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命が大事ならば

start-x2の回答

  • start-x2
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回答No.32

少々補足します。 >代替エネルギーによる生存は、永遠の命を思わせますね。 私もいつまでも行き続けたいと思って、今尚生きていますが、人間が論理上永遠の命をを謳っても何かしら保障された環境下にない限り保障はできないでしょう。 宇宙空間という極限られたスペース(とでも言うのかな)の中のさらなる一部の地球表面上で日々太陽からの無機質なエネルギーを原動力とし、それが源となって生命活動が持続されています。  課題として、他の生命を殺す事無く、いわゆる人間が考える平和的手段の理想実現により持続させ続ける事が出来たとしても宇宙空間の収縮(または太陽の寿命による事実上の地球上の生命活動の停止)等の将来課題が山済みとなっていますので、想定される範囲を絞っただけでも永遠の命の課題は難題です。 でもそれをあきらめる理由は何も無く、また生命はいつか絶たれると言う考え方が正しいとも言い切れないと考えます。  これまでの人間は生まれては死に、そしてまた生まれる。 の繰り返しでしたが、今後いつまでも同じことが繰り返されるとは保障がありません。(誰も保障できませんし)  具体的課題を掲げればきわめて壮大かつアホらしいと、殆ど取り合ってもらえないかもしれませんが、平和的にいき続ける方法を探し続けたほうが、よほど身の為世の為人の為?!(汗)になると考えます。 >しかし、食物連鎖を絶対のルールにしている生物がその枠から外れたときどうなるのでしょうね、興味深いです。  食物連鎖のルールは2008年8月27日20時頃(JST)現在の事実のようです。 明日以降また新たな発見、優れた技術が生み出されてくると思います。   最先端では、難病で視力を失った人の目の視力はCCDカメラがその基礎を支え、手足まで機械が代替する時代になりました。   もちろん課題も多いし、即日誰にでも利用可能というレベルではありません。  臓器器官の代替と生命活動に必要なエネルギー全般の完全供給とは別問題ですが、臓器移植や人身売買で議論され消費されるエネルギーと時間を考えれば、より良い技術、医療、化学の発展に力を注ぐべきことが当面の重要課題と考えます。   食物連鎖は今日現在のルールであり、私も先ほど焼きそばを食べてきましたので、材料にはブタさんから白菜まで様々な生命が入り込んでいますので、すぐには万全解決とはいかないと思いますが、過去のルールに問題が残されているならば、それを変えてはならない理由はどこにも無いと思います。  化(科)学が全てと申しているわけでもなく宗教を否定するものでもありません。   地球上の生命全てを食物連鎖から一度に抜き出すことは出来なくても、 食物連鎖の事実を「問題」と見ている人間自身がその枠から外れれば、とりあえず問題にならないと思います。  仮に人間が代替エネルギーにより生存可能とした場合でも、例えば食べる欲求など、肉が食いたい。 酒を飲みたい。 いわば今日現在の人間としての欲求を満たすための行動制御(脳を直接制御する)が必要になると思います。  その時に、自分の姿や社会を見渡したとき、平和で豊かだと言えるのかどうか、私の想像の範疇ではかなり疑問は残りますが、いずれにせよ、少なくても直近の課題である50億年程度以内に地球を脱出し地球外の空間で生存できなければ、現物理法則どおりに事が進行するならば、地球は火の中闇の中へと葬られてしまいバクテリアの1匹さえも生き残らないでしょう。  神だ仏だと、事実を確認する事が難しいことに時間をとられるよりも具体的解決策を探り出し、手の打ちようが無いところまでたどり着いたら、それこそ神だ仏だというのも手だと思います。    その時は神も耳を傾けてくれるのかもしれません。 悪事や不平を神や宗教の責任にしてはいけないと思います。 成しているのは人間なのだから。  私もまた 質問者の質問にある 「命が大事ならば なぜ生物は他の命を奪わなければ生きていけないのでしょう。 この矛盾について解答があればお願いします。」  この壮大な問いに対して、日々新たな考えを見出したいと思います。

shift-2007
質問者

お礼

私は農業の真似事をしてまして、農業というのは特定の作物を育てる行為なのですが、それと同時に不特定の害虫、雑草、病原菌を大量に殺す事でもあるのです。まあそういった罪悪感も質問の中に含まれていまして、命が大事は譲れないのです。 1年位前にも似たような質問をしましたので、答えが出ていなければまた1年後に同様の質問をいたします。 そのときはまたよろしくお願いいたします。

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