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私は死なない

nabayoshの回答

  • nabayosh
  • ベストアンサー率23% (256/1092)
回答No.15

死は存在しないというのはエピクロスも言っているのは前の人の書いた通り。この主張はヨーロッパにも受け入れられて、アナトール・フランスなんかは「エピクロスの園」の巻頭にその文言を載せていますし、ショーペンハウエルなんかも同じことを言っています。 ですからまあ、この考え方はshift-2007さんにオリジナリティがあるものではないです。 その理屈を呑み込んだ上で、ちょっかいを出したくなるのが私(回答者)の性分というやつでしょうか。 まず、「私から見た私の死」は存在しない、これは正しいものとします。 そうすると考えなくてはいけないのは、「私」が「私」であると認められるのはどの範囲までか、ということです。 shift-2007さんは死を自覚できるかということを問題としていますので、自覚が条件になるのでしょう。 それを平たく言えば、生きているということになります。 (ここで、生きていることと自覚することは別だ、という議論ももちろん出てくるかもしれませんが、あくまで平たく) つまり、「私は私であるのは私が生きている間だけ」ということです。 で、それを踏まえて考えると、本当の本当に厳密な意味で確実に言い当てている部分は、 「生きている間は死なない」 だけになりはしないでしょうか。 だとしたら、随分と陳腐でしかも確実なことに気づいたものです。 そもそも、「私から見てどうなのか」ということについては、往々にして「私の言ったもん勝ち」になってしまうので、他人がどう矛盾を指摘しようとそうそう覆るものではありません。 しかし、それが「私の独り善がりな妄想かもしれない」ということはいつまで経っても否定できないので。 私自身は、「私の自覚・感覚」なるものに全面的に信頼はしない人間なので、このような書き方になります。 ※門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし、は一休ですね。

shift-2007
質問者

お礼

「生きている間は死なない」は面白みにかけますが、言ったもん勝ちは間違いないですね。 今わの際になれば新しい発見もあるでしょうが、今はこんなところが限界かなと思っています。 ご回答ありがとうございました。

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