• 締切済み

他人と自分を比べてしまいます

大学四年生の女です。 タイトル通り、何かと他人と自分を比べては優越感や強烈な劣等感を感じてしまいます。 特にこの大学四年間は本当に劣等感に苛まれました。 それまで私は何でもバランスの良いタイプだったので、劣等感を感じることがあまりありませんでした。 しかし大学に入り人間関係で非常につまずき、そこから全てが崩れたように悩み、未だにそこから這い上がれていません。 他人を羨んだり、劣等感を感じる今の自分が嫌です。 どうしたらいいでしょうか。

  • tsty
  • お礼率41% (113/272)

みんなの回答

回答No.11

優越感は 逆転したインフェリオリティ・コンプレックス ですね。 おそらく質問者さまは自身で描いたライフデザインの 目標に向かって、完全燃焼できていないのではないでしょうか。 であれば、 【あなたが一番好きなことを見つけ、 それをしているあなたを好きな人に出会いましょう。     Marcus Valerius Martialis  古代ローマの詩人】 のスタンスで、なにかしら、 オンリー・ワン、 ナンバー・ワンを創り上げませんか。 そうすれば、自身の進化に集中できますので 自他比較の機会は消滅する筈です。 併行して、 (決して邪魔にはならず、逆に いいことが多々ありますので~~~~) 正しい敬語の遣い方を含めた接遇スキルを 磨き上げませんか。できればインストラクター級に なってしまいませんか。美しい毛筆の書体も 身に着けておけば完璧です。 【女性の美しさは、出逢った言葉の質と量で決まる。  井上裕之】 All the Best.

  • mindy73
  • ベストアンサー率10% (209/1970)
回答No.10

まわりは気にしないこと

noname#231796
noname#231796
回答No.9

他人との違いを知るためにも、適度な比較は必要だと思います。 ただ、劣等感を抱くほどだと辛いので、何か好きなことを極めてみてはどうでしょうか。個々の部分だけは、誰にも負けないのだ、と。 自慢するためではなく、自分の自信を取り戻すために、です。

  • tkmn_001
  • ベストアンサー率16% (45/268)
回答No.8

自分を愛することです。 自分を好きになる時間をほんの少しでも良いので作っていきましょう。 何か楽しいことをしている時間を増やすことから始めてもOKです。 何かに熱中するというよりも、色々とマイナスをプラスにするように 考え方を変えてみたり、ふと気になった時に心理学や名言集のような 本を読んでみるのもオススメです。

  • yoruaru-q
  • ベストアンサー率17% (476/2703)
回答No.7

大学で劣等感とかつまづきを感じることができたのはラッキーなんじゃないかと思いました。 社会に出たら突然バランスの悪い人たちに揉まれ、防戦一方の社会人生活になったり、他人に強烈な暴力を与えて傷つけたりしたかもしれません。 他人は他人、自分は自分です。「1人づつが対等である」という前提でものを見る練習を少しするといいかもしれません。 人類の生き残りを考えると、「1人づつ違いを組み合わせて大きなものを生む」ための比較というのはありうると思います。 1年でつまづいていま4年ですので、ずっとつまいづたという思いを持ち続けているのは痛かったとは思います。が、痛いついでに数日かけてつまづきの原因を客観視する時間をとることもありだと思います。 自分が思っている雑多な感情を紙に書き出し、客観的にみて良くないなと思える部分は意識すれば治せると思います。 意外と体調が原因で心が揺れているということもあるかもしれません。 また、自分に責任がないときや、原因がわからないとき。つまり、他人や世の中の至らない点に原因があったと思えた場合。分析により「何を妥協しているか」「何がわからないのか」が整理されているのでストレスは少なくなるはずです。

  • k205t
  • ベストアンサー率13% (345/2543)
回答No.6

他人と比べるのは良いと思いますよ。 競争心があって良いと思います。 それに社会人になれば、そうやってやればスキルも上がるし良いと思います。 早いうちから課長だとか部長になれるのでは。

noname#212724
noname#212724
回答No.5

 所詮人間なんて他人との比較で自分を確認するしかない動物なんです。 > 大学四年間は本当に劣等感に苛まれました。   結構なことです。『上には上がいる。下には下がいる。』って学んだってことでしょう。いくら理想論や建前を並べようと、社会ってそういう上下関係のピラミッドで成り立っているものなんです。それだけでも大学の成果ですね。実現不可能な途方もない夢を見ることも無くなるでしょうし、下の人間への“思いやり”も学んだでしょう。 > 人間関係で非常につまずき、そこから全てが崩れたように悩み、未だにそこから這い上がれていません。  大学での人間関係なんて社会に出るまでの研修所でのそれと思ってください。一時的なものです。生涯に渡る友や師なんてそう簡単に出会えるものでもありませんし、一人できれば十分です。  私は、ゼミの師やクラブの大先輩が生涯の師となりましたが、既に鬼籍に入られています。今生きている親友は、一緒に徹夜でドイツ語(和文独訳)のカンニングぺーパーを作って以来の友。彼は経済を卒業してから自分のお金で東大の医学部に入り、今は私の主治医です。経済卒業のための`資料’を調達(笑)したのも、彼に放送局での深夜のアルバイトをクラブの大先輩から頂いてきたのも私。それなのに私の心筋梗塞をいち早く疑って命を拾わせた。今は会う度に「タバコは止めろ。」「運動しろ。良いトレーナーを紹介する。」とかって『余計なお世話』ばかり焼く。恩知らずな奴です。(笑)  純情な私に“女遊び”ってのを教えたのもこいつなんです。結婚してからも誘いやがって女房殿に散々絞られた。(笑)

