我とか主体とかいった、誰もがもつ一般的なものであるはずがない。  「永井均」が自分であるということを自覚している私を《私》と言い表してみる。それでは《私》とは何か。それは説明不可能なものであるに違いない。各人が持っている自己意識とか自我といったものについてなら、現在でも心理学や何かが説明を与えているだろうし、近い将来、大脳生理学か何かが、すべてを解明してくれるかもしれない。でも、どんな学問も《私》について完全に説明することは絶対に不可能だ。なぜなら、そこには法則性というものがないのだから。意識とか自我というものが、どんなに客観的に正確に解明されても、それは誰にでもあてはまる一般論であって、「永井均」が《私》であること(《私》が生まれてきたこと)の説明にはまったくならない。  《私》が存在することは《奇跡》である。確率が10の何億乗分の一しかないことが起きた、というようなことではない。そういう確率を計算できるような理論の枠が、そもそもない。日本には「命あっての物種」という、なかなか感じのいい言葉がある。自分が生まれる前のことや、死んだ後のことが、気になるのも、いったん生まれてきたからであって、自分が一度も生まれてきたことのない世界については、問題の対象になりようがない。自分が生まれなかった世界を考えるとき、自分がいない地球を上空から眺めている自分を想像しがちだけど、そういう自分もいない世界を想像することは、かなり困難なことだ。  だから実は、この、いわば「《奇跡》あっての物種」という事実こそが、独我論というものの本質なのではないだろうか。この《奇跡》がいったん起こった後では、この《奇跡》なしでも、世界や宇宙は存在する、と考えるべき根拠はもちろんある。しかし、それは、ひょっとしたら、この《奇跡》の内部でのみ与えられる根拠にすぎないのでは...。  この《私》の話をどんなにくわしく説明しても、問題の意味をまったく理解してくれない人も多い。けれど大学の授業なんかで、この《私》を別の言葉で言い表しなさいというクイズを出すと、いつも教室にひとりは正解を即座に言い当てるやつがいる。正解はもちろん「魂」(または「霊魂」)だ。(だがしかし「魂」を意識とか自我と同じような意味、すなわち誰もが持つ一般的なものであるとみなすと、不正解になる。)  はじめてウィトゲンシュタインを読んだとき、この問題について私より先を歩いている人がいるということを知って、私はたいへん驚いた。彼は、私が考えていた問題が、『ほんとうのところは言葉で表現できない』ということ、『表現できたときには、にせものの問題になる』ということ。その意味を考え抜いていた。    *   *   *   *   *   *  この最後のところの、『表現できたときには、にせものの問題になる』というのは、私が初頭に書いた「謎の本質部分が、するりと逃げてしまう」というのと、同じことだろうと思います。  「魂」の神秘には、いまのところどの学問も、まったく太刀打ちできていません。「魂」などないという意見も多い。一方、宗教やスピリチュアリズムにおいては、「魂」は「時空を超えた不滅の存在」であるとされ、物質よりも高い実在性が与えられています。この場合「魂」は「神と向かい合い成長するもの」と語られる場合と「神の分霊であって神自身である」と語られる場合と、大別して二つがあるように思います。  私は素朴実在論者ではありません。「宇宙に真に存在するのは物質とその法則だけである」とは思わない。「神」とか「魂」とか、そういう言葉でしか表せないものが確かにあると、私は思います。例えば「会社」というものは、見ることもさわることもできませんが、確実に存在し、人の言動や生き方に多大の影響を与えます。「会社など本当はない。人間の頭のなかだけにある幻想にすぎない」というのは、物質的には真実であるけれども、「現実的な真理」ではない。(あえて「現実的」という言葉を使いました。「会社」が「神」や「魂」と概念的に同じものとはまったく言えませんが。)  「魂」はなぜこの宇宙に出現するのか。限定された時空のなかでの1回こっきりの現象なのか。それとも時空を超えた不滅性をもっているのか。それは唯一無二性のものなのか。それとも生まれ変わりを繰り返すなかで、分かれたり集まったりするのか。  「魂」は明らかにハードウェアでもソフトウェアでもないと思います。もしどちらかならば「魂をコピーする」ことができてしまう。アメリカには、脳と同等の働きをする人工頭脳の開発が成功して、それに人間の脳の記憶情報をコピーすることができれば、その時点で人間の不死が実現する。そう本気で考えている学者がいるそうですが、私はありえないと思います。私の脳情報を人工頭脳にコピーしても、私自身が死んでしまえば、私はやはりこの世から消滅してしまう。人工頭脳人間は私ではないです。(他人から見れば、その人工頭脳人間は私そのものでしょうけど。)  私はここで一気に「魂不滅説」を肯定したいわけではないです。根拠にできるものはまだ何もありませんから。また、孔子の「怪力乱神を語らず」ではないですけれど、そういう説は大人が人前で語るべきものではないということもあります。  ただしかし私は、「魂」なるものが人類(だけでなく生命界全体)の営みや、宇宙全体の営みから、ぷっつりと切れて単独に存在するものとは、どうしても思えないのです。「魂不滅説」は正しくなくても、誰もまだ知らない、何かたいへん深い真理が、そこにはあるのではないか。そしてその真理は、物質と精神、主観と客観、原因と結果、過去と未来、そういう二分論的な思考を超越したものではないか。そんなふうに思います。  (結局何も言えてないですけど。後日、また投稿させてください)

参考URL:
http://members.tripod.co.jp/serpent_owl/

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