• 締切済み

人間の認識できる最大の時間について

人間が「感覚的に」且つ連続的に認識できる最大の時間について、 皆さんの意見、知っている説、または個人的に自分はこう、 ということを教えてください。 理論的なことではありません。あくまでも「感覚的な」ことです。 手で幅を作ったりとかして、「感覚的に」自分でわかる範囲の時間。 それ(感覚的な時間)についての理論、議論は歓迎します。 謂わゆる天文学的な時間とかありますが、数字で示されても、感覚的に認識できないものです。例えば、50億年といわれても、「太陽が出来てからの年月」と言う比喩が解かるのであって、50億年という時間は感覚的に解からないでしょう。 ちなみに私は10年が感覚的に認識できる精一杯の時間です。 15年前、20年前のことも憶えてますが、記憶の問題でなく、 あくまで「感覚できるスパン」のことです。 必ずしも、生きてきた時間の分でもなさそうな気がします。 皆さんはどうですか?

みんなの回答

noname#15238
noname#15238
回答No.8

哲学的に時間のことにこだわってしまうと泥沼に入ってしまいそうで、あまり近づかないようにしておりましたが、感覚的な時間とのことですので、個人的な感覚をお答えします。 1時間です、仕事以外で、自分の自由意志で、本を読んだり、PCをいじったり、自転車をこいだりしますが、大体1時間で休憩します。 これは自分が認識しているのか、体のいわゆる体内時計の生理的現象なのかは判りませんが、そろそろ1時間たったかなといった感じで時計を見ると、ほぼ間違いなく1時間たっています。それ以上集中するといつのまにか外が暗くなっていたとかして、時間を忘れたような状況になってしまいます。 先日甥の結婚式で10何年ぶりかに甥っ子に会いましたが 小学生だった甥っ子が結婚するという事実から年数が経ったことが認識されるわけですから、時間だけを認識するのは難しいのではないのでしょうか。 時間についての難しい議論は傍観させていただきます。 タダ見をしていては恐縮ですので、不出来ながら回答をさせていただきました。

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >哲学的に時間のことにこだわってしまうと泥沼に入ってしまいそうで、 >あまり近づかないようにしておりましたが、 賢明な判断です。自分では感覚的な物差しについて絞ることで要領かましたつもりだったのですが、新しい疑問も湧いてきて泥沼に片足突っ込んでしまいました(泣笑)。 >1時間です、・・・・ >そろそろ1時間たったかなといった感じで時計を見ると、 >ほぼ間違いなく1時間たっています。 ありがとうございました。 #こういう感じかたが一般的なような気がします。 #他の感じかたはもちろんのこと、同じ感じかたでも結構ですので、 #皆さん聞かせてください。

  • Renard
  • ベストアンサー率57% (8/14)
回答No.7

>50億年といわれても、「太陽が出来てからの年月」と言う比喩が解かるのであって、50億年という時間は感覚的に解からないでしょう。 これは、「50億年というのは、太陽が出来てからの年月である」ということだったのですね。 わたしは、"比喩"というので、「50億年というのは、太陽の寿命の二回分である」とか・・・そういったたぐいのことだと思いました。(^^)  話がかみ合っていないようなので、....(^^)  例えば、時計の見方を知らない小さな子供に、「10分間我慢しなさい」と言っても理解されません、この場合、「60を10回分だよ。」といえば、理解されます。しかし、「一日我慢しなさい」というのに、「60を1440回分だよ。」と言っても、なんのことだか分からなくなってしまいます。この場合は、一時間の単位を教えて、一時間の24回分だとか・・・それに見合った単位を教えなければなりません。つまり、時間を認識するというのは、その時間を計る物差しをきちんと持っているかどうか? ということではないでしょうか?  日本史的な物差しを持っていれば、紀元何百年くらいのことまでは、認識できると思います。紀元前のことになると、今度は世界史的な物差しが必要になるでしょう。更に、何万年前となると、今度は、地質学的な物差しが必要になります。何十億年前になると、宇宙論的な物差しが必要になるのでしょう。  わたしたち一般人は、50億年前と言われても、それを推し量る物差しをもっていませんから、それがどれほどの長さなのか理解できませんが、「太陽が出来てから50億年」と定義した人は、それを推し量る物差しをきちんと持っているはずです。  恐らくnekoucchaliさんが、「10年前までのことは、感覚的に認識できる」というのは、10年前までのことは、同じ刻みの物差しで計れる。ということではないでしょうか? それ以前のことは、その物差しでは、計ることが困難になってしまうということなのではないでしょうか?  換言すれば、「感覚的」というのは、物差しの目盛りの単位であり、「連続的に認識できる最大の時間」とは、その物差しの大きさということになると思います。  このことは、時間についてばかりではなく、距離や大きさなど、物事を認識すること全てに言えると思います。

nekoucchali
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 >「10年前までのことは、感覚的に認識できる」というのは、 >10年前までのことは、同じ刻みの物差しで計れる。 >ということではないでしょうか? >換言すれば、「感覚的」というのは、物差しの目盛りの単位であり、 >「連続的に認識できる最大の時間」とは、 >その物差しの大きさということになると思います。 おっしゃるとおりです。Renardさん的に私の質問の一部を表現すれば、「あなたの時間の物差しの大きさを教えてください」となりましょうか。 最後に、よろしければRenardさんの物差しの大きさを教えてくださると幸いです。

