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主格の関係代名詞
ふと疑問に思いました。 問.次の2文を1文に直しなさい。 Ex.The boy is Ken. He is a student. →The boy who is a student is Ken. みなさん、このようにするかと思います。 この場合では、The boyとHeが同じ人物をあらわすので、代名詞であるHeをwhoに変えて先行詞の後ろにもってくる、というのが通例に思います。 しかし、ここで疑問なのがKenです。 Kenについても同様のことが言えるのではないでしょうか。 つまり、KenとHeが同じなので、Heを関係詞whoに変えて The boy is Ken who is a student. として捉えてしまうこともあるように思えてしまいます。 後述になってしまいまいしたが、塾講師をやっています、大学生です。 生徒からの視点で考えてみれば、どちらも名詞でHeと同一人物であることは間違いないので、先行詞を間違える可能性があるように思います。 単なる勘違い、思い違いかもしれませんが、よろしくお願いします。
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解説のほうは、 #1さんのもので完璧です。 そして「試験問題」の回答については、 #2さんのものでOKです。 もはや私なんぞの出番はないし、 むしろあるべきではありませんが、 #4さんのご意見にかなりカチンときました。 ああ、またか、と思いました。 しかし愉快ではありませんでしたね。 むしろ不愉快です。 回答だけですませればよいものを、 なぜ毎回ここでお得意の 「アメリカの赤ちゃん」式の勉強法を強制するのでしょうか? 私は物理学者です。 そして、日本の英語教育とイギリスの英語教育、 両方を経験しました。 どちらのほうがsyntax的だったと思いますか? イギリスのほうです。 規範文法 (prescriptive grammar)と記述文法 (descriptive grammar)というものの違いを どれだけ自覚しているのでしょう。 規範文法、「『正しい』文法を定めると同時に、そこから外れた『間違った』文法を禁止する。」というもの 記述文法、「言語事実は観察されるがままに記述し、分析すべきであるとする。」というもの 文法というものは、 本来柔軟性と論理性、両方備えているものなんです。 文法重視と会話能力の欠如は 直接関係はありません。 日本人の会話能力の欠如は、 アウトプットの乏しさがその原因です。 イギリスでは英語の教え方も日本同様 syntax的でしたが、アウトプットが徹底していました。 「読み・聞き」はインプット、 「書き・話す」はアウトプットという意味です。 英文をsyntax的に分析できるようになった上で それを意識せずとも読み書きできるまで 音読させられました。 英語の「体得」には、この両方が必要なんです。 私の方法論を支持していただけなくても結構です。 しかし、まがりなりにも「英文会話」を騙るなら、 自然な表現うんぬんより、 もっと大事な「マナー」というものを 学ぶべきではないでしょうか。 私はそう思います。
愉快ですね.ああ,またか,と思います. まるで数学ですね. A=B および C=D. もし,A=C なら何が言えるか? A=D=B? The boy who is a student is Ken. は変な英語ですね. 日本の英語教育を腐敗させた原因がここに象徴的に現れていると思えます. 百歩譲って,関係代名詞に限定して,仮想的な(実用性を無視した)文法ゲーム遊びをしているのなら,初等的な教育に限って受け入れられるとは思います.しかし,こういう議論から,必要以上の文法論に入り込んでしまいがちです. The boy is Ken, and he is a student. で十分ではありませんか.who を使いたければ,The boy is Ken, and who is a student. The boy が主語とするなら,Ken と a student は主語の属性と考えてもいいですね. しかし,なぜここで,文法好きがアリのように群がって,文法論をとうとうと述べる,いつもの趣味の世界にしてしまうのでしょうね. 実に,日本人は文法が好きですね. 仮説ですが,日本の文法好きほど会話能力がないと感じています.日本の文法に拘る程,自然な会話はできなくなるはずですから. 日本の大多数の英語教師は,会話ができないことが根本的な原因となって,重箱の隅をつつく日本式英文法(数学に似ている)という特殊な世界に逃げ込むしかないのでしょう.これが根本的な原因です. いつまでたっても悪循環ですね.
- Ganbatteruyo
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Gです。 こちらにも書いてみますね。 まず、試験文法の悪影響がここにもある、と言う事です。 つまり、関係代名詞の「乱用」です。 なぜ関係代名詞があるのか、なぜ、アメリカ人は関係代名詞を使うときがあるのか、関係代名詞とは品詞?それとも表現方法?と言う三つを少しご自分で考えてみてはいかがでしょうか。 最後の部分が一番大事だと私は信じています。 関係代名詞は表現方法だ、と言う事です。 まぁそんなんだけど、と言わないでください。 実感してほしいのです。 The boy is Ken and he is a student.でなぜいいはずだという事を分かってもらいたいのです。 そして、ケンです、と言いたい時にその人の名前を教えたいのか、ケンがそこにいるよ、といいたいのか、これも考えてみてください。 The boy's name is Ken and he is a student.と言えばWho is he?に対する返事として名前となんであるかを教える返事となりますね。 でも、He is ken.とすると、名前を教えると言うフィーリングが低くなりますね。 カンマプラス関係代名詞(主語になる)ってどうやって書き直せましたっけ? もちろん、and でしたよね。 関係代名詞を使う理由が今回の表現に本当に必要なのでしょうか。 関係代名詞の使い方を教える例文を変えてはいかがでしょうか。 関係代名詞を使うことでandだけでは無理があると言うような例文です。 あえて、その例文のことは書かないでおきますね。 教える機会をご自分の理解を深められる機会としてみる事で自分の時間をより有効に使えるということでもあるのです。 直接の回答ではないことは十分知っての回答でした。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
- d-y
- ベストアンサー率46% (1528/3312)
#1の方がおっしゃるように、Ken who is a student(学生であるKen)という言い方は、学生のKenと社会人のKenのように複数のKenがいるような特殊な文脈でない限り、不自然です。 ただ、関係代名詞の前にカンマを入れて The boy is Ken, who is a student. (あの少年はケンで、学生です。) のように非限定用法にしてやれば、何の問題もありません。
- wind-sky-wind
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お悩みの点は,関係代名詞を学習する際,あるいは教える際に必ず出てくるものです。 Mr.Smith is a teacher. We like him. のような場合,Mr.Smith = him であり,a teacher = him です。 どちらかと前者の方がよりイコールという風に感じるでしょう。 しかし,実際には先行詞は a teacher の方で, Mr.Smith is a teacher whom we like. とします。 人に関していうと,先行詞になるのは,teacher, boy, man, girl, woman のような語であり, 固有名詞,my など所有格+名詞のようなものは先行詞になりません。 日本語では「生徒であるケン」とか,「私たちが好きなスミス氏」のように,固有名詞を限定用法のごとく修飾することが可能です。 しかし,英語の関係代名詞の限定用法というのは, 数ある同種のもののうち,関係代名詞以下の内容により,あるものに限定する場合に用いるのです。 すなわち,同種の boy や teacher を「私たちが好きな」により,限定しています。 一方,Mr.Smith のような固有名詞は,この時点でただ一人に限定されてしまっているので,さらに,限定することはあり得ません。 「私たちが好きな」というのは Mr.Smith を補足的に説明しているのにすぎず,限定修飾していません。 関係代名詞の用法としては高校で習う,継続用法になり, コンマ+関係代名詞となるものです。 中学生に,このことまで触れることはする必要はありません。 先行詞をどれにするか,教える側で示してあげればいいと思います。 そのときの判断は,上述の boy, man のような同種のものがある単純な名詞の方が先行詞になる,です。