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「腑に落ちない」の使い方。

ojisaの回答

  • ojisa
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回答No.4

「腑に落ちない」については結論が出ているようですので、文章の「正しい・正しくない」について少し申し上げたいと思います。 ●一般的な文 文章は読み手に何かを伝えようとして書くものです。ですから、相手に自分の伝えたい意図が伝わらないというのは文章として問題があると思います。 従って一般的な記事や告知文といったものの文章の書き方には「正しい・正しくない」はあると思います。 自分しか見ないメモのようなものについては「正しい・正しくない」は無いと思います。時には文字でないものを書くこともあります。 ●修辞法 一般的でない文章を「個性的」と評価することについては個々の感性も絡んで来るので難しいのですが、昔から研究され、修辞法(レトリック)として様々な技法が紹介されています。具体例は書籍等でごらんになってみてください。 いわゆる擬態語に類する言葉には作家の個性を反映したユニークなものも多いようです。 ただ、修辞法はいわゆる「正しい」表現に含まれるニュアンスまでもをふまえた上で、それを組み合わせたりゆがめることで本来の表現には含まれない意味やニュアンスを加味する技法が多くあり、あくまでも根底に「正しい」表現があることが前提になります。 ●流行語 又、はやり言葉の類は一般的な表現から逸脱した珍奇な言葉もあるのですが、広く一般にその意味やニュアンスが受け入れられて正しい言葉として定着してしまう例もあります。後世になって「これの語源は何だろう」と首をひねるようなことにもなるのです。 ●暴論 「文章は正しい正しくないで書くわけではない。外国語を話すときだって、正しいかどうかばかり気にしていては話もできない。それと同じだ」 という意見は私も腑に落ちません。文筆家の主張としては暴論だと思います。  ・外国語にも正しい表現、正しくない表現という問題はあります。  ・話をすることと文章を書くことは同列にはできない。 の2点を指摘したいですね。 又、文章を書くあらゆる人にとって重要な作業「校正」という作業があることも、文章に正誤があることの証拠のひとつだと思います。 しかし、正しいかどうかばかりを気にしていたら書けることは少なくなるというのでしたら正論だと思います。読み手が誰なのかを考え、その読み手に過不足なく書き手の意図を伝えられるのであれば、例え正しくない文章であっても「良い文章」だと言えると思います。 ちなみに私の文章はよく「まわりくどい」と言われます。今回も「少し」のつもりが長くなってしまいました。もっと「推敲」をしなくてはいけないですね。

minnnanouta33
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 なかなかお礼をすることができず、申し訳ありませんでした。 わかりやすい説明をしてくださってありがとうございます。 さらに言葉に対する理解が深まりました。 文章を正しい、正しくないで書くわけではない・・ということに対して、最近ショーン・コネリー主演の映画「小説家を見つけたら」を観ていて、関連する場面を見つけました。 元作家であったショーン・コネリーが、文才のあるらしい少年の指導をする場面で、「心で書く」ようなことを教えていました。(すみません、大まかにしか伝えられませんが) まずは書きたいと心が感じたことを書く。 正しいか間違っているか、細部に関しては、それから考える。 そういうことかなぁと思いました。 だから、 >正しいかどうかばかりを気にしていたら書けることは少なくなる というところかなと思います。 心を自由にして、読み手の立場を想像しつつも、自由な気持ちで書くことができたら素晴らしいでしょうね。 ご意見参考になりました。 ありがとうございます。

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