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私は死なない

noname#80116の回答

noname#80116
noname#80116
回答No.52

 死の問題で余録です。いちどご紹介しましょう。余録というのは 余計になるやも知れないですが。  タカマノハラ神話症候群という現象がある。  トヨアシハラの瑞穂のくにに住むわれらスサノヲ市民にとって 能天気でミーハーなる者は かからない病いである。  それは 自分が 神のごとくに いかなるものの下にも立つまいとして 天高く舞い上がるという《志》を持った大いなる悩みである。かれらは 人一倍の努力をするという症状を呈す。われらふつうの勤勉派にとっては 少々ことばが悪いが ガリ勉派であると称させてもらおう。  症候群の中で 主導的な地位にあるのは アメノミナカヌシに傾倒する場合である。これが いちばん 症状が重い。いわゆるシャーマニスムだと考えると分かり易い。  アメノミナカヌシの神というのは 世界の中心に位置している。位置しているのだが 何もしない神である。これが いちばん 統治にとっては有力だという思想なのである。  《不動の動者》となるのであって このあとの《動》は 動かす・動かしむというふうに 他動詞・使役動詞として捉えなければならない。要は 《不動》とは ゴルファーの名ではなく 《死ぬ》ことである。ここで 死の問題が出てくる。  いかなるものの下にも立たないが 天(アメノミナカヌシ)にのみは傾倒している。この天にみづからが憑依して――それが シャーマニスムであるが―― 身体を空気のようなものにする。そうすると いかなる欲望の刺激や いかなる驚きにも動じない心理の防御壁が出来上がる。ちなみに 占いもできるかも知れない。  空気のような身体にすると言ったが 身体を脱ぐのではない。これは 精神を脱ぎ人格を一たん捨てるのである。しかも これを 精神が行なうのである。精神が行なったというとき 人格の脱け殻は あらためて着ている。意志行為であることに違いないからである。(存在があり 歴史がある。その限りで生きている)。  知性が それでよいと判断した結果なのである。なぜなら そのとき 社会には 一般スサノヲ市民の中にも 自然教徒=アニミストが いるからである。かれらが シャーマ二ストたちの恰好の標的となる。  あとは 自然教徒=アニミストたちを ありがたいお言葉で説教し これによって一定の地位に就くなら 実際にかれらに利益を誘導することを怠らない。これによって 人びとや世の中を《動かす者》となって 君臨するという寸法である。  これも 死の問題である。いまや周知の事実である。言わずと知れたアマテラス物語である。  アマテラシテ( Amaterasity; Amaterasitaet; Amaterasite; amaterasutva; amaterasutaa )=象徴が 人間宣言したあとには スサノヲの中から アマテラス予備軍が出て こぞって このアマアガリ(出世)を果たすようになった。  実際問題として これらシャーマ二ストたちは 庶民である素朴なアニミストたちをこわがっている。なぜなら 後者は 心がさまよいながらも 自然感情を保持し それとして 生き生きとしているから。これが シャーマ二ストには こわい。どうしようもなく こわい。尊敬さえしているかも知れない。けれども そうして お互い 持ちつ持たれつであるようだ。  死と生の物語 ここで いちばん死んでいるのは どちらでもない中間の――《中庸》のではなく――生ぬるい感性と半端な知性をたずさえたわれらであるかも知れない。いや いやいや そうではない。 われらは ふつうの勤勉派にして 無力の有効なのである。うっふん。誇るのなら この弱さを誇ろう。   shift-2007さん どじゃ!!??

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分にレッテルを貼らなければ他人と比べることもしなくて済むので、 劣等感や優越感から開放されるんじゃないでしょうか。 そういう話じゃ無いんですか?

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