割りと冷静に判断され、考えておられるようなので、あえて書きます。
分析心理学者に、というか、分析心理学(ユング心理学)を創始した人に、カール・グスタフ・ユング Carl Gustav Jung という人がいます。彼の文書のなかのどこかに、死んで行く子供たちを見たことがあるが、(それは、別に自殺ではなく、病気などでの死です)、なかには、「不完全にしかこの世に生まれて来ていなかったのではないか」という子供の例があることを知った、という意味のことを書いています。
ユングの「自伝」には、「死後の世界」のことが書かれていて、人の魂は、何か目的を持って、死後の世界(というか、永遠の世界)から、この世界に生まれてくるのだそうです。ユングの先の言葉は、「不完全にしか生まれていない」というのは、永遠の世界にまだ、残っていながら、魂が、中途半端にこの世に生まれてきた子供がいるようであるということです。
これを読んだとき、たいへん不気味な感じに襲われました。死後の世界とこの世界のあいだで、中途半端な状態で生まれて来ているということが、たいへん奇妙で恐ろしいものだと思えたからです。
ユング派の心理学者で、ジェイムズ・ヒルマンという人がいます。この人の「自殺と魂」という本を読んでいると、自殺した人を色々見てきたが、なかには、どう止めようとしても自殺してしまう人……「自殺することが運命である人」がいるのではないかと考えた。という文章が出てきます。考えた、というより、ヒルマンは、それが事実ではないかと、感じたので、確信したとも言えます。
「まだ13年しか生きていない」と、「もう13年生きた」というのは、別に矛盾しません。13年が運命なのだとしたら、生きられる時間を完全に生きたのだとも言えます。また、まだまだ知らないことが一杯あると言っても、別に知りたくもないこと、経験したくもないことが一杯あっても、そんなものはいらないというのが、人の心です。
人にとって、いま現在が重要であって、未来のことも、実は、いま現在に組み込まれているのです。未来の展望としていま現在に入れています。あなたの未来展望は狭い、もっと色々な知らないことがあるのだ、というのも正しいでしょう。他方、もっと知らないことなど、知る必要もない、という未来展望も、これで、いまを生きるという立場からは、正しいと言えるのです。
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話に脈絡がありませんが、思ったままを書きます。上にユングとヒルマンの書いていたことを記しました。そこであなたについてですが、この質問からうかがえる限りでは、わたしには、あなたが、「自殺することが運命である存在・魂」とは感じられません。わたしは、あまりに経験が少ないので、妥当な判断ができないのかも知れませんが、違うように思えます。
あなたにとって、生きることに意味がない、毎日が苦痛である、自分を愛することができない、自分が嫌でしかたない、誰も愛してくれない。誰も愛する人はいない。日本は嫌いだ。というのは、あなたの現在の生きる状態からして、当然のことのようにも思います。
わたしとあなたは、別の人間であって、比較しても仕方がないのです。しかし、わたしは、両親はわたしを愛してくれたことは分かりますが、わたし自身は、勝手な人間で、「誰をも愛していない」と感じます。わたしは自分自身を限りなく愛しているナルシシズム人間ですが、わたしは、自分自身が嫌いであり、自己の存在をすべて否定したいとも思っているのです。それは、同時にそうであるのです。
日本が嫌いと断言できるほど、わたしは日本を知りませんが、自分が知っている土地や都市のどこを考えても、どこも「わたしの魂の故郷」だと感じられません。わたしは、この世界が嫌いなのだと言えます。しかし、イギリスであろうと、フランスであろうと、そこの土地へ行けば、わたしは日本人であり、この世界のどこにも、自分のいる場所がないことを感じています。
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話がずれて行きますが、あなたは、夏目漱石(なつめそうせき)という日本の作家、明治時代の文豪を知っていますか。彼は、明治時代の超エリートで、当時、片道三ヶ月か、一ヶ月だったか、膨大な時間と費用のかかるイギリスへと国費で留学しました。ロンドンで彼はイギリス文学の勉強と研究をするのですが、段段孤独になって来て、また閉塞状態になってきます。彼が記していたことは、ロンドンは自分の町ではない、ロンドンの街で、ショーウインドウとか鏡にふと映っている自分の姿を見ると、黄色い色をした猿がそこにいるようで、自己嫌悪に襲われた、というのがあります。
外国に行っても、そこで、異なる文化や民族の人たちのあいだで、溶け込めるというか、自然に生きることのできる人もいますが、夏目漱石のような、日本語も英語もものすごくできた、しかも日本ではエリートであった人でも、自分の姿を見ると、黄色い猿だと思えたというように、異国のロンドンになじめなかったのです。漱石は、気が狂った、というニュースが日本に伝わるほど、夏目漱石は、ロンドンで参ってしまい。必死になって勉強して日本に帰って来たという話があります。
同じ日本人どうしのなかでも、いじめがあり、溶けこめない子供は、はじき出されて、悲しい、つらい、苦痛に満ちた思いをするという現実があります。ましてや、孤独なロンドンで、異国のなかで、生活していると、見かけはどうであっても、内心の魂が、孤独となり、自分の居場所はここでないと痛感するのは、ごく自然なことです。異国の孤独な生活にも適応できる人もいれば、できない人もいるのです。
あなたには、その上に、両親を愛せないという問題があるのですから、自殺を考えないとすれば、そちらの方があるいは不自然かも知れません。日本には、帰りたくないというのも、何となく自然な感じです。
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わたしはかつて、自殺しようと思ったことがあります。かなり若い頃です(あなたほど、若くはありませんが、しかし、わたしが自殺のことを最初に考えたのは、十歳の頃で、中学生の頃には、通学しながら、心のなかで、何時でも死ぬことができるのだ、死んでしまえば、もう面倒なことはないのだ、としょっちゅう考えていたことを思い出すと、あまりあなたと変りないような気もします。わたしは、あなたのように異国に住んでいた訳でありませんが、何故か、この世が、わたしの本当の世界でないように感じられたのです)。
