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この心理を何ていうんですか?
こういう人間の心理って正式な名称があるんでしょうか?。 よく「虐待の連鎖」というのがありますが、虐待的な教育をされると自らの子供にも虐待をしてしまうというのがありますが、親子関係だけでもなく人同士の関係でも優しくされると人に優しい事をしてあげたくなったり、逆にいじめられると誰かに報復的にいじめたくなったりするという単純な図式があると思います。 これは正式な名称がある心理なんでしょうか?s
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質問者様の興味に合うかな、と思って書きます。ただ、自分のメモを写しているので若干の誇張や間違いがあるかもしれません。それに、理論の名称はメモしていないんです・・・ ちなみに、「世代間伝達」とは言いますね。 フランスの精神科医の「れぼびし」という人が、赤ちゃんに関する3つのイメージを提唱しています。 ・現実の赤ちゃん 意識的 ・想像の赤ちゃん ↑↓ ・幻想の赤ちゃん 無意識的 現実の赤ちゃんは説明不要でしょう。 想像の赤ちゃんとは、生まれる前に母親が思い描くイメージで、プラスイメージのかたまりです。 幻想の赤ちゃんとは、母親自身が生きてきた中で固有に作られたイメージで、被虐待歴のある母親のこれはマイナスイメージのかたまりです。 さて、被虐待歴のある母親は、自分の中に育っているべき母性が欠けており、母親としての機能を果たせないことで罪悪感を感じています。これにより、プラスイメージだった「想像の赤ちゃん」が傷つき、ついには喪失します。これにとって替わるのが「幻想の赤ちゃん」です。マイナスイメージを思い起こさせられるので、憎しみが生まれます。無意識のレベルで起こるのでこの憎しみは意識して止められません。それに(言い方が悪いですが)赤ちゃんのときの母親(つまり過去の自分)と「現実の赤ちゃん」とのギャップを埋めるよい機会です。殺意が生まれます。「現実の赤ちゃん」は一般的にいうところの「かわいい、守ってあげたい赤ちゃん」であってはならないのです。 こんな感じの事がメモしてありました。
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- Diogenesis
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英語に“reciprocity”という言葉があります。 社会学や文化人類学では「互酬性」, 心理学では「返報性」と訳されることが多いのですが,同じものです。 この“reciprocity”は,本来, 個人や集団の間で交わされるモノやサービスの交換についての概念であって, 心情的・内面的なものを指すわけではありません。 しかしながら互酬性の規範は時代や地域を越えて広く観察されることから ヒト社会の進化の過程で形成・維持されてきたものと推測され, 社会の成員である個人の思考や行動を制約していることはたしかでしょう。
- hakobulu
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専門家ではないので正式な名称があるのかどうかは知りませんが、これは一種の【自己の投影】と言ってよいのではないか、と思います。 自分というフィルターを通してしか物事を見れない、ということですが、 自分にとって本来不都合な記憶があったとしてもそれを肯定的に判断してしまう、ということが起こるように思います。 わかりやすい例を挙げれば、 例えば幼時に親から虐待を受けた記憶を持つ人は一般的に言って自分の子供にも同じようなことをしてしまいます。(あくまで一般的な話で、全ての人がというわけではもちろんありません) これはなぜかと言うと、他者に対するいわゆるイジメとはまた違った心理が働くのではないかと思われます。 「自分は虐待という酷いことをされた」という認識があっても、無意識的にはそれを否定してしまうのではないか、ということです。 なぜなら、自分を生んだ者、自分を無条件で愛し庇護してくれるはずの者にそれだけ酷いことをされるということは、自分が何か余程悪い事をしたか、親が余程自分を憎んでいたということになってしまいます。 このような【アイデンティティ(または生命)に係わる】理不尽な事実を認めることはとてもできない、と無意識は判断するわけです。 そこでどうするかというと、 「親は本当は自分を非常に愛していたのだ」と理屈抜きで信じ込もうとします。 結果として、虐待は親の愛の証であった(無論、無意識の上でです)ことになってしまうわけです。 ですから、自分の子供を虐待するのは、虐待という認識があるか否かは別にして、これこそが愛の形なのだという無意識的な自信(本質は勘違いですが)に支えられているのでなかなか回避することが難しいのだと思います。 これが虐待の連鎖の最も根深い原因であり、本人はそれと気付かず自己を子供に投影していることになり、つまり自らの存在を掛けて虐待を行なっているという点が悲劇的であると言えるでしょう。 他者との関係の場合も本質的な仕組みは似ていると思われますが、快・不快で判断することが常である本能的要素が大きいかもしれません。 人から優しくされたり、いじめられたりした場合、 気持ち自体が優しくなったり、落ち込んだりするわけで、必ずしもその相手に対してだけ優しくしたり、報復したい心理になるということではないように思われるからです。 ご質問の趣旨からは逸れた回答になってしまったかもしれませんが、何かのご参考になれば幸いです。
別にないと思いますよ。 名前があるということは、その行為について心理学的な研究が行われたということです。 まぁ、人によっちゃ便宜的に「報復の心理」とか名前をつけたりするんでしょうけど。