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.6

>>chihokoさんは、そんなことはそういうわけで錯覚だから、時間の感覚的な認識などナンセンスだ。錯覚と判った物には二度とだまされないように、そのような認識はありえない。のでしょうか?あるいは自己満足的だが一応こうというのはありますか? ●時間を感覚的に認識できる脳の機能が無いんですから その認識を  確定できませんし 錯覚であれ確定してみたところで その認識の使い方も  わかりません。 ●年をとると 時間のたつのが早く感じられる。このことについては頭脳が  クリアでなくなってきているのだと思います。記憶力、処理能力、の低下  が原因だと思います。 >論理的に矛盾のないイメージを一元的につくりだし と、ここらあたりのプロセスをもっと詳しく敷衍していただければ幸いです。 ●認識には二つのプロセスしか無いとおもいます。  ひとつはイメージとしての認識、これは視覚 味覚 触覚 臭覚 聴覚 予感  などですよね。  二つ目は 論理的な認識です。これは言葉を使います。  「一元的論理的に矛盾のないイメージ」とは 視覚でいうと映画になるし  聴覚でいうと音楽にあたります。  正確には論理的とは言葉(数式を含む)を使いますが、ここでわたしが  いっている論理的とは脳が受け入れれる状態に創造することを指します。 ●わたしが時間にたいして感じている像を 説明しても理解していただけるか  わかりませんし 理解していただこうとも思いませんけど。  時間に限らず わかっているようで実はなにもわかっていない事のほうが  多いと 感じています。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=149336
nekoucchali
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。参考URLも拝見しました。「許し」のロジックは、もっと言葉を尽くして敷衍していけば、おもしろいと存じます。佐々木淳子っぽい漫画や小説などのネタにも出来そうですね。 >時間に限らず わかっているようで実はなにもわかっていない事のほうが多い 結局ここに行き着くことになりそうですね。 でもまあ、せっかくですから、もうしばらく事例を募集していくことにいたします。

  • Sibofn
  • ベストアンサー率38% (5/13)
回答No.5

聞いた話ですが,  5歳のときの1年は,人生の中で,5分の1に感じる。  20歳のときの1年は,同じく,20分の1に感じる。  30歳のときは… ということを思い出しました。 私が感覚できる時間ですけど,「ストップウォッチを持って,10秒たったと思ったら止める。」遊び(?)をすると,なかなかうまいこといきません。 ですが,だんだん,10秒に近づいていきます。 電子レンジで1分の間,ほかの事をして,レンジがなる直前にレンジのふたに手をかけることはできます。 日常的に使う時間は感覚でわかっているんじゃないでしょうか。 しかし,私は10年にピンときません。10年前は小学生でした。 あんまり覚えてないんです。 こんな回答でよければ。

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 > 5歳のときの1年は,人生の中で,5分の1に感じる。 > 20歳のときの1年は,同じく,20分の1に感じる。 > 30歳のときは… なるほど、1年は、「生きてきた年月分の1」ですか。確かに説得力があるように思えます。 10代で自我意識に目覚め、自己確立を目指し始め、異性を意識するようになり、 20台で自己確立を続けながら仕事を始めたり、家庭を持ったりし、 30台で家族や社会に責任が増し・・・・・・ と、年齢を重ねるごとに心配事が増していき、どうもそのあたりに時間を短く感じる原因があるような気もしないではありません。 そうであるのか、Sibofnさんのおっしゃるとおり単純に、「生きてきた年月分の1」なのか、定年後悠々自適の暮らしをしている70代、80代の方が補足してくださるとありがたいのですが。 >私が感覚できる時間ですけど,・・・・・・・・ >日常的に使う時間は感覚でわかっているんじゃないでしょうか。 なるほどなるほど。短い時間であれば、ある程度は訓練で正確に認識できるという例ですね。 ありがとうございました。

  • Renard
  • ベストアンサー率57% (8/14)
回答No.4

 楽しいことをしているときは、時間のたつのが早く、つまらないことをしているときは、時間のたつのが遅いものです。しかし、過去を振り返ってみると、楽しかったときのことは、長く感じられ、つまらなかったことは、短く感じられます。  また、子供の頃は時間のたつのはとてもゆるやかだったのに、年をとるに従い、一年などあっという間に過ぎてしまいます。  一般人には、50億年というのは、感覚的に認識しずらいかもしれませんが、その手の訓練を受けている人、例えば、宇宙について研究している人は、きちんと認識しているのではないでしょうか?   また、50億年を、「太陽が出来てからの年月」というのに置き換えれば認識できる。ということは、50億年という時間を認識しているということになるのではないでしょうか? (「太陽が出来てからの年月」という比喩がどのようなものなのか? よくわからないのですが・・・)