そして、何時自殺するのか、日を決めました。そうすると、何故か毎日が光り輝いてくるような感じになったのです。何かをしようと思うと、それは、一ヶ月以上かかる……残念だなあ、とか、もう少し生きていれば、どうなるか分かるけれど、その前に死ぬので、それは結果が分からないとか、あるいは、太陽の光や、山の緑や空の青さが、信じがたく美しく思えてきました。
わたしは結局、自殺しなかったので、それ以降、二度と、ひにちを決めて、自殺を計画することはなかったので、こういう経験は二度としませんでしたが、それにしても、もうすぐ死ぬのだが、生きていることは貴重な美しいことだと日々実感するというのは、奇妙なことです。「生きていることが貴重で美しいことだと感じて、自殺を止めたのではないのです」。自殺を本気で考えていたので、美しく貴重に感じられたのです)。
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脈絡がありませんが、あなたがこの質問を出したのは、8月3日の0時です。イギリスでは、8月2日の15時だと思いますが、日本時間で考えます。8月1日の12時43分に、次のようなタイトルのメールをわたしは受信しました。
>2002年8月1日 12:43
>Our ***** *. died this evening
メールの内容を写す訳には行きませんので、冒頭の一行だけ、コピーします。
>***** confirmed to me just now that at about 6:20 p.m., ***** let go
>of this world's fleeting joys and sorrows.
これは、ある思想的メーリング・リストを通じてきたもので、送信者は、このメーリング・リストの運営者です。亡くなったのは、そもそも、このメーリング・リストそして、こういうリストの参加者のグループを築いた人でした。(六十代初めで、まだまだ若いと思うのですが、去って行きました)。
わたしは、弔文を英語で書こうと思ったのですが、文章がまったく思いつきません。このメールを送った人にとって、なくなった人は、かけがいのない人であったのです。メーリング・リストそのものが、おそらく実質的に消えると思いますし、実際、この人は、運営者を他の人に委ねるということにしました。
わたしにとって、この死亡通知は、勝手な言い方かも知れませんが、傍らを通過して行く風景のようなもので、わたしは、かなり冷ややかな心で受け止めていたのです。
しかし、何故、「メンタルヘルス」のカテゴリーの質問を読むようになったかというと、考えると、この死亡通知が、影響しているとしか思えません。また、こうして回答を書いていることも、このことと関係があるのだと思います。
それが何か意味があるのかと言えば、こういうことを、「運命」あるいは「布置 constellation」というのです。ただ、「布置=星座 constellation」は、人生において無数にあるもので、それに気づくか気づかないか、その違いだけかも知れません。
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ところで、あなたは、ウィリアム・ワーズワース William Wordsworth というイギリスの詩人の「霊魂不滅の歌」という詩を知っておられるでしょうか。これは、"Intimation of Immortality" と普通呼ぶのですが、正式なタイトルはもっと長いです。(正式なタイトルは、"ODE: INTIMATIONS OF IMMORTALITY FROM RECOLLECTIONS OF EARLY CHILDHOOD" と言います)。
この詩の載っているページのURLを,以下に載せておきますので、興味があれば、読んでみてください。わたしが好きなのは、次のような部分です:
58 Our birth is but a sleep and a forgetting:
59 The Soul that rises with us, our life's Star,
60 Hath had elsewhere its setting,
61 And cometh from afar:
62 Not in entire forgetfulness,
63 And not in utter nakedness,
64 But trailing clouds of glory do we come
65 From God, who is our home:
この詩は、200行以上続き、最後は次のように終わります:
200 Thanks to the human heart by which we live,
201 Thanks to its tenderness, its joys, and fears,
202 To me the meanest flower that blows can give
203 Thoughts that do often lie too deep for tears.
>William Wordsworth (1770-1850) Ode: Intimations of Immortality ...
>http://www.library.utoronto.ca/utel/rp/poems/wordswor25.html
ウィリアム・ワーズワースには、「ルーシー詩篇」と呼ばれる連作があります。そのなかで、もっともわたしが好きなのは次の詩です:
She Dwelt Among the Untrodden Ways
She dwelt among the untrodden ways
Beside the springs of Dove,
A Maid whom there were none to praise
And very few to love:
A violet by a mossy stone
Half hidden from the eye!
