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他人を見下すことについて

sophie_hの回答

  • sophie_h
  • ベストアンサー率12% (14/109)
回答No.11

『他人を見下す』とは、『他人を侮ってみる、他人を蔑む』ということです。『他人を軽く見て馬鹿にする』ということになります。一般的には、『他人を人間全体として、侮り蔑む』という意味で使われると思われます。 『軽蔑するべきところは軽蔑している』、『尊敬するべきところは尊敬している』、『良いところも、悪いところも認める』というのは、人を部分毎に分けて言っているので、この場合は、全体として評価する言葉を使うのは、妥当でないと思われます。単に、悪いとか良いと思うと言うべきであって、全体として評価する『見下す』という言葉を使うのは妥当でないと思われます。 従って、全体の人格否定の意味で使われる場合について、申しあげます。 見下された人がどう感じるとお思いですか。 見下している人も、『私のこの部分は尊敬している』のだから、と思うでしょうか。 見下すとは、態度に表れるもので、その瞬間、その人を完全に否定していることになります。 「あなた、こんなこともできないのね、何て頭の悪い方でしょう。おまけに、努力もなさらないのね。人間として最低じゃない。」 という非難の声が、眼差しや態度を通して、聞こえてくるのです。 お金持ちが貧乏人に向かって、「お金持ちになりたければ、努力すればいいじゃない。努力しないで、見下されても当たり前じゃない。」と言っているようなものです。でも、そのお金持ちは努力した訳ではありません。親が金持ちだったから、何もせずにお金持ちになったのです。 その時「何故、見下される自分を認める謙虚さをもてないのだろう。」と言えるのですか。 人は完全ではありません。優れている所もあれば、劣っている所もあります。そんな人がたまたま劣った所を見せた人を見下せるとは思いません。 けれども、人間的に軽蔑されるべき人は、軽蔑されて当然だと思います。 ・自己中心的で、他人の迷惑を顧みない ・強姦、殺人などを平気で犯す ・嘘を平気で言って、人を騙しても平気である などなど。 人に優越感など感じません。おかしいのでしょうか。人同士というのは五十歩百歩であり、絶対者たる神に威張ることのできない存在です。 人は移りゆく者です。幼年のときは他人に保護され、壮年のときは何でもできても、老年になると自分さえ忘れてしまう。 他人を見下している人は可哀相な人です。(非難する気にもなれません。)そして、そんな偉い方とはおつきあいさせてもらおうとは思いません。

yellowbutterfly
質問者

お礼

 ありがとうございます。  「見下す」というのは、そう言われるからそのまま使ったわけで、実際はただある部分について軽蔑しているだけなのですが、その辺のところを質問文から推察してもらおうというのはやはり不親切でした。  努力しないで金持ちになった人間が努力しても貧乏な人間を見下したとき、自分がその貧乏人であったら相手のことを「救いようのないバカ」だと思うでしょう、そんな「救いようのないバカ」をまともに相手にはしません、そんなバカに振り回されるのはアホくさいです、せいぜいもっと努力するための発奮材料として利用させてもらうだけですね。逆に、努力して金持ちになった人間が努力しないで貧乏な人間を見下したとき、自分がその貧乏人であったら見下される自分を謙虚に認めます。「何故、見下される自分を認める謙虚さをもてないのだろう」とはもちろん後者のようなケースをさしてのことです。  人は完全ではない、まったくその通りです。その人がつくった法、道徳、倫理観なども当然完全ではありません。僕が他人の何かを軽蔑するときは、そのような不完全なものに従ってではなく、自分の内にある道理に従ってです、その道理も完全であるわけがないのですが、少なくともそれが間違っていたとしても自分の責任なので自分の問題として処理できます。  何に対しても優越感や劣等感を持たない人間が存在するのかは疑問です、いるのかもしれませんけど、自然な感情であると思うので、それを恥と思い抑えることはできても発生するのをなくすことはできないように思います。  自分という存在がつまらないものだと認識する視点は僕にもあります、100mを10秒で走ろうが20秒で走ろうがそれが何だというのでしょう?もっと言ってしまえば、自分とその辺の石ころと何が違うというのか?どちらも様々な元素の固まりでしかありません。

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