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1254/3430)
回答No.4

劣等感を感じることがあまりなかったということですから、自分が発した何気ない一言で、誰かを傷つけてしまったということがあったのかもしれませんね。 頭のいい人の「なんでわからないのかが、わからない」 運動が得意な人の「なんで出来ないのかが、わからない」 モテる人の「彼氏・彼女なんて、すぐに出来るでしょ」 自分が出来ない側にならない限り、こういった言葉がどれだけ相手の心をえぐるのかは、理解出来ないものだと思います。 そういう意味で、質問者さんは今、大切なことを学んでいるのでしょう。 「思慮分別を持つ」「謙虚になる」 ここにたどり着く前には、必ず質問者さんと同じ状況に陥ります。 ですから。今はまだ、成長過程の最中だと考えてください。 その成長過程の質問者さんは、この先「どんな自分になりたい」ですか。 「自分はこの程度の人間です」と自分で自分に線引きをすれば、楽にはなれます。 でもね、それでは成長が出来ない。 焦りと諦めの中で生きていくのか、常に「上には上がいる」と叩き落されるのか。 上にいけばいったで、今度は周りと調和がとれなくなって苦しみもします。 どんな人生も、辛い気持ちを抱きながら生きることに変わりはありません。 大人になるってね、辛いことなんですよ。 今の質問者さんに必要なのは「自分で選択すること」そして、「その選択に責任を持つこと」です。 どの人生にも辛さはつきものです。 どんな人生を選んでも、後悔はします。 だからこそ、自分で悩んで出した答えがとても重要になります。 他人を羨むことがやめられないのならば、それを「人の長所を見つけるのが上手い」とすることは出来ます。 劣等感を抱いてしまうということは、自分にはまだまだ伸びしろがあるとすることも出来ます。 褒めることって、自分を責めることと同じくらい、案外簡単なんです。 楽に生きたい時には、自分を褒めてください。 上を目指したい時には、自分を励ましてください。 そして、上手くいかない時には、自分を認めてあげてください。 選択は一つでなくてもいいのですから、その時その時で一番いいと思うものを選択していってください。 迷って間違えて落ち込むことは、いたって普通のことです。 それを忘れないでください。 そして、できれば自分を諦めないでください。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1119/8886)
回答No.3

自分ができることを丁寧にやっていれば、そんなことは気にならなくなるはず。心のどこかでできないことをやろうと焦っているのでは。できることを丁寧にやっているといろいろなことに感謝の念が湧いてくる。

noname#210533
noname#210533
回答No.2

感じたことを率直に書きますが、心が痛かったら ごめんなさい。 あなたは、友達を怒らせてしまい、しかも こじらせてしまったんではありませんか? 或いは、必修科目の教授とかかも知れませんが。 あなたは、容姿も知性も、暮らしぶりや家庭環境、 生い立ち・氏素性なども、何をとっても人並み以上。 そんな自負を持って行きて来られたんじゃないかな、と 感じました。 勿論、表面的には謙遜してつつましい態度を取って 来たとは思いますが、内面からにじみ出る他人の心に ついての傲慢さがあったのではないかと感じました。 勿論、たったこれだけの文章で判ることなど大して ありませんが、その文章の中にも表面的には育ちの良い おっとりタイプとして明朗快活に過ごしているけれど、 心の内側には強いプライドの様な目線と、自分の過ちを 素直に認められない頑固さが何となく透けて見えて しまう気がするんです。 何となく、ですが、こじれた人間関係というのは 相手は一人では無かったんじゃないかと感じます。 そして、何故そうなったのかについて、判ることを 心が拒否して、だけど苦しくてどうしてよいか 判らない、と思考停止に陥っているのでは? 他人を羨んだり、劣等感を感じる今の自分が嫌、と 書かれましたが、そこには強い自負心の残滓が 読み取れる気がします。 これまでは、他人を羨んだり、劣等感など感じる ことはなかった、という読み替えが出来るのです。 そしてそれは、同時に「他人を羨んだり、劣等感を 感じる人って、愚かね。」と他人を見下していた 思考回路があったのではないか、と推測してしまうのです。 何があったかは存じませんが、我慢していた友人が、 あなたの欠点を強く指摘して、いわば絶交を言い渡された、 のかな?などとイメージしたりしたんですよ。 実際にそれが当たっているか外れているかは、実は 大した問題点ではありません。 全てが崩れたように悩み、というのは、ぐうの音も 出ない程、その誰かに図星を刺されたんではないで しょうか? つまり、答えは既に、あなたの心をバッサリと斬った その人が、出しているような気がするんですよ。 彼女が(違う?)あなたにぶつけた言葉が、正しく あなたが痛みを伴って自己改造しなければならない 「他人の心を理解できない傲慢さ」のような指摘、 だったのなら、ですが。 思いきり、あなたの都合も考えずに、感じたことを 率直に書かせて頂きました。 もしも、そういった指摘があなたを苦しめているのなら、 それこそが、あなたが理解できないと指摘された、 「他人の心の痛み」なのだと、翻訳して筆をおくことに 致します。 誰もが、他人を羨んだり、劣等感を感じながら 生きているんです。 そしてね、だからこそ、人は本当の意味で、向上して 行けるんですよ。 あなたの、「人間としての学び」は心の痛みによって 深みを増すものだと思います。 その痛みが、他人の心を理解する杖になるのだと、 テツガクテキにお考えになってみてください。 皆、自分が嫌いになる部分があって、それで苦しんでる。 それを理性的に上から目線でバッサリ斬るようなことを しなかったか、を、されたらどんなに心が痛むかの 学びとして受け入れて下さいね。 多少でも私の推測が当たっていれば、ですが。 ごきげんよう。

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