--Fair as a star, when only one
Is shining in the sky.
She lived unknown, and few could know
When Lucy ceased to be;
But she is in her grave, and, oh,
The difference to me!
>The "Lucy" Poems by William Wordsworth
>http://homepages.ihug.com.au/~plato/poetry-cl-lucy.html
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何か書いているうちに関係ない話のようになってしまいます。なお、上の、ひとりで、誰にも愛されず,孤独で死んでいったルーシーの詩は、わたしは昔から好きでした。
ドイツのロマン派を代表する詩人のノヴァーリス Novaris という人を知っているでしょうか。この人は、かなり若く独身で死にますし、主著の小説「青い花」も未完に終わっています。
この人は若くして死ぬのですが、死ぬときのありさまが、たいへん美しいです。本当かどうか知りませんが、伝わっている話では、この人は病気になり、ベッドで横になっていて、弟に、ピアノで曲を弾いてほしいと頼みます。ノヴァーリスの弟が、非常に美しい旋律の曲を弾いていると、ノヴァーリスはその音に耳を澄まし、静かに聞いていたのだそうです。曲が終わって、ノヴァーリスがあまりに静かなので、弟が兄を見に行くと、ノヴァーリスは眠るように、もう死んでいたという話です。
ノヴァーリスが何故独身だったかというと、それは結婚しなかったからですが、しかし、彼には婚約者がいたのです。それはゾフィー・フォン・キューンという少女で、ノヴァーリスは二十代半ば頃か、十歳以上年下のゾフィーと知り合って、彼女に求婚します。というか、ゾフィーの両親に結婚の承諾を求めるのです。
しかし、確か、ゾフィーは、その時、十三歳か、それぐらいのはずで、あまりに若すぎるということで、とりあえず、婚約者になったのです。
ノヴァーリスの詩の傑作は、これは完成していて、しかも二種類ヴァージョンのある長編詩「夜の讃歌」です。この作品の完成には、実はゾフィーが関係しています。というのは、ゾフィーは、婚約して間もなく、十三歳か十四歳で夭折してしまうのであり、ゾフィーを永遠の恋人としたノヴァーリスが、ゾフィーに向けて書いたと思えるのが、この詩なのです。
死を賛美するのではありません。「ゾフィーの死」は何か運命的な感じがします。「夜の讃歌」は、現在,日本語で訳本が手に入るかどうか分かりませんが、英訳本ならあると思います。たいへん美しい詩です。ゾフィーは十四歳で死に、ノヴァーリスはその三年後ぐらいか、二十九歳で死にます。
>ノヴァーリス
>http://dmi.vis.ne.jp/authors/germany/412.html
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どうも、何を書いているのか、はっきりしなくなりました。もっと別のことを書こうと思っていたのですが、書いているうちに、こういう話になりました。
最後にというか、何か知りたいといわれるのでしたら、また何か書いても構いませんが、とりあえず、わたしがこのサイトで行った三つの質問のうちの一つのURLを紹介します。興味があれば、みてください。ただ、何をナンセンスな能天気なという質問と、何を書いているのか、独り善がりで難解な、またナルシシズムを具現したような、という質問です。
(わたしは、自殺を肯定しているのではありません。わたしの「生と死の師」は、自殺を認めない人でした……その背景には、複雑な事情と、痛切な経験があるのですが、それは書けません。個人個人の秘密は守らねばならないものがあるのです。その遺志を継いで、わたしも自殺を認めません。ただし、「運命」である場合は仕方がないと思っています。あなたの場合,最初に述べたように、「運命」には思えないのです。あなたが、17歳か18歳以上であれば、問題は別の形で解決できたと思います。15歳でも、より簡単に解決できたかも知れません。13歳では、まわりの現実を動かすことが難しいのです。状況が変えられれば、違ったものが見えてきます。だから、13歳で、どうやって、現実状況を変えるか、こちらが問題なのです。あなたのレスのなかには、自分の「置かれている現実状況の説明」のメッセージが確かにあります。あなたは、この状況を変えたいと思っているのだと思います。この判断は、間違っていますか? また、変えられないと思った現実状況が、ふと気づくと、部分的にでも、わずかにでも、解決していたということもあるのです)。
>No.252304 質問:わたしは、いかに生きればよいのか
>http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=252304
お礼
イギリスでは、ピアノを習っている人の全員と言ってイイほどの人が、テストを受けます。 日本でも受けられるやつです。 私は何ヶ月か前に1つ受かりました。 それで、11月には、理論の試験を受けるんです。 だから・・・すごく大変で。 って、書き始めたばかりなのに、親が勉強しなさいって・・・ 続きは補足に書きます。
補足
ショックです・・・ ずっと補足書いてたのに、いきなりパソコンが切れて・・・ amazonでは、時々CDとか買ってます。 <考えないで、ボーっとしていてください。 ボーッとしてる間に、私の人生終わっちゃいそうです・・・ このサイトも、私にとっては逃げ場所です。 あ~、あんなに長く書いたのに・・・ なんかもう疲れちゃったので終わりにします。