nekoucchali
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 >子供の頃は時間のたつのはとてもゆるやかだったのに、 >年をとるに従い、一年などあっという間に過ぎてしまいます。 そうですねえ。これは一体どうしてなんでしょう? >その手の訓練を受けている人、 >例えば、宇宙について研究している人は、 >きちんと認識しているのではないでしょうか? なるほど!そういう事例があれば知りたいもんです。50億年のスパンを感覚的に把握している人が答えてくれればいいのですが・・・。 >(「太陽が出来てからの年月」という比喩がどのようなものなのか?  >よくわからないのですが・・・) ですからこれは、天文学の方で太陽は50億年前に出来たとされていることを前提にしております。このさい本当に太陽が50億年前に出来たかどうかはどうでもいいとします。 >50億年を、「太陽が出来てからの年月」というのに置き換えれば認識できる。 >ということは、50億年という時間を認識しているということになるのでは >ないでしょうか? そうなのですか?「太陽が出来てからの年月」を感覚的に把握出来る人が居るのでしょうか?すなわち、 1.太陽が生まれてからの時間を感覚的に把握している。 2.太陽が生まれて50億年経っている。 3.よって50億年のスパンを感覚的に把握出来ている。 と、言うような人が・・・。 Renardさんのアドバイスを拝見して新たな疑問が生じてしまいました。私これでも忙しいのに・・・泥沼にはまっていくような・・・(笑)。

  • chihoko
  • ベストアンサー率13% (14/106)
回答No.3

●人間の意識は一元でできています。ふたつのことを並列に処理できるひとなど  おりません。それができてしまうとふたつの人格が存在してしまうからです。  そんな人間はちぐはぐで 生存競争に生き残れません。よっていまいる人間の  ほとんどは 直列に思考することしかできないはずです。  したがって 時間であれ 論理であれ 複雑な要素が連続しているものを  すべて感覚てきに把握できるはずがありません。 ●認識したように感じているのは。論理的に矛盾のないイメージを一元的に  つくりだして自己満足しているだけなのです。

nekoucchali
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。おっしゃることは、「自己満足」はchihokoさん的表現と受け止める限り概ね同意できますね。 認識してると思い込んでる「錯覚」に過ぎないと。 chihokoさんは、そんなことはそういうわけで錯覚だから、時間の感覚的な認識などナンセンスだ。錯覚と判った物には二度とだまされないように、そのような認識はありえない。のでしょうか?あるいは自己満足的だが一応こうというのはありますか? >論理的に矛盾のないイメージを一元的につくりだし と、ここらあたりのプロセスをもっと詳しく敷衍していただければ幸いです。

回答No.2

私の場合は感覚的に認識できるのは現在のみのような気がします。今こうしている間も過ぎ去ればほんのちょっと前だったような気がするし二、三年前だったような気がするし。逆もあって何年も前のことが急にほんのちょっと前の出来事に思えたりして。時間の長さの感覚ってそのときの感情や状況によって全然違うからどうなんだろうか。でも物理的な(メトロノームなどで訓練した時間感覚)は一定だけど感覚的じゃないような気がするし。すいません、自分で何かいてるか分からなくなってきました。とりあえず私は一瞬ということで。

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。himajinn2001さんて、 質問にぴったりのハンドルをお使いで楽しく思います。 >すいません、自分で何かいてるか分からなくなってきました。 いえいえ、質問の趣旨の一つとして、「他の人はどうなんだろう?」と言うのがあるので、一人でも多くの方に答えていただけるとうれしいのです。 勤務先で訊いたりなどしたら、「このクソ忙しいのにおまえは何ヒマなことを考えてるのじゃあ」としばかれそうですから(笑)。 こういう、いろんな人にしょうもないことも質問できる場所はありがたいものです。

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.1

3時間も無理かも知れません。 東京から新幹線に乗るとき、「あ~、三時間かぁ、かったり~」と思って乗るが、降りたら「3時間て、さほどでもないなぁ」と毎回思うから・・・ プログラマ時代は、昔のバグを指摘されて「2週間前の私は他人です」と、”いけしゃあしゃあ”と言ってました。 (”いけしゃあしゃあ”ってなんだ?) ちなみに、質問者は「哲学」に詳しいんですか? 「哲学」ってこんなことを研究する学問なの? (って、解答者がきいてどうする!)

nekoucchali
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。なるほど、ykkw_2001さんは三時間以内ですか。 >「2週間前の私は他人です」と、”いけしゃあしゃあ”と言ってました。 う~~ん、いいですねえ。私もそんなふざけた言い訳ができるほど仕事で結果を出したいもんです(笑)。 >「哲学」ってこんなことを研究する学問なの? そうですねえ、「哲学」って、煩悩の方向が知性の方に向いてる物ですから。 ykkw_2001さんはこの質問を見て「この人何ヒマなことを考えてるんだろう?」 と思われたのでは?私自身ふと疑問に思ったとき、「オレはこのクソ忙しい時に何ヒマなことを思いつくんだ・・・・・」と同時に思いましたもの(笑)。

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